第十八話 ラーメン大好きサクヤさん
翌朝。朝日が昇り、俺達を照りつけている。
このままここにずっといたい衝動に駆られてしまう。
けれど、それではリリィが帰れない。
せめて最後に後腐れなく、誰も巻き込まないようにしなくては。
転職したらまたここに来よう。
鉛のように重い身体をなんとか引き起こし、俺は覚束ない足取りでギルドに向かおうとした。
「行くの、か?」
後方から声がした。しゃがれて、聞き取りにくい。けれど、言っていることは明瞭に伝わった。
振り返ると、隣に座っていた男がこちらを見上げていた。
初めて顔を見た気がする。隣にいたのに知らなかった。
彼は若かった。俺と年齢はそんなに違わないだろう。無気力ではあるが、目に生気がないようには見えない。しかし、俺を見ているようで違うものを見ているような気もする。浮世離れしている。それが彼の第一印象だった。
昨夜の雨が汚れを落としたらしく、衣服も肌も小奇麗になっていた。そのせいか、どこにでもいる青年のように見えた。
「……ええ」
驚くほど自然に声が出た。
どもりもせず、自分の声かと疑うほどに淀みなかった。
「そうか」
彼はそれだけ言うと再び地面を見つめる。
不思議な感覚だ。初めて会話し、初めて顔を見合わせた間柄なのに、どうしてもこうも安心してしまったのだろう。
「いつでも来い。来なくてもいい。来たければ来たらいい」
「はい」
その会話を最後に俺はその場から離れた。
確かに感じた。俺はその時、彼に共感していた。
同じ苦しみを味わったものにしかわからない。彼は俺を理解し、俺は彼を理解した。
ただそれだけのことだった。
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時刻は午前九時少し前。そろそろ冒険者ギルドがオープンする時間だ。
俺はその時を待ち、店先で待機していた。
リリィの姿はない。期待しているわけではないが、いつでも彼女は俺の場所へ移動出来るのだ。それをしないということは、そういうことだ。
落胆はない。どちらかと言えば安堵している。
これでもうなんのしがらみもなくなる。無駄に誰かとの関係を悩み、一喜一憂することもないだろう。元々俺達の間にはなにもなかったのだから。
九時きっかりに扉は開いた。いつもの受付の女性が顔を出すと、俺は一礼する。
引きつった表情を返して来た。
あんたまでそんな顔をするのかと無性に腹が立つ。
「お、おはようございます」
彼女の挨拶におざなりに返事をすると、中へと入った。
開店間もないため人はいない。
「あの、転職クエストってあります?」
「え? ええ! ありますよ!」
黒髪の受付に言うと、途端に表情を明るくした
嬉しそうにしやがって。なんなんだ一体。
受付まで誘われて説明を受けた。
「転職クエストは通称でして、グランドクエストをクリアすると転職出来るようになります。Dのグランドクエストは簡単なので、お客様ならすぐクリア出来るかと」
「そうですか」
「えーと、こちらですね」
机の下をごそごそ探ったと思ったら、受付台の上に書類を差し出してきた。
手に取ると概要が書かれていた。
グランドクエスト『黒魔女の森』
…必要ランクD
概要
…ロッテンベルグの西にある、メリアの村で疫病が発生した。
冒険者にはその解決を頼みたい。
どうやら近辺の『黒魔女の森』に原因があるようだ。
恐らく魔女の仕業だろう。
どうかメリア村の人々を病から救ってほしい。
メリア村の中には、冒険者の資質を見極める能力を持つ占い師もいる。
村人を救えば、新たな可能性を見出すことが出来るだろう。
報酬
…転職が可能になる
…家が購入可能になる
…露店を出せるようになる
…サブジョブを解放
…クイック・イクイップが使用可能になる
…習得スキル値全て+1(制限:40まで)
…50000ゼンカ
…他
『クエストを受けますか?』というメッセージが出たので即座に『はい』を押す。
「受けました」
「かしこまりました。クエストが完了しましたら、再びここに戻って報告をお願いいたします」
「はい」
ここにもう用はない。
さっさと済ませて、あそこに戻ろう。
「あの」
「……なんですか?」
「いえ、その、念のため装備を整えて、回復アイテムを買っていく方がいいかもしれません。ソロですよね」
「それがなにか?」
「初めてのボス戦でしょうから、準備はしておいた方がいいかと。それに一応パーティーで戦う相手なので。お客様は十分スキル値が上がっているでしょうが」
「ご忠告どうも」
別にどうでもいいけど。
立ち去ろうとすると、また声をかけられた。
「あの」
「なんですか……」
「いえ、大丈夫ですか? なんかお疲れみたいですけど」
疲れ? そんなものはまったくない。むしろ快調だ。
「別になにもありません」
「そ、そうですか」
「もういいですか、さっさと行きたいんで」
「す、すみません」
なにを謝ってるんだこの人は。
意味がわからないやり取りで、気疲れしてしまった。
俺は店から出ようと、再び足を踏み出す。
「あ、あのやっぱり」
「だから! なんなんですか、さっきから!」
一々邪魔してこの人はなにがしたいんだ。段々、頭に血が昇って来た。
なんだ? 俺をイライラさせたいのか?
