第三十七話 そして、彼は非現実な現実に生きる
俺を覚醒させたのは、無機質なブザー音だった。
ビビビッと若干不快な音が室内に響くと、俺は気怠く瞳を開く。
眼前にウインドウが出ている。WISか? と思った瞬間、ここが現実だと思いだした。
クリスタルビジョン、通称CVの機能による、ホログラムウインドウだ。携帯電話の機能はもちろん、メディア機器や操作盤としても使える。立体型で、コンソールの役割も担っている。
ちなみに俺個人では持っていない。CVは高価で学生が持つようなものではないからだ。家にはあるけどな。
『内藤清吾 コール』
と、文字が出ていた。画面右下にある通話ボタンを押すと、薄い青色だった画面が変わり、内藤の顔が映し出される。
『おはようございます。寝ていましたか?』
「……見ればわかるでしょう」
俺は煩わしく返答する。寝覚めはいい方だが、寝起きに内藤の顔を見てご機嫌に、というのは難しかった。
『それは失礼しました。現在午前7時です。お手数ですが、一時間後に局長室に来ていただけますか?』
「確か、話があるとか」
『ええ。少し個人的な話でもありますから、お断りされても構いませんが』
内藤は薄らと笑みを浮かべている。こういう余裕ある態度をされると、自分がみじめになる気がして不快だ。それは俺が幼いせいなんだろうが、わかっていても腹が立つものは腹が立つ。
しかし、個人的な話とはなんだろうか。
断ってもいい、と言っている。ならば俺の借金やプレイ、健康に関しての話ではないだろう。しかしここで拒否すれば今後に影響するかもしれない。
不服ではあるが、内藤の機嫌を損なうのは、好手とは言えないだろう。
気は向かないが、仕方がない。
「……わかりました。食事して行きます」
『ええ、待っていますよ』
遮断音の後に、画面は消えた。
一体、どんな話なんだろうか。
気になりはするが、考えてもわかるはずもなく、俺は顔を洗い、口をすすいで食堂へ向かった。
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局長室は支社ビルの十五階にある。レールエレベーターで下り、局長室まで来た俺は、扉をノックした。
「どうぞ」
内藤の声を聞き、豪華な装飾を施された、木製の扉を開く。
室内は俺の宿泊部屋の五倍はあった。
しかし物は少ない。机とソファー。壁にはいくつかのCVがある。恐らく室内のどこからでも操作を出来るようにするためだろう。
小さめの窓が三つ。はめ込み型で開けられないようだ。
内藤は机の椅子に座っていた。局長然としており、絵になっている。
「お待ちしていましたよ。そちらへどうぞ」
ソファーに促され座る。
なんだこれ、すっごい柔らかいし、丁度いい座り心地だ。高いんだろうな……。
内藤は俺の正面に座り、口角を上げた。
「今日、お招きしたのは話を聞きたかったのです」
「……どんな話ですか?」
「そうですね。その前に言伝があるので、そちらを先に話しましょう」
言伝、と聞き浮かんだのは家族の顔だった。
俺を知っている人間は現実では三人しかいない。友人もいないし、俺の現状を知っている人間は数が少ないだろう。親戚にも俺が引きこもりをしていたという事実はひた隠しにされている。
「インタビューをしたいとのことです」
「…………はい?」
「インタビューをしたいとのことです。ウチの広報部から依頼がありまして」
「ちょ、ちょっと待ってください、なんのことですか?」
「おや? もしかしてご存じない?」
「な、なんのことですか?」
「……確か、あなたはSWに関してあまり知識がありませんでしたね。最初から説明する必要がありそうです。そうですね、まずはこちらをご覧ください」
内藤は何もない空間に指で何かをなぞる。すると空中に画面が浮かび上がり、何か操作をする。その後、内藤は指で画面を押すようにして、俺の目の前にウインドウを移動させた。
反射的に視界に入れると、文字や画像がいくつも並んでいるのが見える。
そこにある情報に、俺の動悸は一気に激しくなる。
『SWのグランドクエストをトゥルークリアしたプレイヤー、リハツとは?』
『本日、十七時四十分頃。SWにて、グランドクエストトゥルークリアの存在が確認された。どうやら一プレイヤーにより解明されたようだが、その真相はいまだ不明』
『世界中に情報錯綜中! グラクエのトゥルークリアをするためにプレイヤーが殺到! グラクエ中のプレイヤーは注意しましょう。サーバー負荷による、瞬間的なラグが確認されています』
『全世界で一億八千万人がプレイしているSW。今週はその真実に迫る! 今、話題のプレイヤーリハツを追え!』
「な、ななななっ! な、なんですか、これ!」
やっとSWでは、注目がなくなって、落ち着いて来たのに。現実で広まってるじゃないか!
