第八十話 前日 それぞれの思惑
私は引きこもりだ。
すでに二年が経過し、このまま年数を延ばそうと思っているくらいにはダメな人間だ。
部屋のカーテンは閉めており、日差しは室内に侵入していない。クリスタルビジョン、CVから溢れる電子的な光が私の横顔を照らしている。
私の部屋にはCVが三つある。一つはネット用。一つは屋内システム操作用。一つはネットゲーム用だ。兼用にするとどうしても多少動作が遅くなるため思い切って揃えたというわけだ。
そんな私がいつも何をしているかというのは誰にでもわかることだろう。
しかし、今日も今日とてネトゲに勤しもうと思っていたのに、私は目の前の情景に怯えるしかなかった。
男性の後頭部が見える。大柄の男性が床に額をこすり付けている姿は、異様としか言いようがない。
土下座だ。二十代後半か三十代前半のいい大人が、一回り近く年下の小娘に土下座しているのだ。
私は早くも自分の過去の行動を後悔した。
――数十分前。
私は起床し即座にCVの電源を入れた。習慣だ。
それから数分、CVが立ち上がりネトゲのアイコンをクリックし起動させて、さあ今日もがっつり遊ぶぞと思っていた矢先に、玄関先の状況が映し出された。どうやらお客みたいだ。
ホログラムの映像は部屋の中心に浮き上がったけれど、私は無視を決め込んだ。どうせ何かの勧誘かセールスだろう。両親は数年前に他界しているし、その財産は全て懐に入っている。少し悲しかったけれど、とりあえずお金も入ったし引きこもり生活をするか、となんとはなしに今後を決めた。
周りからは両親が死去したことで精神的に傷ついた、と同情されるだろうということも計算尽くだ。つまり私はそういう軽薄な人間だということ。
それはそれとして、スーツ姿の男性は帰る様子はなかった。
私は不正ギリギリのBOTツールを利用し、レベル上げをしながらも玄関の様子を気にした。
無精髭に強面。どう見ても堅気ではない。
無視だな。なんかあったら警察を呼ぼう。
「あっ、こいつ、横殴りかよ!」
何職かカンストしていた私は、別アカウントで新たな職を一から育てているところだったけれど、初心者らしきプレイヤーが私の獲物を横取りしようとしていた。
マナー守れよ! 甘く見てるの? 私、見下されてるの?
こいつは複アカかもしれない。そうに違いない。
むかついたので、スクリーンショットを撮って、名前を記憶し、晒しスレに書きこんで、別アカを作成してメール送信ツールで『おまえを見ているぞ』という内容のメールを数百通送っておいた。徐々に内容がカタカナになったり意味不明になるおまけつきだ。
よし、満足した。
「……まだいるし」
不意にホログラムに視線を移してしまった。消せばいいものを何故か私は映像を遮断しなかった。
おもむろに、強面のおじさんは厳めしい顔つきのまま懐に手を入れる。
ハジキか!? と非現実的な考えを巡らせたが、現れたものに私は視線を奪われた。
黒い手帳だ。それをこちらに見せるようにして掲げている。
一瞬迷ったが、私は男性を家に招き入れることにした。
あれは本物だ。見るのは二度目だから間違いない。
――と、ここまではよかったんだけど、部屋に入るなり男性は土下座した。
そしてこう言ったのだ。
「俺は神山清一。君の遠縁の親戚だ。突然すまない。ぶしつけな頼みだってのはわかってる。だがレンカちゃん、お願いだ!」
戸惑っている私に構うことなく、男性は続けた。
「――セカンダリィ・ワールドをプレイしてくれ!」
説明と状況把握と打算と好奇心を経て、私が頷くまで一時間を要した。
▼▽▼▽
聡子さんと別れてから十日が過ぎた。
俺は桟橋に胡坐を掻きながら、水面に揺らめくウキをぼんやりと見つめる。波音が心地よく、眠気を誘ってくる。半目になりながらも俺は釣竿を握り、機会に備えた。
ふと視線を下ろした。
