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第九十一話 四~十一日目 真実

 通り魔に襲われてから五日が過ぎた。


 すでにメンテは開けている。しかし俺はまだ現実に留まっている。むしろ部屋からほとんど出ていない。出る気力が浮かばなかった。


 神山さんに連絡もしていない。エニグマビルから出なければならず、その勇気は俺にはなかった。


 食事の時だけ、びくびくしながら部屋を出るという、怠惰な生活は続く。


 目をつぶると思い出す。俺を殺そうとする凶刃が浮かび上がる。

 恐怖は気力を削ぐ。俺は引きこもり時代よりも強い無気力感に苛まれていた。


 このままここに閉じこもっていれば誰からも襲われない。


 ドアの前にはテーブルを移動させている。電子ロックも、チェーンもかけている。俺だけの場所、俺だけしかいない空間だった。


 眠れない日々だ。


 殺されかけた経験が、安穏とした生活を許してくれはしなかった。


 SWに戻りたいという思いはある。だが、同時に意識を明確に持ちたいという欲求もある。仮想現実に入れば、俺の肉体は寝ている状態とほぼ同じ。もしも誰かが俺を殺そうとしたら抗えない。社内でそれはないかもしれない。けれど安心は出来なかった。


 意識を保つことでなんとか平静を保っている。情緒不安定な状況で、ゲームを楽しめるはずもない。


 誰にも話せない。


 どうせ、家族に話そうにもまともに取り合ってくれないだろう。フレに話すには信憑性が薄すぎる。命を狙われた、もしかしたら狙われ続けるかもしれない、と聞いて信じる人間がどれくらいいるだろうか。


 それに、もしも誰かに話したら巻き込んでしまうかもしれない。

 布団にくるまり、時間を無為に過ごす。そうすることしか出来なかった。

 

   ▼


 それから二日が過ぎた。


 状況は変わらない。どうすればいいのだろう。


 自衛の方法はやはり神山さんに協力するくらいしかないのだろうか。しかしそうすれば、渦中に自ら飛び込むことになる。より危険に晒されるかもしれない。


 俺は未だに何も決断出来ずにいた。


 ベッドの上に丸まって、じっと正面を見据えるだけ。


 何かの幻聴が聞こえる。それは虚実であると思い、それでも少しずつ違和感が大きくなる。やがて幻だと理解し消散するもまた現れる。そして消える。


 誰かの足音が聞こえた。廊下を移動し、自室の前を通る。遠ざかったことを確認して、ほっと胸を撫で下ろした。


 電子音が響く。CVから発生しているらしい。


 ビクッと震えてしまう。俺はただの音にさえ戦々恐々としていた。


 睨むように表示されたホログラムを見ているとやがてコール音は消失した。だが数秒の間隔を経てもう一度鳴り響く。今度はメールらしく、すぐに消音した。


 苛立ちを感じながらも、画面を見ると、どうやら診察室かららしい。


 そう言えば、右腕は一週間前のままだ。途中で三森先生に経過を診てもらってはいない。


 俺は億劫になりながらもメールを見ると、思った通り診察室に来るようにと書かれていた。宛名はないが、恐らく三森先生だろう。


 事件当初、右腕は僅かに赤黒く腫れていたが、今は痛みもないし見た目も元に戻っている。完治したのではと思ったが、一応診察は受けておいた方がいいだろう。


 しかし気が進まない。やめておくか? さすがに強制的に診察されたりはしないだろう。


 それなのに俺の中に、行くべきという気持ちが大きくなっていった。理由はわからないが、もしかしたら少しずつ怠惰になっていく自分自身への警告なのかもしれない。


 どうせビル内の移動だ。安全だ。昼間から襲われるはずがない。

 なんとか自分を納得させ、着替えると俺は入口の前に立つ。


 出たくない。


 しかしこのままでいいとも思わない。


 そうだ、三森先生に相談しよう。精神的な問題に少しは対応してくれるのではないだろうか。精神科医ではないが、少なくとも俺のような若輩者よりは建設的な意見を出してくれそうだ。


 そう思うと少しだけ気持ちが前を向く。


 そして、俺は多少のネガティブな思考を持ちつつもなんとか部屋を出た。


   ▼


 受付の看護師に診察に呼ばれたと告げると、いつもの診察室へと向かった。


 病院内ということで少しだけ安堵が強い。人の命を救う場所だからだろうか。


 俺は診察室のドアをノックした。


「どうぞ」


 女性の声だが、少し高めのトーンだった。


 三森先生、じゃないのか?


