第七十四話 折れない心
70人までは覚えていた。
そこから記憶がほとんどない。
手足が動いているのか、俺はなにをしているのか。
意識がおぼろげで、フラッシュバックするように情景が浮かぶ。敵は憤怒の表情で正面にいた。
俺の視界が揺らぐ。そして敵は倒れた。
思考操作の弊害。肉体同様に脳も永遠に稼働は出来ない。集中する時間が長ければ長い程、脳も疲れ、やがて休憩を欲する。
だが俺の足は止まらない。
止めるつもりもない。
「ぐぅっ!」
男が、女がまた倒れた。
赤に、青に、白に視界が染まり、その度に身体が揺れる。
僅かな痛覚はあるはず。だがその痛みはやがて消える。
「やるじゃねえかリハツ。ほら頑張れ、あともう少しだぞ!」
竜吾の煽りさえ俺にはどうでもよくなっていた。
「あ、あの、竜吾さん」
「お、おい、アイリ。やめといたほうがいいって」
「そ、そうだ、ライライラの言う通りにした方がいいぜ」
この声は、三人組か?
「……も、もういいんじゃないかなぁって思うんだけどぉ。ほ、ほらもう十分報復は出来たと思うし」
「あ? おまえ俺に指図する気か?」
「い、いえ、そんなことはない……んだけど」
「だったら黙って見てろや。雑魚が口出しすんじゃねえ。うぜえんだよ」
「す、すみませんでした! アイリ、下がるぞ」
「いやぁ、こいつバカでして、へ、へへっ」
アイリと呼ばれたボクっ娘が引きずられて行く姿が見えた。
なんだ、俺にはまだ余裕があるじゃないか。周囲の状況を把握出来るくらいには冷静だ。大丈夫、倒せる。
俺は自分に言い聞かせながら、四肢を動かし続けた。
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短剣を振るう。短刀を振るう。スキルを間髪入れずに使用する。
俺はなにをしている。今誰と戦っているんだ?
「――ッ!」
誰かの声が聞こえた。誰だ?
俺か? いや、これは。
「――ハツッ!」
リリィ?
なんだ、なんで叫んでる?
「リハツ! もう勝ったのよ!」
勝った、俺が?
そんなわけがない。まだ敵はいる。奴らは倒しても倒してもまだ残っていた。湧いてくる。ああいう奴らはどこにでもいる。どこにでもいて、我が物顔で闊歩している。不必要な存在だ。いらない。あんな奴らはこの世界に入らない。
「リハツ! 止まって!」
リリィが目の前で悲痛に叫んだ。
俺はそこでやっと我に返った。視界が広がり、周囲の情景が飛び込んでくる。
「……お、終わった?」
誰もいない。PK達はすべていなくなっていた。
「そうよ、終わったの。倒したのよ!」
リリィは顔をくしゃくしゃにし泣き出しそうだった。
勝った、のか。
気が抜けそうになっていると、後方から拍手が聞こえる。
「すげえすげえ、やっぱりリハツはすげえよ、そりゃ賞賛されるよな。みんなおまえの噂をするだろうぜ。だけどな、まだ俺が残ってるぜ?」
俺は振り返り、竜吾を睨み付ける。
防壁は無事だ。まだ壊れていない。しかし満身創痍の状態だった。
・防壁HP 3,336/120,000
あと一撃で壊されていた。どうやらかなりギリギリだったようだ。
後は一人だけ。竜吾の近くにあの三人組がいるが、無視しても問題ないだろう。
「気を抜くなよ? 俺を倒して終わりだ。倒せねえけどな」
「……余裕、で、い、いられ……るのは、今の内だ」
「おいおい、おまえそんな状態で俺を倒せると思ってるのか?」
竜吾の言う通り、かなり疲弊している。頭がもう休みたいと悲鳴を上げている。
だが、ここで倒れるわけにはいかない。
足を動かし態勢を整える。しかし、まともに動かず小刻みに震えた。筋肉疲労がないのにこの状態だ。俺の脳がまともに命令を伝達出来ていない。
