第七十一話 望まぬ再会は突然に
四週間が経過した。前日、俺は一か月検診でログアウトし戻ってきたところだった。
すでに全てを収穫し、カゴに振り分け終えている。
最高品質で84。聞けば、この品質なら過去に何度か出来たことがあるらしい。
「ふふ、あかんかったねぇ」
その言葉にすべて集約していた。
それは諦めの言葉だ。何かが徒労に終わった人間は気力を削がれる。動機が強くとも、生を終えるまで何かを続けられる人間は少ない。
聡子さんが習慣として続けていた作業は決して楽なものではなかっただろう。
収穫し、次こそと不明瞭な未来を信じ、そしてまた落胆し、立ち上がった。
何度も、何度も倒れては起き上がり、やがて心は疲弊し切る。
俺にはほんの少しだけ聡子さんの気持ちがわかった気がした。
「聡子さん……」
「おばちゃん……」
「ええんや、しょうがないけぇ。ただ、二人には悪いことしたねぇ。長い間付き合ってもらっちょって、結果が出んかったわぁ」
「いいんだ。勝手に聡子さんの手伝いをしたいって思っただけだから」
「そ、そうよ! だからあたし達のことは気にしないで」
「ほんと、ええ子らやねぇ。最後にあんたらに会えてよかったわぁ」
「止める、のか?」
問いかけることさえ憚られた。だが、聞かずにはいられなかった。
聡子さんの口から聞かなければならない。そうでなければ、聡子さんも踏ん切りがつかないのではないかと思った。
リリィと俺は固唾を飲んで、聡子さんの言葉を待った。
「もう、一回だけ、一週間だけ頑張ってみようかねぇ」
その返答を聞いて、俺は素直に聡子さんという人間に敬意を覚えた。
ここまで疲弊し、それでも俺達がいるからと、頑張ってみようと、そう考えたのが伝わったからだ。
「俺達も、もちろん付き合うよ」
「あたしも! 頑張るわね!」
「うんうん、頑張ろうねぇ。ウチもまだ頑張れるんやねぇ」
力なく笑った聡子さんの顔を見ると、胸が痛んだ。
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翌日。
早朝、食事を終えた俺達は作業に向かおうとしていた。そんな矢先、玄関前で聡子さんに声をかけられる。
「今日は検診の日じゃけぇ、ログアウトせんといけんのよ。一日、二日で戻るんやけど……あれやったら、その、帰って貰ってもええし、残るんやったら好きに使ってもええけぇ」
ああ、そう言えば俺も数日前検診でログアウトした。聡子さんも当然、一か月検診があるから現実に戻らないといけない。
俺とリリィは頷き合うと、すぐに返答する。
「俺達は待ってるよ」
「あたし達、ここにいるから」
「ほうか、んっ、わかったわぁ。リハつんとリリィちゃんは、ウチがおらんでも家におれるように許可しとくけぇ、家にあるもんも好きに使っちょって構わんけぇね」
「畑は大丈夫なのか?」
「畑はフィールド扱いじゃけぇ、誰でも入れるわぁ。鍵は渡しとくけぇ、戸締りだけしといてくれんかねぇ。盗まれるといけんけぇ」
「傭兵はいなくていいのか?」
「今はあんまり傭兵さん雇うお金なくてねぇ。雇わずに商売した方が儲けが出るけぇ……それに信用出来る人が少ないんよ。前に、盗まれたことがあったんやわぁ」
「そうか」
それも聡子さんの気力を削いだ原因かもしれない。
「もし、PKが来たら逃げてええけぇ。リハつんも大人数やとさすがに難しいやろぉ」
「……わかった。そうするよ」
口では言っても、従うつもりはなかった。
俺はトレードで畑を囲う防壁に備え付けられている扉の鍵を受け取った。
「ほんじゃ、留守は任せたねぇ」
「ああ、いってらっしゃい」
「いってらっしゃい!」
リリィと共に手を振ると、聡子さんは小さく笑いログアウトしていった。
……そして、それから三日が経っても聡子さんは帰って来なかった。
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今日もいつも通り作業を始めた。
聡子さんが作ってくれていた料理を口に運ぶ。
おにぎり。味噌汁。焼き魚。定番の和食だ。
料理は数日経つと消える。消費期限があるというわけだ。だが、物によっては長持ちする。携帯食料、保存食量と言われているものだ。
聡子さんの家にはアイテムボックスがある。その一部は俺が使えるようになっている。食事は問題ない。一週間以上持つ。
しかし、聡子さんが帰ってくる気配はなかった。
