第三十二話 優しさコミュニケーション
心ここにあらずの俺はサクヤとレベッカに引きずられ、ロッテンベルグまで帰って来た。
「おい、ついたぞ。いい加減、正気に戻れ」
「……俺はね、ひっそりと誰にも知られずに隠居生活をするのが夢だったんだ」
「老成しすぎだ」
「引きこもりたい……」
「でもねぇ、名前は知られちゃったわけだしぃ。けれど、リハツさんの顔までは知らないわけじゃない? SWにはプレイヤー検索機能なんてないわけだしぃ?」
「……じゃあ、目立ってない?」
「名前だけは出てるけどぉ、ステ見られない限り大丈夫じゃない? 名前も見えないわけだしぃ。なんなら非公開にしておけば問題ないと思うわよぉ」
「レベッカ! そうだな、ありがとう!」
俺は即座に設定画面を開き、ステータスを公開しないにチェックを入れた。
なんだよ、驚かせやがって。
詰まっていた息をゆっくりと吐き出すと、自然と心も軽くなる。すると途端にクエストをやり遂げたという達成感が俺の心を染めていった。
「じゃあ、俺はギルドに」
時刻は午後八時を回っている。急ぐ必要もないが、悠長にしている暇もない。ギルドの閉店時間は十一時だからな。
「あらぁ、それはちょっと軽薄なんじゃないかしらぁ?」
「そうだな。私達はリハツを手伝った。大して実入りもなかったわけだ。礼の一つでもあっていいのではないか?」
「え、えと、私は大丈夫で」
ニースがフォローしようとしてくれた時、レベッカとサクヤはぐるっと首を回し、一斉にニースに視線を送った。
「お礼は必要よぉ、親しき仲にも礼儀ありって言うわよねぇ。親しいってほど付き合いは長くないけれどぉ、だからこそ必要だとも思うのよねぇ」
「レベッカの言う通りだ。食事を奢るくらいはしてもいいだろう」
「で、でもそんな風に思って付き合ったわけでは」
「ニースちゃん、ちょっと」
レベッカはいつも以上に目を細めて、口角を上げていた。裏レべが出そうなのか? ニース、逃げてぇっ!
レベッカはニースを連れて俺達から離れた。
ミナルと顔を見合わせる。俺達だけがよく事情を把握していないらしい。
しばらくして二人が戻って来た。
剣呑な雰囲気を感じとった俺は、たじろぎつつ声をかける。
「お、おい」
「わ、私もお礼は必要かなぁって思いますっ!」
ニースまで!?
一体何を話したんだ。いや、何を吹き込んだんだレベッカは。
三人に迫られてしまい、俺に逃げ場はなくなった。
しかし、心情的には礼を言うことも、礼をすることも抵抗はないし、むしろそうするべきだとは思っていた。
時間は多少あるし、問題はない。
「わかったよ。というよりは、礼をしたいとは思ってた。先にギルドに行こうかと思ってただけだからな。今日中にクリアしてしまいたいし、食事は後でもいいよな?」
「だめだ! 今、まさに、私達は、お腹が、空いている!」
サクヤが鬼気迫る表情で俺に滲み寄る。
「そうよぉ、後回しとかどうなのぉ? 私達に対してそんなに感謝してないんじゃないのぉ? むしろどうでもいいとか思ってるんじゃないのかしらぁ? ねえ? どうなの?」
レベッカも満面の笑みで俺に迫る。
「わ、私もそう思いますですっ! 先に食事に行くですますっ!」
ニースはニースで口調がおかしい敬語になっている。
おかしい。これはなにか陰謀というか謀略のような臭いがする。
しかし三人を振り切ってまでギルドに行く理由は俺にはなかった。単純に、さっさと面倒なことを終えてしまいたかっただけだ。後顧の憂いは断ちたい。リリィを拘束するのはもう止めようと思っていた。
俺のわがままで一週間引き留めてしまった。彼女には彼女の事情があるだろう。俺の思い込みで。傲慢な振る舞いを良しとするべきじゃない。
だけど、まあ三時間あるし食事なら大丈夫だろう。リリィには悪いが、一日付き合ってくれた彼女達を蔑ろにしたくはなかった。
そう思い、俺は首肯する。
「じゃ、じゃあ先に食事にするか。ミナルも来るだろ?」
「あ、えと、その、僕はそろそろログアウトしないとなので……」
「そうか。悪かったな付き合ってもらって」
「い、いえ! 楽しかったし、色んな体験が出来てうれしかったです。そ、その……ま、また遊んでくれると嬉しいんですけど」
「ああ、こちらこそ頼むよ」
「え、えと、そ、それで、あの」
もじもじしてるミナル。男でそれはちょっと、と思いはしても妙に違和感がなかった。それはきっとミナルがあまりに自然だったからだろう。演技をしていたり、良く思われたいという考えがないように思えた。
見た目も中世的で小柄だ。小動物的な愛らしさがなくもない。
