#58 ヒーロー
※今回、未成年の飲酒シーンが(少し)あります。不快に感じる方はご注意ください。
アゼルファルスとの対話が終わって、おそらくこの世界で過ごす最後になるであろう夜。俺たちは禁封の峰の頂上で酒や食べ物を囲んでいた。
なぜこんな所に大量の酒や食べ物があるのかと言うと、アゼルファルスがせめてもの詫びにと転送の魔術で運んできたからだ(アデスさん曰く、「きっとどこかの悪どい金持ちの所から持ってきたんだろう。有り難く頂戴しよう」という事らしい)。
料理を一通り食べて、少し腹ごなしに席を立つと隣にアデスさんがやってきた。すでに酒を飲んで出来あがっている。
「ここいいか?哲太」
「あ、はいっス」
「すみません。何だか、結局俺たちがここまで付き合わせたみたいになって・・・」
「気にすることはない。俺たちも、お前たちに会わなかったらアゼルファルスと対面することなど出来なかったろうからな」
アデスさんは、手にしたコップで酒を飲みつつ語った。
「それにしても、よくアゼルファルスの前で堪えたな。俺たちと出会った頃のお前なら、きっと躊躇わず彼を罵っていただろう」
「別に、進藤が・・・この世界に来て一番辛い思いをしてる奴があいつを許してるのに、俺があいつを罵るのはダセぇなって思っただけっス」
もちろん、実際はアゼルファルスにある種の同情心を抱いたのも事実だったけど。
「フッ・・・お前らしいな」
「でも、結局何だかアデスさん達に頼ってばっかでしたね俺たち・・・」
「・・・そうでもないさ。前にお前が魔法について聞いてきたとき、お前にはもっと向いてるものがあるって言ったのを覚えてるか?」
「あっ・・・はい」
「一つはひらめきだ。さっき岩をはめ込んだのもそうだが、この冒険の中でお前の機転が道を切り開いていったこともあったろう」
「そう言えばそうかも知れないですけど・・・。ところで、もう一つは?」
「・・・それは、俺よりもお前とずっと旅をしてきた仲間たちの方が知ってるんじゃないか」
そう言うと、アデスさんは「じゃあ、俺はまた向こうで飲み直してくるぜ」と立ち上がった。
「また、いつもみたいに俺にも飲ませたりしないんですか?」
「最後くらいは、シラフの状態で皆と話したい事もあるかと思ってな」
「まあ、きっとお前らの世界も大人になれば嫌でも酒を飲む機会は増えるだろう。今は今しか出来ないことをやればいいと思うぜ」
何となく子供扱いされたような気もするけど、そのアデスさんの気づかいが嬉しかったのも事実だった。
俺が今一番話したい相手・・・それは、もちろん決まっていた。
しばらくの後、俺は進藤が一人になった所を見計らって話しかけた。
「よう、進藤」
「あっ、須賀・・・」
結局のところ、いつもしているように軽い感じで話しかけてしまう。
「さっき先輩に捕まってさ。酔って、矢で俺の頭の上に乗ったリンゴを撃つ芸をするって言うから、俺は『酔って撃つなんてムチャですよ!』って言ったんだけど・・・」
「よく考えたら、酔ってるとか酔ってないとかの問題じゃねえよな」
「アハハ」
「・・・何だか俺たち、元の世界に戻ったらほとんどの事には動じなさそうな気がするよな」
そう言うと、「元の世界に戻る」という事がより現実味を持って迫ってきた。
「何ていうか・・・本当に元の世界に帰るんだな、俺たち」
「うん・・・そうだね」
進藤は、また昼間のような複雑な表情を見せた。
「何か、昼間から変だぞお前。元の世界に帰れるのが嬉しくないのか?」
「もちろん、嬉しくないわけないよ。でも・・・。私、この世界に来た時、きっとこの世界のどこかには、戦いなんてなくて、皆が平和に音楽を楽しんでる世界があると思ってたんだよね。でも、結局私たちはそんなのは見つけられなかった」
「でも、エスランさんやアデスさんたちも旅の途中で出会った人たちも・・・もちろん俺だって、お前の演奏には救われてたんだぞ」
