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第八十四話 三日目 リハツ、服を買う

 現実の買い物やシステム、ファッションに関しての描写が多いです。こちらの話、特に後半は飛ばしてもさほど問題はありませんが、より世界観を知りたい方はご覧ください。


 ログアウトして二日が経過した。今日は2月10日。


 おい、俺。ほとんどだらだらして何もしてないじゃないか!


 大体の時間をベッドの上で過ごしている。たまにネットの波に飛び込んだりする程度で、部屋から出るのは食堂に行く時だけだ。


 これじゃ、いかん。引きこもり時に舞い戻っている。


 せっかくSWで少しは前向きになったのだ。インドアも悪くはないが、もっとアクティブにならなくては。


 上半身を起こし、ベッドから這い出る。


「あー、出たくない」


 行動しなければならないと思いながらも、あれこれ理由を探してはやらない方向に誘導してしまう。例え、状況が差し迫っていたとしても怠惰な思考は何もしないという選択をするのだ。


 そして段々すべてが億劫になってしまう。


 ダメだ、行動しなくてはまた俺は引きこもりになってしまいそうだ。


 髪を切る前提だし、一度軽くシャワーを浴びた。

 汗や汚れを流すと、爽快な心持ちになるが、外に出ることを考えると気が滅入りそうだ。


「行くぞ……よし、行くぞ!」


 傍から見れば変人に見えるだろう。だが、ここは自室。誰も見ていないのだから、ちょっとくらいおかしな言動をしてもいいのだ。


 気合いを入れて、出かけるための服を探す。だがないことを忘れていた。


 ジャージ以外の服はぶかぶかで、背伸びした少年がB系の服を着ているみたいになっている。ちなみに最近は絶滅危惧種である。


 仕方ない。ジャージと意味の分からない英字が書かれているTシャツで行くか。シャツはスポーツ用品店にあったもので着心地はいいんだが。


 ド○キホーテに居そうな服装になっている。俺は胸中でド○キスタイルと名付けると、自嘲気味になりながら部屋を出た。


 廊下は左右に伸びている。俺の住んでいる部屋は八十三階。一層全て居住区画であり、所々に自販機がある。廊下は枝分かれしており中々に複雑な構造をしている。迷宮のようだと思ったが、ゲーム脳っぽいのでやめた。


 十六階から七十階まではクレイドル施設、医療施設が主だ。

 七十一階には食堂やコンビニ。

 七十二階にはショッピングエリア、美容室、エステ、一部レストランなどがある。

 七十三階から七十四階には娯楽施設など、いわばストレス解消用の区画があり、それ以上の階は宿泊施設だ。


 エニグマのビル、一棟内だけで一生住めるような設備が整っている。至れり尽くせりだが、宿泊代以外はお金がかかる。食堂で食べれば食事代はタダだが、それ以外の施設利用には金銭を要求される。ただ、通常よりは安くなっている。ジャージも安かった。


 廊下を進むと人とすれ違う。自分でもわからないんだが、他人とすれ違う時、どうも視線に困る。真っ直ぐ向いても気になって見てしまうし、かといって地面に視線を落とすのも気にし過ぎてるような気がする。


 何きょどってんのこいつ、とか思われそうだしなんとか普通にしようとしても、やっぱり違和感があるのだ。他人にわかるのかな、この気持ち。


 SWだとリリィが必ずいるし、会話は頻繁にしている。だからかあんまり困らないんだが、今は完全に一人だ。


 ここにリリィがいてくれたら、と思うのは俺が彼女に依存している証拠なのだろう。


 いかんいかん、こんな風に考えていたらまた「いい加減、うじうじすんな!」とか怒られてしまう。


 考え事をしていたらいつの間にかレールエレベーター前に辿り着いていた。そこから階下、七十二階へと向かった。


 まずは服、だな。さすがにジャージで美容院は厳しい。そんな勇気は俺にはない。


 待てよ、ジャージで服屋に入るのもどうなんだ? いやしかし、着る服がないのだからいずれは来ないといけないじゃないか。


 チンッと音声が聞こえると、ドアが無音で開いた。


 広がる情景に眩暈が起こる。


 人通りは多く、私服姿のプレイヤーやスーツ姿の社員がそこかしこに見受けられた。ビル内は関係者以外立ち入り禁止だ。そのため外部の人間はいない、だと言うのに人の小さな波が出来ている。


