第六十七話 リハツ、耕作者になる
微妙な空気が漂う中、二時間ほどで聡子さんの家に到着した。時刻は十六時。
日が落ちるまでに、ここからトエト・アトリスに行くのは厳しそうだ。
閑散としている。二階建ての木製の家屋と広大な畑以外にあるのは、廃屋が数軒だけだ。廃村なんだろうか。
畑を囲むように頑強そうな木造の柵と壁があった。部分的に穴が空いているためそこから畑の様子が見える。周囲の壁から一定距離を離して畑を作っているようだった。
そこで異常に気付いた。
このエリアはPKエリアだ。
「あ、あのここ居住エリアじゃないんですか?」
「元は居住エリアやったんやけど、人が少なくなってから、ただのフィールドになっちょった。んで、今はPKエリアになっちょる。本来は人は住めんし、家も建てられんのよぉ。ただ、ウチはここから離れたくなかったけぇ、運営に要望送ったんよね。そしたら、住むのはええけどエリア変更は進める、みたいな感じやったわけや。特例みたいな感じやねぇ」
「そんなことあるのか?」
「ど、どうかしら……SWは色々複雑だから……」
リリィはしどろもどろになりながらも答えてくれた。まだ気にしているらしい。
時間が経てば少しは落ち着くと思っていたが……。さっきよりはマシになっているようではあった。
「多分あれじゃねぇ、ウチの不利益が多すぎるっちゅうことやったんやろうねぇ。エリア変更は運営側の都合やったし、最低限譲歩してくれたっちゅうことやと思うよぉ」
なるほど。それなら、あり得るのか?
俺は聡子さんに再び問いかける。
「危なく、ないんですか?」
「最初はようPKやら来とったわぁ。傭兵さん雇ったり大変やったけど、一時落ち着いとった。この防壁はその時のもんやわ。最近はまた始まったみたいやけぇ、気をつけんといけんねぇ」
簡単に言うが、一人でPK達と戦うのは並大抵の苦労ではなかったはずだ。
奴らは執拗で利己的だ。ブラックリストに入れても、PKエリアでは相手の姿を消すことは出来ない。強引に干渉してくる。
たった一人で抗って、ここまでやって来たのか。
「中に入りぃ、玉葱持って来るけぇ」
「あ、ど、どうも」
「えーと、お邪魔します」
聡子さんが扉を開け、屋内へと入っていった。俺達もそれに続き中へと入る。
洋風の家屋内を視界に入れると、不思議と郷愁に駆られた。
左の壁にある暖炉の前には揺り椅子、中央に四人用のテーブル、正面奥には台所が見えた。左奥には階段。寝室は二階らしい。
暖炉の上には写真立てがあった。中には絵が挟まれている。
……あんまり見回すのは失礼だな。やめておこう。
聡子さんは台所へ行くと、すぐに戻ってきた。
「ほい、これよ」
トレード画面が開き、提示アイテムを確認してみる。
・ロークオニオン【聡子】
…シンドリア山岳周辺で収穫されたオニオン。旨味成分が多く、重宝されている。
【品質82】【レア度6】【重量200グラム】
これが10個だ。
この品質は高いんだろうか。それとも普通?