いや、もじもじすることが演技であったならそれはそれでちょっと引くけど。
ミナルは何か言いたそうにしているが、俺はくみ取れなかった。
と、背中を軽く小突かれる。サクヤが緩慢に頷いた。
……あー、そういうことか。
「よ、よかったらフレ登録するか?」
ややどぎまぎしてしまう。考えてみれば俺からフレ申請を頼むのは初めてだったな。
俺の言葉にミナルが笑顔を咲かせる。どこか卑屈な少年が初めて自然に浮かべた笑顔だったように思えた。
「お、おねがいします! み、みなさんもいいですか?」
「ああ、構わん」
「こちらこそよろしくよぉ」
「是非ともお願いしますっ!」
みんな快く了承した。その様子を見て、俺も笑顔がこぼれる。
こういう場面は悪くない。人との繋がりを感じられる。自分が一人ではないのだと思える。きっと、俺は引きこもりながらも人との繋がりを求め、怖がっていた。
だから、今はいい方向に向かっている。そう思うようにした。
全員がフレ登録をし、ミナルと別れた。別れ際の嬉しそうに笑う表情が印象的だった。多分、根は明るくて優しい奴なんだろう。短い時間だったが、一緒に居て人当たりが少しはわかった。
またパーティーを組もう。彼となら上手くやっていけるかもしれない。
そしてミナルがログアウトしたあと、俺達はどうするか話し合った。
「で、どこかおすすめは?」
「パンドラ行きませんかっ!?」
ニースはそこ好きだな。美味いけど。
多少は高くつくが、所持金には余裕がある。食事一回くらいなら多少高くても構わないだろう。店主のアクが強いけどな。
全員の賛同を得て、俺達はパンドラへ向かった。
▼
時刻は午後十時二十分。今だに食事会は続いている。
テーブルを埋め尽くすほどの皿の数。その上にはほとんど料理が残っていない。なぜなら――。
「おいひぃわねぇ、こりぇも、もぐもぐっ」
「良く食うな、レベッカは」
食事を初めて一時間三十分ほど。その間、ずっと咀嚼しては嚥下している。大食いの人間を初めて見たが、ここまでとは思わなかった。確かに、SWでの食事は擬似的なもので、実際には適度な栄養を与えられているだけだ。だから太らないし、食べ過ぎても胃もたれをしたりしない。
しかし満腹中枢は刺激される。つまり満腹感はあるのだ。
ならばゲーム内で大食な人間にどういうことが言えるのか。
現実でも大食いだということだ。レベッカは、そういうことだ。
今日、俺が頼んだのはシャリピアンモゴモステーキ、モゴモという牛のような魔物の肉に切れ目を入れ、オニオンのエキスを染みこませて焼く料理だ。実際に、そういう料理はあり、硬い肉も柔らかくなり旨味が増す。スーパーの安い肉でも段違いになるのでお勧めだ。手間はかかるけどな。
「ふぅ、食べた食べたわぁ!」
やっとレベッカの食事が終わったらしい。
他の三人はすでに終えて、食後のコーヒーや紅茶を飲んでいる。
レベッカの食事が終わらないと店を出られないので待っていた、という感じだ。そんなに時間は残っていないし、内心では焦燥感を抱いていたが、なんとか間に合いそうだ。
さすがに半日遅れるとリリィに悪い。
「じゃあ、少し休んだら出るか」
「なにを言っているのぉ、まだデザートがまだじゃなぁい」
「まだ食うのかよ!?」
「そうよぉ?」
レベッカの胃袋は、いや満腹中枢はどうなっているんだ。機能停止しているんじゃないだろうか。
しかしこういう場で先に店を出るのは空気が読めない感じがする。焦れてはいるが、待つしかなさそうだと、俺は嘆息した。
ここからなら、ギルドまで十五分もあれば徒歩でも行ける距離だ。
「店主さぁん、ブラックベリーパフェのLLサイズねぇ」
LLってこの店での特盛じゃねえか!
甘いものは別腹とかいう次元じゃない。レベルが違う。
「かしこまったわ♪」
店主のウインクが俺達に飛んでくる。もちろん、俺はさっと避けた。
ニースも店主もそうだが、モーションによってエフェクトを出せるようだ。俺は出し方を知らないが、アイテムかアバターがあるのかもしれない。
うきうきしているレベッカを前に俺は憮然とコーヒーを飲んだ。ほのかな苦みが口内に広がり、濃厚な香りが鼻を通った。美味い。
そうしていると、喧噪の中から明確な会話が聞こえた。
「おい、さっきのあれ見たか? グランドクエストをクリアしたっていう」
「ああ。なんかトゥルークリアって出てたな。噂では別ルートがあるって一時期言われてたけど、まさか本当にあるとはな……」
後方のテーブルの客が話しているらしい。
おい、話しているよ。俺達のこと話してるよ!
