第四十五話 自由の代償
――経由都市ロッテンベルグ内、北西門前に俺はいた。
隣で、リリィが心配そうに俺を見つめている。
時刻は十一時二十分を回っていた。開始して二十分が経過したところだ。
『き、棄権者が増えてます。出来るだけ都市の外に出ないようにしてください! で、出るのならば死なないように気を付けてください!』
何度目かの俺の呼びかけに応答するものは誰もいない。
都市部隊の連中には聞こえているはずだし、応答も出来る。だが、誰として返答しなかった。
誰彼構わず話されても困るが、何の反応もないのも困る。
なんとも日本人らしい反応だなと思った。俺も、逆の立場なら聞くだけで何も言わないだろうと思う。
「だめ、みたいね。商人ギルドや企業ギルドの連中も反応がないみたい」
「企業系は手伝う気もないんだろう。商人ギルドは……人が少ないのか、もしかしたら別のことしてるのかもな」
「別って、都市戦中なのに」
「敗北したら都市が破壊される。商品も多少影響があるかもしれない。損害を抑えるために動いてる、と思ってな」
「あり得なくはない、わね……じゃあどうするの?」
「……仕方ない。とりあえず注意喚起は続けて、俺達は調査を続けよう」
「え、ええ」
都市戦開始から、数分も待たずに、多くのプレイヤーが都市を出て行った。あてつけという感じではなかったが、自分達には関係ない、という風に考えているのだろう。
すでに502人がエリア外に出て、123人が戦闘不能になっている。これはさすがに多い気がするが、初心者だからこそ無茶をするということもあり得る気がする。
俺に出来ることは少ない。
一先ず、呼びかけは続けることにして、俺は調査に戻った。
北西門には巨大な木製の扉と閂がある。
この扉は常時開かれており、閉まることはない。シュナイゼル達も気にした様子はなかった。だからか今まで気にしていなかったが、もしかしたら閉じることが出来るのではないかと思ったのだ。
フィールドに出ている部隊の人達が、補給のために街に戻ってくるかもしれないので、安易に閉鎖は出来ない。しかし、可能不可能がわかるだけでも手札が増える。
それに門の横には小さな通用扉がある。完全に封鎖されるという訳でもないし、問題ないだろう。
俺は扉をタゲってみた。だが反応はない。
「……ただの飾りなのか?」
「そうかもしれないわね。けど、SWのオブジェクトは素材でもあるものばかりだし、これもそうかもよ? タゲれなくても収集出来るものもあるわけだし、土とか水とか」
「つまり……押せと?」
「試してみれば?」
リリィの言葉通りに、俺はぐっと力を込めて見た。周りのプレイヤーが俺に冷めた視線を送って来ているが、無視だ、無視。
都市内にいるプレイヤーには俺の存在が知られている。広場で紹介されているから当然だ。注意を促していた瞬間の俺の姿も見ているだろうし、言葉も聞いている。
その上で近場にいながら、俺を手伝おうともしない。声もかけない。当事者だという実感がないらしい。まあ、俺が声をかけていないせいでもあるけど。
別に構わない。俺だってそんな自分から手伝ったり、巻き込まれるような人間じゃない。あれ? なんか説得力がないな。
とにかく、事なかれ主義、結構じゃないか。
よくわからない心情に陥りながら、俺は扉を押し続けた。
しかし、びくともしない。まったく動かなかった。
「だめだな、固定されてるんじゃないのか、これ」
「もしかしたら単純に力が足りないんじゃない?」
「人手を集めないと無理か」
「そうね……どうするVCで呼びかける? それとも周りの人達に助けて貰う? 暇そうな人達一杯いるけど?」
「……そんな勇気が」
「俺にあると思うか? でしょ? でも、そんな余裕もないと思うけど。なにもないなら徒労に終わるけどね。あんたはそれじゃ不安だから行動してるんでしょ?」
「正論過ぎて、ぐうの音も出ないな……」
「迷う時間があるなら、さっさと呼びかける!」
「ふぁい!」
気は進まないが仕方がない。俺は自隊チャットモードにして、話した。
『えー、い、今、北西門前にいます。ちょっと調べたいことがありまして、そ、それで、暇な、じゃなくて、手伝ってもいいって方がいたら集まってくれませんか?』
無反応だ。
聞こえなかったのか? 聞こえているよな?
