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18.慟哭、そして

「ごほっごほっ。……はぁはぁ」


 新鮮な空気を一気に肺に入れ、私はむせ込んだ。水面に顔を出した私たちを、レイアとマルクスが引っ張り上げてくれる。


 イーリスを押し上げるように陸へ上げたリューは、マルクスの差し出した手を掴み自らも陸地へ上がった。


「リュー……様が、助けて……くださったのですか?」


 まだ苦しさにあえぎながら、びしょ濡れのリューへ問いかけると、照れたようにはにかむ。


 ああ、こりゃ落ちるわ。危うく高鳴りかけた胸を押さえて、私は深呼吸する。


「イーリス! イーリス! いやよ、目を覚まして!」


 レイアの悲痛な叫びを聞いて、イーリスが危険な状態だという事に気が付く。


 イーリスは真っ青な顔をして、呼吸もない。まさか間に合わなかったのだろうか。恐る恐るイーリスに触れるが、その体温は冷たく、まるで陶器の人形のようでゾッとした。


「いやよ、イーリス。起きてっ、起きてよぅ……!」


 医者を。救急車を! そう思って、ここがまだ医療の発達していない世界だという事に思い至る。


 蘇生術。さかさまにして木につるしたり、火あぶりにしたり、むち打ちしたりすればいいという事が信じられている今、医者を呼んだところで事態が好転するとは思えなかった。それに事態は一刻を争う。


 どうする。どうすればいい。


 AED……そんなものはない。人工呼吸……心臓マッサージ……。そういえば会社の研修で一度受けたことがある!


「どいてレイア」


 イーリスにすがり泣くレイアを押しのけて、私は横たわるイーリスの気道を確保する。


 手を当てる位置はここ……両手を重ねて、ひじをまっすぐ伸ばし強く押す!


「一、二、三、四……」


 一定のテンポで、速く、絶え間なく。押すたびにイーリスの胸が沈み、体が振動する。


「二十五、二十六、二十七……」


 三十回マッサージしたら、二回人工呼吸。これを繰り返す。


「ディオネ……何をして……」


「イーリス! 起きて! 戻ってきて!」


 あっけにとられているレイア達。私は構うことなく続ける。


 心臓マッサージの振動でイーリスのポケットから手鏡が転がり落ちる。ああ、これが月明かりを反射してイーリスの居場所を教えてくれたのか。


 みんなでお揃いで買った手鏡。またみんなで雑貨屋に行こう? 今度はお揃いでアクセサリーでも買おう?


「十、十一、十二……」


 額から滴る汗が、目に滲む。


「イーリス!!」


 誰の叫びだったのか、その声に反応するかのようにイーリスがむせ返り、口から水があふれ出る。


 すぐに体ごと顔を横に向け、吐瀉物が気道をふさがないようにした。背中をさすり、声を掛ける。


「……ゴホッゴホッ。……何が……起きて……」


 それだけ言うと再び意識を失う。だが、呼吸はしている。うまくいったんだ。


「本当に……? 本当にイーリスが生き返った?」


 まだ放心状態のレイアが再び意識を手放したイーリスの頬をなでる。顔色は青白いが、少しだけ頬に赤みがさしている。


「良かった……良かったよぅ」


 イーリスの手を握り、レイアと二人寄り添い涙する。本当に良かった。


 今更ながら恐怖で体が震えてくる。


「すぐに屋敷に連れていきましょう。このままでは危ない」


 マルクスが自分の上着を私に掛けてくれながら言った。そうだ、今の私は裸同然の下着姿なのだ。薄暗い夜とは言え、これだけ月明かりが出ているのだ。ばっちり見えているだろう。


 だぼだぼのジャケットを胸元でぎゅっと握り、体を包み込む。マルクスが着ているときはお尻にかかるぐらいの丈だったが、私が着ると太ももあたりまでかかり何とか色々隠せそうだ。


