第五十二話 説明好きなエッジ
「まず、さっきの『廃人でもあり得ない』という発言の真意を話すか」
「お願いするわぁ」
「はいっ」
「お、お願いします」
私達三人はほぼ同時に頷いた。
二宮さんはメニューを見ながら唸っていた。
エッジさんは満足そうに小さく首肯して、言葉を紡ぐ。
「前提の話からだ。ネトゲっていうのはジャンルによるが、総じて時間がかかるものだ。だから長時間プレイした方が有利になる。それはSWでも変わらない。まあ、アプデで変わることもあるけどな……そこは度外視してくれ。MMORPGのようなステータス依存で、プレイヤースキル、PSがあまり必要じゃないものは特にな。まあ、MMORPG自体幅広く使われているから、中には多少PSが必要なゲームも存在しているけどな。ただSWは行動すべてをプレイヤーが決定しなけりゃなんねぇ。スキルも思考操作を用いなけりゃ思ったように発動しないし、発動自体遅いわけだ。つまりかなりPSが必要になる。ここまではいいか?」
再び頷き、問題ないと伝えた。
「廃人ってのは色んな意味で使われるが、ネトゲにおいてはプレイ時間が長いというのが共通だ。そしてそれにPSは伴わない場合もある。長時間プレイすれば多少は上達するが、本人の資質も関わってくる。どんだけ特定の高難易度なゲームをプレイしても、クリア出来ない奴はいるし、同じプレイ時間でも練度は違ってくるわけだ。だから廃人レベルの奴でも、こいつのように出来るわけじゃない」
「あら、思ったのと違った感じだったわぁ。それなら廃人レベルのプレイヤーの中にはリハツさんと同じようなプレイスタイルで戦える人がいるってことよねぇ? これと?」
レベッカさんはホログラムのリハツさんを指差した。
廃人のプレイヤーの中にはこんな風に動ける人が一杯いるんだろうか。
「難しいだろうな。なぜなら、この、リハツが戦ってるMOBはスキル値80から120程度のMOBだ。敵の強さが上がれば、当然ながらステは上がるし、攻撃速度も上がる。避けられねえんだ。あまりに早くてな。じゃなけりゃタンクがいる意味がねえからな」
「でも、廃人の中には出来る人もいるのよね?」
「一対一の条件なら、いるだろう。少数だろうけどな。だが、それはあくまで個人の資質、才能、努力、経験が必要で、更にAGIと脚力スキルをかなり上げている場合の話だ。リハツって奴は中級プレイヤーの上に、SWを始めて短いんだろう? 同程度のスキル帯で同じように出来る奴はまずいねえだろうな。稀に、もしかしたら一体相手なら出来る奴はいるかもしれねえ」
「んー? それってつまり、身体能力は低いのに身のこなしは卓越してるってこと?」
「そういうこった。こいつは多分、SW内での身体の動かし方を完全に把握してやがる。そんなのは普通は出来ねえ。いや、一握りの人間なら出来るかもしれねえが、やろうとも思わねえ。なんせ、高スキル帯になればなるほどMOBのステは上がる。さっきも言ったが、先を考えれば、こんなやり方をしてちゃ身体が持たねえし、むしろ出来るとも思わねえからな。見ろよ、こんな動き、自分が出来るって想像出来るか?」
リハツさんは四方のMOBの攻撃を掻い潜り、全てを回避していた。
笑っている? 楽しんでいるのだろうか。
「無理ね」
「そういうこった。労力、危険性、時間の無駄になる可能性、そしてなにより、出来ると思えねえってこと。それらの理由があるから誰もやろうともしねえ」
「その、要領を得ないんだけれど、リハツさんはなぜこんな風に動けてるのか知りたいのよ。単純なPSなのよね?」
