19. 謝罪
体中が痛い……。
翌朝、と言っても仮眠程度の時間しか眠れなかったが、ベッドから起き上がった私は体中の痛みに悶絶した。
全身酷い筋肉痛で、歩くこともままならない。
ベッドの上でもぞもぞしていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
まだパジャマだが、この時間に訪れるのは限られている。そして昨晩は帰宅後、すぐに就寝した。と、なれば入室してくるのは……。
「朝早くにすまない、もう少ししたら仕事に出なくてはならないのでな」
「いいえ、大丈夫ですわ。ですがこのような恰好で失礼します。どうにも無理が祟ったようで体がひどく痛いんですの」
「無理もない。……顔色も少し悪いな、今日は一日ゆっくりしているといい」
いつになく心配そうなお父様も顔色が少し悪い。昨晩のことできっと疲れたのはお父様もなのだろう。
ベッドの横にある椅子に腰かけると、膝の上に置かれた私の手を労わるようになでる。
「ありがとうございます。ですがタウマス家に謝罪に行かねばなりません。事の真相が外部から伝わるよりも早く私の口から説明しないと」
「ふむ……。そうだな、私も同行しようか?」
お父様が一緒に行ってくださったらそれはとても心強い。けれど、これは私がしなくてはならない事、権力を少しでもちらつかせてはいけない。
「大丈夫です。それよりも、何かお話があったのではないのですか?」
「話というよりも、顔が見たくてな。……本当に無事でよかったよ」
重ねられた掌がかすかにふるえている。
こんなにも心配を掛けたのだと、今更ながらに実感した。そして自分の身がそれほどまでに危険だったということも身に染みた。
「ごめん……なさい。お父様……」
「本当に、わが娘ながらお転婆に育ったな。イーリス嬢を助けるために取った行動は無茶だったし、もう二度として欲しくはないが、友のために身を粉に出来るというのは誇るべきことだ。その心根は自慢できるよ。私の娘は最高だとね」
大きな手が私の頭をぐちゃぐちゃに撫でまわす。いつもならば子ども扱いしないで欲しいと、振り払うのだが今ばかりは受け入れる。頭から伝わるお父様のぬくもりに浸る。
「では、私はそろそろ仕事に行ってくるよ。母様は……昨晩の疲れからかまだ横になってるから、目を覚ましたら元気な姿を見せて安心させておやり」
「分かりました。いってらっしゃいませ」
部屋の入り口で待機していた従者と共に、お父様は部屋を後にした。
それと入れ替わるように、朝食の乗ったトレイを持ったメイドが部屋に入ってくる。ベッドの脇にある丸テーブルに乗せると、紅茶を淹れる準備を始めた。
「お嬢様、本日はいかがいたしますか?」
「……朝食を食べたらタウマス家へ行くわ。……謝罪をするので、落ち着いたドレスを用意して頂戴」
「かしこまりました。そうしましたら青を基調としたドレスをご用意いたします」
紅茶を注ぎ終わり、メイドが一礼して下がる。ドレスの準備をし始めてくれるのだろう。隣にある衣裳部屋へ行くのが目に入った。
「……」
用意してくれた朝食をもそりもそりと口に運ぶ。フレッシュサラダと、スクランブルエッグ、サクサクのクロワッサンを少しずつ口に運び、紅茶で流し込む。
気が重い。
だけど逃げるわけにはいかない。
「お食事中失礼します。こちらのドレスでいかがでしょうか?」
メイドが持ってきたドレスは淡い青のサマードレス。レースやリボンは最小限でラインもシンプルなタイプだ。
「それでいいわ。食事はもう下げて頂戴。すぐに着替えます」
「かしこまりました」
「それから……イーリスにお菓子を持っていきたいわ、何かあるかしら?」
「今朝、料理長がヌガーを作られていましたので、そちらをお持ちくださいませ」
「あら、タイミングが良いわね」
既製品の焼き菓子ならば、急な来客に備えてストックしてあるのだが、手作りの菓子が丁度あることに驚く。私の驚きに気が付いたメイドが「旦那様からの言いつけで」と言葉を添えた。
「お父様が?」
ああ、きっと私が今日タウマス家へ謝罪に行くことを予測していたのだろう。そして何かしらの手土産を持ちたいと言い出すことまで考えて手を打っておいてくれたのだ。
適わないな。と、お父様の配慮深さに感嘆する。
綺麗にラッピングされたヌガーと一緒に、用意されていた小さな花束を持ち、私はタウマス家へと馬車を走らせた。
「ごきげんようディオネちゃん。イーリスはまだベッドから出られなくて、お客様に失礼だとは思うのだけれど、部屋まで行ってくださるかしら?」
出迎えてくれたイーリスの母親が柔らかな微笑みを浮かべて小首をかしげる。
イーリスによく似た小柄な女性で、まだ少しあどけなささえ残るそのお顔は、しわ一つない。
これで私のお母様よりも年上というから驚きだ。
「とんでもございません。どうかお気を遣わずに……。それと、タウマス様はいらっしゃいますか?」
胃がキリキリと痛む。
「何かご用?」
「はい。出来ましたら、タウマス様とご夫人、お二人と少しお話させていただけないかと」
「……呼んできますわね。ロン、ディオネちゃんを応接室へ案内して頂戴」
傍で控えていた従者へ声を掛けると、夫人は家の奥へと消えていく。
「ディオネ様、こちらでございます」
「え? ああ、ごめんなさい、すぐ行くわ」
すでに家の奥へと歩を進めていた従者が立ち止まり、私を呼ぶ。何度も来ているので迷う事はないが、勝手に動き回るわけにはいかない。従者の元へ駆け寄り、後を続く形で応接室へと入った。
立ち上がり深々と頭を下げる。お腹の下あたりで重ねた手が小刻みに震えた。