 帰りたい。しかし、ここまで来て帰る方が面倒だ。


 意を決してエレベーターから踏み出す。


 ちらちらと俺へと向けられる視線を受けて、背中に汗を掻いた。

 やはりジャージは目立つらしい。さっさと服を買ってしまおう。


 俺は早足で通路を進む。人ごみと言えるほど混雑してはいないので、スムーズに歩くことは出来た。


 頭上にホログラムの案内板が出ている。確認しながらファッション系のエリアに向かったが、到着すると俺は息を飲んだ。


 なんなの、この煌びやかというか、妙に入りにくい雰囲気は。


 と、とにかくメンズショップを探して、適当に入ってしまおう。


 出来るだけきょろきょろしないように視線を床に固定させて移動を始めた。


 女性が多い。一部の女性客がひそひそと話しながら俺を見て笑っている。


 くっ! しまった、ここはレディースエリアだったか!


 ジャージでうろうろしていれば不審がられても不思議はない。


 なんとかレディースエリアを抜けると、今度はネオサイケデリック系のエリアだった。俺は密かに宇宙人系と呼んでいる。妙に機械的なデザインで、目がチカチカする。


 メンズエリアではあるらしい、目的地はすぐそこだと自分を励ましながら進むと、ようやくカジュアル系のショップが並び始めた。


 目的地はキレカジ。キレイ目カジュアルのことだ。一昔前に流行ったが、再燃したらしい。最早定番化しつつある系統であり、最も無難だと思う。


 店舗の前、様々な服の映像が投影されている。店内にはささやかなディスプレイがあるだけで、その周囲はガラスで覆われていた。


 店内には幾つも試着室があり、一人の店員がカウンターに座っているだけだ。


 俺は問題なさそうな店に入ると、ちらっと店員を一瞥した。


「らっしゃっせぇ」


 俺の方を見ずに気怠そうに挨拶する店員を見て、小さく頷いた。


 合格だ。なんせ客に興味がないからな!


 無駄に接客する店は未だにある。だが昨今では廃れつつあった。


 俺は空いている試着室に入ると、そっとドアを閉じた。


「つ、疲れた」


 かなり体力を消費してしまった。だが、ここまで来ればあとは簡単なはずだ。


 試着室は一辺2メートルの正方形型で、決して広くはない。正面は一面鏡張りで、左側には小さな画面と札の投入口がある。天井と左右の壁にはCVが埋め込まれている。これはシステム操作用のCVではあるが、少し特殊だ。


 部屋の角っこにはカゴが置いてある。購入を決めた商品を入れるためだ。


 俺は壁面で緑色に点滅している箇所に手をかざす。


『いらっしゃいませ、ニュービーへお越し頂きありがとうございます』


 機械的な音声が流れると、空中にメニュー画面が投影される。そこにはこの店で取り扱っている商品がずらっと並んでいる。ネット通販サイトのページに近い。


 アウター、インナー、ボトムズなどの項目にわかれている。


 俺はジャージとシャツを脱いで下着一枚になった。ちなみに下着はコンビニで購入したものだ。


 適当にシャツを選択すると俺の身体にシャツの画像が投影される。実際には着ていないので、ただのAR技術だ。着心地がわからないのは難点だが、サイズ感や似合うかどうかはわかる。しかも時間がかからないためファッション系の店では重宝されている。在庫確認もすぐ出来るしな。