「恐らくな。フェアリーテイマーの知られていないスキルって可能性もあるが、ないだろうな。これだけ長時間超速で動けるスキルなんてチートみたいなもんだ。なぜ出来ているかってのは……こっからは俺の仮説を多分に含むけどいいか?」
「か、構いませんっ!」
「人間の反射神経ってのは0、1秒程度が限界だ。中にはこれを切る化け物レベルもいるけどな。あくまで行動開始の時間で、そこから回避行動が始まる。仮に0、2秒かかるとしよう。そうなると回避が完全に終わるには合計で0、3秒かかるわけだ。だがSWでは神経線維の信号伝達やら脳波やらを感知している、つまり、視覚から情報を得て、脳が認識するまでの時間は現実と変わらねえが、そこから肉体に命令を伝達するという過程を、理論上はかなり省ける。肉体がねえからな。脳が認識したと同時にクレイドルが感知し、行動するという伝達の速度が著しく短縮されるってわけだ。多少のラグはもちろんあるが、現実世界の肉体とは決定的に違う。だから、0、1秒以下で動ける……って、わかるか?」
「私はなんとかわかるけれどぉ」
「はいはいっ! 全然わかりません!」
「ぼ、ぼくはギリギリ……」
「つまりね、SWなら、頑張れば現実よりかなり早く動き始めることが出来るのよぉ」
「あ、なるほど!」
「お、おう悪いな。かいつまんで説明出来ねえんだ、俺。そ、それでだな、そういう理由からSWでは、開始当初は『現実の身体と同じような身体能力』から始まる。現実酔いってあるだろ? あれを緩和するためだ。現実と違い過ぎると脳が混乱しちまうんだ。個人差があるから初期のスキル上昇値が多少違うのはそのせいだな。徐々に慣らして、最終的には同数になるんだが。で、リハツって奴は、このSWと現実では身体の動かし方が違うって部分をフルに活用してる。だから初動が凄まじく速ぇんだ。元々そういう才能があったのか、SWを始めて開花したのかは知らんが」
「詳しいのねぇ。元関係者とかぁ?」
「ああ、元はSWの開発部にいた。今はただの廃人だ」
なるほど、だから詳しかったんだ。
ん? でも、レベッカさんも詳しい、というか話を理解出来てるみたい。
は!? まさかレベッカさんも元開発者!?
……違うような気がする。
「ふーん。でもねぇ、さっきの話なら廃人レベルの中にはいるんでしょ?」
「ああ。知り合いにいるが、初めて見た時は驚いたもんだ。だが、リハツはレベルが違う。反射神経ってのは持続するのは難しいんだ。相当な集中力が必要だからな。脳が疲労する。一撃なら避けられる奴もいるだろう。だが、こいつは、もう数十分、間も挟まずにこのままだ。しかもまだ中級レベルと来た。化け物としか言えねぇな」
私は何も言えなかった。
だって、エッジさんが何を言っているか全然わからなかったからっ!
後でレベッカさんに聞けばいいよね?
「つまり、凄い反射神経が良くて、凄い運動神経が良くて、凄い集中力があるってことかしら?」
「端的に言えばそうだ。ただこれはあくまでSW内だけの話だからな。現実と差異があるだろう。なんせここでの身体の扱い方は、実際のアルゴリズムを簡素化している。現実だともっと複雑だからな。単純だからこそ、難しいんだ。意識せずに腕を動かす、ってのをずっと継続しているみたいなもんだからな。これは自覚がないとかそういう話じゃない。脳自体の話だ。例えば……子供が突然大人になるとしよう。そんな状態なら身体の動かし方を覚えるのに多大な時間がかかるのと一緒だな。簡単な動きならすぐに出来るが、ここまで精密な動きとなると」
「不可能?」
「実際出来てるわけだから、可能なんだろう。ただ、人間離れしてるだけだ」
なんだか難しい単語が飛び交っていて、頭が理解するのを諦めてしまった。
すごい仰々しく言ってるけど、つまりリハツさんがすごいってこと?