 俺は疑念を抱きつつ、ドアを開け室内へと足を踏み入れる。


 そこにいた女医さんは俺の知らない人だった。胸のプレートには『四季村』と書かれていた。


「お待ちしてましたよ、戸塚さん。どうぞ」


 俺は戸惑いながらも促され、女医さんの正面にある椅子に座る。


「右腕の調子はどうですか?」

「え? ええ、大分いいですけど」

「そうですか。拝見しますね……これは、かなり治りが早いですね」


 四季村さんは俺の腕の状態を確認すると、CVを操作し、ホログラムのカルテに色々と書き込んでいる様子だった。


 どうもそわそわしてしまう。三森先生は親近感がわくというか、話しやすい雰囲気はあったが、この四季村さんは医者そのものといった感じで、気軽に話す空気を出してはいない。


 三森先生は今日は休みなんだろうか。


 医者も養生しなければならないのだから、休日は当然ながらあるだろう。偶々、タイミングが悪かったのかもしれない。


 しかし一応聞いておこうと思い、俺は疑問を口にした。


「あ、あの、三森先生は」

「三森? ああ、前任者ですね。それがここ一週間無断欠勤が続いてまして。連絡もとれないそうなんです。それで代わりに私が担当になったわけですね」


 あまりに突然のことで、俺は言葉をそれ以上並べられなかった。


 辞めたのか? どうして?


 三森先生は責任感のある人に思えた。それが無断欠勤?


 俺は彼女の性格を詳しく知らない。仕事上は真面目でも実際はそうでもない可能性もあった。だが、引っかかる。


 三森先生の今までの言動、行動を見ている俺だからわかる。彼女は無責任な人間ではない。俺が少し気になると言っただけで別日に検査してくれるくらいには患者を見ている人だ。辞めるにしても引き継ぎをしっかりしそうなイメージがある。


 『公表されてはいませんがね、SWをプレイしている人間が失踪する事案が発生しておりましてね』


 神山さんの言葉が突如として脳内に浮かんだ。


 三森先生はSWをプレイしてはいない。だが、エニグマの社員だ。深く関わりがあると言っていい。


 プレイヤー以外でも、エニグマに関わる人間さえも対象だったとしたら。


 通り魔、神山さんとの出会い、そして三森先生の失踪。それらはすべて俺の身の回りで起きている。これは偶然なのか?


 おかしなことだらけだ。どれが疑わしいのか、誰かが意図したものなのか、それとも単なる悪運なのかわからない。


 もしも、三森先生の失踪にエニグマが関わっていたとしたら、なぜそんなことをした?


 俺を襲った理由も判然としない。だが俺はプレイヤーだ。ならば神山さんの言っていた被害者の特徴には一部合致している。


 三森先生はどうだ。プレイヤーではない。エニグマで働いているという理由だけで失踪させられてしまうか? いやさすがにそれは説得力に欠ける。彼女が何かしらの不利益をエニグマに与えてしまった、或いは与える可能性があったとは考えられないか?


 エニグマの仕業だと仮定して、そもそも俺が襲われたということは、俺の存在がエニグマにとって不利益があるという事実を表している。それは俺と関わった人間に影響を及ぼす可能性を示唆している。


