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卒業試験(8)

(ナズナの宿)


「ヴァン殿下、このようなところに…」


ヴァンナちゃんは珍しくお酒を口にしていた。ナズナが半年ほど前から漬けていたナナカマドのお酒だった。


「温かい雰囲気のよい宿だ。リースの魔力もよく効いている。」


「…恐れ入ります。あの、せっかくアーゼの素晴らしい場所を教えていただいたのに―――」


「一つ伝え忘れていたことがあってな。」


王子はグラスをもう一つ頼むと目の前に赤くキラキラしたお酒を注いでくれた。


「あ…」


い、一応仕事中なんだけど…


「母上は大のパステルカラー好きだ。」


「は?」


「明後日だろう? 王妃一行がここに来るのは…」


キョトンとした反応が期待はずれだったようで王子は少し不満そうな表情をした。


「あ…あぁ…ありがとうございます。早速ナズナと相談してお部屋を模様替えします。」


王妃様は明日リジェットの宿を出た後、所用で一度王宮に戻った後に、ここを訪れる予定になっていた。


「それを伝えるためにわざざ…?」


「…。」


ヴァンナちゃんは一気にお酒を飲み干す…何かしらこの沈黙は…


「バテと…付き合っているそうだな…」


「え?」


な、何でそんなことを…


「い、一体誰がそんなことを…」


「バテ本人からだ。」


バテ君がわざわざ王子に報告を…?! 何のために…? それにしてもどこか責めるような王子の視線に浮気をした訳でもないのに変な汗が流れ出る。


「その様子じゃ本当のようだな。」


まるで悪事を突き止めたかのような王子の様子にだんだん腹が立ってきた…私のことを好きでもないくせに魔力目当てでプロポーズしてきたくせに…それにもう断ったんだから後ろめたいことなんて何にもないし…


ガンッ!!


負けじとグラスのお酒を一気に飲み干してテーブルに叩きつけると、ヴァンナちゃんが一瞬ビクッと肩を竦めた。


「殿下もイセイラ王女殿下と仲睦まじいご様子で。ついに我が国の王妃様に相応しいお相手が現れて本当に喜ばしいことでございます。」


そう…こっそりフィリが流してくれた情報によるとまだこの国の人間ではないイセイラ王女が王妃様たちと一緒に卒業試験の審査に参加しているという。それは異例中の異例のことだったが…かつて現国王が王太子だった頃に婚約中だったセレーネ王妃も…それ以前のミレーナ王妃も王太子妃になる直前に当時の王妃様と一緒にメイドの卒業試験の宿を巡っていたそうなのだ…。


「…。」


「…。」


楽しげに賑わう店内でここだけ不穏な空気が流れている…


「お代わりはいかがですか? 果実酒がお好みでしたらカリンのお酒などもありますよ。」


メイドのサポートのアイーラ先輩が笑顔で声を掛けてきた。


「アイーラ先輩! ありがとうございます、もう…」


「ではもう一本いただこうか。」


「えっ」


ヴァンナちゃんは瓶に残ったお酒をグラスに注いで飲み干した。


「かしこまりました。」


アイーラさんは笑顔で一礼して行ってしまった…別にもう話すことなんてないのに…


「リース」


「は、はい…」


あんまりその瞳で見つめないで欲しい…


「お前はバテのことが好きなのか?」


「え?」


どうしよう…その金色から…瞳が逸らせない…思えば初めてヘリオルス城で逢った時からずっとそうだった…王子の視線に捉えられると何故だか身体が動かない…


「お待たせしました。」


アイーラさんが新しいグラスにカリンのお酒を注いでくれる。


「そうです…わたしはバテ君が好きなんです…」


この辺りで二人で会うのも終わらせないと…時折、威圧的にすら感じるほど…王子の熱を帯びた真っ直ぐな視線から逃げられなくなる…


「…。」


王子はうつむいてグラスをの中を覗き込み…何か考えているようだった…


「で、殿下もお召し上がりになって下さい。空きっ腹にお酒は良くありませんし…ナズナの手料理は美味しいんですよ。」


アイーラさんがサービスで出してくれたナッツのソースがたっぷり掛かった豆腐に手を伸ばす。


「もしお望みでしたら殿下のお気に入りの角のお店の温泉まんじゅうでも買ってきましょうか?」


話題を変えたくてなんだか早口になってしまった…


「そ、そうだ…! 何とここに黄金の温泉が湧いたんですよ! 魔力の回復にもとっても効果がありますし、ぜひ入っていって下さい! そしたら以前のように急に王子様の姿に戻ることもないでしょうし…」


最後に余計なことを言ってしまった…それにしても何で殿下は黙ったままなんだろう…何だか雰囲気が怖い…


「あっ、でもいくらなんでも女湯はダメですよ…でもそのお姿じゃ男湯もダメだし…どうしよう…まだ個室の浴室は造ってなくて…」


「ふっ」


ヴァンナちゃんが横を向いて口を押さえた。


「今笑いましたか?」


「いや…まさかこの地に温泉が湧くとはな…」


ヴァンナちゃんはため息を付いてから少し柔らかい表情になった。


「そうなんです。もともとナズナが目をつけた土地だったんですけどそれがまさかドンピシャで…本当に驚きました。」



当時を思い出して興奮気味に前のめりになる。


「はっ。リースもよく気づいた。魔術師としての感覚も冴えてきたな。」


何だか改めて褒められると照れてしまう…


「もともと鼻は良い方ですから…あっ、そうだ! このポーリンの野草サラダと苔のスープも召し上がってみて下さい。ナズナのオリジナルでとても美味しいんです!」


「苔…」


ヴァンナちゃんの顔が引きつる…


「私も最初は抵抗があったんですけど、ナズナはなるべくこの土地の食材を使いたいと言って…。とにかく騙されたと思って飲んでみて下さいっ!」


「いっ、リース…おい、やめ…んっ? 美味いな…」


大きいスプーンでスープを掬って口元に持っていくとヴァンナちゃんは観念したように小さく啜ってコクンと喉を鳴らして呑み込んだ。


「あははっ。そうでございましょう! これを飲まずにはこの宿からは帰れません!…むぐっ」


「ふっ、本当だな。」


ヴァンナちゃんはお返しとばかりに野草サラダをライスペーパーに巻いて口に突っ込んできた。


「に、苦…」


いつの間に渋くて苦い野草ばかりチョイスして…


「身体に良さそうで何よりだ。」


イタズラっぽく微笑むヴァンナちゃんはまるで…グラスのお酒を慌てて飲み干す。


「ふっ。」


なにその楽しそうな顔…しかもそれを見てドキドキしてる私って…相手は女の子の姿なのに…でも…食べさせ合いっこなんかして…これじゃまるでバカップルだわ…


「ん?」


ヴァンナちゃんの顔に緊張が走った…


「どうかなさいましたか?」


左上の宙を見る眼光は鋭く身体からはビリビリと殺気すら漂っている…


「霧が…」


目を凝らすと王子の身体の周囲に黒い靄のようなものがみえる…これは…ロデンフィラムで最後にファルーナ姫を覆っていた霧と同じ…


「あっ!!」


次の瞬間には王子が一瞬で消えてしまった…


「一体何が起こって…?!」


この胸騒ぎは…無意識にグラスを持つ手が震え、気付いたら全魔力を使い必死で王子の気配を探していた…



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