第三十一話 その名は――
見える。全部見える。
拳を引く予備動作も、俺を睨み付ける眼光も、拳を繰り出す際に一歩踏み出す足も、砂埃も石つぶても、全部見えた。
柔軟に動く。反射的に動く。
やがて音が聞こえなくなり、迫りくる攻撃を回避し、スキルを放つことだけが頭に残る。
しかしその集中は途切れてしまう。
『………………ん?』
攻撃の雨が止んだ。
何が起こったのか、飲み込めなかった。
我に返ったと思ったら、ゴーレムの姿が見えなくなっていた。
『あれ? ゴーレムは?』
俺の呟きに反応するものはいなかった。
振り返るとニースとミナルが呆然と立ち尽くし、俺を凝視していた。
どういうことだ?
記憶にない。途中から意識が飛んでいた。
こういう時のログだ。俺は確認してみた。
『リハツはゴーレムを攻撃した』『ゴーレムに10のダメージ』
『ゴーレムはリハツを攻撃した』『リハツは回避した』
『リハツはゴーレムを攻撃した』『ゴーレムに11のダメージ』
『ゴーレムはリハツにストンプを放った』『リハツは回避した』
『リハツはゴーレムを攻撃した』『ゴーレムに15のダメージ』
『ゴーレムはリハツを攻撃した』『リハツは回避した』
『リハツはゴーレムにスラッシュを放った』『ゴーレムに13のダメージ』
『ゴーレムはリハツにフルスイングを放った』『リハツは回避した』
『リハツはゴーレムにウィークネスを放った』『ゴーレムにクリティカル48のダメージ』
『リハツはゴーレムを倒した』
倒した。倒した?
俺が倒したのか?
実感がない。記憶がない。これは現実なのか。
「す、すごい…………」
「リ、リハツさん……すっごいですっ! 倒しちゃいました! ゴーレム倒しちゃいましたよっ!」
ピコン。
ピコン。
レベッカ達も見ていたようだ。
ミナルとニースの歓声を受けて、ようやく俺は実感出来た。
倒せたんだという達成感がこみ上げ、感動してしまっていた。目頭が熱くなって来る。汗は出ないのに涙は出そうになるなんて、なんてゲームだ。
「ど、どうやったんですかっ!? なんですか、あのシュッシュッ! っていうの。なんで避けてたんですか!? 避けれるんですかっ!?」
いつの間にはWISではなく普通に話していた。
二人はキラキラとした目を俺に向けてくる。どうしていいかわからないからやめて欲しい。
ピコン、ピコン。
「そ、それより二人を蘇生してくれるか?」
「は、はいっ!」
「わ、忘れてました。すみません……」
ミナル君も結構言うね。
俺はちらっと黒魔女を見た。悲しそうに瞳を伏せている。視線の先には老婆が倒れている姿が見えた。ゴーレムを召喚したことがなにか関係しているのだろうか。
イベントに入らないということは、話しかけないとダメなようだ。
最初に加護をかけてくれたおかげで多少HPに余裕が持てたのを思い出す。戦闘中ずっとかかっていたが、今はもう効力が切れている。
ヒーラー組の蘇生を受けて、レベッカとサクヤが生き返った。背中に翼をつけて、降臨。あんな風に見えたんだな。あの二人なら絵になるけど、俺だと滑稽に見えるだろう。
二人は衰弱の状態異常がついている。HPとMPとSPが減少するデバフだが、一時的なもので、すぐに治る。
「まさかクリアするとは思わなかった」
「お姉さんびっくりしちゃったわぁ、リハツさん、すごかったわねぇ。あんな芸当出来るのねぇ……」
「ですよねっ!? あれ、なんですか!? なんなんですか!?」
「な、なにってただ回避してただけだけど」
「回避するプレイヤーはいるが、全て回避しつつ、スキルを発動するなんて芸当、そうそう出来るもんじゃないと思うが」
「そ、そうか? んー、昔から目はいいんだ。多分、それで、だと思う。音ゲーとか格闘ゲームは結構好きだしな」
「納得出来るような、出来ないようなぁ」
「ま、まあいいじゃないか。それより、イベントを進めよう。黒魔女が待ってるし」
「あっ! そうですね、クリアしたんですし、先を見ましょう!」
賞賛には慣れない。褒められてもどういう顔をしていいかわからないし、そこまで自信を持てるような人生を歩んで来ていないからだ。
