第六十九話 こだわりの過去
朝起きて、朝食を摂り、キッドに餌を与え、畑を耕す。昼食を摂り、キッドに餌をあげて、夕方まで働く。近場でスキル上げを軽くして、帰宅。夕食後、キッドの食事も終わらせ、軽く談笑して就寝する。
その習慣は一日、二日と過ぎるごとに身体に染みついた。
リリィは時々メンテなのでいない時がある。仮リリィは未だに苦手だ。
そして五日が経過した。明日は収穫の日だ。
その日の夜、俺達は夕食を終え、三人で談笑していた。
暖炉にくべた火は俺達の横顔を照らしている。俺とリリィ、聡子さんの全員が床に座り互いを労い合う。
「今日もおつかれやったねぇ。慣れんとえらいやろう?」
「身体は疲れないから大丈夫」
「それにしても大変なのね。これ一人でやってたんでしょ?」
肩で眠そうに半目になっているリリィが聡子さんに問いかける。
確かに、俺達がいても作業はギリギリだ。素人だからというのもあるが、一日中働いている。一人で作業をするよりはかなり違うはずだ。
「ほやねぇ。かなりきつい時もあるんよ。夕食摂ってからも耕作続けることもあったねぇ。やからリハつん達が来てくれて助かったわぁ」
「あたしは、何もしてないけど……」
「そんなことないわぁ。リリィちゃんがおるけぇ、リハつんも楽しく作業が出来るんやけぇ。誰かがおるっちゅうんはそれだけで力になるもんよ」
「……うん」
まだ、気にしてるのか。
俺が何度もリリィは役立たずじゃないと言っても、リリィは気にしている様子だった。
フェアリーテイマーを作成する時、俺はリリィに役割を与えたつもりだった。それも独りよがりだったのかもしれない。
ぎこちない笑顔を浮かべるリリィを見て、俺の胸はちくりと痛む。
会話を変えよう。空気が少し重い。
「聡子さんはずっと一人で? 最初は他に人がいたんだろ?」
「ほやねぇ。おったよぉ。最初、ここらは居住エリアやったけぇ。ただ都市に人がどんどん行ってからに、最終的に廃村みたいになっちょるんよねぇ。それに……」
「それに?」
言って自分の失態に気づく。
聡子さんの顔は、最初に出会った時に見た、悲しげな表情を浮かべていたからだ。
「あ、えと、話にくいなら話さなくても」
「ええんよ。話すのは苦やないけぇ。ただ、あんまり楽しい話題でもないけぇねぇ……よかったら、年寄りの戯言と思って聞いちゃくれんかねぇ?」
「あ、ああ。俺達でよかったら」
「あたしも聞くわ」
聡子さんはこくこくと頷き、にっこりと笑う。
「ウチらが来たのは四年前。SWが稼働してから一年後のことやったねぇ。旦那と二人で始めたんよ。ウチん家は農家をしとってねぇ、玉葱栽培が主な事業やったんやけど、色々あって辞めたんよ。今の時代、国内の農業は淘汰される傾向にあったけぇ、時間の問題やったんやねぇ」
昨今の日本で、農家は人材不足、国の支援不足、利益の減少、海外作物の多量輸入などの理由から縮小の一途を辿っていた。
きっと聡子さんの農家も同じ理由で倒産したのかもしれない。
俺達は相槌するのも憚られ聡子さんの次の言葉を待った。
「畑売ったお金でなんかしようって旦那が勧めて来たんがSWやったわけや。ウチはあんまり乗り気やなかったわぁ。息子は成人迎えて嫁さん貰って頑張って働いちょったけぇ、あとは隠居生活するんでええんやないかって思っとったけぇ。ほやけど、旦那は一度決めたら何を言ってもダメな人やけぇ、結局始めることになった。最初はロッテンベルグやったねぇ。ヒュミノリアやけぇ当然やけど。そこから、旦那に連れまわされたわぁ。戦闘系も一時やっとった。ほやけど、最終的に農家をすることになったんよ。結局ウチらにはそれしかないんやって二人とも思っとったんやねぇ」