「SWの情報ですよ。ネットを中心に広まっていますね。大規模検索サイトのトップにもSW項目があるくらいですから。とはいえ、SWの情報は制限されていますから、公式の許可を得た媒体だけですが」
「え、え? えー!? なんでこんな大事に!?」
「それだけ大きな出来事だったということですよ」
「ゲームですよね? た、たかがゲームで、こんな」
「されどゲーム。SWはすでにゲームの枠を超えたもう一つの現実であり、もう一つの世界でもあります。各国の規範に則っていますが、経済は一分野から逸脱し、影響を与えていますからね。最早、新たな国が生まれている、と言っても過言ではありませんよ」
「……例えそうだとしても、一コンテンツをクリアしただけですよ」
「確かにそうです。ただし、五年間で誰もクリア出来なかった、という言葉が最初に入ります。ファンタジーサーバーだけで一億人近くの人間がプレイしている。なのに、世界中で誰も知らなかったのですよ」
「……偶然です」
「偶然かもしれません。ですが、偶然を結果へと導くのは個人の力によるものでしょう」
ゲーム内でも現実でも賞賛されて、気分が悪いわけはない。
しかし居心地が悪い。どうも、俺如きがそこまで褒められるのは行き過ぎな気がする。
「……そ、そもそも本当に大したことじゃないんです。誰でも気づくようなことだったし」
「しかし誰も気づかなかった。あなたは実感がないようなので、経緯を簡単に説明しましょう。まず、SWオープン初日からグラクエをクリアしたプレイヤーは多くいました。しかし皆、真実に気づかなかった。ところがストーリーがあまりに杜撰だと思う人間が出てきました」
「それは、聞きました。確か調査したプレイヤーもいたけど見つけられずに、黒魔女が黒幕で村人が全滅するルートが正規だ、となったと」
「ええ、しかしそれは事実ではない」
内藤は事もなげに言う。局長ともなると、SW内の事情も把握しているのだろう。
「どういうことですか?」
「確かに調査したプレイヤーはそれなりに居ました。しかし最初に調べたプレイヤーは大して調べもせず、何も見つからなかったとフレンドや周囲の人間に話した。そしてその後調べた人間も、不幸にも井戸の内部まで調べず、やはり見つからなかったという裏付けをとってしまった。その噂は徐々に広まり『少し調べたけれど見つからなかった』から『多少調べたけれど見つからなかった』に変わり、最終的に『隅々まで調べたけれど見つからなかった』となったわけです。噂には尾ひれがつくものですからね」
「間違った噂が事実とした広まった、と……?」
「ええ。しかもその発端となったプレイヤーはそれなりに有名だった人間です。ですから、話に信憑性がある、と思われてしまった。それからはわざわざ調べる必要がない、というのが常識になってしまったのです。サービス当初はパーティーを組まないとクリアできない難易度だったので、必然的に情報は広まり、ソロが出来るようになった頃にはテンプレとなった。SWはソロ勢が少ない上に、死亡により労力が無駄になり、デスペナが大きいですから、事前に調査するプレイヤーが多いのも要因ですね」
「……ですが、簡単なことでした。知ったプレイヤーにはこんな程度のことだったのか、という感想が多いと聞いていますし」
サクヤから聞いていた。話の流れで聞いただけなので、他意はなかっただろうし、俺自身も気にしてはいない。
「手品のタネを聞いて、なんだそんなことか、という人間はどこにでもいます。そういう人間は自分で解き明かす能力がなく、与えられた情報を読み解くことしか出来ません。それが虚実であろうとも、真実であると思い込むのです。断片的な情報を統合し、答えを導き出すことが出来る人間は少ないのですよ」
「べた褒めですね……」
「これは失礼。興奮してしまいました。以上のことから、あなたに注目が集まっている、というわけです。この三週間で多少は落ち着きましたが、情報がない分、収束しない。ですからどういう経緯でクリアに至ったのか、という話を聞きたいということらしいです」
「……で、でもインタビューとかは」
無理。絶対無理。なんでそんなことをしないといけないのか。
俺は、そんな目立つことをして嬉しいと思う人間ではない。
「映像や音声は残しませんし、流暢に話す必要はないです。時間も一時間程度で済むでしょう。それに報酬で十万円貰えますよ」
「十万、十万!?」
十万円なら、ゲーム内通貨に監禁すれば10mゼンカ。それだけあれば装備も強化できるし、生産職も始められる。
社会人であれば大した金額ではないかもしれないが、俺にとっては大金だ。それにたった一時間でこれだけ貰える。棚から牡丹餅ではないか。