とにかく話題を逸れさせることが出来てよかったと、内心安堵した。
▼
黒魔女の元に、俺達は集まった。
地面に横たわった老婆は、苦悶の表情を浮かべている。しかしどこか安らかにも見えた。
『……まさか儂のゴーレムが負けるとは』
『人間の力は、我々の想像を超えている、そういうことでしょう』
『ふ、お主は昔から人間を愛でておったな。愚かなことじゃ』
『そう、かもしれません』
沈痛な面持ちのまま黒魔女は沈黙を守った。老婆の横に跪き手を握っている。
しかし、老婆は唇を震えさせながらぽつりぽつりと話し出す。
『儂は……儂は、間違っておらぬ』
『ババ様……』
『儂は、人間を憎んでおる。天秤を傾けし者、彼奴らはこの世界を……いや、もう何を言うても遅いか』
『わかっております。それでも』
『言わずともわかっておるよ。お主は儂の弟子であり、儂の……娘なのじゃから』
『ババ様、ですが、どうして暴挙に出たのですか……怒りですか? 復讐ですか?』
『ひぇっ、ひぇっ、儂はそこまで生にしがみついてはおらぬよ。ただ……ただ、儂は、お主を……』
目に光がなくなりそうになっている。死期は近い、それを物語っていた。
『どうか、お主だけでも……』
最後の言葉を残し、老婆の身体は光子に包まれた。やがて、全体は眩く光、肉体ごと霧散し消失してしまう。
俺達は言葉を失っていた。誰も口を開けない。
状況は理解出来ない。事情もわからないが、茶化してはならないと思った。
『お母様……っ!』
黒魔女が……イデアが、最後に絞り出した声はきっと老婆に届いているだろう、そう願った。
すすり泣くイデアを前に俺達は立ち尽くしている。声をかけるのも憚られた。
イデアは立ち上がり振り向いた。眼差しは悲しげに揺れていながら、強い意思の光を放っているように思えた。
『これからそなた達に、この世界の真実、その一端をお見せすることとなりましょう』
口調は柔和で、先ほどまでの居丈高な黒魔女はいなかった。一人の女性、一人の娘がそこにいた。
俺達は頷き、先行くイデアに追随し、幽界の外へと出た。
▼
森の広場へと戻ってきた俺達はイデアを動向を見守った。
まだイベントは終わっていないようだ。
『ありがとう冒険者達。そなたたちのおかげで、ババ様を止めることが出来ました。感謝を述べます』
「い、いえ」
慇懃な態度に、思わず委縮してしまう。
イデアは天を仰ぎ、そして振り返った。そのまま俺の前まで歩み寄ってくる。
『リハツ、そなたにこれを』
腕輪のようだ。受けとると同時に袋の中に入る。
・イデアのアミュレット
…グランドクエスト『黒魔女の森』のクリア報酬。黒魔女イデアの加護を施されており、全体ステータスが僅かに上がり、閃く確率が上がる。装備可能ジョブ全て。レア度8
『どうか、真実を見極め、選択を間違えないでください。そなた達の勇壮さと聡明さを信じます。私の出来るのは些細なこと。せめてあなた方の新たな力を開放しましょう』
そのセリフを皮切りに、視界に豪華なエフェクトと共に大きくグランドクエスト、トゥルークリアの文字が浮かび上がった。
どうやら占い師、いや老婆の代わりはイデアらしい。弟子で娘なのだから、力を受け継いでいると考えてもおかしくはなかった。
「トゥルークリア? ということはこれが正しいエンディングだったのか?」
「ですねっ! すごい、これ初クリアですよね!? サーバーで一番なんですよね!?」
「うむ、そうなるな。まさか、こんな情景が見られるとは思ってもみなかったぞ」
「リハツさんについて来て正解だったわぁ、最初はただ同行するつもりだったのにぃ」
「あ、ありがとうございます! なんだかよくわからない内に、パーティー組んじゃいましたけど……」
歓びの声を上げるメンバー達だった。
「みんなにアミュレットは配られてるのか?」
「いや、リーダーだけみたいだな。私達は手伝いだし貰えないんだろう」
「そ、そうか」
なんだか悪い気がする。グランドクエストは確か繰り返し受けることが可能だったから、みんなが行くときは手伝うことにしよう。
