第九十話 四日目 三森シオリと神山清一
俺は呆然としながら、右前腕部を包帯でぐるぐる巻きにされている状況を見つめていた。
ここはエニグマ診察室。三森先生が処置をしてくれている。
「これで終わりだ。頬や腕の切り傷は浅いし縫合は必要ない。腕は断裂はしていないみたいだから一、二週間安静にしていれば完治するだろうね」
何度か身体にナイフが触れていたようだった。集中していたため覚えていない。おかげでコートが所々破れている。
「そう、ですか」
互いに丸椅子に座っている。いつもの構図なのに、空気は重苦しい。
俺の様子を窺うように三森先生は口を開く。
「しかし、何があったんだね? まさか重量挙げでもしていたわけでもあるまい」
「よくわかってないんですが」
俺は掻い摘んで事情を説明した。
三森先生は、僅かに驚いた様子だったが冷静に説明を聞いてくれた。
「通り魔とは……災難だったね。最近は犯罪件数も減少の傾向があるらしいが、未だに犯罪は横行している。夜中に外出しないように注意した方がいいだろう」
「え、ええ、そうします」
思ったより反応が薄い。三森先生らしいとは言えばらしい。だが、俺は少しだけ落胆していた。俺は同情して欲しかったのだろうか。情けない。それほど心が疲弊しているらしい。
三森先生に言われるまでもなく、しばらく外には出たくない。
鬱々とした心境のまま、俺は診察室を出ようと立ち上がった。
「ビル内ならば安全だ。完全にとはいかないが、警備もしている。少し療養しなさい」
「……ありがとうございます」
三森先生なりの慰めなのだろう。それはありがたかったが、どうしても思ってしまう。他人に俺の気持ちはわからない。
命を狙われ、殺意を向けられ、殺されかけた。そんな経験をしたことがある人間がどれだけいるのだろう。
ここは日本だ。戦場ではない。ゲームの世界でもない。
一般市民が犯罪に巻き込まれることはあるだろう。だが、そんな言葉は慰めにもならない。
大概、同情する人間は理解していない。励ましても他人事。その癖、頑張ってほしいなどと軽薄な言葉を投げかけ、いずれ忘れる。
もうやめよう。後ろ向きな思考になっている。
俺は、状況の整理をしようと、エニグマに戻ってきた経緯を思い出した。
路地で呆然自失としていたところパトカーが到着した。制服姿の警察官二人が俺に事情を聞こうとしていたが、傷を負っていたので治療のため病院に連れて行ってくれることになった。
しかし、警察官は俺の住所を知ると、エニグマに戻ることをすすめた。緊急を要する傷でもないし、主治医がいるとわかってのことだろう。
そして道中で事情を説明し、今に至るというわけだ。
部屋を出ると、廊下に座っていたスーツ姿の男性二人がソファーから立ち上がった。次いで制服姿の警察官が二人に敬礼すると、立ち去って行く。
一人は無精ひげに強面でありながら、どこか愛嬌のあるような男性。恐らく年齢は二十代後半くらいだろう。
もう一人はやや老け顔で大柄の男性。厳めしい顔つきで表情筋が微塵も動かない。威圧感があり、苦手なタイプだった。
「どうも戸塚さん。ウチらはこういうもんですわ」
懐から警察手帳を出した。どうやら刑事らしい。
「私は神山、こっちは大厳です。よろしくおねがいしますね。それで、怪我の様子はどうでしたかね?」
「一、二週間安静にしていれば治るらしいです」
「そうですか。いやはや、不幸中の幸いですね。SWのプレイヤーなら医療費も大概は無料になりますからね。犯人が捕まらないと請求も出来んのですわ」
大病の場合は入院になるが、軽傷ならば担当医が治療をしてくれる。ただし、いつでもなんでもというわけにはいかないが。でなければ問題ないのに頻繁に診察に訪れる人間が増えるからだ。
「大丈夫ですかね? と、聞くのも失礼だとは思うんですがね、事情を詳しく聞きたいんですわ。頼めますかね?」
大柄の男、大厳さんは無言のままだ。中々、迫力があるが、今の俺には大して気になる要因でもない。
俺は首肯すると、神山さんは満足そうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。それでお手間をかけるんですが、一度自室まで戻ってくれますかね」
「ええ、構いませんが」
一体なんの理由があるのかと疑問を抱いたが、はたと気づく。
今の俺は明らかに襲われましたという風貌だ。血も少し付着している。せめてコートは脱がなければ目立ってしまうだろう。
「では、お願いしますわ」
俺は二人を引きつれ、自室に戻った。
「着替えて来ます」
「ちょっとお待ちを」
神山さんは周囲を窺いながら、顔を顰めて距離を詰めて来た。
俺は警戒心から思わず身構えてしまう。
「そのCVモバイルも外してもらえますかね、一応」
耳元でなんとか聞き取れる声量だった。
警察の人だ。信頼して良いんだよな?