「だよな。どうやってクリアしたんだろうな。リハツ、って名前出てたけど、知っているか?」
「知らないな。有名プレイヤーじゃないのかもしれない」
「マジかよ。初回クエストだし……まさか初心者?」
「それはないだろ。一千万人のプレイヤーが気づかなかったんだぜ? それを初心者がクリアするとかないだろ」
「だよな、じゃあ誰なんだ?」
「さあ。でも今後聞く機会もあるかもしれないし、覚えておいた方がいいかもな」
覚えなくていいから!
落ち着け、俺。名前はバレないんだ。非公開にしているから、俺の名前を知っているのはここにいるメンバーとミナル、あとはギルドメンバーだけだ。
大丈夫。情報は漏えいしないだろう。
「リハツさん、どうしたんですかっ!?」
ニース!? そんな大きな声で呼ばないで!
「ちょ、ちょっと名前を呼ぶ時は小声で」
店内がざわつき始めた。聞こえたプレイヤーがいたらしい。見渡すときょろきょろとしている人間が数人いた。
「あ、ごめんなさい。そうでしたねっ!」
「元気がいいのはいいことだ……でも今は勘弁してくれ」
「はいっ!」
それやめて……。
頭を抱えていると、店主がパフェを持って来た。
そして俺を見て、にこっと笑顔を向けて来る。
「あらぁ、あなたがリハツちゃんだったのねぇ♪ グランドクエストクリアおめでとう♪」
店主ううぅっ! 声、でかいんだよおぉっ!
「リハツ?」
「おい、今リハツって言ったぞ!?」
「どこだ! リハツ!」
「グラクエの詳細を聞き出せ!」
「ギルマス、今パンドラにいるんですが、リハツさんが現れたようです。人員を集めてください。ええ、囲いましょう」
「店主、おかわり!」
「店主が言ったぞ! 今、店主の前にいる奴だ!」
「あれがリハツだ! 多分、あれだ! 大食いのあいつだ!」
レベッカを指差すプレイヤー。それに呼応した他プレイヤーが俺達のテーブルに押し寄せる。
「リハツなのか!? ち、違う、この人はレベッカだ! くそっ! リハツって男なのか女なのかどっちなんだよ!」
「おい、一人だけ非公開にしてるぞ、こいつだ! こいつがリハツだ!」
「ちょ、やめっ!」
おまえら他人だよな!? なんでコンビネーションいいんだよ!
俺はもみくちゃにされてしまう。
「や、やめっ、あ、そんなところまで触らないで……いやあああああっ!」
「てめえら、静かにしねえか!」
「るっせぇんだよ、コラカスコラァ!」
怒声に全員が停止した。
声の主に視線を移すと、そこには青筋を立てた店主とレベッカが立っていた。
「ここは食事をする場だ。お客様だろうと迷惑行為をする人間は二度と入店させねぇ! いいか、最後通告だ、静かにしろ!」
「食事中にぺちゃくちゃ話しかけて来てんじゃねえぞコラっ!? あ!? 至福の時を邪魔しやがって、てめえらの事情を私達に押し付けてんじゃねえよ、ボケカスムシがぁ!」
「だ、だけど、グラクエの情報を」
「てめえらの事情なんざ知らねえってんだよ! リハツが時間かけて、なんとか解明した内容をなんで話さなきゃならねぇんだ? ああ!? トゥルークリアがあったってわかったんなら、自分達でどうにかしようと思わねえのか!? それともなにか、その労力なんてどうでもいい、知ってるなら教えないと不公平だって、民主主義気取って、権利を主張すんのか!?」
「あたしもぉ、グラクエについては知りたいと思ってるわよぉ、でもぉ、自分で探す楽しみもあるんじゃないかしらぁ。どちらにしても噂は広がるでしょうしぃ、それを待つか、自分達で頑張ってクリアする方が楽しいんじゃなぁい? ね♪」
店主の悪い意味で刺激的なウインクに、客全員が青い顔をした。
「どうしても知りたいなら情報屋にでも聞くかすればいいわぁ、すぐに情報は出回るでしょうからねぇ」
こっちはレベッカだ。口調が似ているが、店主とレベッカではまったく種類が違う。
シーンとしてしまった店内でプレイヤー達はお互い視線を躱すと、ゆっくりと席へ戻っていった。
「あ、ありがとう二人とも」
「いいえぇ、あたしは食事を楽しんで欲しいだけなのよぉ。それにあたしの不用意な発言で迷惑かけちゃったみたいだしねぇ♪」
「ま、私は、食事を邪魔されたのが腹立っただけだけどねぇ」
レベッカは俺のパーティーだよね? 店主の方が優しいってどういうことなの?