それなら私は知ってる。
けど、リハツさんが本当にすごいのはそこじゃないように思えた。
初めて会った時、私達二人はビクビクしていた。けれど、それでもリハツさんは手を差し伸べてくれた。怖いのに、踏み出す勇気。それを持ってる人なんだ。
だから、私はリハツさんと一緒にいたいと思っている。
「彼の秀でているのはそこだけじゃないと思うけどねぇ。グラクエのことだってあるし、視野がとても広いんじゃないかなぁ。地頭も良さそうだしねぇ」
「……それもあるかもな」
「なんか彼を見てると不安になるよねぇ。不安定? ぶれてる、でも安定してる、みたいな? 酷く弱弱しいのに妙に頼りたくなるというか、期待してしまうというか。言いようのない信頼感があるよねぇ。人工物に向ける信用みたいな感じかなぁ。というか作り物っぽい? まるでこの世界のデータなんじゃないかって、NPCなんじゃないかって思う時があるよぉ。と言っても、付き合いは短いけれどねぇ」
「リ、リハツさんはちゃんとした人間ですよっ!」
「あはは、わかってるよぉ。実は機械でした、AIでしたなんてありがちなオチが現実にあるとは思ってないよぉ。ここは仮想現実だけどねぇ。ただ、単純に気にかけてしまうんだよねぇ。彼の人徳かなぁ?」
「それは、きっと……リハツが優しいからだと思います」
ミナルさんの言葉に私は全面的に賛同した。
優しい。それに、見ていると胸が締めつけられる時がある。
恋、じゃない。きっと、多分、私は抒情的な心情になっているのだと思う。切なくて、悲しくて、嬉しくて、応援したくなり、手を貸したくなる。そんな人。
けれど、きっと私にその力はない。だから一緒に行動する。そうすれば少しはあの人の心に近づけるような気がしているから。
単純に好意を持っているだけなんだけど。なんでかな、最初からずっと今までリハツさんへの印象は変わらない。
「そう、かもしれないね。うん。なんか納得がいったよぉ」
「……銀次郎、言葉が過ぎるぞ。大して知らない人間を批評すんなよ。おまえら、悪かったな」
「むぅ、そうかなぁ。ごめんねぇ。悪気はないんだぁ。悪気がなければ何を言ってもいいってことにはならないけどねぇ」
「い、いえ! その……」
「ぼ、僕は大丈夫です……」
「とりあえず、話を戻しましょう。空気が重いわぁ」
「あ、ああ。そうだな」
レベッカさんがポンッと手を叩くと、皆我に返ったように表情が柔らかくなった。
「それでね、どうも納得出来ないのよねぇ。だって、さっきの話だと正面に敵がいる場合のことでしょ? 視覚で認識して、反射的に動く、ってことなら、複数体、いえ、こんな二十体近くのMOBを相手に戦える理由にはならないじゃない」
「ああ、だから、俺が言っているのは『一対一の場合だけ』だ。つまり、複数体相手にしてるのは理解出来てねえ。なんなんだこれ、チートか?」
「そんなわけないって、自分でわかってるくせにぃ」
「っるっせよ、銀次郎。俺にもわかんねえんだよ。ここらが限界だ。他人の考えてることまでわかりゃしねえ。ドライビングセンスみたいなもんか? いや、これはそんな領域じゃない……しかし、すさまじいなこれは。こいつの頭の中はどうなってるんだ?」
エッジさんは感嘆しているようだった。
傭兵ギルドのマスターであるエッジさんは、かなり有名なプレイヤー。その人にリハツさんは注目されている。
その瞳には期待や憧憬が込められている気がした。
「リハツか、面白い奴だな」
「リハツ、くんか」
「リハツさん……頑張ってねぇ」
「……頑張って、リハツ。負けないで」
頑張れ。頑張れ、リハツさん。
そんな応援しか私達には出来ない。
リハツさんは地上で今も、必死で戦っている。でも楽しんでいるようにも見えた。
私は感動していた。なんだか、どうしようもなく感情が昂ってしまっていた。
小さく拳を握って、リハツさんの雄姿を目に焼き付けた。
頑張って。負けないで。
そんなことしか言えない。
出来るなら今すぐあそこに行って、助けたい。手伝いたい。
でも、私には出来ない。
お願いリリィさん。どうかリハツさんを助けてあげて。
祈るように胸中で放った言葉。そうすることしか私には出来なかった。
そんな閑寂とした思考に楔を打ったのは小さな声音だった。
「マジかよ、これ……」
徐々に喧噪が広がり、
「リハツってやつ?」
その疑問は更に疑問を増やし、
「すげえ……」
驚嘆は伝播し、
「どうなってんだ、これ」
更なる疑問。その中で、
「お、おい、見ろよ、都市の映像!」
賛同を求め、また情報は伝わり、
「リハツ?」
一人の、
「リハツか」
男性の、
「リハツ……」
名を呼んだ。
周囲のプレイヤー達も異常に気付いている。
誰もが、都市の中央、リハツさんを見ていた。
小さく、徐々に大きく、その波は広がって行った。
私の心は、なぜか異常な程に打ち震えていた。