#53 神の翼(後編)
(承前)暗い空が近づいてくるに従って、強い風が吹きつけてくる。
やがて風が緩くなり、俺たちが顔を覆っていた手を離すと、信じ難いほどの大きさの羽毛が、その大きさにも関わらず重力を感じさせないようにふわりと舞い降りてくる。
そして、それに続いて、それよりさらに巨大な脚が目の前に降りてきた。
体力を使い切ったようにへたり込んだパルスラさんを、エスランさんが抱きとめる。
俺は頭上を見上げた。
これが・・・神鳥族か・・・!
恐ろしくデカい(と言っても、あまりに大きすぎて顔の方まではよく見えないが)。修学旅行で見た奈良の大仏よりもさらに大きいかもしれない。
地球上のすべての猛獣を足しても足りないほどの威圧感を感じると同時に、見ただけで心が癒されるような神々しさも感じる。
きっと、神様とかそういう存在を実際に見たらこんな風に感じるのだろう。
神鳥は、俺たちを一通り見回すとゆっくりと喋り出した。
『御子と・・・他は見ない顔だな・・・。主らは里以外から来た者たちか・・・?里の者以外に会うのは何十年、いや何百年ぶりか・・・。我に何の用だ・・・』
パルスラさんに促されて、さすがのアデスさんもうやうやしく語りかける。
「我々は禁封の峰に行きたいと思っている。そのために、あなたの力を貸して頂きたい」
『・・・・・・断る』
ええっと思ったけど確かにそうだ。パルスラさんを説得するのに夢中で気付かなかったけど、肝心の神鳥自体に断られる可能性も十分にあったのだ。
『ふん・・・。久しぶりに里の者以外がやってきて何かと思えば、また我の力を安易に借りようと言うのか・・・』
「せめて、行く理由だけでも聞いてください!」
そう進藤が叫ぶ。
「そうです。我々は戦いのためにあなたの力を借りたいと言うのではないのです」
エスランさんもそれに続く。
「・・・そうです、彼らは・・・悪い人たちではないですよ・・・」
そうパルスラさんも言ったが、どうにもバツが悪い。俺たちが神鳥の力を利用しようとしてるのに違いはないのだ。
『黙れ。事あるごとに互いに傷つけ合いながら、強い者が現れれば安易に我らの力に頼るお前たちにはもう愛想が尽きたのだ。御子よ、二度とこのような下らぬ事で我を呼び出すでない・・・』
俺は考えた。せっかくパルスラさんがあんなに頑張って呼び出してくれたのに、このまま神鳥を帰らせてたまるか。パルスラさんの体力的にも、もう一回呼び出すのは不可能だろう。
何とかして神鳥の力を借りることは出来ないのか、何か・・・
そうだ。神鳥を呼び出すと言えば、あの時の魔法の筒のような神具(?)は何だったのだろう。もしかしたら、あそこに何かヒントがあるかも・・・
「パルスラさん、こんな時に聞くのも何ですけど、神鳥を呼び出すときに使ったあの道具は何なんですか?」
「え?あれは我々が今の地に移った頃から伝えられている神具。神鳥によって呼び出すために使う物は違うけど、私はいつもあれを使っているわ」
「そうか・・・。っつー事は、やっぱりあの音が神鳥と心を通わせるための鍵なのかもな・・・」
そう言うやいなや、進藤が前に歩み出して魔法の筒を取り出した。
「それは、私たちの使う神具と同じ・・・」
驚くパルスラさんをよそに、進藤は「グリーンスリーブス」を演奏しだした。
まさに正気の沙汰とは思えない行動だ。
それをしたのが進藤でなければ、の話だが。
「なんて綺麗な音・・・。この道具にこんな力が・・・」
パルスラさんが感嘆の声を上げる。
だが、肝心の神鳥に届かないとどうにもならないのだ。俺は神鳥を見上げた。
『・・・・・・』
驚くべきことに、神鳥も静かに聞き入っているように見える。
『何をしている、続けろ』
「は・・・はい」
吹き終わった進藤に、神鳥は引き続き演奏するように命じた。マジか、本当に俺たちの楽器が神鳥の心を掴んだのか。
『人の子らよ、これを何処で手に入れた?』
進藤の演奏を聞きながら、神鳥は俺たちに問いかけた。
「それは、ソガーブという町の道具屋にあったもので・・・」
さすがに、この威圧感を前にして嘘はつけない。
『そうか・・・。不思議なものよ。その道具からは懐かしき友の力が感じられる』
「その友って、もしかしてアゼルファルスの事ですか?」
俺は神鳥に問いかけた。
『ああ・・・。確かそのような名であったな。知っているのか?』
