#9 出発前夜
夜が明けても、昨日の夜進藤に言われたことが頭から離れなかった。
進藤は、表面上はいつもと同じように明るく振舞っていた。しかし、監視係の仕事の時の声を聞くと、少し元気がないような気がした。いつもは、「部活と違って唇が痛くなったりしない分楽だよ」とか言ってたのに。きっと内心は不安なのに違いなかった。
それはたぶん残りの二人も同じだろう。当然といえば当然のことだ。ちょっと強くなったからと言っても、俺も、他の三人も、元の世界では命懸けで何かをすることなんてなかったのだから。
道場ではあの時買ったショートソードで稽古をするようになっていた。しかし、剣を見る度にあの夜進藤に言われた事がチラついてなかなか集中できなかった。
ついに師匠は、
「今日はもう稽古しても仕様がねえから、休め」
と言い放った。それは今の俺には、過去に言われたどんな厳しい言葉よりもキツい言葉だった。
今更ながらに、進藤は、自分が前向きになる事で人の心にも勇気を与えるような奴なんだと思った。だから、あいつがネガティブになれば俺たちまでヘタれてしまう。
俺たちは、そんなあいつに甘えていた面もあるのだろう。言うまでもなく、この世界に来る前からの話だ。
「彼女に無理させていいのか?」
と一条寺が声を掛けてきたが、俺は
「分かってる、分かってるけどよ…」
と答えるしかなかった。
何が分かってるって言うんだろう。俺は、あいつが不安を抱えてることにも気付かなかったと言うのに。
皮肉にも俺は、気を紛らわせるために部活の時はあれだけ嫌だった肉体労働に逃避するようになっていた。
夜、宿のゴミを捨てに行くと何故かいつもと違う服を着ていて、夜だと言うのに汗をかいているゴンドさんが目に入った。
(何をしていたのかは問わずに)思い切って、俺は聞いてみる事にした。
「あの、聞きたいんスけど、ゴンドさんは魔物と戦う時って怖くないんですか・・・?」
「うーん、俺がお前たちくらいの歳の頃には、スライムの一匹や二匹は余裕でブチのめしてたがなあ…」
俺は、この人に聞いた事を少し後悔した。
って、そうじゃねえだろ俺。
「この前から進藤がなんか元気なくて、そういう俺も町の外に出るのは不安なんスけど、でも、アイツの前でもうダサい所は見せたくなくて、ゴンドさんなら何か魔物と戦う時の心構え的な事を教えてくれるかと思ったんスけど・・・」
「・・・男ってのは、どの世界でも面倒くさいもんだよなあ・・・」
そう言って、ゴンドさんは振り返った。
月明かりに照らされたその顔は、宿屋の主人の顔とも、たまに見せる子供っぽい顔とも違って、修羅場をくぐり抜けて来た男の迫力の様なものが感じられた。
俺は一瞬たじろいだ。でも、ここで目を逸らしたら、一生格好悪い自分から逃げられない・・・そんな気がした。
「いいか、怖いっていう気持ちは忘れるんじゃねえ。魔物の怖さを忘れないからこそ戦うための力も付けられるし、危険も感じ取れるんだ。そして、仲間の誰かが不安になった時は・・・お前が傍にいてやれ。お前たちの世界の人間は、毎日を生きるのに必死な俺たちには無い心の余裕を持ってる。それが、お前たちの世界の人間の力だと俺は思ってる。だからこそ、あんな音楽も作れたんじゃねえのか?」
「・・・・・・」
「ちょっと長々しくなっちまったな。今夜は冷えるぞ。早めに宿に戻ってこい」
そう言ってゴンドさんは宿に戻って行った。
俺はゴンドさんの言ったことの意味を掴めずに考えていた。しかし、そうしている間にも時間は過ぎて、旅立ちの日に近づいて行った。
そして、遂にその出来事は起こったのだった。
出発する前の夜、俺たちが旅支度をしていると進藤がいなくなったと誰かが騒ぎ出した。
まさか、と思ったが、宿の中を探しても進藤の姿は見当たらなかった。
「外に出たのかもしれない。誰か探しに行ければいいけど…」
と一条寺が言った。
「逃げ出したんじゃないか?」
という人もいた。
もちろん、俺たち三人は進藤がそんな奴ではないと思っている。
「でも、どこにいるのでしょう。まさか町の外に出たわけはないですし・・・」
早坂が口を開いた。
