第五十九話 生きていくために必要なもの
冒険者ギルドに到着した。
キッドをギルド裏にある馬の待機場に置いて中に入る。
馬を含む騎乗ペットは、現実さながらの仕様で召喚したり帰還させたりは出来ない。
つまり、移動や建物に入る際にも場所を考えたりしないといけないわけだ。ただ、所有権があるプレイヤーから命令がない限りは離れないし、基本的に他者が奪うことは出来ない。それは親愛度が低くても変わらない。
親愛度は能力の向上、フィールドで命令を聞くかどうかに大きく影響している。都市内ならば大抵は問題ない。舐めた態度をとったりはするけどな、くっ!
急に暴れたりはしないようになっているし、街中で乗っても、走ったりはしないし出来ない。都市戦以外で、プレイヤーが都市内で戦闘系スキルを使えないのと一緒の理由だ。
店内には客がちらほらいるようだ。まだ午前10時前だし、こんなものだろう。
俺が来ているギルドはサクヤがいるギルド、つまり冒険者ギルド第一支部だ。元々あった方だな。新しく出来た第二支部には行っていないし、行くつもりもない。
都市戦前後で第二支部のギルマスが、第一支部のギルマスの座も狙っていたという話はサクヤから聞いていたが、現在も頻繁に口を挟んで来ているらしい。
一応、冒険者ギルド本部に報告はしているようだが、梨のつぶてでサクヤ達も対応に困っているようだ。聞くに、本部の対応は杜撰な面も多々あるらしい。こう言ってはなんだが、SWで公営ギルドを実質運営しているのは素人だ。企業ギルドの方がそういう点はしっかりしているだろう。
受付に目をやると、アキラが見えた。
受付業務はギルマス以外のギルドメンバー全員でローテーションを組んでいると聞いた。必然、アキラも受付をするというわけだ。グラクエ報告時にいたのは覚えている。
彼女は性格とは裏腹に丁寧な接客をしている。サクヤもそうだが、二重人格に思える時がある。プロなんだろうな。
「よう」
「よう」
片手を上げて、俺と同じ言葉を返してくるアキラ。
客がいるのにいいんだろうか。
「サクヤに頼まれていた依頼品を持って来たんだが」
「あー、悪ぃないつも」
「ついでだし構わない。いいか?」
「ああ、頼む」
会計石を通し品を渡しながら、俺は周囲を見回した。
あ、ギルマスだ。
いつものように渋い表情、出で立ちのギルマスがいた。俺と目が合うと、ビクッと身体を震わせた。
また禁断症状か?
あの人はなぜか俺を見ると、プギャプギャ言い始めるのだ。
俺の中では『プギャおじさん』と命名されかけている。
どうする? 素知らぬ振りを通すか。また血圧が上がってしまったら、サクヤ達に申し訳が立たない。
脳内であれもだめ、これもだめ、いやしかし、と考えていると、ギルマスが小さく笑った。ダンディだ。ダンディの塊だ。
これは克服したと見ていいのか。
アキラは後方のギルマスに気づいたようで、はらはらした様子だった。
見つめ合うこと、数秒。ギルマスが口を開くことで空気が変わった。
「プギャ」
しっぶううぅっ!