「むぅ……にゃ、んんっ」
組んだ足の上にいるのはリリィだ。寝返りを打って、幸せそうな顔をしている。
最近リリィのメンテが少なくなってきている。導入当初から見て、問題ないと判断されたのだろうか。そこら辺はリリィもわかっていないらしい。
完全にだらけ切った俺達がいるのは、港町エム。ロッテンベルグ東、内海沿いに存在する町であり、規模は約3000人。それなりの規模を誇っている。
町並みは木造が少なく、主に煉瓦や石を積み重ねて建てる、組積造という建築様式を用いているらしい。そのため家屋は角ばった印象が強い。
木造に比べると強度に不安がありそうだが、実際はある程度は強固らしい。海沿いだから塩害もあるらしく、木材より石材が活用されているようだ。ゲームなのにこういうところは妙に細かい。
さて、俺がなぜこんなところにいるかと言うと、大した理由はない。
一週間前に、聡子さんから紹介された農家さんに球根を渡し、明日が収穫日だからと聞き、立ち会うために滞在しているわけだ。農家さんは港町エムから近い。なので、どうせならエムに行こうとなった。
早く着き過ぎて、暇を持て余し釣りをしている。これが意外に楽しい。
実際の釣り同様に、釣り道具、淡水魚用の餌、海水魚用の餌、特殊魚用の餌があり、疑似餌も存在する。かなりの種類がいるらしく、未だに全ての魚を釣ったプレイヤーはおらず、釣りに精通したプレイヤーも多くはない。
手に伝わる感触に俺の眠気が薄らいだ。
来た!
俺はリリィを起こさないように上半身の力のみで竿を手前に引く。アタリは悪くない。
グルグルとリールを巻き、糸を手繰る。竿がしなり、獲物が暴れているのが伝わる。
水音と共に現れた白い魚を見て、俺は嘆息した。
竿を立て、糸を掴むとメッセージが出る。
『リハツはクラウドサーディンを釣り上げた』『クラウドサーディン【19.3センチ】を手に入れた』『リハツの釣りスキルが0.2上がった』
同時に魚の姿は消失する。
ちなみにクラウドサーディンはこれで10匹目である。家庭料理に使え、汎用性は高いが、捕獲難易度が低いため単価はかなり安い。1匹50ゼンカくらいだ。
儲けるためにしているわけではないから別に構わないんだが、もう少し大物は釣れないものか。良質の餌と竿に変えた方がいいのだろうか。ただ、良い装備をすれば釣れるというわけでもない。重要なのは適材適所であるからだ。
「むにゅぅ……りはつぅ……」
「ん? 寝言か」
「ばかぁ……んふふ」
「バカの後に笑うってどんな状況だよ」
寝言と会話してはいけないという話は聞くが、独り言ならいいだろう。
どうもSWを始めてから忙しい日々が続いてしまったためか、こういう何もない時間が新鮮だ。たまにはだらだら過ごすのもいい。
……なんか、既視感があるけど、気のせいだな、うん。
しかし、遅い。そろそろ来ると思うんだが。
俺は再びウキをぼーっと見つめて次の引きに備えた。
「よっ、待たせたか?」
振り向くと爽やかな笑みを浮かべたシュナイゼルが立っていた。
「いや、釣りしてたから待ってないぞ」
「そうか。俺も釣るか」
シュナイゼルは俺の隣に座り、竿を取り出すと海に糸を垂らした。
季節はまだ冬だ。実際ならかなり気温は低いだろうが、体感温度は適温に保たれているためストレスはない。息は白いけど。
「しかし、おまえら本当に仲良いな」
シュナイゼルはリリィを一瞥した。
リリィは隣にシュナイゼルがいることに気づきもせず、だらしない表情を浮かべている。
「そうか?」
「ああ。ま、仲がいいのはいいことだ。おまえはプレイヤーとの交流もあるみたいだしな」
それはつまり、プレイヤーとの交流がなければちょっとまずい、ということでもある。
想像してみると色々問題はありそうだ。プレイヤーと関わらず、使い魔とだけ接する。
……深みにはまると大変なことに気づきそうなので止めておくことにしよう。
