#1 TRIP
私が目覚めた時、すでに太陽はすっかり真上まで昇っていた。吹奏楽コンクールを1カ月後に控えて、私―――トランペットパートの2年、進藤香織の所属する奏南高校吹奏楽部は土日返上で練習に打ち込んでいた。今日はようやく訪れたなけなしの休日だったのに、まさか昼前までずっと寝てしまっていたのか?絶望感に囚われて周囲を見渡したけど、何かがおかしい。というか、おかしい所しかない。
目の前にあったのは私の部屋ではなく、遠くに森林が見え、目の前にはどこまでも草原が広がる光景だった。
さらに異常な事に、ここにいる吹奏楽部員は私だけではなかった。
ユーフォニアムパートの1年、早坂桃華。
学生指揮者でトロンボーンの2年、一条寺瑠衣。
そしてパーカッションの2年、須賀哲太。
この3人も、私と同じくここで目覚めたらしかった。
ありえないことしかない状況で私が混乱する中、
「植生が違う。これはこのあたりにはない植物だと思う」
4人の中で一番成績の良い瑠衣が周りを見渡しながら言った。
ここに来るまでのことを思い出していた。確か、楽器をベッドの傍らに置いて横になっていたら光に包まれて…
もしかして・・・いや、もしかしなくても、これは漫画とかアニメによくある、別の世界に転送されたっていうアレじゃないの?
他の三人も同じような事を考えていたのだろう。
「見ろよこのスマホ。バッチリ圏外だぜ」
私たちの中で唯一スマホを持ってきていたらしい哲太が画面を見せてそう言った。
ここは海外のどこかなのだろうか。いや、海外ならまだいいけど、やっぱり・・・
とにかく、元いた場所に戻らなければならない。吹奏楽部には、「一日練習を休めば取り戻すのに三日掛かる」という呪いのk・・・いや、格言があるのだ。
「とりあえず、ここにいても仕方ないし、歩いてみようよ、歩くと何か見つかるかもしれないよ」
漂った重苦しい雰囲気を振り払うように、私はそう言った。
だけど、歩き続けても町はおろか人影すらも見当たらなかった。日本の湿った暑さとは違って、こっちの太陽は刺すように照らしてくる。普段は無口な桃華さえも、
「もう駄目・・・死ぬ・・・」
と繰り返した。
男子二人・・・哲太と瑠衣もヘトヘトになっているようだ。特に、もやしに手足が生えた存在と形容するのが相応しい瑠衣は今にもへばりそうになりながら歩いている。
「きゃっ!」
足が何かに引っ掛かって転んだ。恐るおそる足元に目をやった次の瞬間、私は心臓が凍りつきそうになった。
そこにあったのは、地面に半分埋まりかけた、何か大きな動物の頭の骨だった。―――しかし、本当に私たちを怯えさせたのは、その次の瑠衣の一言だった。
「頭蓋骨がこんな形をした生き物、地球にいない…」
やっぱり、どこかの異世界なのか?猛獣に襲われるかもしれない恐怖の中で、家に残された楽器について考えていた。中学三年間部活を続けたら買ってもらうという約束で、ようやく高校に入学して買ってもらったMY楽器なのに。
大体、こんな異世界で吹奏楽部員に何ができるというのだろう。運動部なら、その身体能力で生き延びられるかもしれない。剣道部や弓道部のような武道系ならなおさら良い。この世界のレベル1のザコ敵・・・スライム程度なら倒せるかもしれない。
生物部なら食べられる動植物を見分けたりとか。天文部なら星の動きから今いる場所を計算したりとか。
帰宅部・・・早く元の世界に帰りたい一心で、案外上手く立ち回るかもしれない。
私は、部活にかまけて勉強に大して熱を入れてこなかった部畜根性を恨めしく思った。
そのうち、日差しはさらに鋭さを増していき、毎日室内で部活に明け暮れていた私の意識は朦朧としてきた。うう、神様、もう二度と「吹奏楽部は体育会系だ!」なんて言いません。
薄れゆく意識の中で、他の三人が私に向かって駆けよって来るのが見えた・・・・・・
目が覚めた時、私は建物の中にいた。周りの人の会話から、どうやらここが宿屋らしいことが分かった。
「気が付いたかね?」
髭を生やした体格のいい中年の男性が話しかけてきた。
私の目が覚めたという知らせを聞いたのか、哲太を先頭に部員たちが部屋に駆け寄ってきた。
「俺たち、あの後あそこを通りかかった旅の商人に助けてもらったんだぞ」
旅の商人。そのファンタジー的な単語に私は不安を強めた。やっぱりここは・・・
男は私たちの服装を物珍しそうに見ながら尋ねた。
「あんたら、ここらの人じゃないようだが、どこから来たんだい?そんな若いのだけで、武器も持たずに旅かね?」
私は三人の顔を見渡し、そして何かを確かめるように頷きあった。
私はありのままに事実を話した。私たちは元々、恐らくこことは別の世界にいたこと、ある日謎の光に包まれて、気付けばこの世界に来ていたこと・・・
「ふーむ、別の世界ねえ・・・俄かには信じがたい話だが・・・」
そうでしょうね。私もそう思う。
「まあ、魔物に襲われないで良かったよ」
魔物―――恐れつつも出来るだけ考えないようにしていたその単語を耳にして、私たちを重い沈黙が包み込んだ。
「まだ動かない方がいいだろう。しばらくそこで休んでいるといい」
そう言って、彼は部屋を出て行った。
部屋に横になりながら、いろいろな思いが頭を駆け巡った。これから、この魔物が跋扈する世界でどう生きていけばいいのだろう。というか、もう元の世界には戻れないのだろうか?