 俺と三森先生との接点は、やはり診察内での出来事しかない。俺は三森先生のことを思い出す。一挙手一投足、一つ一つの言動を思い返し、少しだけ気になった部分があった。


 検査をしていた時、なにか考えていたようだった。あの時の反応に因果関係があるとは考えられないか? 心理的な要因、ゾーンだと言っていたが。


 それに通り魔に殺されかけた時、俺は異常なほどの力を発揮した。単なる火事場の馬鹿力で片づけていいものなのだろうか。これは心理的な要因とは思えない。


 俺の能力的な部分を検査し、気にしていた三森先生と無関係ではないのではないか。


 思い過ごしならいい。だが関係ないと高を括れはしなかった。


 ……俺の身体はどうなってしまっているんだ。何が起こっている。何もかもSWをプレイしてからの出来事だ。これでエニグマには関係ないと思う方が難しい。


 とにかく、三森先生のことは神山さんに伝えた方が良さそうだ。


 四季村さんに腕の具合を診て貰い、ほぼ完治していると診断を受けた、


 その後、簡単な検査に移り、問題ないことがわかるとすぐに部屋を飛び出した。


 すると見知った人間を廊下で見かける。


「だ、大厳さん!」


 大柄の男は神山さんの相棒の刑事だ。


 俺は慌てふためいて大厳さんの正面に立つ。


「か、神山さんは」


「……先輩は」


 大厳さんは仏頂面のまま、口を歪ませるように話す。声量は小さく聞き取りにくい。


 俺は耳を澄まして次の言葉を待った。


 そして小さな期待はもろくも崩れ去ってしまう。



「先輩は、失踪しました」



   ▼


 呆然自失となっていた俺は、大厳さんに案内されて局長室前にいた。

 理解が出来ない。なぜ刑事である大厳さんがエニグマ社内の構造を把握しているのか。


 なぜだ、なぜこの人が俺を?


 混乱した頭ではまともな考えは浮かばなかった。


 ただ一つわかっているのは、今の俺に抗う術はないということ。この場から逃げ去っても、恐らく本当の意味での安住の地は存在しえない。


 大厳さんの巨大な背中からは無言の圧力がにじみ出ている。つまり、抵抗するなというもの。


 大厳は局長室のドアをノックする。


「どうぞ」


 間髪入れずに聞こえたのは内藤さんの……いや、内藤の声だった。


 大厳に続き、俺は局長室へと入った。


 地に足がついていない。まるでここは現実ではないような感覚だった。仮想現実こそが俺の理想の現実になりつつある。


 机の奥に内藤がいた。椅子に座り、にっこりと笑って俺を見ていた。


 内藤が一度頷くと大厳は入口横で居丈高な態度のまま待機した。


「本来なら、ここに出向いて頂くのはもう少し先になる予定でしたが……仕方ありませんね」

「ど……どういうことだ」


 しゃくり上げてしまった声を誤魔化すように、俺は言いなおした。

 事態の把握はほとんど出来ていない。


 だが神山さんの言葉が真実である、と俺は判断しつつあった。


「なにから話しましょうか。そうですね、今あなたが一番疑問に思っていることからにしましょう。失踪した二人に関して知りたいでしょう?」


 笑顔を張り付けたまま、内藤は淡々と話す。


 俺は身体を委縮しながらも、警戒を強くした。特に後方の大厳が何をするかわからない。


 無言で内藤を睥睨する。だが歯牙にもかけていない。


「失踪させたのは私です。正確には、命令したのは、ですが」

「……い、生きて、いるのか」


 喉がまともに機能していない。異常に乾き、震動することでさえ拒絶している。



「死んでいますよ?」



 何を当たり前なことを、とでも言いたげな口調だった。


 あらゆる感覚が麻痺し浮遊感に支配される。まるで現実感がない。


 この人は何を言っているんだ?


 カタカタと脚が震え、それが上半身に伝播し、前進が痙攣した。


 目の前の存在が人間だとは思えない。本当に俺と同じ生き物なのか。

 しかし額面通りに受けるのは早計だ。口八丁で俺をたぶらかしているかもしれない。


「信じられない、という顔ですね。では」


 内藤が宙に指先を舞わせると、立体映像が浮かび上がる。


 赤。赤だ。


 光のない眼。だらりと伸びた舌。血だまりの中心に転がっているソレが何か理解した瞬間、俺は胃の内容物を吐き出しかけた。


 手のひらで口を覆う。なんとか踏みとどまったのは、矮小な意地だった。


 胸部、腹部には黒い穴が幾つも空いている。そこからどろっと濁った血液が溢れ出し、地面を濡らしていた。


 場所は特定出来ないが、床は舗装されたコンクリートだった。屋内のようだ。


 死んでいる。あれは、三森先生と神山さんだ。同じ場所で殺されたのか。


「中々、処理には苦労したようです。医者は自殺に見せかけても構わないので簡単でしたが、刑事は遺体を発見されると色々面倒ですからね。身内が死亡すれば、警察機関は躍起になって捜査をするのは目に見えていますから」


