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不気味なライバル (7)


宴当日の早朝…冬晴れの空に無数のシャボン玉が現れ七色に輝きながら地上に降りそそぐ。やがてそれが弾けたかと思うと、早摘みの果実のような爽やかな香りが辺りを(ただよ)い、やさしい音色がほんのり暖かな風と共に流れはじめた。それに遅れじとばかりに、どこの村からともなく祝福の賛歌(さんが)を奏でる楽器や合唱の響きが木霊(こだま)していた…


 リースはすっかりお祭りムードで騒がしくなった周囲の様子で目を覚ます。相変わらずキッチンには既にグリーミュが立っていた。


「随分外が賑やかね…。」


身を起こしながらリースはあくびをする。


「今年は私の知る中で一番の演出ですね。

国中に張り巡らされた魔法も一流の中の超一流です。

王室が今日をどれだけ重要視しているのかが伺い知れます。」


「わぁ…。」


窓を覗くと、ハート型のピンク色の花びらと大粒のダイアモンドが降り注いでいた。


「実物ではありませんよ。視覚魔法の一種ですから。」


慌てて外に出ようとするリースに、グリーミュはポットのハーブティを慎重そうに注ぎながら横目で言いやった。


「な~んだ…。」


つまらなさそうに戻ると、食卓には既に赤米のおかゆ、野菜と果物のテリーヌ、バラと豆ナッツをすり潰したスープが並んでいた。


「随分と消化の良さそうなメニューね。」


「今日はダンスをたくさん踊ることになるでしょうから。消化が良くて体力が持続する献立が一番です。」


まぁルリアル様はたくさんお誘いもあるでしょうけど…。

グリーミュは相変わらず料理の知識と腕を自慢する風でもなく淡々と話す。この美しいテリーヌなんてどれだけ手間隙(てまひま)を掛けたんだろうか。

リースはいつしかグリーミュのこのしゃべり方も嫌ではなくなり、むしろ好感を抱くようになっていた。最初はグリーミュの存在がうとましかったが、よく考えたら使い回しのスープを捨てられた以外、特に害はなかった。

これだけやる気と実力に差があれば競う気も起きないし、むしろ楽になった家事と何よりおいしい食事に胃袋をつかまれてしまった。

明日からグリーミュがいなくなってしまったらどうしよう…というのが正直な感想だった。


ウィンティートの屋敷から王宮殿までは遠い。

馬車でも片道2時間はかかる。本当は前日に宿を取って備えた方が身体の負担も少ないのだろうが、どこの宿もいっぱいでしかも宿代が跳ね上がっていて貧乏な我が家にはとても無理なようだっだ。

そんな訳でお昼過ぎから、3人分のお化粧やドレスの最終調整などの支度で家の中が慌ただしくなってきた。

リースはほとんどリビングで待機しており1人蚊帳(かや)の外だったが、一緒に育ってきた3人の晴れの舞台に少なからず緊張していた。


ほどなくしてグリーミュがキッチンに戻ってきた。珍しく額に汗を掻いている。


「お疲れ様。何か冷たいものでも飲む?」


「…私は大丈夫ですのでお嬢様方に紅茶をお持ちください。冷やしたポットが棚に置いてあります。シナモンを6回振りかけて下さい。」


相変わらず抜け目がない…しかしよほど疲れたのか、いつもであれば絶対に座らないリビングのソファーにもたれかかって目を閉じている。


「わかったわっ。」


こんな日くらい自分も何かを手伝いたい。


不思議とリースにもそんな気持ちが芽生えている。

グリーミュには朝のレモン水の残りをテーブルに置いてあげてから、大きなコップ3つに紅茶をなみなみと注いでお盆に乗せる。ほのかにハチミツと姫りんごの香りがする紅茶だった。


裁縫室に向かったが気配がないので、2Fへ向かう。

…と、奥のルリアル様の部屋から何か話し声が聞こえた。


「この家に残る場合、グリーミュの条件は賃金を一ヶ月350ピオに上げること。」


ターネット様の声がする。


リースは耳を疑った。

そんな大金…ウィンティート家が栄えていたかつての給料よりも高いくらい…。きっとターネットがグリーミュにウィンティート家に残るようにお願いしたんだわ。でもそんな条件は無理だろう、それにしてもグリーミュはやっぱり抜け目ない。


「そんなお金この家のどこにあるのよ! 確かにグリーミュはよくやってくれたわ。でもドレス以外は勝手にあの子がやったことじゃない!!」


エミュレーは怒りをあらわにする。


ターネットは構わず続けた。


「そしてもう一つの条件はリースを辞めさせること。」




え?



今何て…? まさか…そんなこと…何故? 訳が分からない…。お盆を持つ手が震えてカチャカチャとカップが小さく鳴る。


「えっ、リース? 確かに役立たずだけど、別に無給のあの子を今さら何で?」


再びエミュレーがしゃべり出すが、


少しの沈黙の後…


「その条件呑みましょう。」



口を開いたのは確かにルリアル様だった。




え…今何を…。



聞き間違いだろうか。いや、あの可愛らしいがはっきりと芯の通った声は確かにルリアル様のものだ…。


全身から血の気が引いていくのが分かった。後退りして階段を一段、二段と下っていくと…


ガシャーンッ!!