「……リハツ、どうするの?」
「とりあえず一週間待とうかと思ってる。植え付けもしているし、きっと収穫までには戻って来るだろ」
「……そうね」
聡子さんがいないだけで食卓がこんなに寂しくなるものなのか。
そして大した会話もなく、食事を終えた俺達はキッドに餌をあげるために、外に出た。
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聡子さんがログアウトして四日目。まだ聡子さんは帰ってこない。
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五日経った。聡子さんは帰ってこなかった。
四面の畑全てを耕そうと作業を続けた。
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収穫の日が訪れた。
俺でも収穫は出来るが、スキルを使用しないと品質が落ちてしまう。そうなれば必然的に望むオニオンは栽培出来ない。
収穫期間は丸一日。明日の夜までは大丈夫だが、時間がないことには変わりがない。
ここ数日はメールも来ていない。もしかするとフレ達にも愛想を尽かされたのかもしれない。
「明日まで待ってみよう? ここまで待ったんだし……」
リリィの言葉に俺は力なく頷いた。
世の中そんなに思うようにいくはずがない。願いが聞き届かれることなんて早々ないのだ。神様はそこまで暇じゃないんだろう。
聡子さんはもう戻る気はないんだろうか。それとも何か検診で問題があったんだろうか。
どちらであったとしても俺にとって望むことではなかった。
その日、俺はキッドの運動を兼ねて草原を走った。
いつもと違い、荒涼としている景色に見えた。
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夜半時、客室でいつものように寝具に寝転がっていた。
「ねえ、雪が降ってるわ」
リリィは窓から外を見上げ、小さく呟いた。
その声に反応した俺は、リリィと共に曇り空を見た。
ここら一帯は雪があまり降らないらしく、珍しい光景だった。せつせつと舞い落ちる雪は青白く光り、幻想的で心を締め付ける。
俺の行動は間違っているのだろうか。
聡子さんを追い詰めてしまったのではないか。
俺達がここに来なければ聡子さんはまだここにいたのではないか。
俺は、自分のことしか考えていなかったんじゃないか。
聡子さんのためと言いながら、結局、勝手な期待をして聡子さんを困らせたのではないか。
「リハツ、あんたは間違ってないわ」
「リリィ……?」
いつの間にか俺を見上げていたリリィが真摯な視線を送って来ていた。
「どうせ自分のせいじゃないか、とか思ってたんでしょ。確かに、あたし達が来たからかもってあたしは言ったけど、出会いを後悔するなんてしちゃダメだと今は思ってる。その後の行動も間違ってない。あんたはあんたの出来ることをしようとしただけなんだから」
「……ありがとう、そうだよな」
「そうよ。ごちゃごちゃ考えるのはやめましょう。あんたも、あたしも」
「おう」
短い会話にリリィの気遣いを感じる。
考えても、後悔しても過去はなくならない。それはもう十分理解している。
だったら立ち止まるより、先へ進むべきだ。無様でも、その選択が間違っていたとしても、なにもしないよりはマシなのだから。
「そろそろ寝ようか」
「そうね、そうしましょう」
俺は毛布をかぶり、瞼を閉じる。
明日はきっと聡子さんが帰ってくると信じながら。
――
――――
「――リハツ!」
まどろんでいるところでリリィの叫び声が聞こえた。
俺は気怠く上半身を起こす。
「なんだ、どうした」
「あ、あそこ!」
リリィの指差す先になにかあるとは思えなかった。
だが、よくよく見えると異常があることに気づく。
明るい?
「だ、だれかいるわ!」
家屋の正面にある畑、そこは明日収穫するオニオンが植え付けられている畑だ。その周囲にある防壁の近くがおぼろげに光っている。
防壁の外で灯りを持つ誰かがいる。それも複数。
俺は瞬時に防具と武器を装備し、跳ね起きた。
「行くぞ!」
「うん!」
俺達は家から飛び出し、防壁外へと向かった。
近づくにつれ激しい打音が聞こえた。
これは防壁を攻撃している?
到着すると灯りと音の正体が明るみに出る。
「よう、リハツじゃねえの」
「……竜吾!」
そこにいたのは、俺の敵だった。