ああ、もう面倒くさい! あ、でも、う、でも、ふぇぇっ! でもなんか反応してくれよ。一人で話してるみたいで虚しくなるじゃないか。
周囲のプレイヤーも俺を手伝うそぶりはない。遠目に見ている人が十数人いるが、一定の距離を保ったままだ。
もう一回、呼びかけてみるか。
『え、えと、手伝ってくれる方は北西門前に集まってください、調べたいことが――』
『うるせえよ』
誰かの声が聞こえ、俺は思わず言葉を止めた。
『そうだよ! さっきからうるせえんだよ!』
今度は別の声が聞こえた。
かなりご立腹らしい。声には怒りが滲んでいた。
まさか怒鳴られるとは思ってなかった。そのせいで、俺の思考は停止してしまう。
『俺も思ってたわ、なんなのさっきから』
『こっちはゲームしてるのに、なんで従わなきゃなんねえの?』
『っていうかぁ、なんか声も小さいしぃ、どもってるし、見た目もキモいしぃ、偉そうにして何様って感じ?』
『都市戦? 意味わからないよね。なんで初心者の僕まで協力しないといけないの? せっかくやっとSWプレイ出来るようになったのに……』
『姫はぁ、もっと遊びたいなぁって思うなぁ。だからぁ、外に出たいんだよねぇ。でもぉ、なんか怖いモンスターがいるって言うしぃ、我慢してたのにいぃ、なんかうるさいしぃ』
『姫ちゃんが可哀想だろ! いい加減にしろよおまえ!』
『ケンカしちゃぁ、だめよぉ?』
『仕方ねえじゃん、面倒臭ぇけど、都市戦っての調べたらそういうもんなんだって。ヘルプ見ろよ』
『ってか、おまえらもうるさい。文句しか言わねえのな。さっきから低姿勢で頼んでるし、そんなうるさくないじゃん。ガキ多過ぎだろ』
『はあ!? おまえ何様!? マジむかつくんだけど』
『何様っておまえこそ何様ですかぁ?』
『とにかく、もうやってらんねえわ。俺、外に出るから』
『あ、私もぉ、付き合ってらんないし』
『ってか氏ね。いや、死ね。あ、伏字になんねえんだな、これ』
『まず黙れ、話はそこからだ』
『黙ってたら話も出来ないんですけど、マジ笑えるわぁ』
『…………や』
『おい、今、呻き声聞こえたんだけど。俺だけ?』
『はいはい、構ってちゃんは黙ろうな』
『そもそもことの発端はリハツとかいう奴がリーダーだからじゃね?』
矛先が言ったり来たりしていたが、突然俺に舞い戻ってきた。
俺の手は震えていた。
「リ、リハツ」
リリィの声も俺にはほとんど届かない。
一方的な攻撃に、俺の思考はまともに機能していなかった。
『ギルマス? とかならまだわかるけどさぁ、リハツっての誰? なんなの?』
『グラクエトゥルークリアした人だろ』
『知らねえよ、そんなの。俺始めたばかりだし』
『思うんだけど、もっとちゃんとした人に代えた方がいいんじゃないの? さっきから自信なさそうだしさぁ』
『ってか臭そう』
『それ言えてる。なんなら、俺やろうかな。ってか俺隊長なんだけど!?』
『おまえはないわ』
『だから、付き合ってらんないから、出るって言ってるの!』
『勝手に出ればいいだろ、一々報告いらないから』
『あー、あたしもそうするわ』
『俺も』
『僕も』
『あたしも』
『乗るしかないこのビッグウェーブに、あ、俺もです』
『さむっ……面白いとか思ってるんだろうな、可哀想に』
『真面目な話、ここにいても楽しくないし、リハツって人には悪いけど、さっさと出ることにするわ』
『悪くないでしょ。むしろ僕達のプレイを邪魔してるんだから当然の権利だよ』
『はいはい、権利主張するおガキ様は成人迎えるまで黙ってましょうねぇ』
『は? ガキじゃないし』
『…………ま』
『おい、やっぱ聞こえたって呻き声!』
『構ってちゃん乙。もうそういうのいいから』
『ま、一人でやってろよ』
『だな。ちょっとやってらんねえわ』
『そいじゃ、バイバーイ』
『じゃ、そういうことで』
次々に聞こえる主張に、俺は絶句していた。
俺の行動は間違っていた。
システムで決まっているからと不用意に発言しすぎたのだ。
