卒業試験 (3)
「失礼します、ハロックル様」
ポーリンで唯一の病院の個室のドアを開けてリースが入室する。
「大丈夫、右肩の火傷が一番ひどかったけど、ひとまず治療は終わったよ。今は魔法で眠っているけど直に目を覚ますと思う。」
「本当にありがとうございました。」
やはり、国の最高水準とうたわれるハロックル様の医術魔法の力は確かだった。赤く腫れていた首筋と右腕のただれはすっかりと消えて、現地の医師も舌を巻いている。
ただ、よほど魔力を消耗したのかハロックル様の額には汗が滲んで疲労の色が濃かった。
「いや、こちらこそすぐ知らせてくれてありがとう。」
ハロックル様は深く頭を下げてから、もう一度傍らのナズナを切なげにみつめた。
その時、控えめにドアをノックする音がする。
「リース…入ってもよいかしら?」
「リジェット! どうぞ。」
既にメイドの正装であるスミレ色のドレスワンピースに着替えたリジェットが現れた。
「リジェット、ごめんなさい。大事な卒業試験の時に。」
「いいえ、それよりナズナは?」
「ええ、ハロックル様のお陰で大事には…」
「そう、何よりだわ。」
リジェットは安堵のため息をついて頷いた。
「リジェットさん…」
ハロックル様が深刻そうな表情で口を開く。
「すまない、僕はナズナの治療で魔力を全て使い切ってしまったみたいだ。」
左手だけ手袋を外したハロックル様は、そのことを確認するかのように手の平をじっと見つめた。
「まぁまぁ、お気になさらないで下さい。」
なぜかリジェットのセリフが浮き足立って聞こえたのは気のせいだろうか。
間もなく扉の向こうからイーリス様が現れた。
「あれ、イーリス様? なぜ…?!」
「お久しぶりです、リースさん。はじめましてハロックル様、お噂はかねがね。」
相変わらず色気漂う所作に思わず見惚れて…って、なぜここにイーリス様が…?!
「ペテルの私の宿を飾る花木を届けていただいたの。魔法でここまで連れてきて下さったのもイーリス様よ。」
リジェットは、イーリス様の方に一歩近づいた。
「よろしければ私が魔術師としてリジェットさんのサポートに入りましょうか?」
イーリス様は心配そうにリジェットをみた。
「まぁ、でも突然そんなこと…」
「申し訳ありません、イーリス様。僕からもお願いします。」
頭を下げたハロックル様にリジェットの口角が一瞬ピクリと上がったような…
「3年間の努力を形にする大切な卒業試験です。リジェットさん。」
イーリス様には珍しく、少し強い口調だった。
「僕も、君の努力は隣でみてきた。ぜひ成功させて欲しいと思ってる。」
ハロックル様も真剣な面持ちだった。二人の美形魔術師の熱い視線がリジェットに注がれる。
「ええ…感謝いたします、イーリス様。ハロックル様もここまで本当にありがとうございました。」
リジェットは気持ち涙目になって、胸に手を当て深々と頭を下げる。
「時間があまりありません。外で早速魔術に関する引き継ぎを。」
ハロックル様は、そう言ってイーリス様と部屋を後にした。
男性二人が部屋の外に出ると、リジェットの緊張したように強張っていた肩が少し下がった。
「あの…リジェット、本当にごめんなさい。もともとは私の不注意が原因で…」
「え? いいえっ、いいのよ! 気にしないでリース。ナズナが無事で何よりよっ。」
(リジェットの声、上ずってる…?)
不意にリジェットのポケットから僅かに独特の匂いが感じとれた…
「変な匂いがしない? 右のポケットに何か…」
「え?! あ、あぁ…この液体? これはさっきイーリス様にいただいたの! 赤のバスティラの花の栄養剤よ! じゃあ、準備があるからまたね、リース!」
病室にしては大きな声でそう言って、リジェットはそそくさと走り去った。
「あれは…」
あの独特の匂いに紫色の液体…魔術の授業で一度取り扱ったことがある。確か口にした者の魔力を一時的に全て奪い去るという一品だ。国内では流通してないはずだけど…
「リジェットが、一体なぜあんなものを…」
嫌な予感だけが頭をよぎったが、深く考えるのはよそう。
スヤスヤと眠るナズナの手を握って改めて無事を神様とハロックル様に感謝した。