「外は冷えるし、賊もいるかも知れない。あまり遠くまで行ってないといいが・・・」
ゴンドさんも続けた。
俺は、たまらず走り出した。
腰に差した剣のせいで走りにくい。そう言えば、初めて魔物が出たときもこんな風にあいつを探し回ったなと思い出した。本当にあいつと再会してから苦しい事ばかりだ。
息が切れる。
分かっている。自分はもうサッカー少年でも何でもなく、進藤にダサい所を見せたくないと思うただの文化部員だ。
でも、もう諦めるわけにはいかねえんだよ。
一通り見て回ったが進藤の姿は無かった。もしかして、あそこかもしれないと思う。いつもあいつを「見て」たから分かる。あいつはこんな時も、前を向いて・・・
町の門の前にたどり着いた。思った通り、そこにはあいつの後ろ姿があった。
「・・・何やってんだよ、みんな心配してるぞ、早く帰ろう」
「・・・須賀。・・・ここでこうやって明日からみんなと旅する所を見てたら、力が出てくるんじゃないかと思って。私は大丈夫だから」
あいつの手を見る。・・・口ではそう言ってるけど、やっぱり震えてるじゃねえか。
まったく、こんな時にまで気を張って、本当にバカだよお前は・・・そう思いながら、俺は一呼吸付いた。
そして、ゆっくりとあいつの手を握った。
「お前に部に入れられてから、ツラい事ばかりだったよ。遊ぶ時間は無くなるし、手は痛くなるし。しまいにはこんな世界に落とされちまうし・・・でもさ、この世界で生きていこうと決めて、必死にあがいてみて・・・あがいてみて、それで今、ちょっと楽しいって思ってるんだよ。元の世界に戻っても、今度は練習を真面目にやる・・・と思う。だから、みんなで一緒に帰ろうぜ。お前は、いつでも俺たちを今まで見た事なかった所に連れて行ったんだろ」
進藤は何も言わなかった。でも、握った手から伝わる熱が少しづつ強くなってくるのが分かる。
「あと・・・この前のさっさと逃げようぜって言うって思ったっての取り消せよ。お前を置いて逃げるなn・・・いや、俺も、きっと他の二人も、自分で行こうって決めて旅に出るんだ。お前が馬鹿みたいに気に病む事はないんだよ」
一気に畳みかけるように言葉を発すると、しばらくして進藤が口を開いた。
「須賀・・・」
「あん?」
「手、熱い」
「バっ、お前があちこち探し回させるからだろ!」
「大体、手を握って説教を垂れるって何なの。どっかの安っすい漫画じゃあるまいし」
「・・・悪いかよ、漫画とかゲームで得た知恵だよ」
「・・・馬鹿」
そう言って進藤は、俺の背中をバシリと叩いた。
「てめえ、何しやが・・・」
振り向いたら、進藤は笑っていた。―――笑っていた?
その表情は、ここ何日か見せていた笑顔は必死に取り繕ったものだと言う事を一瞬で理解させるようなあいつ本来の笑顔だった。
それは、この世界に来てから初めて見たかも知れない表情だった。
次の日。俺と宿に戻ってきた進藤を含めた五人は、見送る町の人たちの前に立っていた。宿の人はもちろん、師匠、道具屋の主人、武器屋の親父たちの姿もあった。
「これは少ねえが、餞別代わりだ。取って置いてくれ」
そう言って、ゴンドさんは金と宿にあったアイテムの一部を渡してくれた。
「須賀、昨日の夜、ちょっと格好良かった・・・なんて、思ってるわけないから」
進藤の言葉に一瞬ドキリとしかけたが、すぐにそれを打ち消して俺は口を開いた。
「アホ。・・・それより、進藤、お前今ちょっと泣いてただろ?」
「バっ、泣いてなんかないし!」
俺たちの間に割って入るように、一条寺が口を開いた。
「ハハハっ、ようやくいつも通りだな」
「「はあっ!?」」
「そうだ、最後に何かあの筒でなにか聞かせてよ」
道具屋の主人が進藤に声を掛けた。
進藤が筒を手に取り、一呼吸置いて息を吹きかけるとあるメロディが流れてきた。
―――虹の彼方に。
その旋律はどこまでも真っ直ぐに、憎らしいほど清々しく空に吸い込まれていった。
「皆ありがとう!行ってきます!」
とりあえず町編はこれで終わりです。
なお、一話でも少し触れましたがこの世界は楽器がないだけで「音楽」という概念は存在することになってます。