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第八十二話 一、二日目 半年間の成長と変化

 結局だらだら過ごしていたら、いつの間にか10時30分になっていた。メンテ30分前だが早めにログアウトしろと書いてあったので、そろそろ現実に戻った方がよさそうだ。


 サクヤには三日後の2月11日なら空いているとメールをしておいた。本当はいつでもいいんだけど、色々準備があるかと思ったからだ。


 別に気合いが入っているわけではない。本当だ。


 ほぼ自室化した宿の部屋で、俺はUIからログアウト画面を開き、ログアウト了承ボタンを押す。


 すると見慣れたシステムメッセージが表示された。


 『ログアウトまで40秒かかります。操作をすれば中断されます』


 これでしばらくすればログアウト出来る。

 現実に戻った時の反動にはまだ慣れていないため少し憂鬱だ。いきなり液体の中で覚醒してしまうとどうしても動揺してしまうのだ。


 俺は小さく嘆息し、軽い調子でリリィに話しかけた。


「それじゃ、行ってくる」

「うん、また一週間後に」


 リリィに手を振ると、視界が暗くなり、意識が遠のく。


   ▼


 瞼を開けると薄緑色に視界が染まっていた。


 肌中にまとわりつく感触に、一瞬だけぎょっとしてしまうが、すぐにエレメントジェルの中だと思い出した。


 水泡がほとんど浮かばないため水中という意識は薄い。暗がりだが僅かに見えるクレイドルの蓋が、まるで棺桶の中にいるような錯覚を抱かせた。


 ゆっくりと頭上に光が射す。かなり眩しいが半目でなんとか耐えた。


 隙間から現れた人物を見て、俺は現実に帰ってきたのだと実感する。三森先生だ。


 腕を引かれ、身体を起こされる。


 ゆっくりとクレイドルから出ると、顔を顰める。寝たきりの状態から、ある日突然起きたような身体の硬さを感じた。


 しかし慣れたもので、背筋を伸ばしたり軽い柔軟をすると解れていく。


 周囲には俺と同じようにログアウトしたらしいプレイヤーがぞろぞろと起き上がり、医師や看護師が付き添われていた。数百人近くいるプレイヤー全員に一人以上、担当がいるようだ。さすがに医師らしき人は少ないが。


 今回のメンテのために人を集めたんだろうか。


 こういう時、知り合いがいないか、なんとなく見回してしまうのはなんでなんだろうな。いたらいたで困るんだけど。


 身体を解しながら俺は三森先生に視線を移した。


「お久しぶりです」

「ああ、久しぶり。戸塚君」


 三森先生が俺の様子を見て、小さく笑みを浮かべた。


   ▼


 数時間後、検診を終えた俺は診察室で三森先生と向かい合っていた。


 互いに丸椅子に座っている。相変わらず薬品の臭いと妙に清潔感がある雰囲気が漂う部屋だ。


 部屋の中心に、俺の姿がホログラムで投影されいる。

 現在とSWプレイ前の姿だ。こうして見ると本当に痩せたな。


 しかし、自分の姿を目の当たりにすると恥ずかしいやら気まずいやらで、視線に困る。


 映像の太っている方の俺はこの世の終わりとばかりに、情けない顔をしている。多分、強制的に連れてこられた日に記録したものだろう。記憶にはないが。


 覇気のない瞳をこちらに向けている。鏡をあまり見る習慣がないから気づかなかったが、目つきがちょっと悪いな。


 痩せている方の俺は表情が全く違い、活力に溢れているように見えた。脂肪もほとんどなく、肉体は引き締まっている。ただ少しばかり痩せているような気もする。


「問題はないね。むしろ日に日に健康になっているくらいだ。精神状態も安定している。体型も標準になっているしね。筋肉量がやや少ないが」

「運動してないですからね」

「ああ。クレイドルで得られる筋肉量は然程多くない。日常生活に加え、少し運動した程度の負荷しかかけられないからね。現実でも何か運動をするのもいいかもしれない」

「……考えておきます」

「検査の結果は問題ないが、なにか気になる事はあるかい?」


 三森先生は小さく首を傾げる。


 大人の女性という感じがして最初はどぎまぎしていたが、今は気にならない。たまに色香を感じることはあるが、そこまで緊張しないのだ。


 なんだろうな、相手にされていないとわかるからかもしれない。


 相手にして欲しいわけじゃないぞ?