「なんで、そこまでするんだ? ここのババアは元々知り合いだったとかか? それとも俺がそんなに憎いか?」
「……どっちでも、ない」
「だったらなんでだ? わかんねえな。理解出来ねえ」
「じゃあ、おまえは……なんで……なんで、ここまで、する?」
竜吾は俺の問いを予想していなかったらしく、一瞬呆けた表情を浮かべたが、すぐに答えた。
「俺か? そりゃ楽しいからさ」
その言葉で俺の意識は一気に明瞭になった。
血液が沸騰する感覚がした。
「楽しい、だと?」
「そうさ。おまえも言ってたろ、俺がやってんのは全部仕様で認められてることなんだぜ? 俺ぁよ、現実で剣術を習っててな。耄碌した爺が師範代をしてたんたが、そいつが死んじまってからは俺しか門下は残ってねえ。まあ、それはいいんだ。んで、俺はいつも思ってたことがあんだよ」
にたぁっと笑い、愉悦を浮かべた竜吾を見て、俺の背筋に怖気が走る。
「人を斬ってみてぇってな。肉の感触、骨の感触、血がどれだけ出る? 殺した瞬間の断末魔の叫びはどんなのだ? 殺したら俺はどうなる? 毎日そんな自問自答をしてたぜ」
「……狂ってる」
「おいおい、俺ぁ現実じゃまともな人間だぜ? 法律を守ってんだ。そりゃそうだ。捕まりたくねぇし、社会から逸脱したくねえからな。けどよぉ、ここなら許される。だからこんなことしてんだよ。至極真っ当な理由だろ?」
「ふざけるな! それで、報復したり、まっとうなプレイヤーをPKしたりしてるんだろ! 戦いたいだけならPVPでもしとけよ!」
「俺ぁよ、遊び感覚で斬りたくねぇんだ。つまんねえからな。必死で逃げる、必死で抗う相手じゃねえとダメなんだよ。それにそれの何が問題だ? だったら、俺以外のPKも全員許せないってわけだ。おいおい、運営が決めたルールに俺達は従ってるんだぜ? なんでプレイスタイルまでおまえにとやかく言われなきゃならねえんだ? ああ?」
確かに竜吾は何一つ間違ったことはしてない。ゲームなのだ。だからルール上定められた方法ならば何をしてもいい。
だが、だからといってこんなやり方を認められるはずがない。
「関係ない。ルールだろうが、なんだろうが、関係ない! 俺が許せない!」
「とんだ自己中だな。それとも偽善者か? ババアのために、使い魔のために怒ってる自分に酔ってんじゃねえの? 反吐が出るな、おまえみたいなやつは。自己犠牲で誰かを救って、それが正しいって人に強要するんだろ? それが正しいかどうかなんてどうでもいいんだよなぁ? むかつくぜ、現実にもいる、綺麗ごとだけ並べているような奴は殺したくなる。そういう奴は正義の名のもとに誰かを殺すんだぜ? しかも無自覚で。それでも自分は正しいと思い込んでやがる。まあ? おまえはまだ身体を張ってるからマシなんだろうけどなぁ、俺にとっちゃ変わらねえ。クソだ」
偽善者? 俺が? そうなのか?
俺は聡子さんに出会って、どう考えていた?
聡子さんの気持ちを考えず、自分の思う通りに行動し、結局どうなった?
今聡子さんはここにいない。それは俺の選択のせいじゃないのか?
「人の足を引っ張って、人の心を踏みにじってるくせに、自分が正しいみたいな言い方するんじゃないわよ!」
「へ、AIの癖に人間様に説教かよ、やっぱ、いらねえなおまえら」
だけど違う。
「な、なんですって! あ、あたしは確かに役に立たないかもしれないけど……で、でもリハツとずっと一緒にいるって決めたの!」
「主人だけじゃなくて、プログラムも主人にご執心ってか? お似合いだなぁ。気持ち悪ぃけどよ」
違う!
