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母の昇天  作者: 小島 剛
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がん告知から最期の言葉まで

2017年の1月12日未明、母が天へと召された。

享年68。

死因は進行性すい臓ガンで、非常に早かった。

何しろ、去年の10月1日には孫の運動会で元気に運動していたのだ。

それが10月中旬、「腹が何となく変だ」ということになり、11月上旬にはもう、「余命1~3カ月」の告知を受けていたのである。



 運がいいことに家の近所に良いキリスト教系のホスピスがあり、そこで、死の日まで過ごすことができたので、死の直前まで、かなりQOLの高い日々が送れた。

何しろ、2017の正月には私たち家族に料理など作ってくれ、なべ料理などを一緒にたべたりしていたのである。

これには、ホスピスでの良質なケアと、キリスト教によるスピリチュアルケア、本人の生来の精神的強靭さが大きくかかわっているものと思われる。



 以下、「です・ます体」で書かれているが、これは、この文章が病院関係者にも読まれ、遺族が何を考えているのかを病院の方に知らせる目的をもって書かれてもいるからである。



 私が地元の教会にいきはじめるようになったのは、2015年の秋ごろからで、当時、ちょっとしたアルバイトをしていたものの、人間関係が希薄になってきていたので、教会にでも行けば人間関係もできるだろうと思っていたからでした。

あまり、キリスト教に入れ込んでいなかったのですが、教会の方々の親切な対応と牧師さんがよくしてくれたおかげで、教会になじみ、もうそろそろ私も洗礼を受けて、正式にキリスト教徒になろうかと思っているところです。



 2017の1月12日に母が昇天いたしました。

死因は進行性のすい臓ガンで、病状の進行は非常に早かったです。

去年の10月1日には孫の運動会に出て元気に運動していたのに、それが10月中旬には「なんとなく腹が変だ」ということになり、11月上旬にはもう余命1~3か月の告知を受けていたのです。



 ただ、そこに至るまでにも紆余曲折があり、あまたあった運命の分岐点でキリスト教徒の方々にお世話になりました。



 はじめ母は10月中旬ごろ「腹が変だ」ということになったとき、近所の町医者に行っていました。

その町医者は、内科・胃腸科の看板を掲げているのですが、母に触診をすることも聴診器を当てることもせずに、「これは便がたまっているんだ、それで腹が張るんだ」と言って、母に下剤を飲ませ、大腸の検査をするという今考えても理解し難い誤診をしたのでした。

さらに理解しがたいことに健康診断をしようなどと言って頼んでもいない診療を行うのです。

後でわかったのですが、もうその時点で、膵臓のガンは直径4㎝に達しており、腹水も数リットルという単位でたまっていました。

当然母は参ってしまいましたし、症状は悪化します。

するとその町医者は、「じゃあCTでもとるか」と言ってこれまた近所にある中核病院を紹介し、CTをとって膵臓の腫瘍が発見されたのです。



 当然のことながら、病院では大騒ぎになり、即入院、家族も呼ばれ、数日の後、大学病院で、一時検査入院をして、また戻ってくるように言われました。

検査が連続したせいで、母はすっかり弱ってしまいました。

表情も力がなくなり、体重も落ち、見ていて痛々しい感じがいたしました。



また、病院のお医者さんは親切な方だったのですが、病室の状況は悪く、常に周りの患者がうるさくしていて、隣でポータブルトイレを使っていて便のにおいがしているところで、食事も摂らねばならず、見ていた私も「病院ってこんなにひどいところなのか、これじゃあ精神科病院と変わらんな」と思っていました。

この時点で、仮の告知が出されます。

「余命はあと3か月から半年」というものでした。

当然母は大変なショックを受けました。

  


しかし、あのひどい病室であと3か月から半年も過ごさねばならないのか、という思いもあったのでしょう、告知を受けての第一の感想は「まだ、そんなにあるんですか」というものでした。

いずれにしてもショックであることに変わりはありませんから、ここは地元の教会の牧師さんに相談してみようということになり、牧師さんを呼び、相談をすることにしました。

牧師さんは、キリスト教の話をしつつ、母を励ますと、父と私を談話室に呼び、


「私もいろいろな方を看取ってきましたが、ガンで腹水がたまっているとなると、もう助からないと思うのです。

近所にキリスト教系のホスピスが最近できまして、そこがいいところですし、妻とそこのチャプレンさんが親しいので、話をしておきますから、そこに移られてはいかがでしょうか」


