不気味なライバル (5)
同じ日の夜、リースは例の美容マッサージのためにエミュレーの寝室を訪れた。
「し、失礼します…。」
夕食の機嫌の悪さからして今日はもう関わりたくないのに、日課にされてしまったからには行かないわけにはいかない。最近のエミュレーは機嫌が良かっただけに忘れていたけれど、もともと気に入らないことがあると自分より弱いものに当たり散らす最悪な性格だった。
恐る恐る身体に触れると、しばらくは何も喋らずなされるがままにマッサージを受けている。
いつもはラスティート様がいかに優秀な人物であるかや来月の宴にどれほど素晴らしい男性が参加するかという、求愛されている訳でもないのにまるで自分が相手を選びたい放題かのように自慢してきていた。お見合いで何回も振られていることは忘れてしまってるようだった。
…が、今日はただただ気まずい沈黙が広がるばかり。リースは聞いていてうんざりするような話でもいいからエミュレーに何か言葉を発して欲しかった。
「…ラスティート様に差し上げた手紙の返事かないの。」
仰向けからリースに背を向ける形の体制になったエミュレーが普段の声量からは想像もできない程小さな声で呟く。
「まだ一度しかお会いしていないから、たくさんの贈物のお礼も兼ねてもう一度お会いしたいと伝えたのだけれど…。
届くのはきっとラスティート様本人が記したものでない『美しいあなたへ』とか『大切な姫君へ』とかいった簡単なメッセージだけよ。」
なんと…! あのエミュレーが自分に恋愛相談めいたことをしている。信じられない、と同時にリースは咄嗟にグリーミュの言葉を思い出す。
「ら、ラスティート様は東方の島国に出向かれているそうですよ。」
戸惑いと緊張で声が裏返ってしまった。いつもは話の相づちを打つ程度だったのでリースとしては思い切って喋った方なのだ。
「それは誰が言っていたの?」
エミュレーは訝しげにリースを振り替える。
「あ、グリーミュが申しておりました。」
「…そう。ならば確かね。」
エミュレーは無表情でくるりと元の体制に戻る。
何だが自分は全く信用されておらず、つい先日来たばかりのグリーミュの言葉をすんなり信じていることには面白くない気持ちになったが…ここ数日の彼女の働きぶりや何より既にエミュレーの心の内を見抜いていたことを思うと競う気持ちすら湧いてこないのだった。
どうせ宴用のドレスが完成する一ヶ月後にはおさらばだし。
「大陸の国々から極東の島国まで自ら足を運ばれるなんてすごいお方ですね。」
お世辞でもなく素直に思った言葉が自然と口から出た。
自分はたかだかここから数十キロの都に行っただけで打ちのめされた気分になってこの家に逃げ帰ってきてしまった…。世界をまたにかける人物の妻になるエミュレーはリースが憧れるこの国の王宮殿だけでなく様々な異国の素晴らしい景色がみられることだろう。
想像するだけでも羨ましくてたまらない。そんなリースの嫉妬心が肌を通じてエミュレーに伝わったのか、わずかにエミュレーの肩か揺れた。
「……むふふふ、そうでしょう…ラスティート様はこの国には納まりきれないお方なのよ、この前もね…」
はじまった…。今夜も途中で眠ってはくれないだろう。それでもリースはホッとして軽くため息をつくと適当に手を抜きながらマッサージを進めた。
それにしても『ラスティート様から手紙の返事がないの。』と言った時…
何故かあのエミュレーが、まさかあのエミュレーが、間違ってもあのエミュレーが可愛く見えたのは幻だったのだろうか…。
リースは慌てて首を振り、鳥肌が立った両腕をさすりながら寝床のキッチンへと戻った。
◇◇◇
「ドレスが出来上がりました。試着をお願いいたします。」
ヴァンテリオス王太子殿下の誕生日の宴の4日前、グリーミュが3姉妹の集まるリビングへやってきた。
「きゃあ、楽しみだわ。」
ルリアル様が一番に立ち上がる。
「まあ、予定より2日も早いわね。」
ターネットが感心したように頷く。
「あの、お茶が入りましたけど…。」
リースがキッチンからポットを持ったまま顔を覗かせる。
つい1ヶ月前はウィンティート家にお茶の時間などなかったけれど、ラスティート様からそれはそれは美味しいお菓子が3日おきに届くものだから、グリーミュの提案で午後3時にお茶の時間が設けられていたのだった。
お菓子は3姉妹では食べきれない程あったので、リースも一緒にお茶の席にありつくことができた。