いい声だった。
渋いという形容以外思い浮かばないほどの声音だった。
しかし、完璧なダンディズムであったはずが、言葉で全てを台無しにしてしまっている。
ギルマスは薄く笑うと奥へと引っ込んで行った。手足が同時に出ていたことを俺は見逃さなかった。
「い、色々あるんだな」
「あ、ああ、悪ぃな、少しはマシになったんだけどさ」
一触即発の場面を乗り越えた俺は、話題を変えるために再び辺りを見回した。
にゃむむやいつも見るギルド員達はいるが、サクヤの姿がない。
「それはそうと、今日、サクヤは休みなのか?」
サクヤはたまにSWにログインしない時がある。頻繁というほどではないが、何か用事があるんだろうか。
いやいや、俺みたいに暇人ばかりじゃないのだから当たり前か。
「あ、ああ、ログインはしてるんだけどなぁ、ちょっと調子が悪いというか」
「どうかしたの?」
リリィが心配そうに尋ねた。
しかし、SWにログインするには健康でなくてはならなかったような。風邪程度でも止められると三森先生が言っていたのを思い出す。ただ、例外もあるとかなんとか。
言いづらそうにしているアキラだったが、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「病気じゃ、ない、というかだな、あー、身体じゃなくて心の、みたいな?」
「精神的に疲れてるとかか? なにかあったのか?」
「あったというか、いつものことと言うか、と、とりあえず会ってみてくれ。リハツと話せば少しはマシになるだろうしな」
俺とリリィは顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
サクヤのプライベートは知らない。聞こうと思ったことはなかったし、サクヤも話そうとはしなかった。
しかし俺達は現実に生きている。仮想現実に意識があろうとも実際はクレイドルの中で横たわっているのだ。
俺とは違い、サクヤはログアウトする機会もそれなりにあったようだ。現実で何かあったのかもしれない。
「今、どこにいるんだ? いや、WISで話すか」
「ま、待った。出来れば直接話した方がいい。顔を見ながらの方が……色々とわかるだろうし。い、今は、タイタス通りにある『ミドラ』って喫茶店にいるはずだ。ここからなら、中央噴水経由の方がわかりやすいと思う」
アキラが歯切れの悪い言葉を出すのは珍しい。いつもはもっとはきはきしているのに。
それほどサクヤの状態は深刻なのかもしれない。
俺は即座に頷いた。
「わかった」
「悪いな、あいつのこと、頼むよ……」
神妙な面持ちのアキラに俺は力強く頷いた。
友人が困っている。ならば助けるに決まっているじゃないか。
「リリィ、行こう」
「ええ、早く行ってあげましょう」
俺達は友人の顔を思い浮かべながら『ミドラ』という喫茶店に向かった。
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「そ、そんな……ウソだろ、サクヤ」
「こ、こんなことって……」
俺とリリィは呆然と立ち尽くしていた。
『ミドラ』はこじんまりとオープンカフェだった。大通りに面してはいるが、大規模の店舗に挟まれ、存在感が薄い。
俺達の背後にはタイタス通りが横に伸びている。幅は三十メートルはあるだろう。すでに都市戦で損壊した建物はほとんど残っていなかった。人々には活気があり、雑踏の中で俺とリリィだけが浮いていた。
カフェの外にはテーブル五つ並べられている。その席にサクヤは座っていた。
眼前にいるのはサクヤなのか。本当に、あの。
絶句したまま、俺は生唾を飲み込み近づいた。
「サ、サクヤ」
目の焦点が合っていない。虚空を見つめ、ぶつぶつとなにやら呟いている。
「だ、大丈夫なの?」
リリィの言葉にも反応はなかった。
突如として呟きがはたと止み、緩慢に首を動かした。
「ひっ!?」
ホラーに耐性のあるリリィでさえ小さく悲鳴を上げてしまうほど、恐ろしい情景だった。俺は委縮し、何も言えなかった。
SWで肉体的な問題が起こることはありえない。現実で管理されているからだ。だから顔色も悪くはならないし、異常に痩せたり、病気になったりはしない。
だからサクヤも健康だ。健康なのだが、目が死んでいた。
「リ、ハツ、とリリィ、か、ど、した?」
「どうしたじゃない! おまえがどうした!?」
いつもの鉄面皮はそこにはない。引きこもりをしていた時の俺と比べるのもおこがましいと思うほどに、サクヤは憔悴していた。いや、これは絶望している。
一体、何があったんだ?
俺はサクヤの正面の席に座った。
彼女をじっと見据える。
「どうしたんだ? 俺でよかったら話、聞くぞ?」
頼りないだろうけど、という言葉は飲み込んだ。そんな謙虚な文言は、サクヤが心情を吐露する足かせにしかならない。
「ふ、ふふ……わ、私は、もうだめだ」
「そ、そんなことない! 何があったから知らないが、そんな風に言わないでくれ! 俺は、サクヤと出会って楽しくなった、変わったんだ。だから、何かあるなら助けたい。頼む、教えてくれ」
「リ、ハツ……」
僅かにだが、サクヤの目に生気が戻った気がした。
「俺に出来ること、いや、出来なくてもサクヤのために何かしたい。わがままでもいい、なんでもいい、言ってくれ」
俺は必死に言葉を投げかけた。
頼って欲しい。そんな言葉を俺が言うことになるなんて、少し前の俺は考えもしなかった。
「こいつ、あんたのために何かしたいって思ってる。もちろん、あたしもね。だから遠慮せず、して欲しいことがあるなら言って。話すだけでもいい。話したくないなら傍にいてあげるわ」
「リ、リィ……二人とも、あ、りがとう、私は幸せ者だ……こんな、優しい、ゆ、友人に恵まれて、い、逝けるのだ、から」
「んん?」
リリィは小首を捻る。
しかし、俺は構わず頭を必死で働かせた。
「サ、サクヤ! お、おまえまさか」
難病、なのか。いや、違う。SWでは病気の人間はいない。
いない? 本当に?
