第七十六話 狂い始めた歯車▲
俺と竜吾の剣が火花を散らし交差する。不快な擦過音が木霊し、耳の後ろにチリチリと響いた。足が踏ん張れない。腕も痙攣しまともに動かない。
だがそれさえも気にする余裕はもうなかった。
竜吾は鍔迫り合いをしながら瞬時に前傾姿勢になった。その体重を刀身に預ける。
俺は反射的に押し返そうと力を込め前足に体重を乗せた。その瞬間、竜吾はふっと力を抜き、刀身同士が接している部分を支点にし、柄頭を突き上げる。
顎に迫るそれを無意識に回避しようと俺は片足の力を抜き、斜めに倒れながら首を傾げた。頬を掠める柄頭だったが、竜吾の行動はまだ終わらない。
俺が左方に倒れ込み受け身をとる瞬間に、竜吾は回転し俺に向けて一歩前進。勢いを全て刀身に集約し斬り上げるつもりだ。
その動きは見えていない。竜吾の所作があまりに流麗だったために瞬間的に行動が予測出来たが、確実ではない。
だが選択の余地はなく、俺は刀が通るであろう軌道に長剣をかざしながら地面を転がった。
キンッと金属音が聞こえると、俺の身体は1メートルほど吹き飛び、そのままゴロゴロと転がる。
「ひゅぅ!」
竜吾の息吹が聞こえた。
すぐさま上半身を起こし竜吾に視線をやる。
その瞬間、見えたのは鍔の模様と一筋の線。
俺はそれが何かを把握する前に、右方へ飛びのいた。
突きだ。俺の視界を熟知し、刀身をまっすぐ伸ばしていたのだ。でなければあのような見え方をするはずがない。
卓越した技巧だ。剣術を習得したというのは間違いではなかったらしい。
あれはただの攻撃。つまりスキルではない。
なのにあれだけの完成度だ。竜吾は現実でも仮想現実でもよほどの修練を積み、ここに立っているのだ。それが人を殺すため、それだけのためだということが信じられない。
正気の沙汰ではない。
「くっ……!」
完全には回避出来なかったらしく、突きは頬を削いでいた。
『竜吾はリハツを攻撃した』『リハツに1209のダメージ』
掠っただけでこれか。やはり俺よりも格上なのは間違いない。
まともにくらえば一撃で戦闘不能に陥るかもしれない。
距離をとり、姿勢を正すと、竜吾は余裕綽々といった感じで俺へと向き直る。
「この突きを躱せたのはおまえが初めてだ」
「……そりゃ、光栄だな」
必殺の一撃。剣術における刺突は多大なリスクを負う代わりに、殺傷能力を得られると聞いたことがある。軌道も避けにくい。人間は駆動域から考えて、縦の攻撃には強い。なぜなら横に移動する場合はあまり屈伸運動が必要ないからだ。
だが横の攻撃、直線の攻撃には対処しにくい。
直線は距離感が難しい。俺が避けられたのは単なる運と勘によるものだ。
今までの戦いの経験が俺の身体を勝手に動かしてくれた。無駄ではなかったのだ。
「いいぜ、回復しても。俺はしねえけどな」
口八丁な男の言葉だ。信用に値しないはずだった。
だが、俺はその言葉を信用出来ると思った。
こいつは最低の人間だ。人の足を引っ張り、人の想いを砕く。そこに快感を覚える外道だ。だが、部分的に信用出来る。それは人を殺すという部分だ。
竜吾は獲物を簡単に殺すことは望んでいない。つまり、自分で自分を追い込んでいる。条件をつけ、そうでなければ愉しめないと思っているのだ。
だからアイテムは使わないだろうと断言出来た。
「……冗談だろ。使うわけがない」
「あ? なんだ、信用出来ねえってか? ま、そりゃそうか」
「そうじゃない。おまえは……なぜ畑を荒らさなかった? おまえは防壁を壊したあとどうするかまではルールに組み込まなかった。つまり俺が諦めるまで殺すことを優先しているってことだ。おまえにとっては畑なんてどうでもいいんだろ? 違うか?」
「……ちっ。だったらどうだってんだ?」
「おまえはおまえが定めたルールは守る。だから信用出来る。死ぬほどムカつく奴だけど、その部分だけは信頼してる。だから俺もルールを守ってやる。だけどな……俺は絶対に諦めない」
「……だったら来いよ。口だけならどうとでも言えるだろ?」
「ああ、すぐ行く」
俺は竜吾へ向け、地を蹴った。
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斬撃の雨を縫い、長剣の切っ先を竜吾へ伸ばす。
だが竜吾は軽く躱した。流れる所作で白刃が煌めく。
避ける。攻撃。避ける。攻撃。受け流す。攻撃。
苛烈を極める戦いだった。一呼吸さえ余裕がない。
「シィッ!」
鋭い踏み込みと共に刀身が動く。
俺の身体は勝手に動いた。軌道は読めている。
おかしい。
もう限界なはずだ。表面上は平静を保ちながら、四肢はまともに動かない。
柄を握る手も震え、武器を落としそうになる。落とせば装備が解除されてしまう。
意識を必死で繋げているのに、動きは鋭敏になっていく。
意識が、所作が加速する。
「くっ、こ、いつ……!」
竜吾の呻き声が聞こえた。
焦っている? なぜ? 俺の方が劣勢のはずなのに。
その時気づいた。
俺の動きは洗練されていっている。
都市戦では極限まで効率化を求めた。だが、それは計算という武器があったからだ。人相手にそれは出来ない。
だから一挙手一投足を注視し記憶する。一度の経験で改善点を見つける。
最適化だ。
この戦いで俺は成長している。一つ一つの経験が俺を強くしている。
「ちっ! 速く、なって、やがる!」
竜吾が剣戟の合間に吐き捨てるように言う。
俺はそれに答えることなく、剣を振るう。
竜吾は俺の剣戟をさばきながらも余裕が徐々になくなっていた。だが、今はこれが限界だ。
そろそろか?