 吐き気を抑制しながらも、俺は内藤の言葉を必死で記憶した。


 警察も一枚岩ではないらしい。それとも警察上層部に圧力をかけられるという神山さんの考えは間違っていたのか。


「な、なぜ……こんな、ことを」

「医者は邪魔になったからです。どうやらあなたの状態に疑問を持ったようでしたので、殺しました。一応、取引はしようとしたんですよ? しかし断られてしまいましてね。刑事はあなたもご存じの通り、目障りだったからです。協力者共々、泳がせていたんですが、あなたに接触をはかった時点で踏み込み過ぎたので。いやはやまさかこうも安易に近づいて来るとは思いませんでしたが。ちなみに通り魔も私の部下です。中々、手痛い仕打ちをされたようですが」

「だ、大厳は」

「私の手の者です。警察内部にも幾人かいますよ?」


 ああ、わかってしまった。これは現実だ。


 俺は深淵を覗いてしまった。そしてもう引き返せない。わかっていたのだ。しかし、それを理解したくなかった。頭がおかしくなりそうだったから、逃げて、引きこもり、そしてまた元通りになるという妄想に浸ったのだ。


 しかしそれは虚構だった。結局、非現実的な現実こそが真実だった。


「なぜ、俺を、狙う」

「私に衒学げんがく趣味はないので、例え話でもしましょうか。戸塚さん、あなたはレトロゲームをプレイしたことはありますか?」


 突然、何を言い出すんだ。


 俺は疑問だらけの中で、抵抗は無駄だと理解していた。おざなりに返答することくらいしか出来ない。


「……ない」

「それは残念です。味があり、中々面白いものですよ。私は特にRPGが好きでして。勇者が魔王を倒すというものです。様式美ですがとても興味深い。勇者は最初は脆弱ですが、敵を倒し、少しずつ成長し、人々を助け、最終的に魔王を倒し、世界を救うというカタルシスを得られます。ですが私は疑問を抱きました。なぜ魔王は勇者をさっさと殺してしまわないんでしょう? 自分が動けないなら能力の高い部下を派遣すればいい。勇者達よりも少し強い敵を仕向けるだけで目的は達成出来ます。もしくは相当数の部下を派遣すればいいでしょう。ゲームをしていてそう思ったことはありませんか?」

「クリアさせるため、だろ」

「そう。最初から魔王が襲って来てしまってはゲームの体裁を保てない。開発側の都合です。ですが、こうも思うのです。魔王はもしかしたら敢えてそうしているのではないか、とね。勇者の成長を見守り、敢えて同程度の実力の敵をあてがう。それは慈愛か、破滅願望か、それとも強者の孤独からかはわかりませんが」

「それがなんだって言うんだ!」

「私はね、その魔王なんですよ。そして恐らく勇者は戸塚リハツさん、あなたです」


 内藤はニヤッと嫌味な笑みを浮かべる。


 俺は言葉の意図がわからず、黙して先を促した。


「私は人間が好きです。人間賛歌を掲げているといっても過言ではない。ですが、人類が生まれて二十万年、進化してはいない。道具を扱うことで、自らの進化を止めてしまった。このままでは人間の形態を保たないポストヒューマンが現実化するのではないかと危惧しています。遺伝子操作、洗脳、薬剤投与による人工的強化人間、人工知能との共生、サイボーグ、それらトランスヒューマニズムは避けられない。強化人間に関しては倫理問題があり、実現するかどうかは定かではありませんが、私はそういう現実を憂いているのです。言うなれば、私は自然的超人間主義者なんですよ。人工的な進化や成長に魅力を感じない。人の可能性を信じているのですよ。人には潜在能力があります。それを引出し、人類の進化を促進させる、それが私の行動理念です」


 俺は呆気にとられて内藤を見つめた。


 自己陶酔しながら喋る姿に畏怖を覚え、強烈な拒絶感を抱く。


「水槽の中の脳、という言葉はご存知ですか? 私達が感じているすべては虚像であり、脳だけを取り出されているのではないかという考えです。酷く非現実的ですが、私は思ったのです。人間は肉体が枷になっています。脳だけであれば潜在的な能力を開花させ、コントロール出来るのではないか、と。人道に悖る行いは望んでいませんからね。あくまで個人の意識を優先させるため、強制的に脳を取り出すような実験はしませんでした。でなければ人工的強化人間と変わらない。この方法ならば選民性もありません。私はあくまで人間、人類全体としての進化を望んでいるのです。そのための仮想現実でした。事実、プレイヤーの身体能力は、プレイ前に比べ筋肉使用量が平均で10%程上昇しています。意図せずです。特別な鍛練も行わずこれだけの結果を出しているのです。そして集中力の上昇、効率的な脳の活用も見受けられました。身をもって理解しているでしょう?」