神山さんの意図はわからなかったが、俺は緩慢に頷く。
「助かりますわ」
何度か頷く神山さんをしり目に、俺は自室に戻る。
ドアを閉めると途端に、俺は床に膝をついた。
鼓動が速くなり、汗が滴る。
だめだ、間を空けてしまうと何もしたくなくなってしまう。自分の殻に閉じこもり、部屋から出たくなくなる。今は、考えてはいけない。
息を整えながら、なんとか立ち上がり、クローゼットに向かうとコートを脱ぎジャケットに着替えた。
そしてCVモバイルを外してテーブルの上に置いた。
……もしかして、これは。
いや、まさか、そんな。現実的ではない。
俺は疑問をそのままにして、部屋を出た。
「お待たせしました」
「いえいえ、すみませんね。では行きましょうか」
俺は、さっさと先に進む神山さんの後に続いた。
どこで話すのかと思ったが、エニグマビルを出て、駐車場のパトカーまで来た。そのまま車に乗る。大厳さんは後部座席、神山さんは運転席、俺は助手席だ。
ドアを閉めると、沈黙が車内に漂う。
神山さんは正面を見据え、渋面を浮かべていた。しばらく待つと、ようやっと口火を切る。
「一通り事情は聞きました。友人と遊んで、その帰りに住宅街で通り魔に襲われたっちゅうことですな。相手は黒ずくめで覆面だった、と。ナイフを持って襲ってきた。それでレジ袋を振り回して相手の頭に直撃したが、怪我をした様子もなく殺されかけた、っちゅう感じでしたね」
「え、ええ、その全く効いていなかった感じでした」
「もしかしたら強化プラスチックのヘルメットでも被っていたのかもしれませんな。最近、薄型で強度の高いもんが発売してますんで。となると、余計に計画的な色が濃くなりますな。聞いている限りですと少し慎重過ぎるきらいもありますが」
犯人は反撃を予想していたということだ。
加えて、俺を侮っている感じではなく、慎重に殺そうとしていたように思えた。殺人衝動があったというよりは、俺という人間を殺すことが目的だったのかもしれない。神山さんはそう言いたいらしい。
「それで、犯人の手首を折ったか、脱臼させたとか?」
「……はい」
「にわかには信じられませんがね……失礼ですが、どう見てもあなたにそんな力があるようには思えませんし」
「無我夢中だったのであんまり覚えてないですけど……間違いないと思います」
「とりあえずそれは置いておいて。現場は偶然か、周囲の住民はほとんど留守でした。しかも人通りが著しく少なかった。しかも近くの街燈が何者かに破壊されていたそうです。それで近づかなかったんでしょうな。原因は今、調査中ですが恐らく犯人か、その仲間の仕業でしょう。現場検証の方は……雨で足跡、頭髪、服の繊維、もしかしたら血痕があったかもしれませんが、雨で消されてます。屋外だと難しいですが、小さな証拠になり得る可能性もありましたがね。唯一の証拠はナイフとレジ袋だけ。両方、鑑識に回しますが、ナイフから戸塚さんの血液反応が出るくらいでしょうな。製造番号は消されてますし、どこでも売っているようなものですから。恐らく、最近買ったものではないでしょうし、購入場所を特定するのも難しい」
「その、近辺の監視カメラはどうなんでしょう?」
「現在調べてますがね、恐らく出ないでしょうな。ここまで周到な犯人なら逃走経路も確認済みでしょうし、街燈の破壊工作にも証拠を残していないでしょう」
「逮捕には至らないということですか?」
「その可能性が高いでしょうな。目撃者がいれば違いますが、夜の雨の中、容姿を隠してそのまま逃亡はしておらんでしょう。途中で着替えている場面を誰かが目撃しているかもしれませんがね。可能性は低そうです。しかも身体的特徴は大柄の男、というところのみ。あとはナイフの扱いに長けているってとこですかね。ただそれだと犯人を絞るのは難しい。それに周辺で通り魔事件が起こったことは過去ありません。つまり初犯ですな。別の場所で行っている可能性はあるんで調べますが、もしも類似性がなく、これ以降、同様の事件がなければ……」
