第三十四話 三週間の鍛錬結果
ステータスは別途『キャラクターステータス』をご覧ください。
グランドクエストクリアから三週間。初ログインから、明日で一か月だ。
『爛れた者共の樹林』はロッテンベルグの北西に位置する深き森の名前だ。徒歩では片道一日かかる。その森を超えた場所に幾つか集落と村があり、数日かけて田園都市リアナへ辿り着く。
しかし『爛れた者共の樹林』のMOBは中級者から上級者と同等の強さを誇っており、初心者が通れる場所ではない。そのため、多くのプレイヤーは樹林を迂回してロッテンベルグやリアナを行き交っている。
そこに俺とリリィは居た。
滞在二日目。ジャングルの中に点在している、プレイヤーの駐留地点で俺とリリィは休憩をしている最中だった。
フェアリーテイマーになり、リリィがオブザーバー扱いになっている。彼女にスキル値はないが、練度はプレイヤーと同じだ。
当然、リリィは戦闘に参加する。独自に動き、独自にスキルを使うわけだ。
フェアリーテイマーのジョブクリエイトで最も悩んだのは、俺とリリィの担当の位置づけだ。専門職ならば使い魔がいる必要が薄い。そのためすでに存在している、二つのジョブの役割を持つハイブリッド型を目指すことにした。
しかし、企画を提出しても通らない。タンクとアタッカーとバッファーとヒーラーの中から二つ選び、その度に内容を変えて企画を作成したが、全部却下されてしまった。
理由はバランスを崩しかねない、ということだった。なぜならリリィは擬似的なプレイヤーでステータスがある。それだけでアドバンテージになるという内容だ。
弱体化させれば通る可能性はあった。しかしステータスを下げすぎるとリリィが活躍出来ない。いるだけの存在になってしまう。
そこで俺は特殊ハイブリッドという混合型のジョブを提案した。すべてのジョブの特性を取り入れる代わりに、ステータスを低めに設定した。だが全ジョブの初級から中級のスキル、上級スキルの一部を覚えることが出来るため汎用性は高い。
高スキル帯になれば差異は出るだろうが、さすがにそこまではいかないだろう。
そういう経緯を経て、俺は転職をしたというわけだ。
補足だが、転職に際して、ジョブ特定のクエストのクリアは必要ない。グランドクエスト『黒魔女の森』をクリアすれば転職が可能だ。
ただし、ジョブ毎の上級ジョブになるためには、各ジョブ毎にあるグランドクエストをクリアしなければなれない。
さて、話は変わるが、サクヤ、ニース、レベッカ、ミナルとの関係がどうなっているのかという点だが、暇が出来た時はパーティーを組むようにしている。
ここ数日はみんな忙しく組めなかった。
そこで、俺とリリィは二人で『爛れた者共の樹林』に来た、というわけだ。この場所はフィジカルスキルが平均80以上が必要だ。それもパーティーでの必要値、ソロならより必要になる。ちなみにパーティー募集でのフィジカルスキル必要値に視力と聴力は含まれない。
スキルが足りない? いいんだ。目的は敵を倒すことじゃないから。
樹林の駐留地点は比較的広い。古株のプレイヤー達が不便だと思い、集落を作ってくれたと聞いている。
茅葺の小屋が十数あり、そこに十名近くの人間が寝られるようになっている。簡素ではあるが、効率的だ。個室を望むのはさすがに贅沢というものだろう。
ただし、俺は落ち着かなかった。ものすごく居心地が悪い。外で寝ようと思ったくらいだ。リリィに止められてしまったが。
俺は粗雑な造りのベッドに寝転がっていた。枕元にリリィが丸まって寝ている。
朝方、時刻は7時。そろそろ起きる時間だ。
「リリィ。起きろ、そろそろ準備するぞ」
他のプレイヤーを起こさないように、俺は優しくリリィを揺する。
「……むにゃ、眠いよぉ」
この時間に起こせ、とリリィに言われている。それには理由があった。
「そろそろメンテの時間だろ」
「……んー?」
「おいおい、おまえが言ったんだろ? 起きなくていいのか?」
「……んもう、眠いのにぃ……ふあぁっ」
薄目で身体を起こしたリリィは、大きく口を開けて欠伸をした。
メンテはSWのことではない。SWではメンテやアップデートのために、プレイヤーがログアウトする必要はないからだ。部分的に適応させているため俺達が仮想現実から出なくてもよくなっている。
このメンテはリリィのことだ。
フェアリーテイマーというジョブはナビを使い魔にするというもの。つまりNPCを仲間にするということであり、現在のゲームシステムから大きく逸脱するものだ。
SWにおいて、初の試みであるため、動作不具合が生じる可能性があるらしい。高度な人口知能と人工無脳を持つ存在がプレイヤーと同じような行動を行える。それがどれだけ特殊なことなのか、俺は理解していなかった。
モンスターテイマーのようにただの機械的なAIとはわけが違う。勿論、生物を模した行動は行うだろうが、リリィほどではない。
そのため、朝から夕方にかけて、リリィは現在の高度なAIではなく簡易的な擬似人格に変わる。その間にメンテナンスを行っているとのことだった。たまに一日中メンテがない日もあるし、一日中戻らない日もあるので、不定期ではあるが。
リンクシステムがそこまでするということは、俺の要望は余程、無茶なものだったのだろう。それでも企画が通過したのは運がよかったのかもしれない。