「あ、あんたは、SWを使って、人体実験をしているのか……!?」

「そうなりますね。健康や精神状態には気を遣っていますよ? ただ、中にはおかしくなる人もいるので、そういう場合は退場させていますが、極々一部です」


 間違いない。これは失踪した人間のことだ。


 モラリストを気取っていながら、内実は非人道的で人の命なんてなんとも思っていない。こいつにとっては人間は物に過ぎない。


「しかし中々それ以上の結果は出せませんでした。データを集め解析すると、心理的要因が強く作用することがわかったのです。挫折、精神力の強さ、もしくは……弱さ、それらがある人間は効果が望める。ですが不思議と精神的に強いと思われる、様々な分野の、特にスポーツ選手や格闘家、兵士、危機的環境に身を置くスペシャリストには効果が表れませんでした。どうやら、現実の肉体に依存し過ぎているため脳のリミッターが外れるのも限界があるとわかりました。そこで一先ずの足掛かりとして始めたのが」

「救済プログラム……」

「そう。更生と銘打った『旧人類からの救済』です。『人類を停滞、退化から救う救世主』となる栄誉あるプログラムです。あなたには『人類の進化計画』の礎になって頂く。データが揃えば、SWプレイヤー全員が進化を遂げる未来も夢ではありません。ふふ、まあ他にも意味はありますがね。引きこもりやニート、社会不適合者の存在は都合がよかった。なんせ、SWをプレイさせる理由が簡単に用意出来ましたから。しかし、問題は引きこもりやニートと呼ばれる連中は大きな挫折を知りながら、怠惰で居続ける人間が多かった。ですからゲーム内でも無気力なプレイヤーを多く輩出してしまいました。しかしながら一部ではある程度の結果を出しました。だが足りない。そんな時、大きな効果が表れた。スペシャリスト達を凌駕するほどの膂力や集中力を得る人間が現れたのです、それが――あなたです」


 内藤の言葉通りならば、俺に興味を持っていた理由もわかる。


 直接話した時、妙に興奮していた情景を思い浮かべる。だが、それでは答えになっていない部分もある。


「あんたは、最初、俺がここに連れてこられた時に直接俺と話した。なぜ、局長であるあんたが、一引きこもりの対応をする? 普通は担当者がいるはずだ」

「それは偶々新宿支部にいたからですよ。研究を進めてくれる可能性がある救済プログラムを受ける人間に多少興味があってもおかしくないでしょう。ですが、あなたに目をつけていたのは、かなり早い段階……そう、最初の買い物の時です。瞬間的な記憶を見せてくれた。それは洞察力と動体視力がなければ出来ない。それからグランドクエストや都市戦の際にもテストをしました。あなたは見事にトゥルーエンドを迎え、都市戦では活躍した。確信しました、あなたこそが救世主であるとね。ですから私は新宿支部に留まっているのですよ」


 鵜呑みには出来ない。きっと、こいつは虚構と真実をないまぜにして話している。


 だが、それさえも俺の思い込みではないか。或いはすべてが嘘なのではないか。そう思ってもいた。


 内藤の言葉は現実に滞留せずに揺らぎ、俺の脳内を侵食する。どんな色かもわからず、記憶として刻み込まれてしまう。


「テスト……まさか、井戸のあれはあんたの」

「ええ。過去に、中には隅々まで調べていたプレイヤーもいましたが、見つかるはずはないです。なんせ、あのアイテムはあなたがいた時にしか存在してなかったんですからね。ただ注意力があり、疑ってかかる人間に見つけられても意味はありませんから。急場で作った分、クエストの難易度が調整出来なかったのですが、あなたはそれさえもクリアした。記憶力、動体視力、観察力、思考力、運動能力、危機回避能力、状況対応能力、感情抑制能力、あげればきりがありませんが、あなたはそれらすべてをクリアし、そして成長し、進化の一端を見せてくれた。そして今も実際に成長しつつある。成長の果てに進化があるのです。もちろん個人差はありますが、最終的には全人類もあなたを元にアップデートされるでしょう。さながら『知覚転送』といったところでしょうか。精神部分は改良が必要でしょうが、データを揃えれば問題はないでしょう」


