第五十話 当ててみろよ▲
ヘイトを稼いだおかげで、闊歩していたウルフの歩みは止められた。
ウルフは悠然とこちらに視線を向けると、ゆっくりと近づいて来る。
なぜ、こんなに落ち着いている?
通常、ヘイトを稼げばMOBは全力で襲ってくるはずだ。なのに、余裕綽々といった感じで歩を進めている。
普段見られないMOBの行動に俺は戸惑い、その場で待った。
やがて、ウルフは俺の目の前までやって来た。
グルルッ、と喉を鳴らし、俺を睨み付けている。
身長差があるため、俺は見下ろされていた。
これは舐められてるのか? それとも威圧している?
どちらにしても、俺は唐突な憤りを感じた。
相手はプログラム。感情はない。だが、俺は苛立ちを持ってしまう。
俺達は睨み合った。視線を一切逸らさない。
「……リリィ、下がってろ」
「ふぇ!? え? あ、う、うん」
リリィは後方支援が主な役割。近くにいては巻き込んでしまう。
一触即発の状態のまま、数秒が過ぎる。
その均衡が破られたのは、思いがけないことだった。
「おりゃあああっ!」
『メイはエンシェントウルフを攻撃した』
ウルフの死角からメイが攻撃した。大斧を振り下されたウルフは吹き飛……ばなかった。その場で、何事もなかったかのように佇んでいる。
『エンシェントウルフに1のダメージ』
ヘイトは俺が稼いでいる。メイにタゲが移ることはない、はずだった。
ウルフは瞬時に姿勢を低くし、メイに振り向くと、一歩大きく踏み出した。
あまりの速度に目で追うのがやっとだった。
「うごおおおお!? うっそおおぉん!」
メイは後方に吹き飛び、空中で粒子を残し霧散してしまった。
ウルフは右手を突き出し、深く身体を沈めている状態だった。
空手? 格闘技?
こいつ、ジョブはグラップラーだ。
あの身のこなしは上級プレイヤーでも不可能な境地に達していると思えた。
ヘイトは移っていなかった。ならば、一体なぜ?
『エンシェントウルフはメイにカウンターを放った』『メイに11391のダメージ』
おいおいおいおい!? なんだよこのダメージ!
カウンター? つまり攻撃を受けて即座に反撃したのがスキルなのか?
ウルフは俺に背を向けている状態だ。
隙だ!
スキル後の硬直状態であると判断した俺は、咄嗟に右手の魔刀輝夜を強く握り、駆けた。ウルフの背中に斬りつける……寸前、手を止め横に跳躍する。
『エンシェントウルフはリハツに側牙雲脚を放った』『リハツは回避した』
ウルフは俺に背を向けたまま、後方に後ろ蹴りを放った。俺はギリギリで避けたが、風圧が髪を吹き上げる。
「くっ!」
直感的に横っ飛びしたが、あのまま攻撃してたら俺は死んでいた。
攻撃間隔もそうだが、硬直時間も短い。
少し気を抜けばやられる。
俺は気を取り直し構える。攻撃は大して通らない。ヘイトスキルでタゲを固定し、回避に専念した方がよさそうだ。
『リハツは風雲陣を使用した』『リハツの脚力が一時的に上昇する』
これで多少は回避をしやすくなるはずだ。
ウルフがまた行動を開始したと思った瞬間、眼前に顔があった。
俺は瞬間的に身体の力を抜き、膝を折る。
『エンシェントウルフはリハツに噛みついた』『リハツは回避した』
地面に膝をついた状態からゴロゴロと転がり、ウルフから距離をとった。
危なかった。格闘技に気をとられて、噛みつき攻撃を忘れていた。狼を模しているのだから、当然の手段だった。
まだ、集中出来ていない。
もっと、目の前の敵に集中しなくては。
俺はじっとウルフを凝視した。僅かな動きも見逃さない。
『リハツは葉隠の舞を使用した』『リハツのAGIが僅かに上昇する』
『エンシェントウルフはリハツに旋風輪踏脚を放った』『リハツは回避した』『リハツは回避した』『リハツは回避した』
『エンシェントウルフはリハツに双打連轟掌を放った』『リハツは回避した』『リハツは回避した』
『エンシェントウルフはリハツを攻撃した』『リハツは回避した』
『エンシェントウルフはリハツに崩洛転手を放った』『リハツは回避した』
手足が別の生き物のように動き回る。
軌道が読めない。半ば勘で回避していた。
余裕がない。思うように避けられない。ウルフの腕、脚、牙は縦横無尽に襲い掛かり、俺を殺そうとしている。
このままだと俺が殺されるのも時間の問題だ。
何か手はないのか?