「はい、この道具にはアゼルファルスの力が込められていると聞いて、それで禁封の峰に行ってアゼルファルスに会って、この道具の事を聞いて見ようと思ってたんです」
『・・・・・・』
「あの、良かったらあなたとアゼルファルスさんの関係について聞かせてもらえませんか・・・?」
演奏を終えた進藤が神鳥に尋ねた。
『・・・我が彼の者と出会ったのは、まだ我々を祀る民が今の場所に移ってくる前の事だ・・・』
神鳥は、重々しい口調ながらも意外なほど雄弁に語り出した。
『我が山で翼を休めていると、あやつが今の道具で曲を吹いてきたのだ。そう、あやつは魔法の修行のため各地を巡っていると言っておったな。・・・実に不思議な音色だった。ある時、我があやつの音楽に感じ入ったことを伝えたら、あやつはそれ以来ちょくちょく私の所に来て曲を演じてくれるようになったのだ』
『その頃のあやつは、まだ手が血で汚れておらぬ若者であった。あやつの曲を聞くのは、我にとっても平和で安らかな時間だったのだ。時には、我々は互いの事を語り合ったりもした。ところが、人間と魔物との戦いが激しくなり、ついに我々のいた辺境の地にも戦火が及んできたのだ。その後は御子に聞いているやも知れぬが、民はこの山間の地に追いやられ、我も戦いを繰り返す人間に失望してこの谷の奥に姿を隠した。そして、あやつも魔王討伐の任を負ったと言って我の前から姿を消した・・・』
『そして、長き時が過ぎた。・・・と言っても、あくまで人間の尺度でだがな。あやつが魔王を封印したという話も聞き及んでいたが、我は戦いに明け暮れる地上を見捨て、この谷に引き籠もっていた。そんなある時、あやつに聞かされていたその道具の音が聞こえてきたのだ。あやつは、その娘の物ほどではないが、自分の持っていた道具に魔力を込めて里に残していたのだな』
「この神具にそんな由来が・・・」
パルスラさんが驚きの声を上げる。
『里の者が神事と称してあの道具を吹き鳴らす度に我は姿を現したが、それもまた若き頃のあやつのような曲を演じてくれるかもしれないと思ったからだ。何年待とうとその望みは叶う事はなかったが・・・。しかし今、ついにその望みを叶えるものが現れた。それが・・・お前たちだ』
神鳥は俺達を見回した。
『人の子よ、今一度聞こう。・・・なぜお前たちは禁封の峰に向かう?』
進藤が身体を乗り出した。
「私たちは、アゼルファルスさんの所に行って、こんな道具がもっと沢山ある場所に行く方法がないか聞きたいと思ってます」
進藤はいつものように淀みなく言い切った。結局、最後に道を切り開くのはいつもこいつの音楽に対する思いなのだ。
『口先だけで平和だの安らぎだのと言っておれば見放すつもりだったが・・・その言葉に嘘は無いようだな。いいだろう。力を貸そう』
「・・・・・・!」
俺は心の中で声にならない歓声を上げた。きっと、他の皆も同じに違いない。
『主は人としてもまだ若すぎる。だが、それだけに、戦いに明け暮れて汚れていった大人たちには無い安らぎの匂いを感じる。出会った頃のあやつと同じようにな。あやつがあの道具に魔力を込めたのも、主らのような者に会う事を期待しての事かも知れぬ。あやつには、魔王を封じるという役目を背負わせてしまったという負い目もあるしな。ただし、我が力を貸すのは一度だけ。峰に行く時だけだ。そうでもしないと、また安易に我の力を借りたいという者が現れるやも知れんからな。何、あやつなら主らを地上に帰すくらいどうとでも出来るであろう』
そして、神鳥はパルスラさんの方を向いた。
『だが御子よ。分かっておろうが、我は人間すべてを認めたわけではない。安易にお前の願いに応えるとは思わぬ事だ。・・・ただし、この者たちのようにかつての平和な時を思い出させる者が現れれば、また手を貸してやらんでもない』
「・・・はい」
「ツンデレ・・・」
思わず、その一言が口をついて出る。
『つんでれ・・・?』
「いや、何でもありません」
『さあ、それでは我の翼の下に集まるがよい』
そう促されて、俺たちは神鳥の方へと向かった。
「あれ?でも俺たちが皆飛び立っていったらパルスラさんは・・・」
「私なら大丈夫。家まで戻るくらいの体力は残ってるし、それに里と外の世界との架け橋になるという夢を実現させるんだから、こんな事で挫けてられないしね」