「いかがです? 受けて貰えますか?」
「…………や、やり……やります!」
「そうですか、助かります。それでは昼過ぎ、そうですね午後一時くらいに、会議室78に行ってください。そちらで簡単なインタビューを行います。手ぶらで構いませんよ」
「わ、わかりました」
鷹揚に頷く内藤だった。俺は自分の決断を早くも少し後悔していたが、それでも報酬額に目がくらんでいた。
「では、次です。まずはこちらを」
内藤がスーツのポケットからカードを取り出した。簡素なデザインのクレジットカード、だろうか。
俺は受け取り、表裏を確認する。表面には番号とエニグマの文字などがあり、裏には指紋認証コードが貼り付けられている。
「これは、クレジットカードですか?」
「クレジットカードとキャッシュカード、両方の機能を有しています。あなたは既に当社の銀行口座を開設しており、そこの金額が限度額となっています。SWの通貨であるゼンカを円に自動的に換算していますし、SW内でも現金をゼンカに換算している状態ですね。面倒な手続きは必要なく、常に照合しています。現実で会計する場合はそちらのカードを使うか、当社のATMから現金を引き出してください」
「残高確認とかはどうすれば……?」
「当ビルに照会用のCVのATMがありますので、そちらで。それか個人のCVモバイルで照会も出来ます。こちらもどうぞ」
内藤は再びポケットから小さな箱を取り出し、テーブルに置いた。
俺は蓋を開ける。すると中にブレスレット型のCVモバイルが入っていた。
「携帯型のコンソールです。すでに契約済ですから、CVの機能をすべて使用可能ですよ」
「これ、貰っていいんですか?」
「ええ、これは僕からのプレゼントです。グラクエクリア記念と思ってください」
至れり尽くせりだ。ちょっと気味が悪いくらいだった。
「まさか対価を要求されたり」
「しませんよ。なんなら契約書でも書きましょうか?」
苦笑を浮かべる内藤を見て、裏はないと思った俺は腕にCVモバイルを巻いた。
「ありがたく頂きます」
「いえいえ。では、僕からの話は以上ですね」
「話を聞きたいというのはさっきのですか?」
「ええ。まあ、三森君からあなたの経緯を聞きましてね。一度、実際に見てみたいという思いもありました。順調のようですね」
「……どう、ですかね」
「ふふ、実感が湧くのはしばらくしてからでしょう。今後も、活躍を期待してますよ」
「もう、ないと思いますけどね」
むしろ、なにもないことを願っている。
そして、俺は内藤と別れ自室へと戻った。
▼
それから一日が経過した。
インタビューに関しては……思い出したくもない。
ようやくSWに戻れる。俺は、その一心で時間を過ごした。この瞬間を心待ちにしていたのだ。
午前九時。俺はクレイドル前にいた。指定の下着を履いて、半裸の状態だ。
「ではこれからログインだ。また一か月後に」
「はい」
三森先生が微笑を浮かべ俺を送り出してくれた。
クレイドルに入り、ジェルを肺に入れる。少し抵抗はあるが、もう慣れたものだ。
三森先生と看護師の顔が徐々に蓋で隠れる。閉鎖空間を弱い光源が照らす。
俺の意識はゆっくりと薄れ、やがて暗闇の海に溺れた。
さあ、帰ろう。俺の生きる場所へ。
▼
「……あ」
眩いばかりの光が晴れると視界が広がる。
俺は駐留地点の入口に立っていた。数日前にログアウトした場所だった。
「おかえり」
「ん? リリィか」
仮リリィではないらしい。
笑顔で迎えてくれたリリィを見て、俺も笑顔を返す。
「どうだった?」
「ああ、問題ないってさ」
「そう、よかったわね。ん? なんか痩せた?」
「うん? そうか?」
身体を見下ろすと、現実と同じ体型になっている。一度ログアウトしたことで、現実の体型に適応されたのだろうか。
「なんか普通な感じ? になっているような」
「普通ってなんだよ」
「引きこもりっぽくないってこと」
「褒めてる? ねえ、褒めてるの?」
「微妙かな!」
「ひどいよね!?」
「あはは、ごめんごめん」
楽しそうに笑うリリィだったが、定位置である俺の肩に座った。
樹林は俺を歓迎しているようでもあり、警戒しているようでもあった。
俺は非現実が現実的に思えている。仮想現実こそが、俺の望んでいた世界だったのかもしれない。
プレイヤー達は三々五々に忙しそうにしている。その様子を見て、俺は感慨に耽る。
帰ってきた。そう思った。
●現実の所持金 ・十六万千二百四十五円
●SWの所持金 ・16、124、520ゼンカ
●残りの借金 ・九百八十三万八千七百五十五円