三森先生はこう言っていた『基本的には病人のプレイは断る。だが条件付きで認める場合もある。ケースバイケースだ』と。
細かい部分は違っているだろうが、内容は同じなはずだ。
これは病人、つまり入院患者を指し示す言葉だったのではないか?
もしも、入院患者のストレスを発散させる施策があったら? もう余命僅かな人間がいたとしたら? メンタルケアのためにSWを利用しているとしたら?
俺のように広く知られていない救済プログラムを受けている人間もいるのだ。あり得ないことではないかもしれない。
だったら、サクヤは、まさか。
俺は手足が震えていることに気づいた。意識が仮想現実での現実を受け入れることを拒否している。
「す、まない……」
「そ、んな……ウソだろ! ウソだよな!? サ、サクヤが、そんな……」
「わ、たしは、こ、こんな、情けない人間だ、心配をかけてしまって、すまない」
そう、辛いのはサクヤなのだ。俺が動揺してどうする。
少しでも辛さを和らげ、気を楽にさせる。それが俺の出来ることだ。
「そんな風に言わないでくれ……俺は、サクヤと出会えて嬉しいんだ」
「リハツ……あ、りがと……」
ガクッと首を倒し、サクヤは目を閉じた。
反射的に近寄り、彼女の身体を支えた。
「サクヤアアアァッ!」
俺の慟哭がタイタス通りに響き渡る。衆目を集めようとも知ったことではない。
「な、なんだ? あれ、変質者か?」
「気にすんなって、たまにドン引きするような奴いるだろ。BLBL」
「あれリハツじゃない?」
「あ、ほんとだ、リハツさんだ」
「な、泣いてる……」
俺は涙し、そして自分の力のなさを憎悪した。
そんな俺を指さして、ひそひそ話している野次馬達。ここにCVモバイルがあったら、カシャカシャと写真を撮られていただろう。
なんて酷い奴らだ!
「何してんの?」
呆れ口調のリリィが俺達を見下ろしていた。空に浮かび、薄情な声音を俺達に放った。
「リ、リリィ、おまえもか! 見損なったぞ! おまえはそんな奴だったのか!?」
「そんな奴って……SWで人が死ぬわけないじゃん。そんなプレイヤーならとっくにログアウトしてるでしょ。ってか入院してるでしょ」
「サ、サクヤは入院患者だったんだ! だから、余命を楽しく過ごそうと、くっ、俺がすぐに気づいていれば」
「はぁ? ちょっと状況に酔い過ぎじゃない? それはないから」
「……ん? 今なんと?」
「だからそれはないって。アキラも心の方に問題があるって言ってたじゃない。それに入院患者のメンタルケアのために、SWプレイが認められてはいるけど、末期の患者はいないから。死なないわよ。現代医学舐めすぎじゃない?」
「…………ウソ、だろ」
俺は『ミドラ』に来て、何度ウソという言葉を使っただろうか。
くそっ! もう何が本当のことなのかわからない!
「ほら、口元に耳寄せてみなさいよ、なんか言ってるわよ」
はっとしてサクヤを見た。確かに口が動いている。
生きている!
俺は、咄嗟にサクヤの声を聴き取ろうと、耳を寄せた。
「…………ラ」
小鞠のような口調になっている。
そこまで、追い詰められていたのか! 小鞠さんごめんなさい。
「ラ!? ラ、なんだ!?」
「ラーメン、食べたい」
その言葉を聞き、俺は天を仰いだ。
ゆっくり、確実に俺は状況を飲み込んだあと、すべてを悟ったように生暖かい笑みを浮かべた。そして思った。
なにこの茶番、と。