「俺を襲った犯人はのうのうと暮らすわけですか」
俺は淡々と述べる。神山さんに対する憤りはない。なぜかそうだろう、と思っていたからだ。
「……落ち着いてらっしゃいますね」
「被害者を疑うんですか」
「いえいえ、単なる疑問です。これは誓って言いますが、あなたの自作自演だとは思っていません。それに恐らく、あなたに怨恨がある人間によるものでもないでしょう」
「どういう、ことですか?」
次の神山さんの言葉に、俺は驚愕すると同時に、どこかで納得してしまった。
「私はね、エニグマの仕業だと思っているんですよ」
俺の反応を観察するように、神山さんはじっと俺を見据えた。
「驚いている感じではありませんね。心当たりが?」
「いえ、ありません。ただ、俺はずっと引きこもりだったので、もしも俺を狙う動機があるのならエニグマに関わることではないかと思っただけです。強盗や殺人衝動に駆られた、という感じではないみたいですし……CVモバイルを外させましたよね。盗聴を警戒してのことでは?」
感情的にはそんなことはあり得ないと考えている。しかし理論的にはそうではないか、と疑っている。
消去法だ。突然、通り魔に会い殺されかけるよりは、まだエニグマを疑った方が確率は高いと思ってのこと。エニグマや家族以外に関わりがある人間やコミュニティがほとんどないから、という理由もある。それにSWや救済プログラムなどを見れば、エニグマをきな臭いと感じても不思議はないだろう。
「ええ、ええ。その通りです。あなたは中々に頭の回転が速いようですね。ただあなたがエニグマ内の誰かと繋がっているかも、という危惧があったという理由もあります。色々、半信半疑だったので」
「捜査内容を詳細に説明してくれたというのは、今は信頼してくれている、と考えても?」
「そう考えてもらって構いません。元々、大して疑ってはいませんでしたがね。職業柄、疑ってかかる性分でして」
しかし、エニグマが俺を襲う理由がわからない。
俺は何か恨みを買うことをしただろうか? ただゲームをプレイしていただけだ。それで殺されかけるようなことになるとは到底思えない。
神山さんには何か確信めいた説得力があった。ならば今度は俺が事情を聞く番だ。
「公表されてはいませんがね、SWをプレイしている人間が失踪する事案が発生しておりましてね。人口が多い分、そういうこともあるかという見方も出来ますが、その数がやや多い」
「行方不明ってことですか? でも、その……救済プログラムを受けている人間が逃亡したのでは? えと、救済プログラムはご存知ですか?」
「ええ、知ってます。そこら辺はウチら界隈では有名ですわ。ただ失踪者は救済プログラムを受けている人間に偏っているわけでもないんですわ。一応、偏向的ではありますが、現状、法的には問題ないですし。反発は未だにありますがね。ただ一般には流布されていませんし、メディアも情報統制されてますからね。どう考えても一企業の出来る範囲を超えてますな。しかしそれが出来るのがエニグマという会社なんでしょうな」
「つまり、プレイヤーが全体的にいなくなっている、と?」
「そういうことですな。中には仏さんになって発見されることもあります。自殺、事故に見せかけてという感じです。ただ見せかけだと思っているのは私とこいつだけですな。正確には行動しているのは、ということですが。まあ、こいつとの付き合いはさほど長くはないんですがね」
さらっと言われた言葉に、首筋に悪寒が走る。
神山さんの言う通りであれば殺されているということだ。俺もそうなりかけたのだろうか。
「……警察内部では捜査を認められていない?」
「ええ。エニグマ関連の事件はほとんどが途中で頓挫します。理由は様々ですがね。これがどうもおかしい。そう思って独自に捜査してるわけです」