というのです。

そこで、とりあえず、セカンドオピニオンをとるという形で、ホスピスのある病院に所見を頼むことにしました。

資料の提供等も中核病院の先生が快諾してくれ、物事が順調に運び始めました。



 そこへ、中核病院の病室に、先に誤診をして母を弱らせた町医者が往診と称して訪ねてきました。

今もって何をしに来たのかわからないのですが、腹水と便の区別もつかないような医者ですから、態度も悪いわけです。

すると、母は、この医者に対して、涙ながらにこのように言いました。

「私はあなたのおかげでひどく苦しみました。

でも、私はあなたを赦します」と。

おそらく、牧師さんから話を聞き、キリスト教の要諦を示した冊子に目を通していたものと思われます。

キリスト教には「主の祈り」というのがあり、マタイによる福音書で、イエス・キリストが「神に祈るときにはどのようにしたらよろしいでしょうか」という質問に答えて、「こういうふうにしなさい」として示した祈りの文言があるのです。

その中の一節に「われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとく、われらの罪をも許したまえ」とあります。

罪の赦しの重要性を示した一節ですが、それを母は実践したのです。



 ただ、自分をさんざんに苦しめ、まったく礼を失した態度をとる町医者を赦すというのは精神的に大変なことだったようで、町医者が去ったとすぐに訪れた私の前で、母は涙を流していました。

事情を聴いた私は、「それは立派なことをしたねえ、自分にあだをなす者を赦すというのは、キリスト教徒が最も重要視する割になかなかできないことだから、立派なことなんだよ」と言いました。

どうもその時点で、母の精神の中には、十分にキリスト教徒的な素養が育っていたものと思われます。



 さて、ホスピスのある病院にセカンドオピニオンを頼んだのですが、中核病院の先生が「セカンドオピニオンを頼むくらいなら、診察を頼んじゃったほうがよくないだろうか、ここより、ホスピスのほうが環境が良いので、空きがあれば、そちらに移ることもできる」というので、そのようにすると、ちょうど空きができたので、すぐに移れるということになり、ホスピスに移ることになりました。

2016年11月上旬のことになります。



ここで、ホスピスの先生から「状況はもっと厳しい。

進行性すい臓ガンというのは、いきなり来るから怖いんだ。

余命は1~3か月」という診断を受けました。

母は、このとき泣き崩れました。

やはりショックだったのだろうと思われます。

その時も、牧師さんに来ていただいて、母を慰め励ましてもらいました。



 ところで、父母の死生観なのですが、母は、父に対して、「お父さん、人間は死んだらどうなるんだろうねえ」と聞いたことがありました。

すると父は「人間は死んだら土にかえるんだ」と答えていたようです。

たしかに原始仏典などには人間は無から始まり無にかえるというようなことが書いてあるようですから、これも一つの死生観なのですが、これがかなり母をがっかりさせたようで、希望がないものに思われたようなのです。



ところが、私が、キリスト教の教会に行き、こう言ったのです。

「キリスト教徒は死なない。肉体は朽ちても霊は新天新地で永遠の安息を過ごすのだから」。

母は、どうもこれが気に入ったようです。

母としては、永遠の安息よりも、死後も生き、私たち家族を見て、いつも、いつも気にかけてやりたいという思いがあったようです。

ヨハネによる福音書の「信徒たちよ、互いに愛し合いなさい」という一節を思わせますが、これも母の精神にはもともとキリスト教徒らしいような素地があったようにも思われるのです。



 さて、このキリスト教系のホスピスに移り、部屋が個室になったこともあってか母はめきめきと体力を回復し始めます。

私自身ホスピスの環境がいいので、「硫黄の火の海から新天新地に移ったようやねえ」というと、牧師さんが笑っていました。



 キリスト教系のホスピスですから、ホスピス付きの牧師さん、チャプレンさんがいます。

私が後日見舞いに行ったときに、チャプレンさんが、母の手を握り、一緒に使徒信条を唱和しているのがわかりました。

母がキリスト教に感化されていくのがわかりました。



 そうして、11月26日に洗礼式を執り行い、母は、正式にキリスト教徒になりました。

 


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