 こいつは科学者じゃない。狂科学者だ。


 道徳的な部分が欠如している。人類の進化こそが使命だとでも思っているのか。


「……あんたが言っているのは全部、偶々だ」

「いいえ、あなたの力です。そして通り魔と遭遇した時、あなたは力を発揮した。現実でも結果を出した。人間の使用出来る力は通常二割から三割、どれだけ鍛練しても八割が限度です。しかもかなり難しい条件がある。体調にも左右される。ですがあなたは明らかにそれを凌駕する力を見せた。自分の腕を傷つけるほどのね。ゲーム内でも現実でも危機的状況、切迫した状況下ならば能力を発揮出来やすい。だからこそ襲わせました。本当に殺してしまうくらいに本気で襲うように命令してね。私の判断は正しかった」


 考える。思考を巡らせる。


 非現実的だという短絡的な理由で否定するのは、不毛だ。すべてを飲み込み、その上で冷静に判断しなければならない。俺は不安定な足場に立っている。選択を間違えば殺されてしまうかもしれない。


 今は内藤にとって俺の存在は価値がある。だがもし期待を裏切るようなことがあれば、簡単に排除されるだろう。ここまで内情を話したのだ。それがどういうことかくらいは、俺にもわかっていた。


 脳が現実を拒絶している。今は、時間が欲しい。なんとか冷静になる猶予を作らなければ。


 俺は咄嗟に思いついた質問を口にした。


「せ、戦争コンテンツ。いや、SWのシステムは明らかに犯罪を促進する内容だった。それは、もしかして」

「犯罪者予備軍達の犯罪欲求解消のため。これが一つ。SWには犯罪を犯すであろう人間を敢えて登録させてもいます。あくまでその傾向がある人間であり、実際の犯罪者はいませんよ。もちろん一般プレイヤーも多くいます。正直、私としてはどうでもいいのですが、一応、政府側との交渉で使えますからね。そして私の意図は、争わせ、必死に競わせ、危機的状況に陥らせ潜在能力を開花させる。その状況を造り上げるためです。更にリアルにするために、痛覚も導入しました。より、本気にさせるためにね」

「……イカれてる。他人を巻き込み、政府や警察を利用し、罪を犯し、人々を虐げて、それで人間が好きなんて言えるか!」

「好きだからこそ厳しくするものです。優しさなんてものは、堕落させるだけですからね。私が褒め、称え、優しくするのは結果を出した時だけです」


 価値観が違う。この内藤という男の精神は歪んでいる。それでも自分が間違っていないと考え、正当性なんて主張する気もないのだ。


 やりたいからする、その程度の認識で人を殺し、翻弄している。しかもその理由が他人に理解されないとわかっている。それでも歪んだ信念を歪めたまま直さない。


 こいつが好きなのは人間じゃない。人間を好きな自分が好きなんだ。


「あんたの言う通りだとして、どうして俺を目立たせるような真似をしてるんだ。わざわざメディアにまで取り上げて……」

「わからないですか? もしもあなたが始祖『オリジン』となった際に必要なことを。あなたという生きた証拠を知らしめることですよ。効果があり、成長し、進化出来る。自分の能力が上がると聞き、魅力に思わない人間はいません。だから人は日々努力し、学び、研鑽を積むのです。しかし不評や悪評には敏感で、当然ながら見も知らぬ企業や人間を相手にはしない。だから私は、エニグマは信用を重ね、今の地位になった。大きなリスクを負わず、効果を得られるとなれば人は飛びつきます。例え、ごく僅かな失敗例があっても、愚かな国民は見ようともしません。見せもしませんがね。だからこその勇者。頼られ、信用され、恐れられ、称えられ、そして憧れられる。あなたは進化の象徴となるのです。もちろん段階を踏んで、ですがね」