最初は別にお茶の時間なんて面倒くさいと思っていたが、一日の内でお茶とお菓子をゆっくり頂くという時間は何とも貴族らしく優雅な気持ちになれるものかと分かり、案外悪くないなと思った。
もっともグリーミュはほとんど食べなかったが…。
「そんなのは後よっ。」
エミュレーも遅れて立ち上がった。
「はあ…。」
自分が一番食べるくせに…。あれ以来ラスティート様からの手紙はないようだったが、エミュレーは普段通り過ごしていた。
リースがキッチンでピンク色のチェリーが沢山詰まったタルトを一旦元のお皿に戻していると、リビングには既に誰もいなくなっていた。
「ドレス…わたしも見てみたいな。」
リースはターネットの言い付け通り、グリーミュによるスープ廃棄事件の後は裁縫室へは近づいていなかった。
「終わったならもういいわよね。」
宴のドレス…その響きに自分のことではないのに何故か心が踊った。
◇◇◇
裁縫室の扉は開け放たれていて、狭い部屋には不釣り合いに華やかな生地が顔を覗かせている。
「お気に召さないところがあれば手直ししますのでお申し付けください。」
リースがこっそり部屋を覗くとエミュレーとルリアルはすでにドレス姿だった。
「うわぁ」
エミュレーは、好みのマゼンタ色をベースに、身体の中央や腕の縦のラインにダークブルーが配色されているドレスだった。大胆に黒に近い色が使われているドレスなんてリースは初めてみたが、確かに赤とのコントラストは絶妙で、しかも太めのエミュレーの体型を見事にカバーする仕上がりになっていた。恐ろしく似合っている…悔しいけれどリースはそう思った。
そしてルリアルのドレスは、何色と表現したら良いのだろう…玉虫色とも違う…白地に近い絹に光沢のある薄桃色のベールが掛かったような…しかしそれも少しドレスの裾を揺らすと微妙に青みがかって紫色のようにも見えてくる。
「不思議な色…。」
ドレスのシルエットは小柄で華奢なルリアル様にピッタリの女性らしい丸みを帯びたクラシカルなデザインになっていた。
ただ、不思議な色合いを除けばよく見たことのあるような型でもう少し人目を引くようなものでも良いのではないかと思った。
「お姉様ステキ! 最先端のデザインできっと注目の的ね。」
ルリアルが目を輝かせながら嬉しそうに微笑む。
「初めは違和感があったけど、こうして見慣れてくると悪くないわね。ルリアルも愛らしいドレスでよく似合っているわ。」
そう言いながらもエミュレーは、ルリアルのドレスは地味だと思っているのだろう…自分がこちらのドレスで良かったと思っているようだ。
「よくやってくれたわね。」
ターネットは早くも感極まって涙ぐんでいる。
「ターネット様もご試着下さい。」
グリーミュが差し出したドレスは見覚えのあるものだった…。
「あっ」
桔梗のドレス!もともとリースが太り続けるエミュレーに用意した安価なものだったが、今やグリーミュの手にかかり公の席に着ていっても申し分のない仕上がりになっていた。
濃紺一色のシンプルなワンピースだったが、ノースリーブの肩には桔梗の花々が肉付けされ、スカートの部分は青のグラデーションとシルバーの生地を何層にも組み合わせてあり、元のシンプルなデザインを活かしながらも上品できらびやかなドレスになっていた。
「まぁ。」
ターネットは嬉しいような困ったような表情になった。それは2人の娘を見守る母親から、無理矢理自分も宴に憧れる一人の娘にき引き戻されて戸惑っているようでもあった。
「わ、わたくしは…」
「いいじゃないのお姉様! 運命のお相手がみつかるかも。」
ルリアルが微笑む。
「そうよ、参加するならそれ相応のドレスでないと私たちが恥ずかしいわ。」
憎まれ口を叩いているようでエミュレーなりに姉を思っているようだ。
「ステキ…。」
リースは目を細めながら夢見ごこちに呟く。
「何か御用ですか?」
グリーミュが背後に現れる。
「ひっ。」
全然気配がなかった…。
「すっ、すごいわね、ドレス、で、でも出来上がったらもうすぐお別れかしらっ。お疲れさまっ。寂しいわっ。」
後退りながら心にもないことを口走りそそくさと裁縫室を後にした。
グリーミュは無口な上に表情も乏しくて一体何を考えているか分からない。分かっているのは恐ろしく有能な召し使いだということだけだ。リースはグリーミュにどうしても用事のある時以外はなるべく目も合わせず口も効かないようにしてきた。
自分のどうしようもない怠け心を全て見透かされているようで怖かった。
キッチンに戻ってからポケットに忍ばせてあった宴の招待状の感触を確かめながら…自分でも思いの外大きなため息が漏れた。