 イーリスはリューに抱き上げられ、傍にはレイアが心配そうについている。


 ふら付く足取りをマルクスに支えてもらいながら、馬車が待機している場所まで急いだ。


「まったく、とんだじゃじゃ馬ですね」


「……誉め言葉として受け取っておくわ。おしとやかにしてても大切な人は守れないもの」


 マルクスが鼻で笑う。だが、嫌な気はしなかった。


 その顔に浮かぶ笑顔にはいつもの張り付けたような酷薄さはなく、優しささえ含まれている気がしたから。


「違いない」


 私たちは静かに笑い声を重ねた。





 皆でイーリスの家へと押し掛ける形となったが、びしょ濡れのイーリスと私たちを見て、タウマス家のメイド達はすぐに着替えやタオルを用意してくれた。


 意識がいまだ戻らないイーリスの青白い顔を見て、執事がすぐに医者の手配する。


「ああ、良かった。よかったわ、皆様本当にありがとう。この子を連れ帰ってくれて」


 大粒の涙をこぼしながらイーリスの母親が私たちにお礼を言う。だが、私はいたたまれない。そもそも今回のこの騒動は私が原因なのだから……。


「イーリスが戻ったというのは本当か!!」


 部屋の扉が勢いよく開け放たれ、この家の当主――イーリスの父親が飛び込んでくる。


 どうやら知らせを受けて今までずっと捜索に加わっていたようだ。そこにイーリス発見の一報を受けあわてても戻ってきたという。


「あなた。ええ、まだ安心はできないようですが、ひとまずは大丈夫だろうと」


「ああ、よかった……。犯人は? 捕まえたのか?」


 剣呑たる声音に、その場の空気が一気に冷え込んだ。さすがタウマス家の当主……迫力が段違いだ。


「はい、憲兵へ身柄を引き渡しております」


「そうか。……この報いは必ず受けさせるぞ」


 そう独り言ちたタウマス家当主の顔はたいそう険しく、あのマルクスでさえ表情を強張らせていた。


 後日、落ち着いたころに謝罪に伺おう。縁を切られるかもしれないが、私にはその責任がある。


 そして開け放たれたままの扉から恐る恐る顔をのぞかせている影に気が付いた。


「フローラ?」


「ディ、ディオネェェェ!」


 そう声を掛けるや否や、涙を浮かべて駆け寄ってくるフローラ。その顔色はとても悪く、憔悴しきっていた。ずっと心配してくれていたのだろう。私を抱きしめたまま声を上げて泣いている。


「わ、私も……探しに行きたかった……のですが、マル……クス様に……止められて……ううっ」


「有難う、フローラ。フローラまで危険な目に合わなくてよかったわ」


 頭をゆっくり撫でながら、努めて優しい声音で囁く。


 フローラを守るために行った事で発生したこの事件。彼女には少しでも知られてはいけない。少しでも自分が関わっているという事を悟られてはいけない。


「もう大丈夫ですって!」


 イーリスの部屋まで付き添って行ったレイアが、駆け戻ってきてそう告げる。その知らせに、その場にいたメイドや従者、私たちにわっと歓声があがる。


「私もイーリスの顔を見たいわ。無事なことをちゃんと確認したい」


「もちろんよ。まだ眠っているからそっとね」


「うん」


 レイアとフローラが連れ立って歩いていく。私たちの世話をしてくれたメイド達もそわそわしている様子なので、私たちに構わず行ってあげてと伝えた。


 応接室に私とリュー、マルクスだけが残り、途端に静けさがあたりを支配した。


「……フローラに残るよう言ってくれてありがとう」


「……素直ですね」


「反省していますから」


「そりゃぁそうでしょうね、あなたがやった事はあまりに強行過ぎましたから。もう見ているこっちがニヤニ……ハラハラするぐらいに」


 ニヤニヤって……。


 じゃなくて……見ているこっち?