 例えば治療、例えば美容、例えば健康。


 それらのリスクは考えず、効力を信じて縋る人間はいる。そして、もしも、その失敗例が少なければそれは効力があると流布され、一握りの失敗は無視される。


 人間はそこまで愚かではないと思う反面、そうかもしれないとも思った。ましてや相手はエニグマの内藤清吾だ。現在の言論統制を見れば不可能ではないかもしれない。


「さて、説明はこれで終わりですね。ここまで包み隠さず話した理由はおわかりですね?」

「……命令に従え、ってことだろ」

「そういうことです。余計なことに気を割いてもらっては困る。あなたは仮想現実で真剣に生き、ゲームを必死でプレイしてください。本来、先入観があると能力を発揮しにくい可能性がありましたが、あなたはもうすでに開花している。ならばあとはどれだけ経験を積むかでしょう。私が望むのは、怠惰に暮らさず一日一日を死ぬ気で生きて欲しい、仮想現実の中で本気で抗って欲しいということだけです。もし、適当に過ごしたり、手を抜いているとわかれば容赦はしません。そうそう、それと借金は帳消しになりませんよ。必死になる要因が必要ですからね。もちろんそちらも達成出来ない場合は、どうなるかおわかりですね?」

「も、もしも」

「もしも断ったり、私の望むように行動せず、結果を出さなければあなたの家族を殺しましょう。友人でもいい。いえ、そこまでせずとも、簡単に消せる存在がありましたね。例えば、SWにしか生きられない、妖精とか」


 俺は奥歯を噛みしめ屈辱と憤怒に耐えた。


 内藤は言った『ここに出向くのはもう少し先の予定になるはずだった』と。つまり、最初からこうして脅す気だったのだ。


 現実で俺の身近にいる人間を殺し、危機的状況を理解させ、自分の命さえも奪われる可能性を抱かせる。そして家族や友人を殺すと脅迫すれば抗えないことはわかっている。


 俺のせいだ。俺が、俺が何もしなければ。一人で生きていれば。他人と関わらなければ。適当にプレイしていれば。引きこもりにならなければ……こうはならなかった。


 だが、現実逃避しても事態は変わらない。


 言われるままに従うだけでいいのか? 俺に出来ることは何もないのか?


 必死で考えを巡らせる、そして行きついた答えを口に出した。


「……条件がある」

「おや、この状態で条件提示とは、ふふ、いいでしょう。聞くだけ聞こうじゃありませんか」

「家族や友人、リリィの安全を保障して欲しい。それと俺に関わった人間も殺さないでくれ。神山さんの協力者のこともだ」

「なるほど、そう来ましたか。協力者はさっさと殺そうかと思いましたが、危ない所でした。あなたの信頼を裏切っては今後に影響がありますからね……いいでしょう。基本的には親しい相手以外もあなたと関わった人間に手を出さないと約束します。交友関係で委縮されても困りますしね。他には?」


 基本的には、ということは邪魔にならなければということだろう。つまり、俺が事情を教えた場合は排除されるかもしれない。


「……ない」


 今はこれが限界だ。調子に乗って条件を出したら機嫌を損なうかもしれない。


 慎重に、自惚れず、視野を広く持ち、あらゆる可能性を考慮しなければならない。


 理解しろ。平穏な日々は訪れない。俺が選択を誤れば俺だけの問題では済まない。三森先生は、関係なかった。関係なかったんだ。彼女が殺される理由はなかった。俺と接してしまったから。俺が相談なんかしてしまったから。言わなければよかった。自分の中で消化してしまえばよかったのだ。