他の三人も同じことを考えていたのだろう。みな暗い表情で押し黙っていた。
と、その時、宿の外から子供の歌声が聞こえてきた。この世界は元の世界に比べて静かだからだろうか、宿の中でもはっきりと聞こえてくる。そう、あれは確かに歌声だ。この世界のわらべ歌のような物だろうか。とにかく、こっちにも音楽があるんだ―――少しの希望を胸に抱きながら、私は、思わず近くにいた給仕さんに尋ねた。
「この世界に、楽器はありますか?」
「がっき・・・・・・ですか?」
給仕さんはキョトンとした表情で聞き返した。
「はい。こう、吹いたりとか、弾いたりとか、叩いたりとか・・・」
私はジェスチャーを交えながら説明したが、給仕さんは意を得ない表情だった。
どうやら現実を受け入れないといけないようだ。この世界には音楽という概念はあるものの、楽器は存在しない。もしかしたら原始的な物くらいはあるのかもしれないが、トランペットも、トロンボーンも、ドラムも、ユーフォ・・・はまあ、元々現実でもマイナーな楽器だ。
さっきの宿の主らしき人が戻ってきた。
「ずっとその服のままもなんだろうと思ってな」
そう言って、衣装箱を足元に降ろした。それは、よくゲーム画面で見る物とは印象が違い、かなりの大きさと重量感を持っていたが、哲太はそれの片側をヒョイと持ち上げて私の目の前まで運んでみせた。
「何驚いた顔して見てんだよ。こっちは何度もティンパニを4階まで運んでんだ、これくらい余裕だよ。」
それを聞いて、私はその目の前の男子部員が「男」である事を思い出したのだった。
哲太はなんとかこっちでもやっていけるかな・・・・・・
何となくそんな感慨にふけっている所に主人(?)は続けた。
「まあ、元の世界に帰れる当てが見つかるまでこの宿にいるといい。魔物も町の中まではまず入ってこないから。町長には俺が話をつけておく」
本当に?とりあえず最悪の事態は避けられるらしい事が分かり、私たちの表情に、少しだけ安堵の色が浮かんだ。
「その代わり、ここに居るからにはあんたらにも働いてもらうよ」
うう。当然と言えば当然の話だが、私の顔は強張った。何しろ、私にはアルバイトの経験も無い。というか、吹部の活動時間的に、よほどの超人でもない限り部活とバイトの両立は物理的に不可能なのだ。
しかし、どんな仕事をするのだろう。掃除とか・・・給仕とか・・・まさか、夜のお相手、とか・・・・・・???
高速で頭を回転させる私に突きつけられたのは、しかし、思いがけない言葉だった。
「お前さんには、『監視係』をやってもらう。ちょうど人手が足らなかったんだ」
後で聞いた所によると、人間の賊が侵入してきたり、魔物が現れた時に万が一町の外に出ている人がいた場合、それを見つけて大声で知らせる係が必要らしい。
「だって、お前さん声が大きいだろ?」
私は戸惑った。吹部なので当然肺活量には自信があったし、返事や挨拶も常に大きな声でする事が求められる。しかし、声が大きいと面と向かって言われたのは初めてだ。私は思わず顔を赤らめた。
「どうする?やるのかね?やらないのかね?」
静かな口調とは裏腹に、その表情には「もしやらないのなら出て行ってもらう」という強い意思が感じられた。それを見た私は、
「はいっ、やります!」
と周囲も驚くほどの強い口調で宣言してしまった。
こうして、私たちの異世界生活は始まってしまったのだった。
吹奏楽部員が異世界に行く話は結構ありますが、楽器の存在しない世界に行く話と言うのは見当たらなかったので書いてみました。全体的に吹奏楽部をはじめ各部活への偏見が見え隠れしますが、作者も一応吹奏楽部経験者なので許して下さい。なお、次回からは別のキャラの視点での話になります。