注意喚起も過ぎれば逆効果だった。だから何度呼びかけても減らないし、むしろ増えてしまったんだ。反発心だ。
俺を責める言葉や好き勝手な言動はやがて消え、ついには何も聞こえなくなった。
ちらっとUIを見ると、状況を明確に表していた。
●都市戦 勃発中
・魔物討伐数 1321/5932
・魔物討伐割合 5.9%
・魔将討伐数 40/108
・プレイヤー戦闘不能数 211/43129
・プレイヤー戦闘不能割合 0.5%
・プレイヤー棄権数 1291/43129
・都市破壊率 0%
・都市内プレイヤー戦闘不能数 129/2892
一気に七百人以上が棄権してしまった。
北西の門から出たプレイヤーは多くなかったように思える。俺が北西にいると知って、遠回りして外に出たのか。
恐らく待機していたのだろう。くすぶっていた心情から入口付近に集まっていた。そして、さっきの出来事をきっかけに外に出たのだ。
最悪、俺一人だけでも都市内に居れば、敗北条件は満たさない。だが、棄権したプレイヤーが外で戦闘不能になればなるほど、全体の戦闘不能割合は上がり、戦っている人達の足を引っ張ることになる。
43129人中2892人。大体7%程度の割合だ。現在その半分近くが棄権している。全体的に見ても決して少なくない数字だ。
プレイヤーの八割が戦闘不能になれば俺達の負けなのだから。
やってしまった。長丁場になればなるほど、足かせになるだろう。
視界がぐらつく。まともに立っていられなかった。
「ま、まず、まずいことになった」
「リハツ、落ち着いて」
「で、でも俺のせいで」
「あのねぇ、あんなのあてつけでしょ。あいつら単に言い訳が欲しかっただけよ。自分の行動は仕方ないって周囲にアピールしてるだけ。最初から出たかったけど、きっかけを探してただけなのよ。あんたのせいじゃない」
「も、もう少し考えてれば」
「はぁーーーーー……もうっ! ことあるごとに、落ち込むな! たまには他人のせいにしなさい! あんたそういう考え持ってたでしょ! じゃなきゃ引きこもりなんてなれないもんね!」
「……う、うるさいな。今は関係ないだろ」
「あるわよ。いい? なんでもかんでも人のせいにする奴ってのはどこにでもいるの。今のあんたはなんでも自分のせいにし過ぎ! 臨機応変に考えないと疲れるでしょ。さっきのはどう考えても、言いがかり。わかった?」
「……で」
「でも禁止! なに? あたしの言葉が信用出来ないの? ん?」
怒ってらっしゃる。いつものようにふざけた感じじゃない、完全に怒り心頭に発する寸前という顔をしていた。
「し、信用してる」
「だったら愚痴愚痴言わない! やると決めたら最後までやる! 他人の言葉なんて話半分に聞く! 有益なものだけ受け取る! 基本的に自分は悪くないって思う! 反省する時だけ今みたいに思う! それでよし!」
畳み込まれるように言われて、先ほど感じていた罪悪感や自虐的な心情は薄れていった。
いつも俺はリリィに助けられている。むしろ彼女がいなければ何も出来ないだろう。
それほどリリィに依存している。
その現状を憂いつつも、感謝した。
「お、おお、リリィさんマジかっけえっす」
「あんたが情けなさ過ぎるのよ……サクヤのこと許す時はちょっと格好よかったのにさ」
「……ほう? 格好良かったと?」
「……聞いてんじゃないわよ!」
「残念ながら難聴スキルは持ってないんだ」
「はぁ……そこまで減らず口を叩けるなら大丈夫でしょ。それに、ほら」
リリィが指差す先、そこに視線を向ける。
「…………や」
「お、ボッタクリ店主」
「…………て」
「手伝いに来てくれたのか?」
何度も頷く店主。
そうか、こいつは都市部隊に入ってたんだな。
ありがたい。一人でも手助けしてくれる人間がいる。それだけで気分が違った。
「…………す」
「す?」
「…………て」
「て?」
これは新たな言葉が出て来たな。何が言いたいんだ?