俺は神山さんの表情を見逃さないように、観察を続ける。
嘘かもしれない。刑事の言葉にしては、どうも説得力に欠けた。例え相手が警察でも、俺は疑心暗鬼になっており簡単に人を信じられる状態ではなかった。
「ですが、さすがに陰謀論は飛躍し過ぎでは……」
「いやね、別にそこまで考えてはおらんのです。ただその可能性はある、と疑ってはいます。今やエニグマは他企業の追随を許さない。特に日本では経済的にも技術的にもかなり頼ってしまっているわけです。黒い噂は色々聞きますな。ただ、情報が少ない。部分的な言論統制などの情報操作はどこでもやっていますが、エニグマほど徹底的となると多額の金が動いてますからね。そこまでする理由、となるとやはり真っ当だとは思えんのですわ。ですがそれ自体は問題はない……話が逸れましたね、簡潔に要点を言いましょうか。あなたに協力をお願いしたい」
「協力? 俺はただのプレイヤーですよ」
「だが内藤清吾との接点はウチらよりはありますよね? 社内広報部のインタビューを受けていたということは、それなりに信頼感もある。一部の有名プレイヤーにしか依頼は来ませんからね。今回の事件は、失礼ですが、私達にとって都合がよかった。なんせ、違和感なくあなたと接点が出来ましたからね。表立って行動出来ない我々にとっては、あなたのような有名プレイヤーは雲の上の存在なわけですわ。それにどうも内藤はあなたに興味があるように見受けられる。なんせ、戸塚さんのメディアへの露出が増えていますからね。広報部が推しているにしては些か過剰ですな。となると内藤の後押しがある可能性はあるかと。思い当たる節はありませんかね?」
そう言えば、内藤さんが直接、俺にインタビュー依頼が来ていると話してきた。
あれはつまり、神山さんの言う通り、俺に興味を持っていたということなのか? それともただのついで?
一プレイヤーの俺と直接話すという行為は特異なことだと俺は気づいていなかった。
「……では、内藤さんが犯人か、もしくは首謀者だと?」
「証拠はありませんな。ただの直感です。或いは会社全体で行っているかもしれない。ですが内藤清吾という男は相当な権力を握っています。あれだけの頭脳を持ち合わせている人間はそうはいませんからね。今のエニグマがあるのは内藤のおかげと言ってもいい。となれば、やはり関与していないとは考えにくい。しかし表舞台には滅多に出てこない。どこにいるかも知らなかったのですが、最近ようやく新宿支店に逗留しているという情報を手に入れましてね。これは何かあるな、と。各商品の開発主任を担っていた男が、支部で飼い殺しされるような理由は、情報を集めた限り、浮かびませんでしたからね」
必死で脳内の情報を整理した。だが心が追いつかない。
通り魔にあったことでさえ受け入れられていないのに、こんな、警察を巻き込んだ大事に発展するだなんて誰が想像出来るだろうか。
まさか、この人の被害妄想なのでは。さすがにここまでの懸念は行き過ぎていると思う。
だがSWに大きな違和感を覚えていたのは確かだった。
それに今回の通り魔は、明らかに日常から逸脱している。これが偶然と言えるほど、俺はエニグマや内藤さんを信頼してもいないし、平和ボケしてもいない。
「私達が捜査しているのは、SWプレイヤーの失踪、それに今回の通り魔も追加ですね。そして、これはまだ曖昧な部分ですが、エニグマは警察、もしくは与党の革新派と繋がっていると考えています。特別独立行政法人なんて名目も隠れ蓑なんじゃないか。クリーンな金の動き以外でも、相当な献金を秘密裏に譲渡しているのではないか、とね。そして、こう考えた理由は二つ。一つは国内の犯罪件数が激減していること。そして二つ目は警察、政府共にエニグマの活動に対し、盲目的且つ協力的な部分があること。後者は世間的にはわからない部分ですがね、内部にいると色々と見えてきます」