目の前に座る二人へ誘拐事件の顛末を事細かに話し終えた私は、下げた頭を上げられずにいた。
怖いのだ。拒絶されることが。
怖いのだ。侮蔑されることが。
覚悟をしていたつもりだったが、体の震えが弱さを浮き彫りにしていた。
「それで……。君は今回の事件の原因はすべて自分だと言うのかね?」
重厚感のある声音が、私の体に降り注ぐ。頭を下げたまま「そうです」と、震える声を絞り出す。
「……」
無言が部屋を支配し、自分の心臓の音だけがやけにうるさく聞こえる。
「こうなることは予測されていたと言ったら、君は驚くかね?」
「え?」
タウマス様の言葉に思わず顔を上げる。急に血が廻ったのだろう。くらりと目の前が暗くなり、足元がふらついた。
「あらあら、大丈夫? 座ってなさい。ロン、温かい飲み物を持ってきて頂戴」
お構いなくと言いたかったが、唇がかさつき、掠れた空気がこぼれるだけだった。
「君がエペイロスに四人の娘の国外退去を願い、それが叶えられた時から、おそらく何かしらの反発が出るだろうという事は予測していた。まさかこういう大胆な手を使われるとは思ってもみなかったがね。国外退去の決定に判を押した中には私も居たのだよ」
「そ…う、だったのですか」
「些事ならば、エペイロスが内々に処理したのだろうが、さすがに事が大きすぎた。エペイロスと私、それからもう一人大臣の判が押され、決定したんだよ」
「沢山の方に、ご尽力頂いたのですね……」
従者が持ってきてくれた温かい紅茶が目の前に置かれる。ふんわりと温かい湯気が華やかな香りと共に立ち昇った。
夫人が目配せをし、飲む様にと促す。
私はカップを持ち上げ、ゆっくりと口を付けた。ほのかに甘い紅茶。砂糖ではなくハチミツで甘さを足された、私好みの味だ。
「本来ならば、私的なことは許可しないのだが、君の友人への思いと……対価としてアンシャール伯爵との婚約を受けてもらえるという事で、許可された事案だったんだ」
恐らくは私の友人への思いを考慮したというのは、ほぼ建前だろう。アンシャール伯爵との婚約がおおよそを占めるはずだ。それほどまでに国王派は教皇派とのつながりを欲している。そしてそれを知っていたからこそ、私はあの場でこのカードを切ることができたのだ。
「私は……私はまさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。自分の浅はかさに……腹が立ちます」
「何事も、強硬手段に出ればそれだけ反発も生まれる。それはこれから知って行けばよい、君もイーリスもまだ若いのだから」
「ですが、私の浅はかさがすべての原因なのです……」
これ以上二人の顔を見ていられなくて、私は俯いた。膝の上で握られた手が白くなっていく。
「だが君はイーリスを助けてくれただろう?」
「それは……」
「ありがとう、ディオネちゃん」
優しい、優しい声だった。慈愛に満ちたその声にぱっと顔を上げると穏やかに微笑み、肩を寄せ合う二人の姿が目に入る。
目頭が熱くなり、のどの音がきゅっと締め付けられる。ああ、だめだ。泣いちゃダメ。
けれど、思いに反して私の両目からは大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「君も無事でよかった。すまなかったね、守ってあげられなくて」
「……っ」
顔を両手でおおいながら、左右に首をふる。
どうしてこうも温かいのだろうか。罵倒も、侮蔑も受け入れるつもりでいた。怖かったけれど、そうしてもらう事で、私は自分に罰を与えたかった。
「私は……これからもイーリスの傍にいてもよいのでしょうか?」
「……もちろんだとも。今回のことは君が招いたことかもしれない。だが、イーリスを助けたのもまた……君なのだよ」
私はもう一度深々と頭を下げた。
頭を上げるとほぼ同時に、応接室の扉がノックされる。タウマス様が目配せをし、扉近くにいた従者がゆっくりと開ける。
メイドに連れ添われ、ラフな格好をしたイーリスが部屋に入ってきた。
「もう起きたのかい? まだゆっくりしていてもいいんだよ」
「……もう、大丈夫。おなか減った」
ゆっくりとした足取りでこちらまでくると、私の隣の開いているスペースにすとんと腰かける。
よかった、もう顔色も落ち着いている。まだ気だるげな表情が抜けていないが、体調もよさそうだ。
「イーリス……ごめんね」
「……?」
きょとんとした様子で私の顔を見る。イーリスは知らないのだろう、今回自分が危ない目にあったのが私のせいだということを。
話すべきなのだろうかと、タウマス様を見る。すると、口元を綻ばせ首をゆっくりと左右へ振った。
「今日はね、お見舞いに来たの。お土産も持ってきたわ」
私は持ってきたヌガーの包みを差し出す。
途端にイーリスの表情が明るくなり、包みを受け取った。そしておもむろに包みを開けると、ヌガーを取り出しぱくりと食べる。
「まったく、イーリスちゃんってば。ロン、お茶を入れてあげて頂戴」
「美味しい。ありがとう、ディオネ」
柔和に微笑むイーリスを見て、まだ涙があふれてくる。
のんびりとヌガーを食べるイーリスをぎゅっと抱きしめる。昨日感じた体温はとても冷たく絶望さえ覚えた、でも今はこんなにも温かい。
「ディオネ?」
「本当良かった」
くすぐったそうにもぞもぞと動くイーリスを抱きしめ、共有する温もりを愛おしく感じる。
「まぁまぁ」
夫人が面白そうに笑っている。私も笑った。涙は相変わらずこぼれ続けるけれど、それは悲しみなんかじゃなく、苦しみでもない。