ウルフは大きく踏み出すと、俺の股下に足を移動させた。
俺は悪寒と共に真上に飛び、空中で膝を抱えた。
瞬間、ウルフの肘が俺のつま先を掠る。
ヒヤッとしたものが背筋を通った。
宙で体勢を整え、俺はウルフに『二段蹴り』を放つ。
だが、それを読んでいたのか、ウルフは手の甲で受け止め、綺麗に受け流す。
着地の瞬間を狙い、ウルフは回転し『裏剛掌打』を放った。二連続の裏拳だ。
俺は身体を捻り、僅かに滞空時間を延ばし、顔面が地面につきそうなほどの無理な態勢で着地。裏拳は回避出来た。
しかし、ウルフは即座に『側牙雲脚』を放つ。グラップラーの特性であるコンボだ。クイックイクイップなしで特定のスキルを連続的に使用出来る。
俺は反射的に武器を交差させて防御の姿勢をとる。同時に、後方へ跳躍、衝撃を弱めようとしたが、ウルフの足裏が短刀ごと俺を吹き飛ばした。
『エンシェントウルフは側牙雲脚を放った』『リハツは防御した』『リハツに3213のダメージ』
衝撃と小さな痛みと共にHPゲージは九割削れてしまう。
なんとか地面に足から着地したが、勢いを殺し切れず、数メートル滑ってしまう。
「リハツ!」
「大丈夫だ! プロテクションくれ!」
「わ、わかった!」
『リリィはリハツにプロテクションを唱えた』『リハツのVITが上昇する』
俺はすぐに袋から回復薬を取り出し、中身を飲み干した。ちょっと苦い気がする。
『リハツは回復薬(最上)を使用した』『リハツのHPが3000回復した』
俺は瓶を投げ捨てた。
僅かな空白の時間を経て、ウルフは空中で回転しつつ、蹴りを繰り出す。
『エンシェントウルフは旋風輪踏脚を放った』『リハツは回避した』『リハツは回避した』『リハツは回避した』
済んでのところで姿勢を低くして回避、したのも束の間、俺の目の前に拳が迫った。背中を逸らせてギリギリ避ける。そのまま後方に倒れて、首跳ね起きの要領で、地面に立った。が、ウルフの猛攻は止むことはなく、再び回し蹴りを俺に放った。
回避が間に合わない!
くらったら死んでしまう!
俺は無意識に短刀を掲げる。ウルフの踵が俺の眼前に迫る。
右手の短刀を逆手に持ったまま、衝撃の瞬間、全力で振り上げた。
ギンッという小気味良い音が聞こえたと思ったら、ウルフの足は俺の頭上を通った。
『エンシェントウルフはリハツに回し蹴りを放った』『リハツは受け流した』『リハツに291のダメージ』
受け流し……?
そうか、そうだったのか。
俺は、今まで大型の魔物ばかり相手にしていたから根本的なことに気づかなかった。
武器でも防御は出来るし、武器を防御面で使用するなら受け流しが有効だったのだ。
基本は回避し、避けられなさそうならば、受け流せばいい。
これならなんとか時間も稼げるかもしれない。
元々勝とうなんて気はない。フィールドに出た部隊の誰かがここに来るまで時間を稼ぐだけだ。
なんとかなるか?