一度メイに連絡をとらないとわからないな。
「あ、あの」
「わかっちょると思うけど、タダでええよ」
「そ、そうですか」
先に言われてしまった。
感謝の気持ちを無下にするのはよくないな。
俺はトレードを受け、オニオンを所持品に入れた。
「ありがとうございます」
「ええんよ、それはちょっとしたお礼じゃけぇ。なんやったら、もっとあげてもええんやけど、前にPKに奪われてしもうたから、あんま残っちょらんのよ。収穫まで待ってくれたらいくらでもあげるけぇ」
「いえ、これで十分です。ちょっと、友人に連絡とってもいいですか?」
「構わんよぉ。むしろくつろいでゆっくりしぃ、久しぶりのお客様やけぇ、ウチも嬉しいんよ」
「そうですか……じゃあ、お言葉に甘えて」
「ありがとね、おばちゃん」
「うんうん。ほやったら、ウチは仕事あるけぇ、外におるわ。なんかあったら言いや」
「ど、どうもです」
聡子さんを見送って、俺はメイにメールを書こうとしたが、考え直してWISを飛ばした。
『はいはーい、メイ・リンよぉ♪』
「ごめん、営業中だよな? 店忙しいか?」
『大丈夫よぉ、今は落ち着いてて暇だしぃ』
「そうか。早めに済ませるよ。今、農家の人にオニオンを貰ったんだけど、品質が82なんだ、これ高いのか?」
『あら、あらあらあらぁ、すっごい高いわぁ。出回っているオニオンだと60あればいい方なのよぉ。その農家さん相当職人ねぇ』
「そ、そうなのか。じゃあ、これでもラーメン作れそうか?」
『今よりは格段に味が上がるわぁ。けど出来れば、他の食材と同じくらいの品質の方がいいわねぇ。バランスもあるしぃ。無理そうならそれで大丈夫よぉ』
「うーーーーん、そうか。まだトエト・アトリスには行ってないしな……もうちょっと調べてみるよ」
『あたしの情報だとトエト・アトリスにもそれ以上の品質はないと思うわぁ。持っているとすれば、一部の権力者か、コネを持ってる商人。或いは、相当優秀な農家さんくらいねぇ。そこの農家さんに色々聞くのもいいかもねぇ』
「ああ、わかった。ありがとう。営業中に悪かったな。メールだと時間がかかりそうだったから」
『いいのよぉ♪ それじゃ、また何かあったら連絡頂戴ねぇ』
「ああ、またな」
82でもかなり品質が高いのか。だったら聡子さんはかなり腕利きということになる。農耕について、俺は素人だし色々聞く方がいいかもしれない。
俺はWISを切ると、リリィに向き直った。
「聡子さんのオニオンの品質はかなり高いみたいだ。ただ出来れば100近くあった方がいいらしい」
「……話しぶりからしてトエト・アトリスにはなさそうなのよね?」
「みたいだな。伝手があれば違うかもしれないけど」
「あたしは行かないで済むならトエト・アトリスにあんまり行きたくないかも……あの人がいる、みたいだし」
竜吾のことか。
俺は奴を許してはいない。けれど私怨のためだけにトエト・アトリスに行く気もなかった。目的はサクヤのためにラーメンを作ること。そのために必要な高品質のオニオンを手に入れること。
そして……リリィとの間にあるこの空気をどうにかすること。
最後のだけ、どうすればいいのかわからない。
少しずつ進もう。そうリリィが言ってくれたから、俺は縋るようにそれを信じるしかなかった。
▼
ザクッ。
鍬が土に刺さる。そのまま手前に引くと、土が盛り上がった。
ひたすらそれを繰り返す。寒さの中、身体を動かしているためか一定回数行うと速度が落ちる。そのため途中で休憩が必要だ。
農耕師には特殊なステータスがある。スタミナだ。半永久的に耕すことを規制するために設定されているのだろうと予測出来る。広大な土地をすべて畑にし耕すという作業を簡単に出来るようになることを防ぐためだろう。推測の域は出ないが。
「中々進まないな」
「そりゃ素人だもん。仕方ないんじゃない?」
畑の真ん中で俺は耕し続けていた。家の近くにあった畑だけじゃなく、聡子さんは畑を幾つか所有しているらしく、各2ヘクタールくらいある。広い。広すぎる。
どうやら元農家の人達から安く譲って貰ったらしい。