「で、突然どうしたんだよ。わざわざエムまで来るなんて。アップデートの対応で忙しいんじゃないのか?」
リアリスティックシステムは全プレイヤーの間で問題視されつつも、現在は収束しつつある。レベッカの言う通り、戦闘職を続けているプレイヤーからの反感は多くなく、初心者は戸惑っていたが、受け入れるか職人になるかサーバーを移動したようだ。
ただタンク職から転向するプレイヤーが増えているらしい。ダメージを負うと痛覚を刺激されるのは当然のことで、やはり忌避する人間も少なくはないようだ。
俺はまだ、この状況を不審に思っている。この程度と考えることは出来そうになかった。
先日のアップデートで騎士団ギルドのギルマスであるシュナイゼルは対応を迫られた。リアリスティックシステムにより騎士団ギルドの人員が多少減ったこと、そして新コンテンツの戦争導入に際しての防衛手段の模索が急務となったからだ。
「商人ギルドと企業ギルドに予算を出してもらって防壁を作成してる。一応、都市戦と同様に、戦争中は販売アイテムを半額にしてくれるそうだ」
都市戦中、知らなかったが販売アイテムを半額にしてくれていたらしい。小鞠はそんなこと言ってなかったが。流暢に説明する小鞠の姿も思い浮かばないけど。
「あとは注意喚起と周囲に見張りつけて、哨戒も強化した。問題は同盟だな」
戦争が起こり得るということは、必然的に領域、リージョンが設定されるということだ。都市戦のように突発的に所属都市が決まるような形であれば、勢力を明確に定められずコンテンツ自体に齟齬が生じる。
だからか、初期の所属リージョンは現在ホームポイントを設定している場所にて決まる仕組みになっている。そして戦争を宣言した場合、陣営が傍目からわかるように、プレイヤーの頭上にそれぞれのリージョン毎に指定したマークが表示されるようになっている。
詳細はまだ確認していないが、どうやら潜入工作は出来ない仕様のようだ。
そしてリージョンは大都市を中心とした七つにわかれている。
囲郭都市ロッテンベルグ、商業都市トエト・アトリス、農業都市リアナ、樹海都市ニベルゲン、地下都市ドールギン、牟礼集落アギト、中央都市ゼイナスの七つである。ゼイナスとトエト・アトリス以外はそれぞれの種族の初期都市だ。
周辺の村、町は同リージョンに設定されている。つまり港町エムはロッテンベルグ領ということになる。ただ税収は定められていない。
だが、戦争に負けると植民地となり、敗北領は一定の税を課せられ、勝利領のプレイヤーに一定割合のゼンカが分配される。
リージョン変更にはゼンカが必要になる。敗北領に所属するプレイヤーが、勝利領に所属しようとするとかなりの額が要求されるとのことだ。また、戦争中は移籍は出来ない。
シュナイゼルは孤立すればいざ戦争を宣言された時、劣勢になりかねないと危惧し、周辺リージョンと同盟を結ぼうと考えている。
個人的にはトエト・アトリスとの同盟は避けて欲しいとは思っている。一個人の感情で意見するのは憚られたので言ってはいないけど。
ちなみに領域統治の方法は君主制と民主制がある。
ロッテンベルグは民主制を選択している。これは戦争が導入された時に、領域指定と伴って設定された。アップデート項目にはないが、戦争項目には記載されている。
君主制は名の通り専制君主制だ。現状、商業都市トエト・アトリス、牟礼集落アギト、中央都市ゼイナスが君主制を選択している。
民主制は投票で都市代表者を決定する、いわば比例代表制度。但し、決めるのは代表者のみである。
都市代表者の権限は君主制に比べかなり少なく、主な業務は都市間会議の参加、市民に大きく関わる面以外の決定などだ。あくまで決定権は市民にあるというわけだ。当然、辞任要求も投票で出来る。単一的な民主主義制度だな。