「……つ、つまり、SWの稼働により犯罪件数が減少したから警察上層部は協力的になっている。政府は多額の献金を秘密裏に受け取っている。総合的に見れば利点しかないから、黙認してる、ということですか?」
「そう単純な話ではないでしょうが、大体はそれで合っています。どちらにしても机上の空論ですわ。ここら辺に関しては私の考えが行き過ぎていると自覚してます。そもそもSW稼働によって犯罪件数が減った理由もよくわかってませんしね。犯罪件数くらいは一般人でも調べれば出てきますが。犯罪件数減少率はおよそ二割。プレイ人口は二千万。総人口約一億二千万という人口との比率を見れば、大体割合的にはおかしくないのかな、とは思うでしょうし」
いや、おかしい。
なぜならゲームをプレイする人間は偏っているからだ。まったく興味がない人間もいる。例えそれが仮想世界という技術であろうとも、進んで関わろうとしないだろう。
プレイヤーに偏りがあるということは、必然的に総人口数からの犯罪比率も偏るということ。偶然という可能性もあるが。
例えば俺はどうだ。元引きこもり、もしエニグマに来なければ将来どうなっていたかわからない。もしかしたら犯罪に手を染めていただろうか。
ということは犯罪者予備軍を集めているのか?
竜吾のように人を殺したい欲求を抱えている人間もいるかもしれない。それが仮想現実だからと欲求を解消出来れば、現実で罪を犯さない、という可能性もある。
だがどうだろうか。それは歯止めがきかなくなる可能性もあるんじゃないか。だが、それをわかっていて実験的に行った、と考えられなくもない。
犯罪欲求を解消させるために、わざわざPKを認めるようなシステムにした?
真っ当なプレイヤーを敢えて虐げる内容にすることで、犯罪を起こしやすくさせ、そのストレスを解消させた、のか?
人間は抑圧されればいずれ爆発する。それを見越して、敢えて仮想現実でシステムという名の法を緩くしているのでは?
神山さんのことは言えない。俺の考えもあまりに飛躍している。
「どうかしましたかね?」
神山さんは怪訝そうに俺の顔を覗く。
俺は逡巡したが、考えを話すことにした。
「――なるほど。そんな状況だったわけですか。プレイヤーの協力者からの情報を受けているので、ある程度は把握してるんですがね。あなたのように様々な事態に遭遇している人間は少ない。これは参考になります」
神山さんは『警察関係者や親族はプレイ出来ないんですよ』と最後につけ足して苦笑を浮かべた。
「俺の考えは突飛な気がしますが……」
「そうとは言えません。文化伝播理論ですな。犯罪が多い場所に住んだり、活動拠点とすれば犯罪に手を染めてしまう、という。敢えてそれをしている、とも考えられる」
「俺の話を信じてくれるんですか?」
「疑っている相手に協力を仰ごうと思わないでしょう。それに整合性はとれていると思いますね……となると、やはり犯罪の温床になっているのか。ですがゲーム内のことですし法を犯してはいない。これ自体はどうしようもないでしょうな……」
仮想現実内に法はない。仮想現実を造り上げる際の法律はあるが、それでも現実に比べるとあってないようなものだ。
別にSW内の環境を良くして欲しいわけじゃない。そういう思いはあるが、要望をすべき相手は神山さんではないからだ。
しかし、最近のアップデートでPKへの対抗策は導入された。むしろ手のひら返しとさえ感じるくらいだったが、善良なプレイヤーの不満が大きくなっているという表れなのだろうか。
プレイヤーからの観点から見ればタイミングは遅すぎる。だが、犯罪的な部分に着目してのことだとしたら? 犯罪欲を持っているプレイヤー達が現実に影響を及ぼすかもしれない過激な行動をしていたために抑止力として導入されたのでは?