しかし、返って来た言葉は、俺の思っていたものとは違った。
「……私も一緒に行ってもいいです?」
「はぁ? あんたなに言ってるんだ?」
思わずタメ口になってしまう。呆れ果てていた。
言動が理解出来ない。この人がなにを考えているかもわからない。
あれか。また詐欺かなんかだろうか。俺に付きまとう理由はそれくらいしか浮かばない。そうか、わかったぞ。思い出した。俺が納品しに来ると、微妙にイヤな顔をしていた。最後に断られたのも、俺が同じ素材ばかりを納品していたからだ。
なるほど。確かにそんな客がいれば困るだろう。だからその仕返しというわけか。
「スキルは同じくらいですし、いいですか? フィジはちょっと高いですけど」
これはつまり同じパーティーに入って邪魔をしようとしているのか。
いいだろう。別に他人なんてもうどうでもいいしな。
「……好きにしたらいい」
「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと待ってて下さい」
足早に店の奥に行ってしまった。
待つのも面倒だし、このまま一人で行く方がいい気がする。だけど、一度了承してしまった手前、それは気がすすまない。こっちに非がある状態にするのは好ましくはない。あくまで相手に非がある状態のままでいなければ意味がない。
俺は憮然として、女を待った。
数分して、ようやく戻って来る。
「お待たせしました」
「ああ」
俺はさっさと外に出た。
もう他人のために何かを犠牲にするのはうんざりだ。時間も労力も俺のためだけに使いたい。
「それで一応パーティーなので敬語をやめていいですか?」
「別にどっちでも」
隣に並びながら話す女に、俺は面倒そうに返した。
「じゃあ、普通に話すぞ」
「……あんた、そんな話し方なのか?」
「そうだが、変か?」
「いや……まあ、個人の自由だろ」
「うむ。私もそう思うぞ。気が合うな」
「合わねえよ」
合わせる気もない。
これは選択を間違ったかもしれない。なんとも癖の強い女だ、こいつは。
だが、って。男口調というか、女が使うと武士みたいな? 確かに見ると、和風な感じはする。長い髪を後ろで括っているし、女流剣士の印象を受けなくもない。
しかし服装はミニスカートにシャツ。西洋風の正装のような感じだ。
口調が破滅的に合っていない。
「私はサクヤ・カムクラだ。ラーメンが好きだ」
「おい、まさかその名前……」
「そういうことだ。みなまで言うな、色々と問題があるからな」
「お、おう」
「おまえはリハツだったな?」
「ああ」
「呼び捨てでも?」
「好きに呼べ」
サクヤは俺から見て年上だろう。だが、年功序列なんて俺には関係のないことだ。
敬語を使うのも億劫だし。それを気にするような人間ならさっさと見限る。元々、見限っているし期待もしていないけど。
「ではリハツと。私もサクヤでいい」
「そのつもりだ」
「そうか……ふむ」
大通りに人が増えてきた。邪魔くさいが、まあ無視すればいいだろう。
「ところで先に装備を整えるのだな?」
「ああ。あんたは?」
「おっと、装備はまだしていなかったな」
サクヤの腰に刀が装備された。漆黒の鞘で、俺の知っている現実の刀と酷似している。
タゲって調べてみると、職業は侍らしい。タンクじゃなくてアタッカーみたいだな。
衣服は着物を若干洋風のデザインにした感じだ。丈は太もも程度までの長さ。動きやすそうではあるが、侍というよりはくノ一っぽい。
「こしらえは現実の刀を模倣している。ファンタジーの刀はどうも風流がなくてな。芸術性を感じないのだ」
「こだわりがあるのは悪いことじゃない」
「うむ。おまえとは気が合うな」
「合わねえよ」
こんなよくわからない会話を続けて、俺達はレベッカの店に到着した。
「ほう、ここか」
「知ってるのか?」
「ああ。中々腕利きだと聞いている。ただネーミングセンスはないとな」
「店名が『レベッカ』で店主もレベッカだからな。でも『パンドラ料亭』よりはマシだろ」
「ほほう、そこを知っているとはやるな。しかしあそこはラーメンがない。私にとっての希望はあそこには存在しないということだな」
「知らねえよ、そんなの」
ほんとどうでもいいことばかり言ってるなこいつは。
俺も変わりはしないか。
雑談をしていると『レベッカ』が目の前にあった。最初は入店さえ抵抗があったのに、今は気軽に入ることが出来る。
例え慣れたとしても、俺の糧になることはない。俺はもうあそこに戻ると決めたのだから。