「戸塚君?」

「あ、すみません。そ、そうですね……ゲーム内でたまに妙に頭が冴える時があるんですが」

「冴える? というのは、頭の回転が速くなるということかい?」

「うーん、そうなんでしょうか。集中した時とかに視界が広くなったり、狭くなったり。たまにですが、ゆっくりに見えたりするんです。妙に頭の回転が速くなる時もあるような」

「ふむ……」


 三森先生は顎に指を添えて思考に耽った。


 化粧っ気がないせいかズボラに見えるが、きちんと身なりを整えたら魅力的になるような気がする。口に出したら怒られそうなので言わないが。


「知っての通りクレイドルは肉体におけるあらゆる電気信号と神経伝達物質をスキャニングし、脳に五感情報を送り、仮想現実へと繋げている。つまり脳神経と脊髄神経の電気信号は肉体を正常に機能させる部分を残して遮断され、置換している。そうでなければクレイドル内で身体が勝手に動いて大変なことになるからね。そのため擬似的に仮想現実へと意識が移行しているというわけだが、その際になんらかの障害が起こり得る可能性はあるのでは、という説もある」

「そのために事前に検査したり、定期健診があったりするんですよね?」

「そうだ。君の検査結果は全く問題ない。ただ精密検査ではないからね、もしかしたら何か異常が起こっているのかもしれない。MRIでは問題はなかったんだが」

「こ、怖いこと言わないでくださいよ」

「特定条件下において異常が認められる場合もあるからね、大丈夫だとは思うが。少し違った検査をしよう。明日は予定があるかい?」

「いえ、全くないです」

「そうか。では明日、11時にここに来てくれ。準備をしておく。ああ、安心しなさい。痛みを伴うようなものではないから」

「わ、わかりました」


 気づかない内に不安な顔をしていたらしく、三森先生は安心感を与えてくれるような優しい笑顔を浮かべた。


 正直ぞっとする。脳に何か異常があるなんて、想像するだけで怖気が走った。


 しかし、俺にはより恐ろしいことがある。


 言わない方がよかっただろうか。もしかしたらもうログインするなと言われてしまうかもしれない。


「今日はゆっくり休むといい。胃腸の検査で昼食も摂れなかっただろうし、食事でもして養生しなさい」

「そう、ですね。わかりました。それじゃ、失礼します」

「うん、また明日」


 俺は三森先生に一礼して診察室を出た。

 廊下に出ると、動悸が激しくなる。


 病気だったとしたらとどうしても考えてしまう。しかも仮想現実が原因となれば、俺はもうSWに行くことは出来ない。


 俺の中にある恐怖は脳に異常がある可能性よりも、もう仮想現実に行けなくなるかもしれないというものの方が大きかった。


「は……病気だな」


 俺は自嘲気味に呟くと、ふらふらとした足取りで自室へと向かった。


   ▼


 翌日の午前中。


 俺は三森先生に連れられて十八階の『トレーニングルーム』に来ていた。ここも俺達プレイヤーのために用意されている施設の一つで、運動能力の測定機器がある。


 継続的に低音が周囲に響いている中、三森先生は涼しい顔でカルテに目を通していた。


「せ、先生、し、死にそうです!」


 俺は呼吸を乱しながら、何とか声を振り絞る。


 頭には脳波を検知する装置、身体には心電図モニタから伸びたコードが取り付けられている。アタッチメント部分が少し気になる。


 服装はジャージに着替えている。受付近くのスポーツ用品店で売っていたものを適当に購入したものだ。


 足元のベルトが回る、その上を俺が走る。景色は変わらず、単調な運動はひたすら続いている。


 絶賛ランニング中であり、体中が悲鳴を上げていた。もう止めたい。


「死ぬと言える内は死なないよ」

「れ、冷静に言われ、ても、はぁはぁっ! そ、そもそも、ぐっ、ふぅ、はっ、運動久しぶりで、ふっ、ふっ!」

「いやいや、中々の好記録だ。年齢の平均に迫る勢いだぞ。運動をしていなくてこれなのだから、元々運動神経は良い方みたいだな」

「ほ、褒められても、嬉しく、ない! はぁ、はぁっ!」


 なんでこんなことしてるんだ、俺は。

 本当にSW内での俺の状況を確かめるのに関係があるのか?