 言ってはいけない。今後は誰にも胸の内を晒してはならない。例え辛酸舐めようとも、懊悩おうのうしようとも、苦しみを誰かに理解してもらおうなんて思ってはいけない。


 俺は独りで戦わなければならない。


 もう誰も巻き込んでたまるものか。


「そうそう、忘れていました。私の部下を紹介しておきましょう。現実でも仮想現実でも補佐や連絡係は必要ですからね」


 内藤はCVを介して誰かと連絡をとっていた。


 それから数十秒の後に、局長室の扉がノックされる。


「入りなさい」

「失礼いたします」


 姿を現したのは、シャツにスラックスというカジュアルな出で立ちの、中肉中背の男だった。


 特徴は薄く印象に残らない。敢えていうならば特徴がないところが特徴だろうか。


 しかし、胸がざわついた。男を見ていると、言いようのない不安に駆られてしまう。


「自己紹介をしなさい」

「はい。私は後藤リクヤです。SWのプレイヤーネームは」


 後藤はそこで一旦言葉を区切った。小さな戸惑いを感じる。


 俺はこの場から逃げたい衝動を感じ、必死で足に命令を送っていた。理由はわからない。だがその先を聞いてはならないと心の奥底で叫んでいる俺がいた。


 しかしそれは出来ない。理性がそう論駁する。


 数秒の後、聞こえた言葉に、俺は地面が崩れ落ちていく感覚に見舞われた。



「――シュナイゼルです」



 嘘だと思う反面、そうだったのかと納得してしまう。


 感情は目まぐるしく変わり、自分の心境さえ把握出来ない。しかしそのどれをとっても根本にある思いは変わらなかった。


 裏切られた。いや、騙されていたのだ、と。


 現実に戻ってからの激動の日々。その中で俺は、心の底ではシュナイゼルに対して小さな疑念を抱いていた。しかし押し殺していたのだ。友人だと思っていたから。


 都市戦のギルド間会議に俺を出席させたのは誰だ? なぜ重要な役職に俺を抜擢した?


 グラクエをクリアしたから? それで信頼した? サクヤから聞いていたから? 実際に見てもいないのに信用出来るか?


 もしかしたら都市戦でMOBをわざと見逃したのでは? 俺を活躍させるために、俺に責任を負わせ、対応させるために。


 思えば最初からおかしかった。妙に俺を高く買っていた。


 都市戦後、急速に親しくなった。


 ギルド内などの、一般プレイヤーが知ることのできない、踏み込んだ話を聞くこともあった。


 その答えは簡単だったのだ。



 元々、俺を友人などと思ってもいなかったということ。



 俺に向けられていた信頼、友情には理由があったのだ。


 そして裏で俺を嘲り、三森先生や神山さんを殺すように命令した男の片棒を担いでいた。


「おまえええええぇ!」


 俺は激昂し、後藤に、シュナイゼルに殴りかかろうとした。しかしいつの間にか俺の背後にいた大厳に羽交い絞めにされてしまう。だが俺の足を止めることは出来なかった。


 俺は大厳を引きずりながらシュナイゼルへと一歩ずつ進む。


「と、止められないす」


 大厳の声音には明確な戸惑いが滲んでいた。


 シュナイゼルは渋面を浮かべつつも俺から逃れるようにし視線を逸らした。


「これは怖い。今のあなたならば素手で簡単に人を殺せるかもしれませんね。そういう場面が見たい気もしますが、止めておいた方がいいでしょう。少なくとも今は、ね。それとも我々を殺しますか? 残念ながら私がいなくなってもあなたの家族や友人が無事でいられはしないでしょうが。私にはそれなりに信奉者がいますから」


 内藤は微塵も動揺せずに、説明口調で言葉を並べた。


 ここで俺が暴れても意味はない。シュナイゼルを殴っても俺の気持ちが晴れることもない。むしろ内藤の心証を害する可能性があるだけだ。


 当然、殺すことも出来ない。怒りではあっても殺意ではない。俺に人を殺すような勇気も破滅願望もない。


 俺は必死に自分に言い聞かせた。この感情は抑制しなければならない。


 全身に血が巡り体温が上がる。興奮している。


 後方の大厳にも憤りは向けていたが、俺はなんとか踏みとどまった。


 俺は怒りの持って行き場を失い、大厳の腕を振りほどいた。


「それでいいのです。しかし目の当たりにすると素晴らしい。大厳を歯牙にもかけないとは」

「……話は終わりだな」

「ええ、SWに戻ってください。今後、あなたの医療担当は四季村に変わります。彼女に診察を受けるように。彼女は内情まで知りませんので、このことは内密に。でなければまた死体が増えますよ。それと、いいですか、身体の異常や変化はきちんと報告するんですよ」

「わかってる。誤魔化したりする気はない」


 内藤は俺の言動を受けて、気持ち悪いほどの満面の笑みを浮かべた。


 ここにいたら感情を抑えきれない。


 俺は内藤の返答を待たず、踵を返し、部屋から出ようと入口に向かった。


「最後に、協力関係を結べた記念として。私からプレゼントがあります。SWに行けばわかりますよ。楽しみにしておいて下さい」


 怖気しか走らない声音だった。


 俺は半ば無視しながら扉を開き、廊下に出る。後ろにドアを閉めると、その場から逃げ去るように歩を進めた。


 しかし実際、俺を取り巻く環境から逃げることは叶わない。進む道は強制的に定められている。


 胸中には様々な感情が混在し、自分でも何を感じているのかわからなかった。確実なのはSWに戻らなければならないということだけ。


 俺の足は自然とクレイドルルームへと向かっていた。その足は、鉄のように重たかった。


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