「でも、結局みんな戦ってここまで来たんじゃない。アゼルファルスさんだって、音楽ではみんなを救えなかった。結局、世界はなにも変わってないんだよ」
「・・・アデスさんやエスランさんたちがいなかったら、俺たち今頃生きてなかったかもしれないんだぞ・・・」
「そんなの分かってるけど・・・」
そう言って進藤は言葉を詰まらせた。
俺は進藤の事を思った。こいつにとって、この世界のどこかに戦いの無い、平和に音楽ができる場所があるかもしれないという事は旅をする上で大きなモチベーションだったのだろう。だが、そんな所は少なくとも、今のこの世界にはどこにも無かったのだ。
でも妙だ。それなら尚更、元の世界に戻ると聞いた時に複雑な表情をしたのは不自然に思える。
そう思っていると、進藤は「少し、一人にさせて・・・」と立ち上がった。
それを止める言葉は、今の俺は持ち合わせていなかった。
「あのう、須賀先輩・・・」
あてどもなく歩き出した俺に話しかけたのは早坂だった。
「すみません、さっき進藤先輩と話されてた内容を少し聞いてしまったんですが・・・。何か、私に力になれる事はありますか?」
そう言えば、耳が凄く良かったんだよな、早坂。
俺は、彼女と二人になれるような場所を見つけると、さっき進藤に言われたようなことを改めて話した。
「前に、中学の頃醒めた部員たちの中で自分が浮いてしまったと先輩に言われた事、話したの覚えてますか?先輩にとって、部活の中で仲違いや孤立が起きるのはとても辛い事なんだと思います。結局、この世界に平和に音楽ができる場所が無かったのを見て、音楽の力でも防げない辛いことがあるという事を思い出してしまったのかも・・・先輩にとって、音楽とは平和の象徴のような物なのだと思います。もちろん、演奏で人より上回りたいという思いはあるでしょうが。ある意味、ずっとこの世界で須賀先輩と演奏している方が先輩にとっては幸せなのかも・・・」
「そんなバカな・・・早坂も見たろ。あいつがどれだけ元の世界に帰りたがってたか」
だが、俺は港町の舞台で演奏した時の、二人だけで夜の小屋の前で演奏した時の進藤の楽しそうな様子を思い出した。もし、あんな経験を繰り返す中で、「部活より楽しく音楽が出来る場所」の存在を知ったのだとしたら・・・。何より、この世界に居れば部の引退=あいつの吹奏楽生活の終わりに直面する事も無いのだ。
割りきれない思いを抱えつつ、俺は早坂の元を立った。
「ありがとうな早坂。何か今のお前、妙にハキハキしてるな。俺たちと離れてる時に何かあったのか?」
「え?ええまあ・・・」
「まあ、でも俺は早坂はその方がいいと思うぜ」
それを聞いた早坂は、焚火の光のなかでえへへという感じに笑った。それは、俺をして、こいつこんなに可愛かったっけ・・・と思うほどの姿だった(つまり、今まで俺にはこんな姿を見せてなかったという事だ)。
一人になって、俺はいつだったか月山さんに進藤は戦いに向いてないと言われたことを思い出していた。そんなあいつにとって、俺が敵と戦いながら進むのを見るのは辛い事だったのだろう。
それに、本当は戦いなんてしたくないのは、俺も同じだった。あいつと一緒に演奏している時間は、そんな俺にとってもこの世界で数少ない心の安らぐ時間だった。
進藤に対する共感と、元の世界に戻りたいという望み。もやもやした気持ちを抱えながら歩いていると、食事が終わったのか(何しろこいつは酒はまったく飲めないのだ)一条寺が一人でノートらしき物を開いていた。
「よう、何してるんだ一条寺」
「ああ・・・お前になら話してもいいか。実は、この世界に来る前から、音大に行って本格的に指揮の勉強をするつもりだったんだ。もう元の世界に帰れることが分かったから、今からその準備を始めていた所だ。もちろん簡単じゃない。もしかしたら一浪くらいするかもしれないけど、親も認めてくれている」
