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第八十五話 三日目 ちょっと何言ってるかわからないですね


 部屋に荷物を置いて、再び七十二階に戻ってきた。


 あー、行きたくない。むしろこのままでいいんじゃないだろうか。

 そう思い、通路の壁に備えつけられている鏡を一瞥した。


 襟足は括れそうなほどに長く、前髪も顔の上面を覆っている。整えているわけでもなく伸びっぱなしであり、お洒落に見えるはずもなかった。


 気は進まないが、散髪しないと目立ちそうだ。ジャージ姿の時よりはマシだが、たまに俺を見る通行人がいる。自意識過剰だとは思うが、それでも目立つ要因はなくしたい。


 ひとまず美容院が並ぶエリアに辿り着く。

 何店かあるみたいだ。理髪店もあるが、どうも入りにくい。


 なんで美容院って中が見えるようにしてるんだろうか。その方が客入りが良いんだろうが、見せる部分を限定すればいいのに。


 お洒落な雰囲気に圧倒された俺は、その場で怖気づき踵を返そうとしたが、一つの店が目に入った。


 ガラス張りではないため店内は然程見通しが良くない。暇そうに見習い美容師らしき女性が店内を清掃している様子が見えた。


 外観は今風ではなく、悪くはないが普通だ。女性が入りやすいデザインではないだろう。


 店頭でホログラムが投射されており、値段を見るに高くも安くもない程度。メンズのカットもしているようだ。


 いわば特徴があまりない。だからこそ俺の琴線に触れた。


 俺は意を決して入口の無音自動ドアを通り、店内に足を踏み入れた。

 死角だった部分に女性客の姿が一つ。一人だけらしい。


「いらっしゃいませ、本日はカットですか?」


 店員の女性が自然に声をかけてきた。


「そ、そうです」


 どもってしまう俺だったが、女性は気にした様子はなく「こちらへどうぞ」と席へと案内してくれた。言われるままに座ると、女性は「少々お待ちください」と言い離れて行った。


 あれ、思ったより普通に座れてしまったぞ?


 もっと緊張すると予想していたんだが、待機時間がなかったおかげか緊張は少なかった。


 しかし、間が空くと鼓動が徐々に早くなった。そこから十数秒、俺は正面の鏡を見ながらそわそわしていた。


「ありがとうございました!」


 女性客が会計を済まし出て行ってしまった。


 待てよ、俺しか客がいないじゃないか。これはこれで気まずくないか?


 早速、自分の選択が間違っていたと考え始めていた俺だったが、鏡に映された男性の姿を視認した途端に思考は霧散した。


「ぇらっしゃせ。担当の茶瀬っス。今日はどっしゃっしょか?(いらっしゃいませ! 担当のちゃらいと申します。本日はいかが致しましょうか?)」


 何言ってんの、この人!?


 引きこもっていた三年の間に、現代語が変わったのか? 落ち着け。それだったら他の人と会話が出来ないだろう。つまりこの人が特殊なんだ。


 長身痩躯でネットで見たようなモデルを連想させる男性だった。ザ・美容師という風貌で、街中で見かけても「あの人、美容師だよね」と言われてしまいそうな見目だ。


 嫌味など微塵もない爽やかな笑みを俺に向けている。


 言葉遣いは特徴的過ぎるが、なんとか読み取れなくもない。茶瀬さんの言葉を翻訳するように副音声が脳内で響いた。名前にツッコんでは負けな気がする。


「え? あ、え、えと」

「カットッス? ぁべぇスね、のびっぱスわ(カットでしょうか? ヤバいですね。伸び伸びですね)」

「え、ええ。そのさっぱりしたいというか」

「ッスッス。とりま、しゃッスわ(ですね、そうですね。とりあえず、しゃっすわ?)」

「しゃ、しゃっしてください?」


 やべぇ、何言ってるかわかんない。


 とりあえず、同意しておこう。聞き返すのが面倒なわけではない。

 多分、無茶苦茶なことは言っていないはず。無茶苦茶な喋り方だけど。


 満足そうに頷いた茶瀬さんは、鏡に向けて手を振る。すると鏡が一面真っ白に染まり、宙にモデルのバストアップ画像が映った。


 なるほど、こういう風に見えるのか。三年ぶりだし、俺は変化についていけていなかった。


 しゃっす、というのは画像を映しますってことだったんだな。わかんないよ!


