第七十五話 白と黒▲
倒した。
倒した。
倒した。
機械的に数を加算していたが、もう覚えていない。
何人残っている? 50? 100? それともそれ以上?
何もわからない。
「リハツ!」
リリィの声だけが支えだ。
気持ちが途切れる。あの憤りも、決意も薄らいでいく。
その程度の想いだったのかと、自分で自分を責め、か細い意識を繋ぐ。
ダメージはくらっているのか。防壁は無事なのか。畑は荒らされていないのか。それを確認することさえ出来ない。
「すげぇな、すげぇよおまえは。リハツ、俺は感動してるぜ。おまえみたいなプレイヤーがいたってことに、初めて神様とやらに感謝してるんだぜ? ほら、避けろ。戦え。倒せ。気絶してんじゃねえぞ。あんまり疲弊すると強制ログアウトされちまうかもしれねえぜ?」
俺の背後から聞こえるのは敵の声だ。
ああ、もうだめだ。
肉体の疲労がなくても、脳がこれ以上の活動を拒否している。
また倒した。
だが、
「あ……」
当たった。くらってしまった。不意に気を抜いてしまった瞬間、槍が腹を掠めた。
「あらら、残念。終わりだ、リハツ!」
破壊音とともに、心が折れる音がした。
・防壁HP 0/120,000
防壁が、壊されてしまった。
「あ、あぁ……」
リリィは失望し、落胆していた。俺にではないとわかっていても、それでも俺の心は軋み、砕け散る。
畑になだれ込もうとしている連中はいない。俺が死に、その無様な姿を見届けてから荒らすつもりか。
「やっぱり、リハツくんには無理だったんだなぁ、残念だよなぁ! かははっ!」
竜吾の高笑いが響く。それと同時に俺は膝を折った。
「は、はは、時間通りか…………ちっ」
小さく舌打ちをした竜吾はどことなく、つまらなそうにしていた。
けれど、もうそんなことはどうでもいい。俺は失敗したのだ。
俺の視界には地面しか見えない。
動け。動かない。動きたくない。
もう無理だ。限界だ。諦めたくないのに、諦めようとしている。
「これで終わりだ!」
頭上で誰かが言った。
次いで何かを切り裂く風音が鼓膜に届き、俺は理解した。
これで負ける。終わってしまう。
――終わる?
何が? 聡子さんの想いが?
俺の決意が?
俺の憎しみが?
悪意に平伏すのか?
それがイヤで、今俺はここにいるのに?
「ち、くしょ、う……っ!」
喉もまともに働かない。
最後に出せたのは、そんな悪態だけだった。
「リハツーーーー!」
顔を上げた。
リリィが俺を守るようにして、両手を広げている。
俺に振り下された一閃はリリィを切り裂く軌道を見せていた。
やめろ、やめてくれ!
ダメだ。また、リリィを守れないなんて!
俺は最後の力を振り絞り、リリィに手を伸ばした。憧憬を欲するように伸ばした。
だが、それは届かぬまま終わる。
「や」
やめろと口に出す寸前、それは起こった。
「がっ!」
小さな悲鳴が生み出されたのは、俺達を攻撃しようとしていたPKの口腔からだった。
矢が頭部を貫通している。
そのまま横倒れになり男は霧散した。一撃? いや俺が何度か攻撃していたのか。
「リハツ! しっかりして!」
「な、なにが、起こった、んだ」
俺は状況を飲み込めずリリィに問いかけたが、彼女も把握していないようで、戸惑った様子だった。
PK達も何事かと辺りを見回す。
暗闇の中で、何かが光った。遠い。目を凝らしてようやく見える距離だ。いや、これは俺の視界が歪んでいるせいだろう。
だが然程近くはない。あそこから射たのか?
「敵の援軍だ!」
誰かが叫んだ。
最早ぼろ雑巾のようになっている俺を無視して、新手を警戒し始める。
それは竜吾も同じようで、狼狽している様子がうかがえた。
WISが飛んで来た。俺は半ば無意識に通話を承諾した。
『リハツ!』
この声は知っている。何度も聞いたことがある。
これは、サクヤだ。
「どうして、ここ、に」
『いつまでも帰らないからに決まっているだろう! 奴らは倒していいんだな?』
サクヤは端的に言う。状況はなんとなく理解しているらしい。
俺の心に光芒が射した。
「あ、ああ」
『その言葉だけで十分だ! 今行く』
喧噪が大きくなる。俺を取り囲んでいたPK達はサクヤ達に気を取られていた。
数にして15人。かなり倒したはずだが、まだこれだけ残っていたらしい。
サクヤの登場に俺は気力を僅かに取り戻した。しかし疲労がなくなるわけもなく、立ち上がることは出来ない。
現れたのは馬に乗った、サクヤ、ニース、ミナル、レベッカ、小鞠、メイだった。
なぜだ。馬は持っていなかったはずなのに。
矢を放ったのは小鞠らしい。弓と矢筒を装備しているのが見えた。だが、馬上で攻撃は出来ないので、一度下馬して攻撃し、即座に乗りなおしたのだろう。
6対15。簡単な戦いにはならないだろう。
サクヤは侍、小鞠はアーチャーでアタッカーだ。レベッカは重鎧戦士、メイはグラディエーターでタンク。ニースは僧侶、ミナルはエレメンタラーでヒーラー。バランスはいい。