これで終わりか、と感慨深げに考えていると視界に何かが移りこんだ。
『リハツのパーティーがグランドクエスト『黒魔女の森』を初めてトゥルークリアしました。これにより英雄達の石碑が出現します』
「なんだこれ?」
「あ! これ、システムメッセージですよっ!?」
「サーバー全体にリハツの名前が知られた、ということか。ふむ、やったな?」
「うそだろっ!? やだよ、やだ、なんでそんな目立つことになってるんだよ!?」
「あらあら、まさか初クリアで名前が出ちゃうなんてねぇ。たまにネトゲでもあるけど、SWも粋なことするわねぇ」
自己顕示欲は俺にはない。むしろ細々と過ごしたいタイプなのに! なんでこんなことに……。
「す、すごいことだと思いますけど、あんまり嬉しそうじゃないですね」
「嬉しくない! リーダー変えとけばよかった……レベッカとかに」
「そうねぇ、それなら名が売れて商売繁盛しそうだけどぉ、主役はリハツさんなわけだし、私は断ってたわよぉ?」
「もう終わりやぁ、SW人生は終わったんやぁ……」
「なんで関西弁になってるのぉ?」
苦笑いを浮かべつつレベッカはきっちりツッコんでくれたが、俺の心は晴れない。表情が見えたのは兜を外していたからだ。
「ふむ、しかし難易度が異常に高くなかったか?」
「そうねぇ。もしかしたら、誰もクリアしていなかったから修正入らなかったのかもねェ。多分初期設定のままだったんじゃないかしらぁ」
「確かに、五年の間に調整は頻繁に行われたらしいからな。バランスが悪いのもうなずける。今後は変わるかもしれんな」
俺を置いてサクヤとレベッカは談笑を続けた。
もう、難易度とかどうでもいいよ。重要なのは俺が目立たないことでしょ!
『歓談中申し訳ありませんが、付き合ってくれますか?』
「え? ああ」
まさかまだ何かあるのか? クリアはしたはずだが。
イデアの申し出を了承すると、突然身体が浮き上がった。
逆バンジーのように急に飛び上がったせいで、思わず「ひょえっ!」なんて言葉を放ってしまう。
「ふむ、浮いたな」
冷静ですねサクヤさん。
「すっごい高いわねぇ、地上まで百メートルくらいあるんじゃないかしらぁ」
「たた、高いです! 高所恐怖症じゃないけど、怖いですよぉっ!」
混乱した様子の俺達だったが、イデアとミナルとサクヤは冷静沈着なままだ。ミナルも意外に腹が据わっているのかもしれない。
「な、なんか光ってますよ、あそこ」
ミナルに言われて、視線を移す。
ロッテンベルグから西、メリアの村から更に西。大陸中央よりの部分で光芒が見えた。その頭上には曇天が渦巻き、さながら蛇のようにとぐろを巻いている。
突如、暗雲から落雷した。それが地面を焦がす。地が揺れた。轟音と共に、地面から何かが生えてくる。
『一時的に、視覚効果を上げましょう』
イデアの声と同時に、正面に拡大画面が浮かぶ。これはムービー扱いなのだろうか。
遺跡だ。石造りの遺跡らしきものが見えた。
それがせり上がり、やがて全貌を明らかにすると、地鳴りは止んだ。
『あれが英雄の石碑。始まりと終わりを記す場所です。これから世界の真実を見つけた冒険者の名は、あそこに刻まれることになるでしょう』
「……え? ていうことは俺達の名前も?」
『ええ、そうなりますね』
「い、いつか消えるとかは?」
『永久に残ります』
「いやだあああ、名前が残るぅうぅっ!」
「諦めろ。もう無駄だ」
「イヤだ! 削る! それでだめならハッキングする!」
「そんなにイヤなのねぇ……でも、ハッキングもクラッキングも、もちろん削るもの無理よぉ?」
「最悪だ……」
身も世もなく、俺は放心状態になっていた。
終わった。俺のSW人生は終わってしまった。
こういうのはクラス委員を決める時に率先して手を上げる奴とか、人気者になりたくてふざけたことばかり言う奴にやらせればいいのに!
しかしもう後の祭りだ。どうしようもない。
俺は、悟った笑みを浮かべたまま、英雄の石碑を見つめることしか出来なかった。
ちなみに、帰りにメリア村によると、村人達は疫病が治っていた。めでたしめでたし……。