第六十八話 知ることと許すこと
「はー……」
畑の隅には長椅子と小さな屋根がある。
そこで俺は湯呑を傾けていた。中には緑茶が入っている。
落ち着く。茶柱を見るとさらに落ち着く。
「天気が良いし、気分も晴れるわね」
「そうだなぁ」
肩から聞こえる声に俺は答えた。
二人で、いや三人で空を見上げる。ゆったりとした時間が流れていた。
「たまにはこういうのもええやろ?」
隣に座っている聡子さんが湯呑片手に笑顔で言う。
「そうですね。最近ゆっくりしてなかったので」
「若い内はあくせくするもんやけぇ。ほやけど、たまには足を止めてみるのも悪くないけぇ」
「そうねぇ。おばちゃんの言う通りだわ」
引きこもりの時の反動が、休むことを恐れていたような気がする。停滞すればまた元の生活に戻るんじゃないか。そう思っていたのかもしれない。
何度か緑茶を飲むと、底が見えた。飲み干してしまったらしい。
「あの、聡子さん。キッドのことなんですが、どうすればいいんでしょうか?」
「愛情を注いできちんと接すればええんやない?」
「それは、俺に問題があったと思うんですが、餌が……高くて」
「中には好き嫌いがある馬もおるけぇねぇ、なにをあげとるん?」
「ドラグーンキャロットです」
「そ、それは難儀やねぇ。毎日あげとるん?」
「え? 三食あげてますけど」
「ふむ、そうなんやねぇ……ちょい来ぃ?」
聡子さんはそそくさとどこかへ向かう。
俺とリリィは目を合わせて疑問符を浮かべると、すぐに聡子さんに続いた。
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家の裏側には牛舎があった。そこにキッドも待機している。
SWでは、ペット達はあまり自由に動かないため柵はない。一応の区切りを丸太で作っているらしい。
しかし、馬と牛を同じ場所に待機させるというのは正しいんだろうか。あんまり気にすると負けな気がする。
キッド以外に牛が二頭いた。正面に餌箱があり、そこに干し草がこんもりと盛られていた。むしゃむしゃと美味しそうに食べている。
「牛も馬も基本的には干し草が主食やけぇ、試しに食べさせてみるとええんやない? 実際は多少内容物が違うんやけど、ここじゃあ変わらんみたいやわ。かなり安い上に、自作も出来るけぇ。小太郎と大二郎を見る限りやと、麦やら混ぜんでも問題ないみたいやしねぇ」
「干し草、ですか……」
考えたことがなかったな。なぜなら都市内で干し草を多量に手に入れるのは手間がかかるからだ。量が多くても単価は安い。わざわざ入手する店はない、というわけだ。
都市内で馬を飼う場合、多くは果物や野菜を与える。最初は安物のキャロットを与えたが、キッドは高価なものを欲した。
それはつまり、キャロットだけしか与えなかったからなのか?
「餌は他人じゃあげれんけぇ、そこに積んどるのあげてええよ」
牛舎の正面に干し草が大量に集められていた。所持している牛舎の近くであれば農具や干し草などを置くことは出来るらしい。
俺は干し草を適当に持ち、キッドの目の前まで移動する。
興味なさそうにしていたキッドだったが、俺の手元を見ると、何度も瞬きし鼻息を荒くする。
俺は餌箱に干し草を入れると、キッドに視線を移した。
「……食べて、いいぞ」
いつものような見下すような雰囲気は感じない。
キッドは迷った様子だったがゆっくりと干し草を口にした。それを皮切りに、勢いよく何度も咀嚼し飲み込んでいた。
「た、食べた」
「馬は甘いもんが好きやけぇ、人参とか一部の果物とかよう食べる。ほやけどそればっかりは食べんのよねぇ。我慢して食べてたんやないかねぇ」
「ドラグーンキャロットしか食べなかったのは?」
「多分、この子はあんまり人参が好きじゃないんかもしれんねぇ。その中でもドラグーンキャロットだけがなんとか食べれるんかも。馬にも好き嫌いがあることもあるけぇ」
「で、でも好物にドラグーンキャロットって」
「今、見てみ?」
「え、ええ」
慌ててUIを開いた。
騎乗ペット …黒兎馬【最上】
・名前 …キッド
・等級 …特1級
・馬齢 …3歳.14日
・体長 …2.4メートル
・体高 …1.7メートル
・最大速力 …時速46キロ →49キロ
・体力 …有り余っている