「こ、の野郎、が!」
まだか。
「おらっ!」
刀身が俺の肩を掠める。俺は半身になって避けながら、攻撃に繋げた。
来い。
攻撃と同時に幻影剣が発動し、竜吾の眼前を通った。
来い!
『リハツのソウルスキルが0.3上がった』『リハツはソウルブーストを覚えた』
来た!
エアライド、ウィークネスに続く、手札の三つ目『ソウルブースト』。順手で持った場合の逆刃部分からソウルが噴射される。それにより攻撃速度が上がり、また噴射の力によって、俺の身体も引っ張られる。
これにより、可能になった戦法がある。
俺は『エア・レイ』で竜吾の身体を上空へと吹き飛ばした。さすがに直撃はなく刀で受けられたが、構いはしない。
「当たるかよ!」
上方4メートルあたりに吹き飛んだ竜吾を追い跳躍、そして『ウィークネス』で自動追尾。俺の身体は自然と竜吾へと向かう。が、それも弾かれてしまう。
俺は瞬時に『ソウルブースト』を発動する。
すると、刀身から青い焔が現れ、剣速を促進する。攻撃の加速だ。それに伴い、俺の身体が武器に引っ張られ回転する。
竜吾の驚愕の表情に俺は優越感を覚えた。
空中で風車のように縦に高速後転した。それにより、竜吾の身体がまた僅かに上空へと押し戻される。『ソウルブースト』中は、攻撃の硬直時間がない。そのため、連続して攻撃が可能だ。ただし、ブースト中、SPが継続して減少する。
当然、重力があるため、一定回数攻撃をすれば落下し始める。
俺の攻撃をすべて受け切った竜吾は引きつった笑みを浮かべる。
「へっ、これくらい」
そう言いながら着地の体勢をとろうとしていたが、俺は『ソウルブースト』を解除し、空中で竜吾に組みつき、『ソウルドレイン』でSPを奪った。
「うぜぇんだよ!」
竜吾は刀を振るうが近すぎて速度が出ていない。
焦れてスキルを使うと読んだ俺は、竜吾から離れ、いち早く着地したと同時に『エア・レイ』を再び使用する。再使用十秒。ギリギリでリキャスト可能だ。
竜吾の身体がまた空中へ浮かぶ。
「ハメかよ!」
今度は『エアライド』を使用し竜吾の近くまで跳躍する。次いで、空中で『サイクロンエッジ』を使用し、回転しつつ削ぐ。俺の猛攻に、竜吾の防御が崩れ始めた。
クイック・イクイップ後『上弦の型 首夏』で刀身を叩きつけると、竜吾の身体は地面へと吹き飛んだ。
「くあっ!」
俺は着地と同時に再び『ウィークネス』で竜吾へと突進する。
交錯する刃。
合間はなく、剣戟は続く。
身体が軽い。思い通りに動く。
異常な高揚感が俺を襲う。
まるで現実だ。
ここが仮想世界であるということが頭になくなっていた。
これは、そうか、わかった――気力が空になる寸前なのだ。
だったら吐き出せ! すべて出し切れ!
「おああああぁっ!」
咆哮と共に、俺は何かのスキルを出した。
竜吾に当たる! 避けられる軌道じゃない。
何度か攻撃は与えている。これで勝てる!
――止まった。
止まった?