一瞬、卒業したら音楽を辞めると言っていた進藤の姿が頭をよぎった。でも、環境は違えど二人とも真剣に音楽に取り組んでるんだ。家の事情で音楽が出来ないやつの気持ちも考えてやれとか言ったら、どちらに対しても失礼だろう。
「今から勉強を始めてるなんてお前らしいな。まあ、お前なら出来んじゃねえの?」
「で、お前は帰ったらどうするんだ?」
その一条寺の口調には、「またダラダラと部活し続けるのか?」という含みが感じられた。
「俺は・・・」
俺にも心の奥底に、この世界で生まれた願望があった。
今の俺にとっては余りにも大それて、おこがましくて、人に話すと笑われてしまうような願望。
「俺も・・・進藤と一緒にコンクールに出たい。あいつと一緒に演奏した時の快感を、最高の舞台で味わってみたいんだ」
案の定、一条寺は呆れたような口調で言った。
「お前・・・それがどういう事か分かって言ってるのか?」
「今の俺に、コンクールに出られるだけの実力がないのは、俺自身よく分かってるよ」
「・・・帰ったら、猛練習だな」
「おう!・・・」
だが、コンクールに出たいという願望は、否が応にも自分自身が抱えている葛藤とぶつかる。
「どうした?何か浮かない顔だな」
「あのさ。進藤って、音楽それ自体以外で人と争ったり、いがみ合ったりするの好きじゃないだろ?それで、もしかしたらもしかしたらだけど、部の中がギスギスした雰囲気になるのが嫌で、元の世界に帰りたくないのかも知れないって・・・あいつは、優しいから」
やはり、元の世界に戻るとあいつはもうすぐ音楽をやめてしまうとは言えなかった。
「・・・知ってるか須賀?吹奏楽というのは、元々軍隊の戦意高揚のために作られたもの・・・言い換えれば、戦いのための音楽だったんだ」
「えっ、そうなん?」
「でも、そのうちに民衆にも広まって、生活の中で演奏を楽しむようになっていった。同じように、今のこの世界の人たちのほとんどは音楽を楽しむ余裕なんてないかもしれないけど、いつかはそんな日が来るかもしれないと僕は思う」
「そうか・・・そうだよ、俺たちはその根っこを作ったと考えりゃいいのか」
「逆に言えば、戦う者もまた音楽に支えられてるって事だ」
はっと俺は思った。そう、俺が苦しい戦いを続けてこられたのも、結局はあいつがいたからだ。そして、それはこれからも・・・今、一緒にコンクールに出たいという願望を口にしたことで、その思いはますます強まってきた。
「すまねえな。やっぱり進藤にもう一度、元の世界に戻って頑張ろうって伝えてくるわ」
「良く分からないが、元気を取り戻したみたいだな。その・・・お前には、何か人を勇気づけるような力がある・・・と思う。・・・僕も、お前に勇気づけられてなんとか戦えてきたんだ」
一条寺がそうきごちなく言うのを見て、俺の口元は綻んだ。
「・・・下手か」
そう言って、俺たちは軽く笑みを交わした。友達・・・と言うには少し冷めてるけど、もしかしたらもっと濃いかもしれない繋がりを確かに感じた。
もし受け入れられなかったら・・・と考えるとたまらなく怖いけど、もう一度、俺は進藤に思いを伝える。
そう思いながら歩いて行くと、暗闇の中に人影を見つけた。
近づいていくと、矢筒を背負った背中が見えて、それが能登川先輩だと分かった。
「須賀、進藤の所に行くんだろう」
「えっ、何で分かるんスか?」
「さっき、進藤が俺の所に相談しにきたんだ。また部に戻りたいけど、孤立したり、みんなに嫌われたりするのは怖いってな」
「そうだったんスか・・・」
やはり、進藤も恐れながらも前に進もうともがき苦しんでいた。そして、それを支えられるのは俺であってほしいと思っている。
「と言ったものの、俺は、苦しむ進藤を支えてやれるのはお前しかいないと思っている。俺は元の世界には戻らないからな」
「・・・あの、先輩今何と・・・?」