「あうぅ……面倒、このまま寝たい」
「わがまま言うなって。ほら、起きろ」
「ふぁい……」
以前はこんなにだらしなくはなかったと思う。しかし三週間前、仲直りしてからというものの、リリィは気を許してくれたようだった。
俺も同じ気持ちだった。だからこんな辺鄙な場所にも来られた。
俺がベッドから降りると、リリィはふらふらと飛び、俺の肩に座った。体重を俺の首に預けて、まだ眠そうにうつらうつらとしている。
「寝るなよ」
「わかってるわよぉ」
茅屋の外に出ると日差しが俺達を照らす。
薄目で空を見上げると、太陽の光が注いでいた。
集落の周囲は頼りない柵があるだけだ。だがここは居住エリア扱いで、MOBは入って来れない。本来、ネトゲには入口に衛兵を立たせて入れないようにしたりするが、SWではMOB自体が入れないようにしている。
もちろん、エリア内から攻撃したりは出来ない。エリア近くで戦って逃げ込むことは出来るので、少数パーティーもいないこともない。
しかし俺のようにソロで来る人間はあまりいないようだ。多分、先の街に進んでいるのだろう。そうすれば近辺に高難易度のレイドエリアやフィールドダンジョンもあり、高スキル値が必要な強敵もいるだろう。
俺がここにいるのは、ここにしか来れなかったからだ。なんせ俺は初心者だからな。遠出すれば移動中に途中で死ぬかもしれない。ここならいざという時、逃げ込める。
広場に行き、ベンチに座ると、袋から『パンドラ』で買った『店主特性クラブハウスサンド』を取り出した。
「食事が冷めない、ってのは助かるよな」
SWでは調理品の温度は調理時から変わることがない。常に適温で保たれているため、いつでも美味しくいただける、というわけだ。
俺はサンドの端っこを千切ると、リリィに渡した。
「ありがと」
米粒程度の大きさの欠片を受け取ったリリィは、むしゃむしゃと頬張る。
「目は覚めたか?」
「なんとか、ね……やだなぁ」
「そこまでイヤがらなくてもいいんじゃないか? 別に痛いとかはないんだろ?」
「そ、それは、まあ、そうだけどさ……イヤなんだもん」
「なにがそんなにイヤなんだよ」
リリィは毎朝愚図る。そんなにしつこくはないし、精々少し愚痴を言う程度だが、なぜそこまでイヤがるのか、俺はわかっていなかった。
「もぐもぐっ……イヤなものはイヤなの」
「俺がなにかしてやれるなら、してやりたいけど、こればっかりはな」
「……ふんっ、いいわよ、ばか! 鈍感! ばかぁっ!」
「い、いきなり、なんで怒ってるんだよ」
「知らないっ!」
そう言うとそっぽを向いてしまった。
女心となんとやらと言うが、本当にわからん。
多分、本気では怒ってない。なら、無理に知る必要はないのだろうと俺は食事を続けた。
朝食にぴったりの味だ。携帯食料としてはかなり贅沢だろう。しかし、やっぱり味気ない気もする。やっぱり食卓について食事をするのが一番だな。
俺が食べ切ると、リリィも終えたらしい。
今度は袋から陶器のカップを取り出す。リリィ用の小さい物も用意してある。これ、一応アイテム扱いなんだよな。特注で作ってもらったけど。
次いで水筒を取り出し、中身をカップに注いだ。紅茶だ。アールグレイに近いらしい風味と味わいで、ダッフルティーという。
初心者を卒業し、転職した俺の前に立ちふさがったのは、重量の問題だった。俺はまったく気にしていなかったが、イエロースライムジェルを数千持ち運ぶことが出来たので、重量制限はない、と思っていた。
しかし実際はそうではなかった。
貴重品の中にある、袋の項目を見れば一目瞭然だった。
・魔法の袋【小】 ロッテンベルグ紋章 …プレイヤーが初期から持っている袋。ロッテンベルグ周辺ならば重量制限はなく、いくらでも持ち運びが可能だが、ある程度の距離を離れると、重量制限が設定される。その際の所持重量制限は5000グラムになる。
初期街周辺に制限がないのは、発展において邪魔にしかならず、初心者の足かせになってしまう、という理由とのことだった。運搬、流通、商いにおいて、物資を運ぶという労力を残したのは、それ自体が商売になるからという見解らしい。
確かにSWでは現実に近い移動距離や時間が必要で、その労力は多大だ。それ自体で商売になるだろう。実際、他国からの輸入品は著しく高価だ。現地ならそれほど高値ではないというのに。
遠征をすれば必然的に食料や道具が必要になる。装備には耐久度があるため、装備品を幾つか持ち運ぶことが必要になってくる。
現在、俺の持ち物は装備品、予備の装備品、投擲用装備品、食料、回復用アイテムが十程度のものだ。それで重量は15キログラム。ドロップアイテムを考慮すれば余裕があまりない。
ちなみに、この世界の重量単位は現実と一緒だ。
「馬、欲しいな」
馬がいれば移動も楽だし、所持重量も大幅に増える。ただ馬はとても高い。魔法の袋の上位版も異常に高い。それだけ需要があるということなのだろうが。
モンスターテイマーも騎乗だけは出来るから、移動が楽だろう。ペットの飼育費が大変らしいけどな。
「ほら」
俺はカップをリリィに差し出した。
リリィは無言で受け取り、カップを口に持っていく。
「……おいし」
「うまいな」
そうして二人、空を見上げながらのんびりとした時間を過ごした。