そこで一拍。
聡子さんは過去を思い出すように遠い目をしていたが、やがて再び口を開いた。
「スキル上げて、色々試して、SWと現実やったらかなり違うってわかって、それでも共通の部分もあったわぁ。失敗して、成功して、やっと出来た玉葱が売れた時は嬉しかったわぁ。昔を思い出したのは久しぶりやった。それから一年して旦那は逝ってしもうた」
聡子さんが一瞥した先には写真立てがあった。
明るそうな男性と聡子さんが描かれた絵が挟まっている。絵描きにでも描いてもらったんだろう。
「……そうだったのか」
「あの、なんて言ったらいいか」
「ええんよ、もう三年近く前のことじゃけぇ。当時は、どうしようか困ったわ。いつも旦那が決めて来たわけやし、ウチは自分でなにか決めることはなかったんよ。嫁いでからずっとそうやった。やけど、旦那の最後の言葉を……もっといい玉葱を作ってくれ、っちゅう言葉を思い出して、一人でやろう思った。そこからは色々あったねぇ。それは何度か話したねぇ。フィールドエリアになっては周囲に柵作ってMOB対策したり、PKエリアになって畑の周りに強固な防壁を作ったり。次第に人がおらんようになって寂しいっちゅう思いもあったけど、なんとかやっちょる」
薄く笑う聡子さんの身体は小さく見えた。
一人で、ずっと戦って来たのか。誰も支えてくれる人もいないのに、旦那さんの言葉を胸にずっと……。
その姿が再び母と重なる。
ああ、そうか。あの人は弱い人だった。だから聡子さんの弱気なところを見ると、思い出してしまうのか。
俺が言えることはなにもない。母を守ろうとしていた子供時代から俺は変わり、迷惑しかかけなかったのだから。
「けど、それも終わりかねぇ」
「終わり……?」
「十八から嫁いでずっと農業しちょった。今はもう五十五やけぇ。もう、ええかなって思うねぇ」
寂しげな顔を見て、俺は顔を顰めた。
聡子さんにかける言葉は俺にはなかった。
「い、いいの?」
リリィがやっと絞り出しただろう声は、意思を確認するもの。それくらいしかリリィも言えなかったのだろう。
「まともなお客さんがここに来るんは二年ぶりなんよ。玉葱売ってくれ、ちゅう行商人が一時来とったけぇ。ほやけどPKエリアになってからは別の農家さんから卸とるんやろう、来んくなった。リハつんとリリィちゃんが来たのは丁度いい区切りやと思うんよねぇ」
「もうすぐ、いいオニオン……玉葱が出来るんだろ?」
「一か月で多少はいいオニオン出来るとは思うんよ。ただそれ以上は、もうええかなぁって。きりがないけぇ」
「そ、うか……聡子さんはそれでいいのか?」
志半ばで諦める辛さは知っているつもりだ。もし、ここで止めてしまって後悔しないのだろうか。
しかし、聡子さんの辛さもわかった。なにかを継続することは辛い。その上、孤独で、しかもMOB対策やPK達と戦わないといけない。
彼女の心労は計り知れない。俺には続けた方がいいとも、やめた方がいいとも言えなかった。そんな無責任なことを言えるほど、俺は厚顔無恥ではない。
「もう……疲れたんよ」
聡子さんは長い溜息を漏らしぼそりと呟く。
心の底から疲れ切っている。そんな様子を見て、俺達に言えることはなかった。
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聡子さんがもう寝るというので俺達はキッドに餌をやるために牛舎に来ていた。
「待たせて悪かったな。腹減っただろ? すぐに持って来るから」
「ヒヒッ!」
キッドは嬉しそうに鳴いたあと、ちょっと気まずそうにしながらきょろきょろし始めた。