 茶瀬さんは何やら操作をしていた。すると画像が次々に変わっていく。


「れっとかどッス? おきゃっさ、にあっとおもッス。感じちょどッス(これとかどうですか? お客さんに似合うと思います。髪質も? 丁度いいです)」


 世紀末的なモヒカンが映った。何故か男性モデルの表情は悲壮感に溢れている。


「それはちょっと……」

「ッスか、れっとすか?(そうですか。これはいかかです?)」


 侍が写った。頭の前面部は剃られて、マゲも綺麗に結われている。何故か男性モデルはこれ以上ないくらいの男前な顔をしていた。ヤダ、かっこいい……。


「イヤです」


 かっこよくても憧れはしない。当然の帰結だ。


「ッス……。次はマジっすすめス。マジぁべぇッス(で、ですよねぇ。次はとてもおすすめです。とてもヤバいです)」


 天を衝くドリルが映った。頭頂部にそびえ立つドリル型の髪は前衛的でドン引きだ。何故か男性モデルの表情は晴れ晴れとしている。自棄になっているらしい。


 補足だが、男性モデルはすべて同一人物である。


「そ、それもちょっと」

「じッスか!? イケてっと思ってスけど、いっつもおきゃっさんヤがるんスね……(マジでしょうか? イケてると思うんですが。いつもお客さんがイヤがるんですよね)」

「そ、そうですか」


 そりゃそうだよ! 俺だってイヤだよ!


 もしかしてからかわれているのか、と思ったが茶瀬さんは真面目な顔をしたまま、悲しそうに目を伏せている。本気だったんだ……。


「ぶなにっれっとか(無難にこれとかいかがですか)?」


 次に映し出されたのは、普通の髪形だった。少しワックスをつけて、後ろに流しているようだが、特に気取った感じでもない。これなら俺でも似合うかもしれない。


「じゃあ、それで」

「あいあい、しゃっした(はい、かしこまりました)」


 僅かに落胆していたが、茶瀬さんはすぐに気を取り直したらしく、相好を崩す。さすがプロである。言葉遣いとか髪型のチョイスとかは壊滅的だが。


 椅子が倒れ、洗髪してもらい、すぐにカットに入った。


 正面は鏡に戻されている。おかげで俺と茶瀬さんの姿が望まぬとも視界に入ってきた。


 これだ。この時間が気まずい。何か話さないといけないのではと思ってしまう。


 どうしよう。寝たふりでもするか? それともCVでネットでも。


 茶瀬さんはさすがに慣れているらしく、ハサミを流麗に動かしていた。

 シャキシャキっと小気味いい音が鼓膜に届いた。


「おきゃっさん、れッスか、スゥってるッスか(お客さんはアレでしょうか。スゥ? ってるんでしょうか?)?」

「ス、スゥ? ってなんでしょう?」

「SWス」


 斬新な読み方だな、おい。


「プ、プレイしてますね」

「ッスッス。私服スもんね。マジリスペクトス(ですね、ですよね。私服ですしね。マジで尊敬します)」

「は、はぁ。リスペクトですか」

「ッス。っぼえるのおっすぎス。自分ムリス。ゲムうまマジすげッス(覚えること多すぎるので? 僕は出来ないですね。ゲーム上手い人? は本当にすごいです)」

「あ、ありがとうございます?」


 他愛無い話は続く。緊張感は薄らいで自然と会話出来ているように思えた。


 今まで行ったことのある美容院では質問だけでこっちが話さないといけないことが多かった。しかし茶瀬さんは自分のことも上手く織り交ぜ、話しやすく、共感しやすくしてくれていた。


 さすがは美容師。話術に長けているということか。


「しゃっす。どっスか(どういたしまして。それで、どうですか?)」

「どう?」

「髪ス。どっスか?」


 言われて気づく。あれ、もう切り終わってる。


 俺が頼んだ髪型通りになっていた。モデルが違うので差はあるが、全く不満はなかった。


「だ、大丈夫です」

「ッス! じゃ、シャンプしゃっす」


 手馴れた様子で洗髪をしていく茶瀬さん。痛みもなく、文字通り痒いところに手が届く感じで洗い終えた。


 髪を乾かすと軽くワックスをつけてくれ、終了した。

 時間にして十五分。そんなに経っていたのか。というか早くないか?


「おしゃしゃっした(お疲れ様でした)!」

「あ、ど、どうも」


 どもってしまう俺だったが、茶瀬さんはイケメンスマイルを浮かべ、レジに案内してくれた。


 そして茶瀬さんはカウンターの中に入り、手元を操作する。正面にホログラムが浮かび、会計内容が表示されていた。


「2500円ス」


 金額は普通に言っちゃうんだ……。


「あ、はい。カードで」

「ッス。ここにかざっしてくださっす(ここにかざしてください)」


 カードを当てて、暗証番号と指紋照合を終える。


 今日で結構使ってしまったな……。節約しないと。


「あっす! あっとスゥブラよろっス。ちょりスなまむかなんスけどっでたしかッス(ありがとうございます。あとSW? よろしく? !!? ※解読不能)」


 何言ってんの、この人!?

 もうわかんないよぉ……。


「わ、わかりました?」


 心とは裏腹な言葉を吐く俺だったが、処世術として必要な技術だからな。


 何度も聞きなおしてキレられた経験がある俺に隙はない。


 でも、あれって話してる方は、聞き取る方に問題があるって考えるみたいだけど、滑舌悪いかもって少しは考えろよとは思う。

 聞き取りやすいように話し方を直してくれる人はいい人だ!