「…………ステ」
「見ろって?」
「…………うん」
店主のステを見てみる。
名前は小鞠? ん? コマリ? なんだか女の子っぽい名前のような。
「え? 女?」
「…………うん」
絶叫しかけて寸前で押しとどめた。
どう見ても男……いや、よくよく見れば目元あたり女性らしいような。男装っぽく見えなくもない。目つきは悪いけど。
確かに華奢だし、手首とかものすごく細い。
オールバックにしているせいなんじゃないだろうか。もっとオシャレをすれば女性らしくなるような気が。
「あ、ごめん……」
「…………いい」
「と、とにかくよろしくな。俺はリハツだ」
「…………リハツ」
「おう」
「…………小鞠で」
「ん? あ、ああ呼び捨てしろって?」
「…………うん」
「わ、わかったよ」
何度も頷く小鞠。嬉しいんだろうか。
もっと、なんだろう、その睨み付けるような目つきをやめた方がいいような。
よくよく見れば愛嬌があるとは思うんだけどな。
俺が小鞠にささやかなアドバイスをしようとしたところ、誰かが近づいて来る。
「おい、集まったぞ」
「えと、あんたは」
たしかタダノリとか言われていた、金髪と一緒にいた奴だ。
ミナルをパシリ扱いしていたはず。今は、付き合わないようにしていると聞いているが、何の用だ?
「なにしに来た?」
「ご挨拶だな。手伝いに来たんだよ」
「どういう風の吹き回しだ?」
「理由はいくつかあるんだけどな……あー、一つはさっきのクロノ、ってわかんねえか。俺といた金髪の奴な、あいつが煽ってたから。その尻拭い」
「さっきの……?」
最初に俺にうるさいと言った人物が金髪?
思い起こせば、同じ声だったような気がする。さっきの俺は平静ではなかったから気づかなかったらしい。
「んで、なんか色々面倒そうだったからよ、手伝った方が良さそうだと思ったわけ」
「よく意味がわからないんだが」
「あー説明面倒だな。簡単に言うと、あんたを手伝わないと余計面倒になりそうだと思っただけだって。都市が破壊されると不便になる、したら移動しないとだめだろ? 近場の街まで一日以上かかるし面倒。んで、なんとなくキナ臭そうな感じがすんだよなぁ。やばそう、みたいな。だから手伝いにきた、これでいいか?」
信用は一切出来ない。金髪の手先であるかもしれない。
しかし手が足りていないのも事実だ。
どうする? とりあえず様子を見るか?
「先に言っておくけど、俺はナルミ、あー、ミナル? をパシったことはねえから。クロノが下僕みたいな感じにしてただけだしよ。まあ助ける気もなかったし同罪って言われれば変わんねえけど」
「信用出来ないな」
「だろうな。信用しなくていいし、俺もあんたを信用してない。別にどうでもいいだろ? 手伝いを拒否されてまで手伝う気はないし、どっちでもいい。さっさと決めてくれや」
嘘は言っていない、ような気もするし、筋は通っている気もする。
裏切られそうにも思えるし、そうではない気もする。
どちらにしても、こいつは単純に俺を利用しようとしているだけだ。なら俺もそういう考えでいればいいだろう。
「わかった、一時的に手を貸してもらう」
「あいよ。あ、でも面倒なのは勘弁な」
「門を押すだけだ。でも人数が足りそうにないな……」
俺とタダノリと小鞠。三人だけだ。
リリィも手伝えるんだろうか。プレイヤーとNPCの中間みたいな微妙な立ち位置だからな、やってみないと判明しない。
「…………あ」
「ん? どうした小鞠」
「…………」
何か言いたそうにしていたのに、今度は黙りこくってしまった。
「ど、どうした?」
「あれじゃない? 名前呼ばれて嬉しくなっちゃったんじゃない?」
「…………そう」
「そ、そうか」
「見た目と違って、結構乙女なのね……」
小鞠は睥睨しているような、気恥ずかしそうにしているような、よくわからない表情をしている。
言うべき言葉が浮かばずに、視線を漂わせると、目につく光景が見えた。