「?俺は元の世界には戻らないと言ったんだ。俺はこの世界のスリルを知ってしまったからな。もうあんな退屈な世界には戻れん」
開いた口が塞がらないが、分かる気もする。確かにいろいろ危険な目に遭って、それでもなおこの世界にいるのが楽しいと言うような人には、元の世界は退屈に過ぎる・・・のかもしれない。
「ああ、いくら俺でも皆に迷惑を掛けることは分かっている。これは俺の我が儘だ。・・・だから須賀、お前も進藤の所に行って我が儘を貫き通してこい。もうお前の気持ちは決まっているんだろう?」
「・・・あざっス!」
俺は先輩の元を後にした。どれだけ怖くても、俺の気持ちを伝えないと始まらない。あいつを支えられるのは俺しかいない。いや、そうでなくても俺が支えるんだ。
不思議な感じだ。あいつの事を考えると、どこまでも力が湧いてくる気がする。それは、あいつの音楽の力だけじゃないと俺はもう気付いている。
どれだけ歩いただろう。皆の騒ぎからはかなり離れた所に来た。
そこに、一つの人影がたたずんでいた。
「一人にさせて・・・」と言ってたくらいだから、一瞬進藤かと思ったが、そこにいたのは月山さんだった。
そう言えば、元の世界に戻るという事は彼女ともそう簡単には会えなくなるという事なんだよな・・・
当然、それは彼女にとっても同じことなんだけど・・・今の俺はどうしても、今すぐに進藤に会いたくなっている。
「何か、急いでるじゃない。香織ちゃんの所にでも行くの?」
「ああ、そうだけど・・・」
「そう・・・なんだ」
近づくと、月山さんは酒を飲んでいないらしいと分かった。港でアデスさん達と再会した時はあれほど楽しそうに飲んでた月山さんが酒も飲まずにこんな所にいるのは、やはり彼女にも真剣に話したいことがあるのだろう。
俺は、進藤の事はひとまず置いておいて彼女の話を聞くことにした。
「香織ちゃん・・・何かあったの?」
「ああ・・・あいつ、いろいろあってちょっと部に戻るのを尻込みしてるみたいでさ。ほら、月山さん、前にあいつのことを強い子だって言ってただろ?でもそれだけじゃなくて・・・いや、俺もあいつが弱い奴だなんて思わないけど、今は俺が支えてやらなきゃいけないと思うんだ」
「・・・」
あいつが必要・・・それは、俺にとっても同じことだよな。
「きっとさ、強いとか弱いとかに関係なく、みんな心の中でヒーローみたいなのを追いかけてるんじゃないかな。それは、アゼルファルスを頼った人たちもそうだし、桃華ちゃんも、・・・香織ちゃんもきっとそう」
月山さんは、いつものグイグイ来る感じではなく、緊張した様子で話し始めた。傍にいても、息遣いが荒くなったのを感じとれるほどに。
「・・・私のヒーローは、一見冷めて見えるけど、本当は誰よりも相手のことを思ってて、たとえ怖くても、どんな物にも立ち向かっていける強さを持った・・・そんな人」
「へえ・・・」
一体誰のことだ?そんな少年漫画の主人公みたいな奴、現実にいるのだろうか?
「でも、きっとその人は自分をヒーローだなんて思ってなくて、必死に頑張ってるだけのただの高校生だと思ってる」
「・・・?」
「そして、その人は今も私じゃなくて他の人を追い求めてるんだ」
「え・・・?」
そう言うと、月山さんはゆっくりと顔を近づけた。
「いい加減気付かなきゃ、ヒーロー。・・・私は、須賀哲太のことが好きなんだよ」
・・・・・・・・・えっ?
(・・・つづく!)
「魔法について聞いてきた時」→#17.5「魔法についての話」
「醒めた部員たちの中で」→#50「ポートタウン・シャッフル・ナイト」
「港町の舞台で」→#27「かわるせかい(後編)」
「二人だけで夜の小屋の前で」#39「合宿に行こう!(後編)」
「港でアデスさん達と再会した時は」→#49「再会(後編)」
「あいつのことを強い子だって」→#33「椿ラプソディー(後編)」