「どういう事? 知っていたの?」


「ええ、見てましたから。一部始終」


 ああ、やられたと頭を抱える。確かにあの時、周りに気を配る余裕なんてなかった。だがまさか見られていたなんて……。


「……あなたのリューを見る目から何か企んでいるなと思い警戒していましたが、どうやら私の思っているような企みではないようだ」


「…………」


「企み……について反論する気はないと」


 何か喋ればぼろを出してしまいそうだが、黙れば黙るでぼろが出る……。これだからマルクスは嫌いだ。小賢しく悪知恵が働く。敵には回してはいけない相手だ。


「リュー様に危害を加えるつもりは一切ありません。私は……私の大切な人を守りたいだけ。リュー様の不利益になるような真似はしないとお約束しますわ」


 あくまでも私に敵意はないという意思表示をする。リューに危害が加わらなければマルクスも口を出してきたりはしないだろう。


「……まぁいい。今はそれで勘弁してあげる。でも貸し一つですよ?」


「え?!」


「そりゃそうでしょう。フローラさんが現場に居合わせて、貴方のなさったことを知ったらどうなっていたと思いますか? しかもこうして甚大な被害が出ている。彼女のことですからさぞかし胸を痛めるでしょうねぇ?」


 この男……。


 わなわなと拳を握り締め、私はマルクスを睨んだ。そんな私の表情を見て、更に楽しそうに笑みを深める辺りが憎らしい。


「マルクス……。その辺にしておけ」


 今までずっと傍観していたリューが間に立つ。


「そういえば、リューにも言いたいことがありました」


「え?」


 急に矛先が変わり、リューの顔色が青くなっていく。


「二人を助けられたからよかったものの、どうしてあそこで私の判断を仰がず、池に飛び込んだんですかね?」


「いや、ほら咄嗟というか……」


「御身を第一に考えてもらわないと困ります」


「あ、あはははは」


 この二人は私がここに居ることを知っていてこのやり取りをしているのだろうか?


 さらりと重要なこと言ってる気がするよ? バレちゃってもいいの?


「ゴホン」


 自らの存在をアピールするように咳ばらいを一つ。


 だがリューに詰め寄るマルクスはこちらを一瞥しただけで、すぐにリューへと向き直る。


 ああ、そうですか。私は空気かなんかですかね。


「ねむ……」


 あくびが出そうになり、口元を手でおさえる。口こそ開けなかったものの、目じりから涙が滲んだ。体も酷く重い。そういえば湯あみをしたかったのだが、体中の埃は池に飛び込んだ時点ですべて落ちていた。


 かわりに少し生臭い……、やはり湯あみをしよう。


「私はそろそろ帰らせていただくわ。私が無事だという事は知らせてもらってるけど、きっと心配してるし」


「そうだな、我々もお暇しよう」


 そういって荷物をまとめて立ち上がる。借りた服は後日返そう。


 部屋を出ようとしたところで私は二人に声を掛ける。


「あ、お願いが一つあるの」


「貸し二つめかい?」


 ぐ。これ以上マルクスに貸しを作るのは怖い。一体後々どんな厄介ごとを頼まれるか分かったものではない。


「いいよ、僕が聞くよ」


「さすがリュー様。マルクス様とは違って寛大なお心を持ってらっしゃるわ」


 ちらちらとマルクスを見ると、にっこりと笑顔を浮かべているが、こめかみに青筋が浮いているのは気のせいではないだろう。


 これ以上怒らせても仕返しが怖い。私は早々にお願いを口にする。


「フローラを自宅まで送ってほしいの、もう犯人は全員捕まったと思うけど、まだ何かあるかもしれないし」


 用心するに越したことはない。私のお願いを快く引き受けてくれた二人に感謝を告げて私たちは応接室を後にした。


 そうして私たちはそれぞれ馬車に乗り、家路へとつく。部屋を出たところでレイアにばったりと出くわしたが、レイアもそろそろ帰ると言うのでそのまま別れを告げた。

 

 レイアの従者は元王国兵。護衛も兼ねていると聞いている。なので、レイアは大丈夫だろう。


 帰る前にイーリスの顔を見ていけば? と勧められたが、今の私にはイーリスの顔を直視できない。罪悪感でいっぱいなのだから。




 目を覚ましたらきちんと謝ろう。たとえ、許してくれなくても……。




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