不気味なライバル (6)
ヴァンテリオス王太子殿下の宴の前日―――――
その日の夕方もリースは屋敷の屋上で王宮殿の明かりが灯るのをぼんやりと眺めていた。
王宮殿の前で偶然拾った宴への招待状をエプロンのポケットから取り出してみる。
すると夕闇に光沢のある封書がふわりと浮き上がった。
出来上がったドレスのレベルをみても、どう取り繕っても自分が宴に出席することは不可能だったと思う。
実は心のどこかであの桔梗のドレスをこっそり持ち出して忍び込めないものかとも考えていた。…が、ターネット用のドレスになってしまった今、それももう叶わない。
結局あの質素なドレスをそのまま着ていったらひどく惨めな思いをしていただろう。最悪、ドレスがみすぼらしいことを疑われて貴族の娘でないことがバレてしまっていたかもしれない。
そうなれば囚われて牢獄行きだ。そんな危険を侵す勇気もない。
私は一生使用人だけれどルリアル様の元で幸せな使用人になろう。これで良かったのだ。
「…。」
こんなもの持っているからありもしない幻想を抱いてしまうんだわ…破ってしまおう――とその瞬間…
「リースさん。」
グリーミュが屋上に現れる。
「ひっ。」
慌てて封書をポケットにしまう。相変わらず気配がない。
「ど、どうしたの?」
「夕食なのでターネット様が呼んでくるようにと。」
「わかった。すぐ行くわ。」
顔だけ振り替えって答える。
グリーミュはドレスを仕立てるためにこの家にやってきたのに、頼まれてもいないターネットのドレスまで誂えるばかりか、今や食事や洗濯、庭作りや家具の修理まで手を延ばしていた。
主人とはいえ、ついこの間まで見ず知らずだった人たちのためにどうしてそこまでできるのか。
「…。」
「何か?」
リースはグリーミュに背を向けたままで王宮殿に視線を戻す。
「…こんな都の外れでも王宮殿の明かりが見えるのよ。豆粒ほどだけれどね。」
「はい。」
リースがグリーミュに話しかけることが滅多にないのでグリーミュは少し意外なようだった。
「ドレスとても素敵だった…。」
「はぁ。」
「あなた、自分があのドレスを着てあそこに行ってみたいとは思わない? 自分が貴族の娘に産まれていたらって…。」
「…。」
答えられる訳ないか。いつも無表情のグリーミュに最後くらい本音が聞いてみたかったのだけれど。
「ごめんなさい、今の質問は忘れて。もう行きましょう。」
リースは王宮殿への憧れを断ち切るかのように勢い良く振り替えると、
――――――ドンッ!!
すぐ後ろまでグリーミュが来ていたようで2人は激しくぶつかった。
「ご、ごめんなさい。…ん?」
リースが何か落ちたのに気づいて拾い上げる。
「何これ? …じ、侍従の…心得?」
かなりページ数はありそうだけれど、随分コンパクトな本だった。表紙にはそれはそれは美しい女性の肖像画が描いてある。
「お返し下さいっ。」
珍しくグリーミュが大きな声を出してリースから本を取り上げる。
「なっ」
せっかく拾ってあげたのに。
「失礼しました。リースさん…レリア様をご存知で?」
グリーミュはハンカチで本を拭いてから大切そうに内ポケットにしまう。
「知らないわ。」
グリーミュがあきれたような表情になって、リースは気分が悪い。
「この本の著者で、最年少で王宮殿のメイド長になられたお方です。使用人の間では…いえ、今やこの国の民ならば知らない者はいないくらい有名なお方です。」
「はぁ。」
一歩前に迫るグリーミュに押されて一歩後退る。
「レリア様はそのお美しい容姿と器量のすばらしさで今や王太子妃の最有力候補と言われています。」
「え? 嘘でしょ、使用人が?!」
「本当です。レリア様のこれまでの功績を考えれば当然です。最もそうなれば一度、有力貴族の養子になられるでしょうが。」
驚いた…。
王宮付きとはいえ一介の使用人がお妃様候補だなんて。それにしてもお妃様に相応しい人がいるなら何でわざわざ大がかりな宴なんて開くんだろうか。まぁ自分には関係のない世界だけれど。
「そ、そう…大層ご立派なお方なのね。」
「レリア様は私たち使用人の希望の光です…!」
グリーミュには珍しく声のトーンが上がっている。
相当レリア様とやらを崇拝しているようだ。
けれど仕事の功績というよりはとびきり美人だから王子様の目に留まったんじゃないだろうか。
「グリーミュ! リースはいたの?」
階下からターネットの声がする。
「はっ、いけない! 私としたことが!」
グリーミュは我に返り慌てて階段を駆け降りて行った。
リースはもう一度王宮殿の光を振り返って大きく深呼吸する。
『どうぞ、明日はルリアル様に素晴らしいお相手を。』
と小さく祈って、ゆっくりダイニングへと向かった。