「苦しい道になるよ」
エスランさんが厳しくも落ち着いた口調で言った。
「分かってる。でも、さっきのカオリさんの曲を聞いて、私の世界は大きく広がったわ。少し勇気を持って踏み出せば変えられる世界もあるってあなた達から気付かされたの」
「本当にありがとう。また私を御子の役目と向き合わさせてくれて。きっと、誰の言葉がなくても私は変われなかったでしょうけど、特にテッタさん、あなたの姿が私の背中を押してくれたわ」
「俺の・・・?」
戸惑う俺の肩に、ニヤリと笑って能登川先輩が腕を回した。
「そう、彼は俺たちのチームのエースなんだ」
「ちょっ、何をふざけてるんスか・・・」
そのやりとりを見ていたアデスさんがフッと笑う。
「そうだ、時間がないから簡単になっちゃうけど、これの吹き方教えるね」
そう言って進藤は、魔法の筒の指使いや簡単にではあるがグリーンスリーブスの吹き方を教えて行った。
教えられるパルスラさんの目は輝いていた。俺は、さっきの彼女の、少し勇気を持って踏み出せば変えられる世界もあるという言葉を思い出す。
それは、きっとこの俺自身が一番よく分かっているはずの事だ。
『さて、話はもう済んだか?ではそろそろ行くぞ』
神鳥の声が響く。
話が終わるまで待っててくれたのか。けっこう話が分かる奴なのか神鳥。
俺たちは皆神鳥の背に乗った。
「さようなら、パルスラさん」
進藤がそう言うやいなや、神鳥は大きく翼を羽ばたかせた。体中に風圧を受け、俺は思わず顔を伏せる。
目を下に向けると、さっきまで居た谷はあっという間に豆粒ほどの大きさになっていた。
「凄かったね」
さすがの進藤も、素直に驚きの声を上げる。
「飛ぶとき、里の連中に見つかるんじゃないかとちょっと心配してたけど、ぜんぜん気にする事なかったよな・・・」
「何か、僕もう苦しくなってきたな・・・」
一条寺が苦しそうに声を絞り出した。
「わーっ!ちょっと待て、こんなところで吐いたらたぶんバチが当たるぞお前。降りるまで我慢しろ」
小一時間くらいそんな話をしていると、やがて目の前に切り立った岩山がいくつも姿を現した。
『さあ、見えてきたぞ。ここが禁封の峰だ。頂上の手前でお前たちを降ろす。頂上は我には狭すぎるのでな。ここまで来たら後はお前たちでも行けるであろう』
「ああ・・・何か、ありがとうございます。色々・・・」
そう言った俺に、神鳥はゆっくりと降下しながら言った。
『礼には及ばぬ。我も久々に楽しかったぞ。もうお前たちと会うことも無いかもしれぬが、お前たちのことは忘れぬ。さらばだ、人の子・・・いや、我が新しき友よ』
俺たちは岩山の上に降り立った。
「神鳥さん、もしかしたら私たちがこの世界の人間じゃないって気付いてたのかな・・・」
神鳥を見送りながら、進藤が視線をこちらに向ける。
「さあな。神鳥には悪いけど、何としてもこの先のアゼルファルスに会って、締め上げてでも元の世界に還る方法を聞き出そうぜ」
頭上を見上げると、周囲の山々の中でひときわ切り立った峰がある。
ここに、俺たちがこの世界に来たことの秘密を知っている奴がいるのだろうか・・・いや、きっといるるに違いない。
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哲太たちを送り届けて谷に戻る途中。神鳥は、かつて感じたことのある魔力の気配を感知した。
(これは・・・・友の力?)
いや、確かに似てはいるが気のせいであろう。あの者の力にしては禍々し過ぎる。それに、あやつはもう禁封の峰から一歩も動けないはずではないか。
神鳥は、友の思い出を振り払うように翼を羽ばたかせた。
(それにしても、何と強大な魔力よ。人間でありながらあのような強大な魔力を持つ者は、今のこの世界にも何人も居るまい・・・)
魔力の主―――アクルムは、地上から禁封の峰へと歩みを進めていた。
(もうすぐだ・・・もうすぐ、アゼルファルスの元へと辿り着く・・・)
しかし―――皮肉なものだなと、アクルムは思う。
自分に退屈という名の悪夢を与えた男の力が込められた道具に、こんなにも惹きつけられるとは・・・
まあ―――どうでもいいな。
所詮、自分の生の全ては退屈凌ぎのための時間に過ぎないのだから・・・
そうアクルムは思った。
(つづく)