しかし火力が少ない。あと一人、アタッカーがいれば。俺が入れば、倒せるかもしれない。
だが、俺の相手はもう既に存在している。
「これは予想外だったなぁ、まさかおまえに援軍が来るなんて思わなかったぜ」
竜吾。こいつを倒すのは俺だ。
「リハツを助けるぞ!」
「はいっ!」
「わかってるわぁ、おらぁ! さっさと来いやカスPK共が!」
「…………こ」
「あらん、レベッカちゃん怖いわねぇ。で・も♪ 今くらいはいいわよねぇ、ぶっ殺してやろうじゃねえか!」
「あ、あなたも怖いです」
全員が馬から降りて臨戦体勢になる。PK達も俺には目もくれず、サクヤ達を迎え撃とうとしていた。それはそうだ。俺はもう戦えない、そう見えているはずなのだ。
「リハツは休んでいろ! 行くぞ、みんな!」
サクヤの咆哮に仲間達が呼応し、PK達に向かって行った。
俺が加勢しようとしても、竜吾はそれをさせてはくれないだろう。こんな状態で高みの見物をするほど馬鹿な男ではない。
だが、厳しい。サクヤ達は劣勢を強いられるだろう。PK達はかなり強い。サクヤ達もそれなりのスキルと経験があるが、PKと戦った経験はあまりないと思う。
俺は2対2という条件だったからなんとかなったが、それが倍になっていたらどうなっていたかわからない。
俺は膝を伸ばし、ぐぐっと身体を持ち上げた。
「リ、リハツ!」
「かはは、まだ立つか。どうなってんだおまえの頭は」
なんとか立ち上がると、俺はふらつきながらも口を開いた。
「……リ、リリィ頼みがある」
「え? な、なに」
「サクヤ達に、手を貸して、やってくれ……パーティー外からでも……PK相手なら攻撃は出来る……」
「でも、それじゃリハツは」
「俺とタイマン張るってのか? 余裕なのか、それとも妖精が足手まといなのかどっちなんだろうなぁ?」
挑発的な言葉にも俺の心は揺らがない。
呼吸を何度もする。息をしている感覚はあっても実際にはしていない。だが、不思議と平静は保てていた。
少しずつ意識が戻り始める。
「どっちも、違うな。リリィがいたら……2対1に、なるだろ」
「へぇ、律儀にまだルールを守ろうってのか」
「それはついでだ、おまえは、相当な、バカだな」
「んだと、てめぇ」
リリィに目で合図を送ると、首肯を返してきた。
心配そうにしながらもリリィはサクヤ達の元へと飛んで行く。
俺はそれを視界の隅で確認すると、意識を竜吾へと完全に向けた。
「おまえ如き、俺一人で十分だって言ってるんだ! わかるか?」
「く、くくっ、大した度胸だな、おい。そんな状態でまだ勝てるって思ってるのか?」
「ふぅ……勝てるさ」
仲間達の存在が俺に力をくれた。
正直に言えば、まともに身体は動かないし、平静を保ってはいるが不安も大きい。だが、それがどうしたというのだ。
「決着をつけよう、竜吾」
「いいぜ。おまえと俺、どっちが正しいのか」
俺と竜吾は同時に構えた。
「勝敗で正しさは決まらない」
それではただ力があればいいということになる。力は正義なのか? 力は道理なのか? 勝てば官軍、であるなら、負けた方は存在さえ間違っていると?
違う。そんなのは勝手に競争に巻き込んだ連中の詭弁だ。
確かに結果は重要だ。成果を出さなければ徒労に終わり、時間は無為に帰す。聡子さんの苦労も高品質のオニオンが出来てこそ報われる。
だがそれだけではないはずだ。そこに至るまでの努力、時間は決して無駄ではない。経緯がなければ結果はないのだ。結果だけ見て、経緯を疎かにすれば成長も進化もない。
人間は負け続けた。だからこそ進化出来た。
俺も負け続け、自分を卑下し、最低な生活があったからこそ、今ここにいる。
あの時間は尊いものではなかったけれど、今の俺が存在するのに必要な時間だったのだ。気づけたのならば後は、解決のために行動するしかない。
迷惑をかけた人達に謝り、償いをし、そして自分を受け入れる。
勝ち負けを決めるのはいつだって無責任な他人だ。他者の評価を気にする前に、自分で定めた評価を気にするべきだ。
今の俺はどうだ?
今ここにいる俺は少なくとも間違った行動はしていない。そう断言出来た。
「じゃあ、何が決まるってんだ?」
そんなものは決まっている。
「俺とおまえが抱いている……譲れないものへの思いの強さだ」
俺は竜吾の目をじっと見つめた。目を逸らさない。逸らしてしまえば、心の弱さを露呈することになる。自分の信念に自信がないと思われてしまう。
「……ちっ、その真っ直ぐな眼には吐き気がするぜ」
「俺もおまえの濁った眼には嫌気がさす」
「お互い、嫌ってるんならやることは一つってわけだ」
「ああ……戦いだ!」
「違うな、殺し合いだ!」
サクヤ達とPK達との剣戟が背後で聞こえる中、俺と竜吾は周囲を気にせず、目の前の相手だけを見据えた。やがて雑音は消える。
「竜吾おぉぉっ!」
「リハツゥゥッ!」
数拍。合図はなく、俺と竜吾は同時に地面を蹴った。