対抗心を煽った上での戦争コンテンツ。理に適っているように思えなくもない。
「それで、協力とは。俺に何をさせたいんですか?」
「あなたにお願いしたいのは二つ。まずは、神山にそれとなく話して内情を探ること。例えば、なぜ新宿支部にいるのか。それとどういう意図でSWを稼働しているのか。出来れば事件に関わっているのかを知りたいですが、それは難しいでしょう。完全に意図は聞けないでしょうが、その一部でもわかれば助かります。周辺を探るだけでもいいですが。直接話す機会はありますかね?」
「何度か、ありましたけど」
「それは助かる。次の機会にでもお願いしたい。そしてプレイヤーや仮想現実内の動向を報告して貰いたい。例えば突然いなくなったとか、様子がおかしいとか。いなくなった人間の特徴がわかれば、捜査の助けになりますし、仮想現実で起こっていることは外部の人間ではわかりませんので」
「……協力出来ない、となったら?」
「何もしませんよ。ウチらは警察、法の番人です。脅すような真似はしませんし、危害も加えません。ただ、通り魔に襲われたということは戸塚さんも巻き込まれたということ。今後同じことが起こらないとも限らない。そういう場合の協力者は必要だと思いますがね。ウチらのような協力者と違って、警察はね、事が起きなければ動かないんですよ」
神山さんの言う通りだ。
ただしそれは、あの通り魔がただの通り魔ではなく、エニグマの刺客だった場合のこと。
つまり神山さんの申し出を受けることは、エニグマに対して疑いを持っていると認めることにもなる。依頼を受けておいて、何もしないとなれば協力関係は破綻するだろう。
しかし、こんな非現実的な事実を受け入れることも難しい。
一応全てを聞き、その上で判断しようと真面目に聞いたが、俺はそれが事実だとすぐに思えるほどの夢想家ではない。
それに正直、頭が限界だ。許容量を超えている。
「少し、考えさせてください」
「ええ。もちろんです。色々あった上でこんな話をしてしまって申し訳ないですね。その気になったら、ここに連絡をください。CVやエニグマビルからの連絡は危険なので、出来ればネカフェか外部のどこかからフリーメールでお願いします。エニグマと提携していない携帯会社の端末でもいいでしょう。数は少ないですがね。それと、周りに話さない方がいい」
神山さんは懐から名刺を取り出すと、俺に渡してくれた。データ交換が主流の昨今では珍しい。だが情報を秘匿するにはやはり口頭や紙の方がいいんだろう。物的証拠は残るが、漏えいはしにくいし隠滅も容易い。
「都合のいい、日にかけてください。良く見てくださいね、間違えないように」
ん? 今……気のせいか?
名刺に書かれているアドレスは確かに長く間違いやすい内容だ。考え過ぎ、か。
俺は名刺をポケットに入れ、車外に出た。
「くれぐれも気を付けて。協力の是非に関わらず、あなたが狙われている可能性がありますんで。理由はわかりませんが。エニグマの仕業なら、あなたは縄張り内に住んでいることになります。ただそこを離れても事態は変わらないとは思いますが」
気まずそうに視線を逸らした。それはエニグマ内部を探って欲しいという、下心から来るものだと、俺は気づいた。
だが、言葉通りどこへ行っても同じだろう。もしもエニグマ、内藤さんが関与しているのであっても、そうでなくても、俺が襲われたのはエニグマビル外のことなのだから。
屋内で事件が起これば、エニグマの安全性を疑われる。ならばビル内にいた方がむしろ安全かもしれない。
「……わかっています」
大厳さんも共に外に出て、左手を差し出してきた。握手を求めているらしい。
俺は恐る恐る手を握ると、グッと握り返してきた。
それだけで大厳さんは助手席に座り、バタンとドアを閉じた。
パトカーが走り去る。その様子を見て、俺は思考をシャットダウンした。