時間が、いや世界が止まった。
俺の腕が竜吾に伸びきる前に世界は灰色に染まり動きを止めた。
俺だけではない。目に映る情景すべてが制止していた。
『ファンタジーサーバーのアップデートを開始します』
『新システム、リアリスティックシステムを追加しました』
『新システム、騎乗戦闘が追加されました』
『新コンテンツ、コロセウムが実装されました』
『新コンテンツ、戦争が追加されました』
『銀行、預り屋が設立されました。伴って一定の規模を超える都市において設置されます。銀行員、金庫番はNPCです』
『NPCのプログラムが高度化されました』
『騎乗戦闘追加によって、現段階で戦闘時に騎乗可能なペットを所有する専用ジョブ、クルセイダー、ハイクルセイダー、モンスターテイマー、召喚師も時間無制限でペットに乗り、戦うことが出来るようになりました』
『PKKにおいて、PK同様に略奪が可能になりました』
『PK、PKKにおいて、ステータス非公開でもPK、PKK数が表示されるようになりました』
『PK、PKKに対して賞金をかけることが可能になりました』
『悪人度を決めるカオス値に加え、善人度を決めるコスモス値が追加されました。今後、カオス値の減少はコスモス値の上昇と同義になります』
『コスモス値が上昇する条件は、PKKをする。冒険者ギルドクエストをクリアする。プレイヤークエストをクリアする。クエストなどで高い評価値を貰うこと。善行と思われる行いをすることです』
『カオス値が上昇する条件は、従来通り、他者に敵意を持ち行動する。PKをする。悪行と思われる行いをすることです』
『何らかの取引時に条件を決められる契約が可能になりました』
『対決において、勝敗により名声を得られるようになりました。名声はシステムクエストにおいて受諾条件の一つに挙げられます。また世界上で多少の影響があります』
『対決において、アイテムやゼンカを賭けることが可能になりました』
『馬、牛、ペットに対して新たなパラメーターが追加されました』
『馬、牛、ペットに対して攻撃が可能になりました』
『馬、牛、ペットによる攻撃が可能になりました』
『馬、牛、ペットによるスキルが可能になりました』
『馬、牛、ペットが自発的に活動することが可能になりました』
『馬、牛、ペットに性別が追加されました』
『馬、牛、ペットによる交配が可能になりました』
『PK、PKKによって馬、牛、ペットの略奪が不可能になりました』
アップデート? なぜこのタイミングで。
文字の羅列が終わると再び世界は動き出した。
「がっ!?」
「ぐっ!?」
俺と竜吾が同時に呻く。
身体中に走る感覚に戸惑い、俺達は地面に蹲った。
痛みと全身の疲労だ。額からは汗が一気に滲み、顎に滴った。
呼吸が苦しい。息がまともに出来ない。
「ど、うなって、やがる……! こ、んなのは聞いて、ねえぞ」
現実に比べると痛みは薄い。針で刺されるような痛みをやや強くした程度で済んでいる。だが、それでもこれは異常だ。
「く、そが、どういう、つもりだ、運営……!」
これに至っては俺も意見に賛成だった。
ゲームの世界に痛覚と疲労を伴わせるなんてまともな思考じゃない。
俺はその時、ふとこのゲームの謳い文句を思い出した。
『第二の人生を歩んでください』
そう言っていたのは内藤だ。まさか、本当に現実を創り上げるつもりなのか。
ゲームではなく、もう一つの世界を創造するつもりなのか。
ストレスを与えてどうするつもりだ。恐らくプレイヤー全員が現実から逃避し、楽しみをこの世界に見出したというのに。
「はぁ、はぁ、ちっ……! 興醒めだ。せっかく愉しんでたのによぉ」
「はぁはぁ! くっ!」
竜吾は立ち直ったらしく、汗を流しながらも冷めた表情で俺を見下ろしていた。
痛みと疲労に意識が一気に持って行かれそうになる。倒れないようにするのに精一杯だった。虚勢を張り睨み付けるが、手が上がらない。
「ヒヒッ!」
聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
俺は振り向く力さえなく漫然と動向を見守ることしか出来ない。
「けっ、早速来やがったか」
竜吾は忌々しそうに俺の後方を一瞥し、俺に視線を戻した。
「……やらねぇよ。決着は次の機会だ」
「逃げ、るのか」
「俺ぁよ、痛みには多少慣れてんだ。身体も鍛えてる。これくらい大したことねぇが、おまえは違うだろ? がっかりさせんなよ」
竜吾は目を細め俺を見つめる。
何を考えている。いや、わかる。こいつは限界の戦いを求めているのだ。
瞬間、竜吾に襲い掛かる影が現れる。
だが竜吾は軽くあしらうように、飛び退いた。
キッドだ。興奮している様子で、敵愾心を竜吾へ向けている。
「へっ、あっちももう終わりだな。これ以上戦っても意味はねえか。おい! 帰るぞ!」
「は、はい!」
今の今まで存在を忘れていた三人組が恐縮したように姿勢を正した。
竜吾は最初に出会った時のように背を向け、片手を振った。その後ろを三人組がついていく。ちらっと振り向いたのはアイリと呼ばれていた少女だった。
「……ごめん、ボク達はこんなこと、するつもりじゃなかったんだ」
謝辞を受けても俺の心に響くことはない。
どんな事情があるにせよ、それを考慮する余裕が俺にはなかった。
アイリは悲しそうに目を伏せ、そして竜吾達を追って行った。
「……くそ……待て、竜吾……!」
声を出すのも苦痛だった。
喉が掠れ、水分を欲している。これ以上動けないと悲鳴を上げていた。
俺はその場に倒れ、意識を手放した。