愛してる
初出:うさぎ屋webzine(2018-01-20)
「あなたを、愛してます!」
ずっと前から伝えるつもりで、ぎりぎりになってしまったが、ついに口にした。
つかの間の、達成感。
直後、凄まじい不安に襲われた。これで、よかったのだろうか。わからない。そもそも、声が裏返ってしまったのもよくない。やり直したい。
不毛の地に満ちる静寂を破ったのは、リーンだった。
リーン・ラディ・ラス。正式にはもっと長い名前があるが、すべてが呼ばれるのは国家行事か呪文詠唱のときだけだ。
彼女には、数多の名がある。翼持つ者、天駆ける祝福、王国の最後の剣。四千年を生きた大賢者にして、不老不死の永遠の守護者。
「あのさ」
リーンの言葉には、もったいぶったところがない。それも彼女の素晴らしい点のひとつだ。
「はい」
「それって、今、いうこと?」
「……死ぬ前にお伝えしておきたいと思ったので」
雰囲気から、かなり怒っているのがわかる。愛の告白で怒られる、これは脈なしとしか思えない。
かたわらで、ジェイスが噴き出した。リーンに睨まれて、即座に真顔になる。
「まぁ、彼なりに考えたんだと思いますよ」
「ない脳味噌を絞り上げたんでしょう」
横から茶々を入れたのは、ジェイスの双子の妹で、王国最強の呪者であるミディアだ。
「絞ったら、なくなっちゃうだろう」
「大丈夫でしょ。はじめから、ないも同然なんだし? 絞ったってなにしたって、なにも考えてないのと同じことよ」
ちょっと、酷過ぎるのではないだろうか。いくらミディアが頭がよくて、空前絶後の天才と謳われる術者だとしても、だ。
「それは言葉が過ぎるだろう、ミディア。彼は筋肉で考えるんだ。これだけの筋肉があれば、かなり考えられるはずだ」
ジェイスが、上げてるんだか落としてるんだかわからない弁護をしてくれた。うん、これは落としてるな、たぶん。
「じゃあ、ジェイスはターシュより頭が悪いのね」
「なんでそうなるんだよ」
「あら、だって筋肉の量でいえば、ターシュの方が圧倒的に上じゃない」
「それはね。だが、僕はちゃんと脳味噌で考えるし」
「あやしいものね」
双子が睨み合ったところで、リーンが杖を突いた。ひと突きで大地を割り、雷を呼ぶ力もある杖だ。双子は即座に口を閉じた。
「人を貶めるのは、嫌い。これをいうのは、二回目だと思うけど?」
リーンの声は、根雪のように冷えて硬い。双子は文字通り震え上がったようだ。
「はい、大賢者様」
「申しわけありません」
「次にやったら、わたしは眠りに戻る。こんなくだらない人たちと道連れだったなんて、歴史に名を残したくない。わたしがいなければ、この任務は失敗するだろうし? そうなったら、歴史もなにもないよね? 滅亡だから」
リーンの笑顔は、美しい。美し過ぎて、泣けそうだ。あと、怖い。
双子は黙った。完璧に。まるで石像になってしまったかのようだ。リーンなら、比喩でなくそうすることも可能だろう。実行される前に、行儀よくするのが賢明だ。
リーンが、こちらを見た。困ったように、彼女は息を吐いた。
「で、はじめに戻るけど、ターシュ、なんだって?」
「あなたを愛してます」
「……戻り過ぎ。その次、なんて?」
俺は、首を捻った。
「なんでしたっけ?」
「ちょっと、しっかりして。ほんと、なんで今なの」
それは、と俺は口ごもった。だが、今さらなにを躊躇することがあるだろう。またたきひとつの間に気もちを切り替え、俺は開き直った。できるだけ、ふてぶてしい態度で切り返す。
「魔王の座所に着いて、戦いが始まってしまったら、伝える暇がないと思ったのです。だから、今しかないと」
リーンが完全に目覚め、一行を導いてくれるようになってからは、旅の進行は早かった。それまでは、けっこう大変だった。リーンが微睡みの中にいたあいだ、自力では動けない彼女を運ばねばならなかったからだ。俺の役目の九割九分まではそれ、つまりリーンの運搬係だった。
「ここまで待ったんだから、終わるまで待てなかったの」
「え、だって死んだら伝えられないと思って……」
「そこ!」
「はい?」
「そこが問題!」
リーンは再度、杖を突いた。ちょっと、地面が揺れ気がする。さっきより本気度が高い。
「すみません」
「理由もわからずに謝るのも駄目!」
「はい」
「いいですかー、そっちの双子もよく聞くんですよー。これからわたしたちはー、魔王と戦いまーす」
小さい子どもにいいきかせるように、リーンは声をはりあげた。なぜだか、楽しげに。
「このわたしがいる限り、負けることはあり得ませーん。わかりますかー?」
虹色の眼が、きらきらと光っている。今は、若葉のような色。眠くなると、それは深い青紫になる。そして、リーンが本気を出すと深紅になるのだ。
だから、魔王軍のやつらはリーンをこう呼ぶ――赤眼の魔女、と。
「我々は、疑いの余地なく完勝します」
リーンの口調が、不意にきびきびしたものになった。
全員を見回し、また杖を突いた。そろそろ地面が割れそうだ。
「はい、くり返して。完勝します!」
俺たちは、急いで口を開いた。
「完勝します!」
「もちろん、誰ひとり死にません!」
「死にません!」
リーンは重々しくうなずいた。
「よろしい。じゃ、行こうか」
「あの……すみませんでした。でも、愛してます、リーン」
一回いってしまうと、それはもう恥ずかしくもなんともなかった。
いや、正直にいえば恥ずかしかったが、でも、伝えておくことの方が重要だった。リーンは勝つだろうし死なないだろうが、俺は勝つ前に死ぬかもしれないし。
リーンは、俺を見返してにっこり笑った。その笑顔があまりにも美しかったので、俺は、うなずくしかなかった。
彼女は太陽みたいなものだ。あるいは星。それとも空。なんにせよ、人ではない。
リーンの呼び名はたくさんある。終焉の天使、騒乱の調停者、正義の天秤を持つ者。どれひとつとして、人の恋情を受け入れるに相応しいものはない。
だから、彼女の答はこんな風だ。
「愛してるんだね。わかった、ありがとう」
きっとリーンにはわからない。わかっていない。そういうものだ。
かすかに、リーンは眼をほそめた。ほんとうに綺麗だ。
「行くよ!」
「はい!」
全員が元気よく返事をして、まるで子どもが遊びに行くように、俺たちは駆け出した。
「最初に魔王に手傷を浴びせた子には、王都で一番の菓子匠シェヌイのお店で、千層重ねパイに紅玉苺のシロップ、とろふわカスタードクリーム添えを奢ってあげる」
「わたしが!」
ミディアが叫ぶ。
「ところが残念、リーン様がいっちばーんの予定」
「ずるい!」
リーンの笑い声は、光そのものだ。
俺たちは走る。走って、魔王と戦いに行く。
リーンはきっと勝つだろう。そして生き残るだろう。俺のことも、死なせないかもしれない。
だが、使命を果たせば彼女はまた眠りに就く。それは長く、容赦のないものだ。
全員がそれを知っていて、だから、ただ走っていた。
なにがどうころんでも、これは、別れにつづく戦いなのだった。
お読みくださり、ありがとうございました。