17.落ちゆく光
森を抜けると、月明かりがまぶしく感じる。雲一つない夜空に輝く月があたりを青白く照らしていた。
「マルクス!」
「おや、リュー。どうしてここに?」
「道中見つけた誘拐犯を絞り上げたらここに一人監禁していると吐いたから来てみたんだ」
そこにはリューと数名の警備兵。それから青白い顔をしたレイアがいた。
「ディオネ! よかった……無事だったのね」
「レイア……ごめん、心配かけて」
駆け寄ってきたレイアに抱きすくめられる。私に抱きつくと泣き出してしまったレイアの背中をゆっくりと撫でた。不安だったのだろう、自分も誘拐されかけ友人はいなくなっているのだから。
「それでイーリス嬢は?」
マルクスがリューに問いかける。その声音に焦りが混じっているのを感じ、少しだけマルクスへの好感度が上がった気がする。彼も彼なりに心配してくれているのだろうか。
「まだだ、僕たちも今着いたところで……。おそらく納屋の中にイーリスと誘拐犯が一人いるはずだ」
暗闇の中にぽつんとたたずむ納屋。一つだけある小さな窓からぼぅっとしたオレンジ色の光が漏れていた。
「私が行きますので、皆さんは下がっていて。リュー、君もだよ」
「僕も……!」
「君を守りながらではイーリス嬢を危険にさらす可能性が出る。それに……君が出てくると優先順位に問題が出てくる」
「くっ……わかった」
マルクスが言っているのは、リューとイーリスどちらにも危険が迫った場合、リューを優先させるけどいいのかい? と問うているのだろう。マルクスはリューの護衛だ。主人の安全を第一に考えるのは当然だろう。
大人しく引き下がり、レイアと共に警備兵に守られている。
私もしゃしゃり出ても何もできないし、足を引っ張るだけだろう。少し下がったところでマルクスの様子を伺う。
森の中では暗くて気が付かなかったが、マルクスは帯剣しているようだった。細いレイピアのような剣を抜き、構えながら慎重に納屋に進んでいく。
どうか、どうか無事でいてイーリス!
そしてマルクスが納屋の扉付近へ近寄った瞬間、勢いよく扉が開け放たれ、イーリスを盾のようにして警備兵の恰好をした男が出てきた。
イーリスの首元には短剣があてがわれ、動くたびに薄皮を裂いているのだろう。うっすらと血がにじんでいた。
「そうやって出てくるとは……なかなかに卑怯ですね~」
「うるさいっ!! お前ら近寄ったらこの女の首が飛ぶぞ!」
「イーリスを離しなさい!!」
男へ向かって叫ぶと、気が付いた男の顔がみるみる悔しそうにゆがむ。
「くそ、エペイロスの女め。逃げやがったのか」
男はじりじりと動き、逃げ場を探しているようだ。
縄で縛られて、首筋に短剣を突き付けられたイーリスは唇をかみしめ、涙をぐっとこらえている。
このまま進まれたら池のほうへ行ってしまう……! 最悪の光景が頭をよぎり、焦燥感が募っていく。
こんな月明かりしかない今池の中に落とされたら、救助もままならないだろう。イーリスの身に着けているドレスは水を吸えば重みを増し、救助の妨げになる。何よりこの時代、泳ぐという事はそうそうしない。助けられる人間がいない可能性だってある。
池に突き落とされる前に助け出したい……!
「何が目的なの?!」
「はっ、俺のこと知っているんだろう? ずいぶんと熱心に調べたらしいじゃないか」
マルクスも言っていた。調べる……一体何のこと……?
「もう忘れちまったのかよ! 取るに足らない出来事だっていうわけか?」
男の苛立ちが募っていくのが分かる。だがその顔に見覚えはない。短く切りそろえられた黒髪に、薄いグリーンの瞳、年のころは私たちとそう変わらなそうだ。
「メーア・ロゼ・ライアン、マリー・マキシロル。この名前を聞いてもまだ分からないと言うのか!」
カチリ。と、頭の中で何かがハマった音が聞こえた。
そうだ。
「キュクロー・サイ・ライアン……!」
「ハハ。やっと思い出したか。そうだ、お前が国外退去処分にしたメーアの兄であり、マリーの婚約者だ!」
「……復讐ってわけね」
「そうだ! 妹たちは絶望しながらこの国を出て行った。エペイロス家にたてついたという理由で親から勘当されてな!」
「逃げ道はきちんと用意したわ。頼るツテだってあったでしょう。それに、処分の中に勘当までは含まれてなかったわ。貴方たちが勝手に行ったことでしょう」
「うるせぇ! お前は許さない。絶対にだ! だから妹たちと同じように絶望を味合わせてやる。目の前で友達が死んだら、お前はどんな気分だ?」
そう言うと、下卑た笑みを浮かべ男はイーリスの体を押し池へと突き落とした。
とっさに駆け出したマルクスが手を伸ばすが、イーリスは縛られていてその手を伸ばせない。
ゆっくりと、まるでスローモーションのようにイーリスの体が池へと落ちていく。
大きな水しぶきを上げて、イーリスは池へと飲み込まれていった。
「ヒャヒャヒャ、その顔、その顔が見たかったぜ。いい気味だ、アヒャヒャヒャ」
壊れた人形のように高笑いをする男を、マルクスが組み伏せる。
それらを見ながら、麻痺した頭が思考をするよりも早く、体を動かす。
耳鳴りと、ひどい頭痛がする。レイアの泣き叫ぶ声がくぐもり、遠くに聞こえた。今にも崩れ落ちそうなレイアをリューが支えている。
慌てた様子の警備兵が右往左往している、数人がマルクスの手助けをし、男の身柄を拘束していた。
私は動く。着ていたドレスを脱ぎ捨て、薄手の肌着姿になる。水を吸ったドレスはきっと重たく、潜るのに邪魔になる。肌を人前に晒すべからず? そんなことは知ったことではない。
私は思い切り息を吸い込むと、イーリスが落ちていった池へと飛び込んだ。
「ディオネ!!!」
ぼこぼこと水の音が耳朶を叩く。水の中は暗く、何も見えない……。わずかに差し込む月の光が水中を照らすが、それでもイーリスの姿はおろか伸ばした自分の指先さえ見えなかった。
『イーリス、どこにいるの?! イーリス!!!』
焦りが私の肺の空気を容赦なく奪っていく。息苦しいが、ここで息継ぎをしに戻ったらもう二度とイーリスに会えない気がした。
『イーリス!!』
果たしてその願いは聞き届けられたのか。潜っていく先にきらりと光る何かを見た。
私は手を伸ばす。柔らかい何かをつかんだ。
『っ!』
イーリスの腕だ。池に落ちた衝撃で縄がほどけたのだろうか。両手をだらりと伸ばし、落ちていく。
ドレスが重くて引き上げられない。思いっきり引っ張ると、力んだせいで一気に空気が抜けていった。
口と鼻から空気の泡がぼこぼこと上がる。
『苦しい……!』
でも、イーリスだけは助けたい。私のせいでまきこまれた大切な友人を……。苦しい……重い……。私だけの力ではイーリスを引き上げるのは不可能に近かった。
ここで終わりなの?
そんなの……いやだ……。
体の中の空気が尽きかけ、イーリスごと下へ下へと落ちていく。
もうダメなのかな。そう覚悟した瞬間、ぐっと上へ引き上げられる。
お腹に回された腕が、力強く私とイーリスを救い上げる。上へ上へ。