 俺は何着か無難な厚手と薄手のロングTシャツ、春先用に半袖Tシャツと、ついでに靴下も購入カゴに入れておいた。


 ボトムズはジーパンと綿パンでいいか。色は無難な黒とベージュ、濃いめの青でいいだろう。


 アウターはどうするか。春にはまだ一カ月程度間がある。気温は低いし、コートも必要だろうな。


 俺にファッションセンスはない。困った時は『おすすめ』だ。


 この服にはこれ、という具合にシステム側で店全体の購入点数、現在の流行具合、身長、体型などから選んでくれる。便利な世の中だ。


 暗い青色のハーフトレンチコートとカシミアのマフラーに、本革のミドルブーツが表示され『このコーディネートはいかがですか?』と出たので投影してみた。


 悪くはないかもしれない。


 一応実際に試着してみるために『商品を投影する』ではなく『商品を試着する』を選択すると壁から機械音が聞こえた。数秒後、実際に服が平板の上に乗っている状態で、壁から現れる。


 私物のシャツだけは着ておいて、アウターとボトムズ、マフラーを着けてみた。


 着心地はいい。かなり温かいし、これなら多少気温が低くても問題なさそうだ。


 購入を決定したので、そのままカゴへ入れておく。


 ちなみにドアはロックされているので購入しない場合は、試着した商品を元に戻して問題ないと判断されないと外に出られない。万引き、器物破損などの対策のためだ。


 このシステムのおかげで商品の窃盗は激減したらしい。今度は商品を適当に扱い破損させた癖に、サービスが悪いとか不平不満を上げる輩が増えているとか聞いたけど。そういう人間はどんな環境でも文句を言うものだ。


 逆にセレクトショップのような個人経営の服屋で詐欺めいた事件もあったらしいが、リスクが高すぎたのか、下火となった。


 アパレル系での接客は昔ほど過剰にはならなくなったとのことだ。ここの店のように非常時や質問、システムエラー対応のために待機しておくという体制の店が多くなっている。


 俺としてはかなり助かるが、こういうシステム的なコミュニュケーションがそこかしこに溢れ、人との関わり合いが減少していると危惧する声もなくはない。


 試着した商品を購入カゴに入れて、もう一度おすすめを選択する。厚手のジャケットとデッキシューズが表示されたので、試着して購入を決めた。


 財布もついでに買っておこう。黒の長財布を選択し購入を決めた。それなりに安かったからだ。


 全部の商品をカゴに入れる。


 こんなもんかな、あとは組み合わせでどうにか出来るだろう。


 購入画面に移動すると金額が表示された。


「……ご、五万六千二百三十円」


 たっか! いや、安いのか、これは。通常価格より安くなってこれなんだよな……。


 点数は全部で十六点。一番高いのはブーツらしい。税込で一万千円だ。


 迷ったが、他の店に行く気力はなく、俺は会計することにした。


 会計方法はクレジットカード、CVモバイル、現金の三つだ。この店では金券などは使えないようだ。


 一応カードも持って来ている。支払いはこっちに統一しているので、カードをジャージのポケットから取り出して壁際のレンズにかざした。


 暗証番号、指紋照合を経て会計は終了する。基本的に番号と指紋だけで済むようにはなっているが、クレジットカードの支払いには網膜照合などの選択も出来る。そこまでする人は少ないが、多額の支払い時には必要になるようにしている消費者が多いらしい。


 プラスチック袋が最後に差し出されると、そこにジャージと購入商品を全て入れた。財布だけは取りだしてクレジットカードを入れてポケットに押し込んだ。


 問題なかったらしく、ドアの施錠が解除される。


 格好は変じゃないよな……?


 ジーパンに厚手のシャツ、厚手の黒ジャケットにデッキシューズという姿だが、鏡を見る限りでは問題なさそうに思える。


 考えても仕方ないか、もう後戻りは出来ないし……。


 プラスチック袋を手に、俺は試着室を出る。


「ありっしったぁ」


 店員の面倒そうな声が聞こえたが、俺はさっさと店外へと出た。


 通路に出ると、人が行き交う姿が目に入る。今度は俺を見る人は少ない。身なりに問題はないのだろうか。


 ふと思った。ここまでの僅かな間に抱いた感覚は、仮想現実よりも現実の方が人との距離感が遠いというものだった。


 この希薄さが当たり前だったはずなのに、なぜだろうか、ふと寂寞感を抱いた。


 まるで仮想現実の方が現実感が強いように思え、より恋しく思えてしまう。


 そして、邪念を振り払うように、俺はその場から離れた。


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