 半信半疑ながらも医者という人物に逆らえないのは一般市民の辛いところだ。なんせこっちは無知なのだから。


 肺が痛む。身体中が熱を持っている。汗が次から次へとあふれ出て、床に滴った。


 肩から肘にかけての筋肉が張っている。それ以上に下半身の疲労が著しく、麻痺している感覚を抱いていた。


 それでも足は止めない。苦しいのになぜか爽快さもあったからだ。

 久しく身体を動かしていなかったせいか、新鮮で少し楽しいという感情が生まれている。 しかし肉体の疲労に伴い、脳も疲労していく。というか休みたい。


「も、もう限界、です!」

「限界というのは自分で決めるものではないよ」


 なにこの人、すっごい冷徹なんですけど!?


 かれこれ一時間近く走ってる。運動不足の人間が走る距離じゃない。

 だが身体はまだ動く。限界近いと思うのに、まだいけると肉体は言っている気がした。


 それから十分程走り、ようやくランニングマシーンから降りると、床に座り込み呼吸を整えた。


「はぁ、はぁ、し、しんどい……」

「ふむ、心拍数は運動時の基準値内だが、異常は見られないね。それなりに負荷をかけた上で、βエンドルフィンもアドレナリンも然程出ていない。神経伝達物質が過剰分泌しているということもなさそうだ」

「も、もう意味がないんじゃ」


 三森先生は部屋の隅にあるベンチに座り思案顔でカルテを見ていた。


「君の話を聞くに、切迫した状況で潜在能力が覚醒しているのかと思ったが……。フリッカー値は少し高いな。だが正常値ではある、か。DVA、KVA動体視力検査を見るにかなり眼は良さそうだ。しかしそれだけだな。ふむ、となると、身体的というよりは心理的作用が強いのかもしれないね」

「……はぁ、ふぅ、と、と言うと?」


 少しずつ呼吸が落ち着いてきた。引きこもりを三年間していた人間の体力としては、かなり上々じゃないだろうか。これはクレイドルの影響なのか。


「実際に見なければ断定は出来ないが……恐らくゾーンだろうね」

「き、聞いたことがあるようなないような」

「フロー体験とも同義とされる、いわば感覚が研ぎ澄まされた状態だね。例えば、野球選手で言えば『球が止まって見える』ような体験をしたことがあるとか、バスケット選手が『妙にコートが広く、次に何をすればいいのか考えずに身体が勝手に動く』みたいなものだね。聞いたことがあるだろう?」

「それが、俺に起こっていたと?」

「視野が広くなる、或いは周りが見えなくなる、音が聞こえなくなる、妙に頭が冴える、というのはゾーンの特徴だ。君が言っていた症状と似ているからね。ただ本来は長い期間のトレーニングを経て到達する境地なんだが……」


 不穏な空気を感じた。


 まさか、本当に何かしらの問題があるんじゃ……?


「お、おかしいんですか?」

「経験値がない状態で結果を生み出しているようなものだからね。短い期間で、その経験値が君の中では得られていたのかもしれないが。いや、しかしこれは」


 俺を放って、三森先生は思考を巡らせている様子だった。


 不安が少しずつ大きくなっていく。


「ああ、すまない。大丈夫。問題はないよ」

「そ、そうですか。脳に何か障害があるとかは」

「ないね。少し気になる点はあるが悪影響ではない。安心していい」

「そうですか、よかった……」


 問題がないこと自体も嬉しかったが、SWをプレイし続けられるということの方が喜びは大きい。


「すまなかったね。検査はこれで終わりだ。残りの数日間は自由に過ごしていい」

「わかりました。では、俺はこれで」


 ぺこりと頭を下げて俺はトレーニングルームの入口に向かう。


 自動ドアを通る時、なんとはなしに振り返ると、三森先生は先ほどとは打って変わって難しい顔をしていた。


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