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15.月光

 頭が痛い……。体も思うように動かない。


 冷たい床の上に寝ころんでいることは、気が付いてすぐにわかった。両手両足も荒縄で縛り付けられていて、起き上がることさえかなわない。


 教室に充満した甘い匂いはきっと眠り薬の一種だったのだろう。おかげで目が覚めた今も、頭はぼーっとしていて思考がうまくまとまらなかった。


 そうして転がったまま時間は過ぎ、ようやく頭の中にかかっていたモヤが霧散した気がした。




 ここは……。


 薄暗い小屋のような場所。土埃のようなにおいが充満している。どこかの納屋かなんかかしら。


 周りを見回しても人の気配も姿も見えない。ここにいるのはどうやら私だけのようだ。


 誘拐……――


 ふとそんな単語が思いつく。エペイロス家にあだなそうとする連中はたくさんいるだろうし、金品をせしめるための誘拐の可能性だってある。


 幼いころにそういった危険に巻き込まれそうになったこともあった。


 だが、こんなに大々的に……、派手にやらかしたのは何故だろうか。すぐに騒がれ、動きにくくなるはずなのだが。


 私だけを狙うなら、登下校中のほうがよっぽどやり易いだろうに。


 まぁともかく今は生きていることを喜ぼう。あれだけ派手にやったのだから、異変に気が付きすぐに助けも来るはずだ。


 私がここまで冷静でいられるのは、こんなイベントはゲーム中には一切なかったからだ。ならば、特筆すべきことは何もない大したことのない事件なのだろう。


 だから大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。


「脱出は無理かしら……」


 せめて両手を結んでいる荒縄でも解ければ、と両手をもじもじ動かしてみるが縄で皮膚が擦れて痛いだけで、解けそうにもない。


 足も同様だ。このまま出入り口までいけないかとイモムシのように動いてみるも、床に積もった砂ぼこりが舞うだけだった。


 あまりの自分のどんくささに涙が出そうだ。前世でも運動神経は良くなかったが、この世界でもそれは同じなのかと。


 そう言えば、この世界では従者やメイドが全てやってくれるので、自分で動くという事はめったにしない。


 走ったのだって、いつが最後だったのか思い出せもしなかった。


「ここから無事出られたら護身術でも習おうかしら……」


 アンシャール伯爵の元へ嫁ぐときにも必要そうなスキルだし。やはり自分の身は自分で守らねば。私には白馬の王子様なんて居ないのだから。


 一通り脱出するために必要なことは試してみるも、何一つうまくいかず疲労だけが蓄積されていく。


 部屋の中は暗く窓もないため今何時なのか、予想すらできない。お腹の減り具合で予想……、緊張していて空腹なのかどうかも分からない。


 ああ、詰んだ。これがゲームならリセットボタンを押してセーブポイントからやり直すのに。


 どうしようもない焦りと不安を、ごろごろ転がって気を紛らわせる。ゴロゴロゴロゴロ転がって、体が壁にぶつかり止まった。


 テレビとかだとこう言うところに釘とかが出てて、こすったりするとプチっと切れたりとかするんだけどなぁと、手首に巻き付いている荒縄をこすりつける。


「ん、なんかざりざりした感触が……」


 そのままこすり続けると、縄が削れていくような音がする。


「意外とこの動作、腕にくるわね」


 徐々に手首の圧迫感が緩んできた気がする。このまま続けていけば……!


 砂ぼこりが混じった汗が流れ出て、体にまとわりつく。ああ気持ちが悪い。早く湯あみをして、着替えたい。 


 縄が薄くなってきたのだろか、時折肌をこすり付けてしまいヒリヒリと痛む。乙女の柔肌にこんな傷を付けさせて……犯人には相応に報いを受けさせねばと心に決める。


 そうして、プッという音と共に両手の拘束が解ける。ようやく両手が自由になる。


 後ろ手に縛られるというのは、意外とつらいもので両肩がひどくこった。さぁあとは両足だ。手が自由になったのならばこっちのものだ。


「く……意外と……固いっ……!」


 何とか両足の荒縄も解き、立ち上がった。体中が痛い。だが、いつ犯人が戻ってくるか分からないので悠長にしている暇はない。


「外へ通じる扉は……」


 あたりは暗いが、何とか見える。壁伝いに歩き、ドアノブらしきものに触れた。


「外に人の気配は? よし。誰もいなさそうね」


 耳をそばだて外の気配を伺うも、何の物音もしない。一応用心をして、ゆっくりと扉を開ける。隙間から外の様子を覗き見ると、あたりは真っ暗で夜の匂いがした。


「連れ去られてからだいぶ時間がたったのね、早く帰らないと。ここはどこかしら」


 外に出るが周りには建物は見えず、周りは木に囲まれている。森小屋に連れてこられたのだろうか。それにしては小屋の中には何もない。普通森小屋には、鍬や伐採用の斧かなんかが置いてあるはずなのだが。