しかし二人は共通点があるようだ。二面性があるところ、口調が微妙に似ているところ。だが、容姿は違い過ぎる。というか性別が違う。
「それじゃ、ごゆっくりぃ♪」
ひらひらと手を振る店主に、俺も返した。
悪い人ではない。むしろ善人だろう。ちょっと苦手ではあるけど。
店主とレベッカのおかげでなんとか収拾したが、俺を見るプレイヤー達の視線は変わらない。
別に話してもよかったんだけどな。ただ今話してしまえば、俺が話したという事実を聞いたプレイヤーが押し寄せる可能性がある。それにレベッカがさっき言ったように、不公平だと主張する奴らもいるかもしれない。
正直な話、面倒なことこの上ない。レベッカ達が収めてくれなければどうなっていたことか。
身近で見ていたサクヤは微塵も動揺せずに緑茶を飲んでいた。
ニースはあまりの出来事に固まっていたが、やがて我に返り、恥ずかしそうに紅茶を飲み始める。
ふと気づき時刻を見た。
午後十時四十五分。
「じ、時間が! わ、悪いさすがにそろそろ行かないと、ギルドが閉まる!」
「えー、今日はいいじゃないぃ、もう明日にすればぁ?」
「そうはいかない! もう十分、リリィを引き留めてしまったんだよ、早く解放してやらないと」
「おまえはそれでいいのか?」
サクヤの言葉に、俺は息を飲んだ。
俺は、確かに寂しい。けど、もう十分時間は貰った。助けて貰った。これ以上、望むのは身勝手だ。
「……ああ」
「そうか。ならば、これ以上、私達が言うことはない。お節介もここまでだ」
「ここまで、って。おい、まさか時間稼ぎしてたのか?」
「そ、その、ごめんなさいっ!」
「なんで、そんなことを……」
「私はおまえの様子がおかしいと思ってな。最初、ギルドで見た時、憔悴しているように見えた。自殺するのではないかと思えたほどだったのだ。だからパーティーを組もうと提案した。そしてその後、リリィとの関係が上手くいっていないと聞き、原因がなんとなく理解出来た。それで余計なお世話かもしれないとは思ったが、こうして小細工を弄したというわけだ」
「今日一日で、リハツさんは元気になったみたいに見えたから、時間が解決してくれるかもと思ったのよねぇ。それで時間稼ぎしたってわけねぇ」
「わ、私はリリィさんとのことも、すれ違いがあったんじゃないかって思って。そ、それにお別れになるにしても、ケンカ別れは寂しいじゃないですかっ! 少しでも元気になれば変わるんじゃないかって」
「だから、パーティーを組んだってことか」
「そ、そうです。そのごめんなさい……気に障りましたか?」
同情するな! と以前の俺なら思っていただろう。口に出したかもしれない。
でも、三人は俺のことを思い、一日中付き合ってくれた。言葉で言うことも出来たのに、見守って支えてくれた。口だけの人間とは違う。行動で表してくれたのだ。
だったら、気に障るなんてことあるわけがない。
けど、
「気持ちはわかった。ありがとう、みんな俺のためにしてくれたんだよな」
「そうだな。正直、最初は気まぐれだったが、今ではこれから仲良くして貰いたいと思っている。少なくとも私はな」
「……そ、そう真っ直ぐに言われると困るな」
「言葉を曲げるのは好かん。率直に言わなければ伝わらないこともある。逆に、真意とは違うように受けとってしまうこともある」
真意とは違う、か。
リリィと最後に話した内容を思い出す。そこに俺の勘違いはあったんだろうか。
思えば、自分の言いたいことを言ってすぐに逃げてしまった。あの時、リリィは待ってと言っていたのに。
何か言いたいことがあったのかもしれない。それが俺の期待することじゃなかったとしても、自嘲が生まれることはなかったかもしれない。
「とにかくすぐに出立しよう。私達がこれ以上、リハツの気持ちを蔑ろにするのは勝手が過ぎるだろう」
「そうねぇ……」
「わ、わかりました……」
空気が少しだけ重くなった。気まずさはないが、三人の心遣いを感じる。
俺の独りよがりはもうおしまいだ。少なくともこの三人は俺を思い、行動してくれたのだから報いなくてはならない。
リリィも解放しよう。彼女が望んだ通り。
「店主、会計を」
「はぁい♪」
俺に迷いはなかった。リリィがいなくとも、一人で、いや仲間達とどうにかやっていこう、そう思えたから。