「お、おいなんだよあれ」
ちらっと視線を向けると、クロノ達が少し離れたところにいた。
追って来たらしい、逃げろと言ったのに。
だが、彼らは俺に近づくことはなかった。危険だということは理解しているようだ。
これではただの野次馬だ。彼らも参加者だと言うのに。
「チ、チートだ!」
クロノが言った。
違う。そんなわけがないだろ。
そう叫びそうになって堪えた。
間髪入れずにウルフの拳が俺の眼前を掠める。
周囲の目なんて気にするな。今は目の前のこいつをどうにかしなければならない。それ以外のことを気にする余裕なんて俺にはない。
「チート!? チートかよ!」
「うっそぉ、最悪。ってか規約違反じゃないの?」
「運営に通報しようぜ!」
「アカBANだ、ざまあみろ!」
野次が飛ぶ。その言葉は拒否しても俺の耳に届いてしまう。
だが、それがなんだ。
もうどうでもいい。俺がすべきことは自虐的になることじゃない。
都市部隊のリーダーとして、この地の住人として、プレイヤーとして出来ることをするだけだ。
そう思った瞬間、俺は横目で見た情景を見て、頬をひくっと動かした。
南西からMOBが次から次へとなだれ込んでいる。
プレイヤー達を執拗に追いかけ攻撃している様子が見えた。
十には満たないはずだ。それでも高スキル帯のMOBであるなら、初心者にとっては脅威以外の何者でもない。
俺はエンシェントウルフだけで手一杯だ。
だが、だからと言って、無視すればどうなるか。
『エンシェントウルフはリハツに攻撃した』『リハツは回避した』
俺がいる場所は中央噴水前。自然、門から入ってきたMOBはここに集まるだろう。プレイヤー達が路地に逃げ込まなければ、ここに逃げて来るはずだ。
だったら、もう何も考えなくていい。
来る敵、すべてを俺が引き受けるしかない!
しかしクロノ達はMOBの存在に気づいていない。
ウルフとの戦闘で俺の位置はかなり移動している。それに合わせ、彼らも一定距離を保ったままついて来た。そして、現在彼らの背後には南西、シルフィー通りがある。
「チート、チート!」
「違反者は引退しろ!」
「その前に責任とれ!」
クロノ達は俺を非難することに躍起になっている。後方に気づく様子はない。
呼びかけても間に合わない!
俺はおもむろに、クロノ達へと疾走する。
「うお!? く、くるんじゃねえ!」
突如として場が混乱する。
俺は彼らを無視し、シルフィー通りにいるMOB達へと走った。
「くそっ! おまえらの相手は俺だ!」
俺は考えうるすべての方法を用いて、ウルフの攻撃を縫い躱しながら全MOBのヘイトを稼いだ。
『リハツはリノーアスネイルに苦無(中)を投げた』『リノーアスネイルに1のダメージ』
『リハツはキングアイアイにプロヴォークを放った』
『リハツは地に住まう者の残滓に朔ノ型 月正を放った』『地に住まう者の残滓に8のダメージ』
『リハツは正しき偽物、トラップボックス、ネイチャーグリフォン、フォビアレイス、フログオフィサーにブラッディダンスを放った』『正しき偽物に1のダメージ、トラップボックスに2のダメージ、ネイチャーグリフォンに1のダメージ、フォビアレイスに1のダメージ、フログオフィサーに5のダメージ』
『リハツはディヴァイン・シールドを使用した』『周囲の魔物のヘイトが上昇する』『リハツのVITが上昇する』
『リハツはエンシェントウルフにプロヴォークを放った』
「な、なんだ!?」
「MOBだ! に、逃げろ!」
「お、おまえのせいだぞ! なんとかしろ!」
無責任な言葉を吐き、クロノ達は路地裏に隠れた。MOB達は彼らを気にもせずに、俺へと向かってくる。
俺を取り囲むMOBは『あなたが敵う相手ではない』か『あなたが触れてはならぬ存在』だった。つまり、MOBのスキル値は100から120程度ということ。
乾いた笑いが浮かぶ。
四方、いや八方、八面楚歌だ。鳥型のMOBや霊型のMOBは空を浮遊している。すでに夜だ。街燈と月明りのみを頼りに視界を確保し、九体の、しかも高スキル帯のMOBと戦わなければならない。
すべての攻撃を回避する。
時間を稼ぐ。
変わらない。いつも通りだ。
ゴーレムの時より、多少手間が増えるだけだ。
背後の攻撃? 回転しつつ避ければいい。
魔術の攻撃? 魔術だって回避出来ないことはない。必中じゃない。
一撃で死ぬ? いつものことじゃないか。
思いつめることなんて一つもない。
震える。武者震いだ。そう思え。
無理難関だと言われればクリアしたくなる。無理だと言われるからこそ、乗り越えたくなる。
この場面は無理か? 不可能か? 誰しもそう思うだろう。
だからこそ、俺は心の底からわき上がるものを感じだ。
「……当てられるもんなら当ててみろよ」
俺の挑発に、MOB達は一斉に襲い掛かって来た。