重たいお盆が手から滑り落ちる。アップルパイみたいな甘い匂いが階段から階下の床一面に広がった。


「どうかしましたか?」


グリーミュが下から顔を除かせる。リースは怒りに震えて一気に階段を駆け降りる。


「あなた、な、何故…私をやめさせるって…。」


「…その事ですか。」


グリーミュは相変わらず顔色一つ変えない。


「何の権限…いえ恨みがあってそんなこと! 私はこの家で産まれてずっと暮らしてきたのに…。こんな…そんなこと、亡き奥さまが許すはずがないわっ!!」


いくらグリーミュが怖くても今回ばかりは引くわけにはいかない。


グリーミュは面倒くさそうに一つ小さくため息をつく。


「どうでしょうか、私は存じ上げないお方ですから。ただ私がこの家に残るのであれば、これ以上あなたと働くことはできません。あなたはこの家の使用人ではありません。ただの居候です。」


「なっっ、何を…」


「違いますか? 料理はろくにせず毎食同じスープの使い回し。掃除も目立った誇りを拾う程度で一度も()き掃除をしているところを見たことがありません。洗濯は衣類をただ水に浸して干す程度です。それでは洗濯の意味がありません。」


「…あっ、あなたにはそう見えたかもしれないけど私だって私なりに…」


「仕事は自己満足ではありません。」


「あ…あなたは有能だからどこにだっていけるでしょうけど…わたしは…私には他に行くところなんてないわ…。」


自分でしゃべりながら我ながら情けなくて泣けてきた。口論したって結果は分かっていたはずなのに。グリーミュはいつだって正しいに決まっている。

信じられないけれどルリアル様があぁ言った以上、既に勝敗は決まっている。

でも…それでもこの家にグリーミュさえ来なければ…。王太子殿下の宴さえなければ…。


窓の外では相変わらず賑やかに妖精達が飛び交い空には幾重(いくえ)にも虹が掛かっている。


「甘えないで下さい。あなたはずっとこの家でぬくぬく育ったからご存じないでしょうけど、レリア様はかつて奴隷(どれい)も同然だった使用人の、とりわけ女性の地位をここまで改善して下さいました。無給ですって? 笑わせないで下さい。仕事に対する対価はきちんともらって然るべきです。あなたのような考えのない人が使用人をまたかつてのように退化させるのです。私はいつかレリア様のおられる王宮付きのメイドになってみせます。


あなたのような(なま)け者なんて大嫌い。」



もはや立っているだけで精一杯だった…ここまで自分を否定されるのは初めてだった。エミュレーは確かに意地悪だったけれど、それはあくまでエミュレーの性格が悪いからで、自分に非はないと思い心の奥まで傷つけられることはなかった。何よりこの家の一番の良心であるルリアル様がいつも優しくフォローしてくれていた。しかしそのルリアル様もこのグリーミュを選んだ。奥さま亡き後、唯一信頼が置ける心の()り所だったルリアル様…そのお方もことなく的確に一字一句まごうことなく私を否定するグリーミュを…この家にきて一ヶ月足らずのグリーミュを選んだのだ…もうここに未来はない。


「…私が出ていきます。」


リースは(うつ)ろな瞳でグリーミュに背を向けて玄関へと向かう。


「お忘れものですよ。」


グリーミュがトリーのコートをリースに渡す。


そうだ、今日は魔法のお蔭で少し気候が暖かだけど、季節は冬の真っ只中だった。


グリーミュは割れたカップと紅茶の後片付けを始めていて、2階からは誰も降りてくる気配はない。


3姉妹にも完全に見放された。


ふらふらと玄関へ降りようとした時、ふとキラリと背後で何かが光った気がした。


振り替えると裁縫室の扉が少し空いており西日に照らされたドレスの七色がドアの反対側の壁に反射(はんしゃ)している。


「キレイ…。」


吸い寄せられるように裁縫室の扉を開けると、あの桔梗(ききょう)のドレスが一番手前に準備されていた。

グリーミュのお蔭でもはや購入した時の質素さはかけらもなく王宮の宴に召しても十分通用する仕上がりになっていた。


「これならば…。」


小さく口にしてハッとする。


これならば何だと言うのだろう。自分は今何をしようとしているのだろう。ただその後ろにあるエミュレーのドレスはデザインが個性的すぎて自分には無理だ。さらに後ろのルリアル様のドレスはいかにもスタンダードで美しいが小さすぎて着られない。そんなことをまるで…まるで本能のように、自分の意志とは別のところで瞬時に頭が動き出している。

ダメ…それは犯罪よ、そんなことしたら最悪牢獄行きになるし、何より亡き奥さまに顔向けできない。(わず)かに残った理性がそう訴える。


その時、ふいに古時計の鐘がなった。

1ヶ月間この部屋にいなかったから久しぶり聞く鐘の音。これからは毎日グリーミュが聞くことだろう。ふと目を向けるとからくり時計の羽の生えた天使たちがくるくると踊りだし午後の3時を告げて消えていった。


迷っている時間はない。


リビングの方を覗くとグリーミュはまだ階段を片付けているようで幸いここからは死角にいる。

きっと3姉妹にも危険なガラスが一欠片(ひとかけら)も無くなるまで降りてこないよう指示しているだろう。


今しかない。


リースは一番大きなカバンにドレスと合わせのヒールを無理矢理つめ込んで全速力でウィンテート家を後にした。

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