「リリィは俺の大切な存在だ。バカにするな、役立たずなんて言うな! 俺の大事な人を傷つけるな!」
「くく、そうかよ。まあ、趣味嗜好は人それぞれだ。嫌悪感まではどうにもなんねえけどなぁ。だがよ、それがなんだ? おまえがやってることが自己中心的であることに変わりはねえよなぁ?」
「俺は……正しいと確信があって行動しているわけじゃない」
「へぇ? じゃあ、なんでここにいるんだ?」
なんで、か。そんなのわかり切っている。
「ごちゃごちゃ考えても正しさなんて人と人との間に存在しないんだ。立場で正義も悪も変わる。規範も変わる。状況によって、人によって心情も変わる。考えてもしょうがない。考えてもわかるはずがない。だから理解しようとする。だから正しくあろうとする……俺は自分が嫌いだった。だからせめて、もう諦めたくない。自分の思うように正しいと思うことをしようとしているだけだ!」
「おまえにとって正しいことが万人にとって正しいことなわけじゃねえんだぜ? おまえの善行は俺にとって邪魔でしかねぇ。俺はルールに従ってるのによぉ」
「関係ないな。俺もルールに則ってる。俺の心に従っている。明確な動機なんていらない。俺がこうしたいからしてる! ぐだぐだと屁理屈並べるな! 俺は、俺の心のままに動いてるんだよ! 誰の感謝もいらない。対価も求めない。俺は、俺を好きになるために、自分勝手に戦ってるだけだ!」
全力で叫んだ。その声は廃村に鳴り響き、虚しく消え去る。
だが、俺は自分の言葉で迷いはなくなった。
一々、理由を求めて、考えてそれで何もしない。それはどこにでもいる普通の人間の考えだろう。だが、それはもうやめたはずだ。
引きこもっていた過去はなくならない。一人でうじうじと悩んでも、悔やんでもなにも変わらない。だったら、前に進むしかないじゃないか。
諦めない。譲らない。守る。そう決めたのだから。
「くくっ、はははっ! いいねぇ、バカはやっぱり何を言ってもバカなまんまだ。おまえはやっぱり俺と似てる」
「一緒にするな、俺はおまえみたいに自分だけのことを考えて生きてない! もうそんな風に生きたくはない!」
「そうやって真っ直ぐ生きようとしても、生き続けられるほど人生は甘くないんだぜ? って、ガキに言ってもわかんねぇか」
「おまえの言うように、達観したつもりになって、なんでも諦めるのが大人なら、ガキで結構だ!」
「かははっ、そうかよ。残念だ、おまえはPKに向いてると思ったんだけどよぉ。やっぱ合わねえわ。けどよぉ……くくっ、やっぱりおまえは相当な――」
不自然なほどに嘲笑する竜吾を見て、俺は警戒心を強くする。
そしてようやく気づいた。
なぜ、ここまで話に付き合った? 俺を休ませるだけなのに。
「相当なバカだなあぁっ!」
何かが聞こえる。これは足音だ。複数いる。
俺は反射的に音の方向に目をやる。すると、遠くで影が幾つも見えた。
援軍!?
そんなまさか。わざわざそんなことをする必要がない。最初から連れてくればいいし、何より、援軍を頼むならこんな都合のいいタイミングで来るはずがない。
「その顔が見たかったんだよ。かはははっ! 笑えるぜ! 目的を達成する寸前で、希望が途絶える瞬間の人間ってのは、やっぱりいいなぁ」
狂ったような笑みを浮かべ、竜吾は恍惚に浸っていた。
最初から仕組んでいたのか。俺がPK達を倒すと算段し、その後、話で時間を稼ぐ。その間に登場するように援軍をよこしていた? いや、近くで待機させていたのか?
「約束が違うじゃない!」
「あ? 俺は約束を守ったぜ? 俺以外の全員を倒したら、戦ってやるって言っただろ? あの時点で、その場にいる全員、なんて言ってねえよなぁ?」
また屁理屈だ。だが、言葉の意味としては筋が通っている。
ならば竜吾を倒すまで安心は出来ないということになる。
いいさ。こうなったらとことん、全てを振り絞っておまえを否定してやる。
俺の中にある感情には怒りに混ざって、屈しないという意固地さがあった。
「さあ、第二ラウンドだ。俺は観戦してるぜ」
享楽的な嘲笑を俺に見せ、竜吾は再び防壁の位置へと下がった。
PK達の援軍はすぐそこにいる。今、竜吾を攻撃しても倒し切れない。そうなったらゲームは破綻し、全員で襲い掛かってくるかもしれない。
俺に選べる道は一つしかなかった。
だが、それでいい。
これくらいでいい。
でなければ、俺は本気になれないのだから。