エンディング -聡子の未来-
――これはきっとあるであろう未来の出来事。
典型的な日本家屋、そこの居間に聡子はいた。平屋で現代らしさはなく、最早レトロと言っても過言ではないほどの建築様式だ。しかし彼女は古めかしい雰囲気を好んでいた。
以前住んでいた家や畑は全て売ってしまったが、SWで稼いだ金銭で再び買いなおしたのだ。農家自体廃れている時代、たった四年で家は売りに出されたらしい。皮肉というか僥倖と言うべきか。
畳が敷き詰められた居間には風鈴の音が響いている。夏らしくじとっとした風だったがどこか心地良い。きっと今日を待ち望んでいたからだろう。
「まだかねぇ」
独り言を呟いてしまうほど、聡子は子供のようにそわそわしていた。
障子も窓も完全に開いているため、外の様子がよく見える。居間の正面には小さな庭があり、その奥には畑が広がっている。玉葱畑だ。既に先月収穫を終えている。
国産ということで一部でまだ需要があるらしく、四年の歳月を経てからは少しだけ卸業者が連絡をしてくることがある。そのおかげで農業を続けることが出来ている。
農業の組合とのごたごたは色々あるが、聡子は特に気にしてはいない。
聡子にとってこれは商売ではない。ただの趣味であり、少しでも黒字が出ればいいなと思いながらやっているだけだ。
さて、そんな彼女が何を待ち望んでいるのかと言うと。
メタリックな車が遠くに見えた。こんな辺鄙な場所に来る人間は限られている。
聡子は慌てて玄関まで走って佇まいを正した。
久保聡子、今年で還暦を迎えるがまだまだ活力あふれる婦人だ。白髪も増え、身体の節々が痛むこともあるが、そこは元気でカバー。そんな女性である。
今か今かと客人を待ち、玄関の擦りガラスに影が映ると、間髪入れずに戸を開けた。
「ただいま母さん」
「おかえりんさい、タモつん」
「タモつんはやめてっていつも言ってるだろ」
苦笑を浮かべた息子に、聡子は満足そうに何度もうなずいた。
一年に数回、盆や正月には帰って来ている孝行息子だ。
大半は一人で暮らしている聡子にとって息子が帰省する日は楽しみでしょうがない。
「お邪魔します」
「リョウコさん。そんな他人行儀にならんでもええんよ。今日からあんたの家でもあるんやけぇね」
「そ、そうですね! 頑張ります!」
聡子の息子の嫁、リョウコは今時珍しく真っ直ぐな女性だ。
常に全力、頑張り屋で一生懸命。だからこそたまに失敗するけれど、それも可愛いと聡子は思っていた。娘が出来たと喜んでいたが、まさか一緒に住むことになるとは。
彼女のお腹は膨らんでいる。新たな生命の誕生を意味していた。
産後のフォローも兼ねて一緒に住むのはどうか、と聡子が提案したのだ。元々、聡子は我欲を押し付ける性格ではないから一度言えばもうしつこく尋ねることはない。
しかし息子のタモツは聡子が一人暮らしをしていることを前から憂いていたらしく、快く一緒に住むことに了承した。仕事の兼ね合いもあり、この時期になったのは仕方がないことだった。
「ささ、入りぃ。リョウコさん気を付けぇや、転んだら大変じゃけぇ」
「ありがとうございます、お義母さん」
「ええ、ええ。どんな家でも妊婦が一番大事じゃけぇ。遠慮したらあかんよぉ」
聡子はリョウコの手を取り、中へと連れて行く。
居間に全員が揃うと、聡子は飲み物を出した。
三人とも思い思いに寛ぎ始める。
リョウコは何度も聡子の家を訪れている。恐縮したり緊張したりはしていないが、夫の母親に対して礼節を弁えようとしている。それが多少肩肘を張るような様相を呈しているだけだ。
ゆったりとした時間が流れている中、タモツとリョウコが神妙な面持ちで聡子に視線を移した。
「母さん、実は頼みがあるんだ」
「頼み? なん? なんでも言いや。お金なら多少蓄えあるで?」
「そ、そうじゃなくてですね」
「実は……この子の名前を考えて欲しいんだ」
「名前? ほやけど、二人が考えた方がええんやないかね? お寺さんにつけてもらってもええけど」
「母さんにつけてもらいたいんだ。その、俺、というよりはリョウコの願いなんだけど」
「ほうなん? んー、そりゃ構わんけど、なんでなん?」
「出来ればお義母さんみたいな子になって欲しくて……」
「ウ、ウチ!? あ、あかんよぉ、リョウコさんみたいな可愛くて頑張り屋な子になった方がええし」
「そんなことありません! お義母さんはとても素敵な方です! お、お願いします! 男の子なんですが、名前を付けてくれませんか?」
「そこまで言うなら無下にも出来んねぇ。カタカナがええんかねぇ? 漢字はあんまり使われんくなってきとるし」
若い世代には名前にカタカナをつける親が増えている。
一時期、当て字のような形で意味の通らない漢字の名前をつける風潮があったが、読めないという問題が多くなってきた。その流れで現在の、名前だけカタカナにするということが主流になってきたと言われているが、真偽のほどは定かではない。
おかげで漢字はある程度上の年代、カタカナは若年層という構図が出来ていた。
「どっちでも大丈夫です!」
「ほうかねぇ。う、うーん……」
ぱっと思い浮かんだ名前が合った。その名前しかないだろうと思えた。しかし、どうだろうか。
二人にとって大事な息子の名前だ。自分の勝手でつけていいものだろうか。
しかしもし命名するのならばこの名前しかない、と聡子は考えていた。
自分のように、とは少し違うが、きっと将来立派な大人になるに違いない。
優しく、強く、どこか弱く、そして前向きで、何かに立ち向かう勇気がある。
そして『利発』な子の名前なのだから。
「ほやったら――」
こんな名前はどうか。そう言った聡子に対し、タモツとリョウコは満足そうにしていた。