「ありあっした! またしゃっせぇ!(ありがとうございました。またお越しくださいませ)」

「ど、どうも」


 店を出ると、さっぱりした気分が更に強調される。


 たまには悪くないな。会話はほとんど意味がわからなかったけど、居心地が悪い感じはなかった。


 まさか、わざとああいう話し方をして俺をリラックスさせたのでは?


「マコちん、おきゃっさんすっくし、れっときゅっける?」

「店長、何言ってるかお客さんがわからないんで、ちゃんと話してくださいっていつも言ってますよね? たまにウチが翻訳してますよね? 無駄な仕事増やさないでください」

「……ごめんなさい」


 若い女性に睨まれ、茶瀬さんは委縮していた。


 ……俺は見なかったことにして、さっさと部屋に戻ることにした。



 ●ジャージ、シャツ代 二千五百円

 ●服代        五万六千二百三十円

 ●カット代      二千五百円

 ●二日間の支払額   六万千二百三十円

 ●ゼンカ換算支払額  6,123,000ゼンカ

 ●SW内夕食、朝食代 4300ゼンカ


 ●残金        五十七万九千百六十一円(小数点以下切り捨て)

 ●ゼンカ換算残金   57,916,140ゼンカ


   ▼


 夜になり、明日の準備を済ませてあとは寝るだけだった。


 ベッドに横になって電気を消す。

 寝間着はジャージだ。これしかない。


 瞼を閉じ、一分、十分、一時間経過。


「眠れない……」


 だめだ。明日のことを考えると目が冴えてしまう。


 オフでサクヤと会う。その事実がどうしても気を昂らせる。


 二人きりになるのは初めてではないが、ほとんどなかった。グラクエの時くらいで、それ以降は他に誰かいたからだ。リリィだと緊張しないんだけどな。


 前日なのに緊張しているのだ。何かしらのイベントの、入学式の前日に近い感覚だ。


 しかし徹夜だと体力的に厳しいだろう。少なくとも楽しむ余裕はなくなる。


 楽しめるんだろうか。気まずくなるんじゃないか。会話が続くんだろうか。サクヤにつまらないと思われたりして……。


 サクヤはそんな人間ではないとは思うが、どうしても不安が脳裏をよぎる。


 まずいな。眠りたいのに眠れない。


 そもそもこれはデートなんだろうか。いやいや、ただ遊ぶだけだ。オフで会うことを、デートと考えるのは早計だ。


 早合点すれば恥をかくぞ。落ち着け童貞。


「ど、どど、童貞ちゃうわ!」


 自分で自分にツッコんでみたか色々な意味で寒くなるだけだった。


 こんな時は羊を数えるというじゃないか。現実でそんなことをする人間は少ないだろうが、敢えてしてみるというのも悪くない。



 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……。



 羊がぐるぐる回り柵を飛び越える映像が浮かんだ。もこもこして愛らしい。


 あ、和んできた。これはもしかしたら寝られるかも。


 少しずつ、うとうとしてきた時、突然映像が切り替わる。



 モヒカンの男が浮かんだ。



「ぶふっ!」


 くっ、まさか昼間の映像がここにきて尾を引くとは。


 一度浮かんだ映像は中々振り払えず、ふとした瞬間に悲哀じみた顔をしているモヒカンが現れた。だが俺はなんとか噴き出す寸前で踏みとどまる。


 過去の経験が俺の心を強くしていた。


 諦めるなよ俺。こんな嫌がらせに負けるな。



 羊が三十二匹、モヒカン、羊が三十三匹、迫りくるモヒカン、羊が三十四匹、ドヤ顔の侍、モヒカン、侍、こっちみんなモヒカン、悲壮感漂う侍、ドリル、回転ドリル。


 ヴゥイイイィィィィィン!


「ぶぶぶっ!」


 畳み掛けるようなモデルの自己犠牲による波状攻撃に、俺はついに屈した。


 しかし俺は笑い声を必死で耐えた。夜中に笑い転げると隣人に迷惑だからだ。そのせいで腹筋が痛い。喉も痛い。


「は、はひ……ふぅ、ふぅ」


 大きく深呼吸するとなんとか気持ちが落ち着いた。


 するとどうだろう、緊張感が失せているではないか。


 まさか、茶瀬さんは俺が明日、女の子と会うことを推測し、茶瀬語でわざと話して、あのモデルを羅列したのではないか?


 んな、わけない。


 しかし、心拍数は平常時に戻って入る。ぶり返す前に、さっさと寝よう。


 俺は再び、瞼を閉じた。


 モヒカン達が俺を寝かさないように、何度も訪れてきたのは言うまでもない。


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