その一つを聡子さんと耕しているというわけだ。遠目で見ると、ものすごい速度で耕作をしている。あの速さでも一人ならかなり時間がかかりそうだ。
なぜこうなったのか。
事の発端は、昨日、聡子さんに農耕師の話を聞いたことだった。
俺は透き通るような青空を見上げながら、その時のことを思い出した――
「このゲームの農耕っちゅうんは簡単なもんなんよ。現実と違って、肥料も農薬もいらんし、病害虫もおらんけぇ。土の良し悪し、気候による作物の影響、収穫の期間、水やりの期間と量、それとスキルやねぇ。玉葱は連作障害はないんやけど、より品質が良いものが出来るかと思って四面季節ごとに回して栽培しとるねぇ」
「高品質を作るにはどうすれば?」
「根気かねぇ。玉葱はさっき言うたんを全部満たしても高品質が出来ん。最初、玉葱作った時は酷いもんやったけぇ。今は大分上がってからに、良質になってはきちょる。ウチ農耕系のスキルはかなり高くはなっちょるけど中品質しか中々出来んけぇ、試しに数を作るようにし始めたんやけど、手が足らんのよねぇ。玉葱は凍害に強いけぇ、問題ないんはええんやけど」
「一人だと厳しそうですね……それに農耕師のプレイヤーは多くないみたいですし、手伝いしてくれる人はあんまりいないのかもですね」
「いやいや、素人でもええんよ。速度は変わるんやけど、効力は変わらん。農耕師は畑の所有許可、作物の品質維持、収穫と植え付けん時のスキル使用をするだけじゃけぇ。極端な話、スキルさえ使えば、収穫も植え付けも素人さんに任せても構わんのよ」
「高品質は出来るでしょうか?」
「ここ一年で品質は上がってきちょる。可能性はあるんやないかねぇ。ここじゃ植え付けから収穫まで一週間くらいじゃけぇ、一か月くらいには出来るかもしれんねぇ。それが限界やけぇ……出来る確信はないんやけど、手ごたえはあるわぁ」
「……わかりました、じゃあ俺が手伝います!」
――という経緯があって鍬を持って土をこねくり回しているというわけだ。
俺が自薦した理由は簡単だ。
トエト・アトリスで情報を集め、伝手を作り、或いは幸運に任せて高品質のオニオンを探すよりは、聡子さんの手伝いをした方が可能性が高いと思ったからだ。竜吾に会いたくないっていうリリィの意見もあったしな……。
それに、キッドのこともあるし、聡子さんに色々教えて貰いたいこともあった。
それで聡子さんが快諾してくれたので、今に至っているというわけだ。
住む場所がないので、二階の客室を借りている。手伝いをする代わりに、宿泊代はいらないし、高品質のオニオンが出来たらわけてあげる、と言われたのでかなり助かる。
振り下すたびに『耕作スキル』の値が少しずつ上がる。これはエクストラジョブ、つまり基礎職である耕作者のスキルだ。
名前の通り耕すだけであり、それ以外何もない。特定の道具を装備するだけで特殊な行動が出来る。ほぼ肩書で、メインジョブ、サブジョブには入らない。システム的にはジョブ名はなく、プレイヤーが勝手につけているものだ。そのため人によって呼び方が違ったりするわけだな。
サクヤが受付の基礎職であるのと一緒だ。メインとサブは戦闘職でも、受付用スーツを着れば受付となる感じだな。あれは支給品らしいから売れないし捨てられないしトレードも出来ないらしいけど。単なる制服らしく、何かスキルが使えるわけではないらしい。
今、俺は装備を外している。鎧姿で畑を耕すには抵抗があったからだ。
「なんか、また巻き込まれて行ってるわね、あんた」
「そういう性格なんだ。それに、可能性があるって言われると、こう、燃えてこないか?」
それにどうせならきちんとしたものを届けたい。妥協はサクヤへの友情を軽んじていることと同義だからだ。
「わからないでもないけど。あたしは手伝えないのよね……」
リリィは使い魔で戦闘以外で俺を手伝うことは出来ない。
「じゃあ、話し相手になってくれよ。一人で黙々作業していると気が滅入るしな。現実だと疲れるけど、ここなら、SWなら疲れるわけじゃないから話しながらでも出来るだろ?」
「そんなのでいいの?」
「むしろ、それを頼みたいんだ」
「そ、そう? なら、うん、いいよ」
それから俺は耕作を続けながらリリィと会話に花を咲かせた。