・空腹度 …腹三分
・最大積載量 …49600 →50900グラム
・親愛度 …1 →5
・性格 …じゃじゃ馬
・得意な地 …草原、荒原、山道
・好物 …特製干し草【聡子】【中以上】【低品質以上】
「おいいいぃぃっ!? どうなってんだ!?」
俺は絶叫した。少し驚いたようにしていたキッドと牛二頭だったが、すぐに食事に戻った。
今までの餌代……時間、労力は一体なんだったのか。
「どうやったん?」
「親愛度は上がってますが、好物がドラグーンキャロットから干し草に変わってます……ううっ」
「……もしかして今まで、人参しかあげなかったん?」
「え、ええ、そうですが」
ふむ、と思案顔の聡子さん。次いで質問を繋げる。
「リハつん、馬の飼育方法を誰かに聞かんかったん?」
「フ、フレに馬持ちがあんまりいなくて……聞いたら人参を食べてるって」
「その人の馬は人参だけでえかったんやねぇ。栄養バランスもあるけぇ本来はあかんけど、ここは仮想現実やけぇ人参だけで大丈夫なんやろう。けど、キッドちゃんは好きやなかったんやねぇ。馬には食事が高級かどうかまでわからんけぇ。ほやけど、態度やら見とればわかったんかもしれんねぇ。餌をあげる時、嬉しそうにしとったかねぇ?」
そういえば、キャロットを出しても居丈高のままだった。むしろ不機嫌そうだった。
俺はそれが性格の悪さからくるものだと思っていたが、そうではなかった?
単純に、自分のことを道具としてしか見ていない主人に嫌気がさしていたのか?
キャロットばかり与える俺に対して、好きではないと主張していたのか?
「してなかった、と思います……」
「動物っちゅうんは喋らんけぇ、よう見てやらんとわからんことも多いんよねぇ。ほやけど、ちゃんと見とったら、ちゃんと愛情注いどったら返してくれるもんなんよ」
その言葉を聞いて、俺ははたと気づいた。
リリィは俺のナビだった。しかし俺を必要以上に助ける義務はなかった。その証拠に、さっさと転職しろと言っていたのだ。
だがそれでも、俺の気持ちを汲んで一緒に居ると選択してくれた。それは優しさだ。
しかし、俺はどうだ?
リリィに報いると言いながら、その時の俺はただわがままを言っていただけだった。自分の考えを伝えることもなく、勝手に空回りして拗ねた。でもリリィは涙ながらに応えてくれたのだ。一緒に居たいと言ってくれた。
キッドはあの時の俺だ。いや、キッドの方がマシだろう。
思い返せば何度も合図を送って来ていたのだ。餌を嫌がり、俺の行動は間違っていると鼻息を吐き、態度をでかくしていた。俺はなにも考えず、高級なキャロットを与えた。高ければいい、人参ならいいとキッドを見ずに押し付けた。
道具として接し、愛情なんて注いでもいなかった。それで親愛を持ってくれるはずがない。それで信頼してくれるはずがない。
この世界の住人であるリリィを信頼しながら、ゲームだからとキッドを馬とも思わず、ただのアイテムとして扱った。それでリリィを不安にさせてしまった。
キッドも俺に愛想を尽かしていたのだろう。しかし、親愛度が上がった。それはまだキッドが俺を見限ってはいないということなのか。
「こいつは、キッドは俺を嫌ってはいないんでしょうか……」
「親愛度が上がっとるんやったら、嫌っちょらんのやないかねぇ。餌を与えてすぐ上がるっちゅうことは、今まできちんと世話をしとったっちゅうことやろうねぇ。その方法が間違っちょっても、道具として扱っちょっても、世話してくれた恩は忘れんけぇ」
「リハツ……」
リリィが何か言いたげにしていた。
俺のやり方は間違っていた。もっとキッドを見ていれば、リリィの態度に気づいていれば両方の気持ちをくみ取っていればよかった。
「これからどうすれば、いいんでしょうか」
「撫でてあげればええ。優しくして、悪いことしたら叱る。何かあったら気持ちを考えてあげちゃれば、馬も理解してくれるんやないかねぇ。この子は優しい子じゃけぇ、きっとわかってくれるわぁ」
食事を止め、顔を上げたキッドを見て、俺は逡巡しながらも近づいた。
そっと手を伸ばし、頭に触れると恐る恐る撫でた。
触るまでは剣呑な空気だったが、徐々に弛緩する。
ヒヒッと小さくいなないたキッドの目は「しょうがないなぁ」と言っているように見えた。