ロッテンベルグ代表はシュナイゼルに決定している。都市戦を見るに、彼が過去に信頼と実績を積み重ねていることは明らかだったから、反対は少なかった。
また、民主制は戦争コンテンツに関する決定事項に関しても投票を行う方式で、時間がかかるが、総意を得られるので所属プレイヤーの反発はあまりないだろう、とシュナイゼルは言っていたが、どうだろうな……。
「周辺リージョンってことは、トエト・アトリスかリアナと同盟を組むのか?」
「そうなるな。出来れば中央と組めればいいんだが」
「中央と同盟を組みたいって思うのは当然だな……」
「ああ、中央都市ゼイナスはアエリアルで最も規模がでかい都市だ。上級以上のプレイヤー数も抜きん出ているからな。正直、もっと分散させて欲しかったんだが」
「……そんな気を利かせる運営じゃないからな」
「同意だ。まったく面倒くせぇことになったな。多分、中央を中心とした陣営になるだろう。戦争を起こしたいって奴は少なくないだろうから、全域同盟なんてことは起こり得ないだろうけどな。ま、システム的に同盟は三都市までだから、それはないが」
「で? シュナイゼルがここにいる理由は?」
「逃げてきた」
涼しい顔をしているシュナイゼルだったが、額から一筋の汗が滴った。
「ミッシェルさん可哀想に」
ミッシェルさんは騎士団ギルドのサブマスターであり、シュナイゼルの補佐をしている女性だ。都市戦のギルド間会議で最初に会った人だな。俺は秘書だと思っていたけど。あながち間違いではなかったわけだ。
初対面では慇懃で冷たい印象があったが話してみると人間らしく、大変な日々を過ごしていると少し愚痴っていた。主にシュナイゼルのせいなんだが。
「う、うるせえな、俺だって息抜きしたいんだ。少しくらいサボってもいいだろう!」
「心労察するよ、ミッシェルさんの」
「そ、それはそうと明日からどうするんだ? 予定はあるのか?」
「いや、今のところないというか、何もしたくないというか」
「一週間もあるんだ。どこか出掛けたらどうだ?」
「そ、そうだな……」
外出か。考えると憂鬱になりそうだ。
俺はメールボックスの中から一通のメールを開き、もう一度確認した。
FROM:セカンダリィ・ワールド運営
『セカンダリィ・ワールド、ファンタジーサーバーをご利用のユーザーの皆様、平素はサービスをご利用頂きありがとうございます。この度、当サーバーにて年間定期メンテナンスを行います。期間中、ログインが出来ませんので、お手数ではございますが該当時間の三十分前を目安にログアウトして頂きますようお願いいたします。
開始日時:2月8日 午前11時
終了日時:2月15日 午前10時
※終了日時は予定です。延長になる可能性がありますので、事前にご了承頂きますようお願いいたします。その際には、お知らせいたします』
メンテって。先日のアップデートは数時間前に連絡だったのに、メンテナンスは数日前に連絡するのはどういうことなんだ?
クソ運営扱いされるぞ、普通。
俺は嘆息しつつ、メール画面を消した。
「俺は仕事だから、ほとんど休みはないけどな。一週間は長いからな、何か予定を入れたらどうだ?」
「……ノーコメントで」
「ま、ゆっくりするといいさ。俺が言うのもなんだが、おまえは少し頑張り過ぎだ。だけどな、部屋にいるのもいいが、外に出て気分転換するもの悪くないぞ」
頑張り過ぎ、か。
自分ではそうは思わないが、確かに忙しいと思う時はある。休息していると何かしら厄介事が舞い込んでくるし。自分から飛び込んで行っている気もするけど。
「そう、だな。考えておくよ」
「ああ、そうしろ」
シュナイゼルはなぜかほっとしたように小さくため息を漏らした。
そんなに心配されるとは。シュナイゼルは俺が引きこもりだって知っているから、気を利かせたのかもしれない。
そして、他愛無い話に花を咲かせて時間まで過ごした。