こいつ素直じゃないんだよな。その癖わかりやすい。
よくよく観察すると、キッドは感情が豊かだと思った。
嬉しい時はわかりやすく鳴くし、不服そうな時は強く鼻息を吐く。そして俺がそれを感じとったとわかると、わかりやすいように行動で示してくれる。
俺はまったく見えてなかった。キッドは従順ではないが、俺に歩み寄ってくれていた。
干し草を餌箱に入れると、キッドは食べ始める。
UIを半目で見た。
騎乗ペット …黒兎馬【最上】
・名前 …キッド
・等級 …特1級
・馬齢 …3歳.19日
・体長 …2.4メートル
・体高 …1.7メートル
・最大速力 …時速49キロ →57キロ
・体力 …有り余っている
・空腹度 …腹八分
・最大積載量 …50900グラム →59800グラム
・親愛度 …5 →40
・性格 …ツンデレ
・得意な地 …草原、荒原、山道、林道
・好物 …特製干し草【聡子】【中以上】【低品質以上】、白モロコシ【低以上】【低品質以上】
あの一か月は本当になんだったんだろうな……。
今の食費は一日5000ゼンカ。一食じゃない、一日でだ。
だけど、気づけた。失敗は成功のもととも言う。
リリィの言葉、聡子さんとの出会い、そしてキッドの行動が俺に気づかせてくれた。
都市戦の報酬は俺にとっては宝くじを当てたようなものだ。その一部を食費に当てていただけなのだと思えば、気は軽い。
……これがイエロースライムジェルで稼いだ金だったら、発狂してたかもしれない。
「よく食べなさいよぉ」
「ヒヒンッ!」
リリィがキッドの頭を撫でると嬉しそうにいななく。
「俺よりリリィになついているんだよな」
「まあ、あたしとこの子は同じようなもんだしね」
是非は俺に言えるはずもなかった。俺にとってリリィはどういう存在なのか、自分でもわからなかったからだ。
人ではない。プログラムだ。AIであり擬似人格。それでも俺は彼女を信頼している。人間のように扱っている。だがキッドに同じ感情を抱くことはない。
まだ俺の中で確信がないのだ。
だから、いつかわかった時、俺はリリィに告げるだろう。それがどういう答えなのかは今の俺にはわからなかった。
「……ねえ、どうするつもり?」
「どうって?」
「聡子さん。オニオン貰ったらここを離れるの?」
「リリィはどう思ってるんだ?」
「どうせ決まってるくせに」
リリィの言葉は正しい。
俺は、せめて聡子さんが納得するまで付き合いたいと思っていた。オニオンを手に入れ、その後、時間がかかるようなら一旦ロッテンベルグに帰って、メイにオニオンを渡してから戻るつもりだった。
放って置けない。あんな悲しそうな、寂しそうな表情をする人を見捨てることなんて出来はしない。
「付き合ってくれるか?」
「言ったでしょ。あたしはあんたの使い魔。だからずっと傍にいる……あんたが――」
「見捨てたいって思うその時まで、とか言うつもりか? いい加減怒るぞ」
「……ごめん」
「俺は絶対おまえを見捨てない。もしも、おまえが俺に愛想を尽かしても諦めない」
「……あたしが愛想を尽かすなんて絶対ないわ。絶対」
渋面を浮かべて、リリィは自分に言い聞かせるようにして言葉を並べる。
「だったら俺もだ。不安かもしれない。けど信じてくれ。俺もおまえを信じるから。俺達はそういう関係なんじゃないか?」
「うん……うん、そうね。そうよね」
「そういうことだ」
自分の放った言葉を改めて考えてみると、かなり恥ずかしいことを言っていることに気づいた。
それはリリィも一緒なのか目が合うと気恥ずかしそうに目を逸らす。
その姿を見て、俺の口角は自然とあがる。
少なくとも居心地の悪い雰囲気はなくなっていた。