 外は暗いが、小屋の中よりも月明かりがある分明るく感じる。これなら何とか歩けそうだ。問題は道が分からないという事と、森の深さが分からないという事だ。下手に動いて遭難なんてしまった日には目も当てられない。


「何か、何か手掛かりはないかしら」


 小屋の周りを探りながら歩く。森の向こうに何か建物でも見えれば道しるべになるのだが、生憎何も見えない。


 ふと、匂いを感じる。


 バラの匂い……?


「バラ……周りにそれらしきものはないし、結構遠くから香って来てるのに、これだけ匂いを感じるってことは……結構群生しているってことよね」


 ならば誰かが世話をしているという事だ。


「バラの匂いをたどれば人がいるところにたどり着けるかも……!」


 匂いを辿って帰るなんてまるで野生児ね、と自嘲するが無事にここから抜け出せるなら藁にでもすがろう。森の中に足を踏み入れるのは怖いが、最近は野犬が出たとも聞かない。


 森を前に立ち止まり、目の前を見据える。ゆっくりと息を吐き、覚悟を決めると森へ足を踏み入れた。




 森に入ると闇が深くなった。生い茂る葉が夜空に輝く月の光を遮っているせいだろう。


 足元が悪いが、暗くて良く見えない。気を付けて進まなければ、地面からむき出しになっている木の根や石などに足を捕られてしまいそうだ。


 時折立ち止まり、バラの匂いを確かめる。


「うん、こっちであってる」


 風に乗ってふわりといい香りが漂ってくる。新緑の匂いや土の匂いもあるが、華やかなバラの香りはそれらをもろともせず、存在をアピールしていた。


 慎重に、けれど足早に森の中をひた進む。小枝や固い葉っぱに引っ掛け、ドレスや体ががひどい有様になっていくのが分かる。


 湯あみをしたらきっと染みるんだろうなとか、今日のドレスはお気に入りだったのになぁとか、どうでもよい事ばかりが頭に思い浮かぶ。怖いのだ。何か考えていないと、どんどん悪い方向に考えが行ってしまって恐怖で体が動かなくなりそうだ。


「はぁ誰かとしゃべりたい。レイアやイーリスやフローラと女子トークしたい」


 ふと、何かを感じて立ち止まる。今何か聞こえたような?


 息を潜めて耳をそばだてる。動物? 人? ……まさか犯人?!


 とたんに心臓が早鐘を打つ。大きな木を背に、じっと息を潜める。


 草木をかき分ける音と、揺らめくオレンジ色の明かりがこちらに近寄ってきた。


 ランタンを持った誰かだ。敵か味方か……。犯人だった場合、ここで声を上げたら捕まってしまう。逃げようにもこの暗闇では走ったところですぐに転び捕まるだろう。


 だが味方だった場合は? 待ち望んだ助けをみすみす見逃すの?


 かき分ける音が近づいてくるのと比例して、私の心音も早さを増していく。


 そっと木の影から音の主を見ると、どこかで見た服を着た男の人だった。


 あの服は……。


 学校でよく見る警備兵の服だ。


 味方だ。助かった……!


「っ」


 安堵し、助けを乞おうと木の影から身を乗り出そうとした瞬間……――背後から気配を感じ振り向こうとしたが、何者かに口を押さえつけられ体を拘束される。


「っっっ!!」


 ここまで来てっ、助けもすぐそこに居るのに……!


 体をよじって抵抗するが、相当な力の持ち主なのだろう、ピクリともしない。声を出そうとするがくぐもった声は警備員の木をかき分ける音に負けて届かない。


 悔しくて涙が滲む。


 くそ、泣いてたまるか! どうにかして逃げ出す機会を伺うのだ。絶対にただじゃ転ばない。


 抵抗をやめ、来るべき時に備える。いざというときに動けるだけの力を残しておかなければ。


 動き出そうとした瞬間足を踏む? 体当たりをする? いろんなパターンを考える。


 そうして静かになった私の耳元に、背後を取っている男が顔を近づけてくる感触がした。




「……いつもそのように静かならば、淑女にも見えなくはないのですけれどね」


 聞き覚えのある声に、聞き馴染みのある嫌味。お、お前ー!

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