第八十八話 四日目 究極進化系豚骨醤油ラーメン
登場している料理は関西にて実際に存在しています。名前などは変えています。
ご飯前にでもどうぞ。
時刻は丁度午後七時。
ラーメン屋『蓬莱亭』に着いた。どうやらここがサクヤのおすすめのラーメン屋らしい。
おい、名前。サクヤのキャラクターネームからしてここじゃないだろ! と思ったが口を挟む勇気は俺にはなかった。なぜならサクヤは戦場に向かう戦士の顔をしていたからだ。
外観は古ぼけた一軒家という感じで、現代風ではない。
店内に入る。自動ドアではなく引き戸だ。今時珍しい。
「いらっしゃい」
頑固そうな店主がカウンターから声を上げた。
お客が多い。テーブル席は空いていないので、カウンターに座った。
CVはないな。口頭で伝える感じなんだろうか。
メニューも厚紙だ。前時代的で、SW以外で初めて見た。
「注文は口頭で伝えるのだ。おすすめは『こくまろ黒醤ラーメン』だな。美味いぞ」
「へぇ、じゃあそれにしようかな」
写真を見るに、豚骨醤油ラーメンらしい。スープには黒酢のような調味料が注がれている。厚切りのチャーシューが五枚乗っており、これが基本の形らしい。チャーシューメンはスープがチャーシューで見えない。
麺の硬さ、太さ、背油、辛さ、ネギの多さを選べるらしい。
トッピングも色々あるようだ。
「すまない、『こくまろ黒醤チャーシューメン』大盛、背油多めを。それと炒飯と一口餃子を一皿」
サクヤは真剣な表情で注文を告げた。
結構食うんだな。ここで小食だと思われるのは問題がありそうだ。せめて同じくらいは頼もう。男にはプライドってもんがあるんですよ。
「じゃあ、俺は『こくまろ黒醤ラーメン』大盛で麺硬め。あと玉子炒飯と餃子八個入りを下さい」
「あいよ」
店主は短く返答し、流れるように調理を開始した。
俺の位置から店主の手元が何とか見える。やはりプロはすごいな。
「玉子炒飯とか、中々いい選択だ」
サクヤは、キリッという効果音が聞こえそうな程、真面目な眼差しを俺に送る。
どうしたの、この子。
「そ、そうなのか?」
「うむ。とろふわ卵の薄焼きを炒飯の上に乗せ、ほんのり甘く、ほんのり塩辛い。その風味が炒飯の旨味を演出するのだ」
「ほほう? それは、楽しみだな」
「そうだろう。くっ、私も玉子炒飯にすべきだったか。いやしかしチャーシューメンの良さを強調するには、いささか玉子炒飯が主張し過ぎる」
うんちくというか、食に貪欲というか。
真剣過ぎる。ちょっと面倒臭いくらいだ。
あれ、でもどこかでこんな人を見たことがあるような。
あ、カレーを食べる時の俺だ。
ああでもないこうでもない、と話しているサクヤに相槌を打っていると、ゴトッと椀が目の前に置かれた。
「お待ち」
「どうも」
「かたじけない」
いつも以上に武士然としているサクヤは慎重に椀を手前に持って来ると、待ちきれないとばかりに正面にある『割り箸ボタン』を押す。すると、平板がぐるっと周り、新品の割り箸が出てきた。衛生上、こういう形式になっている店は多い。
使用済みの割り箸を他の割り箸の中に入れたり、スープが飛ばしたり、悪戯したりする輩が増えたせいらしい。
そのため餃子のタレ、ラー油、塩、胡椒などの調味料も一つの容器ではなく、ボタンやCVなどを操作して、一人分貰うという方式が主流だ。
レンゲも同様の方法で取り出すと、サクヤはゆっくりとスープをすくい、喉を鳴らした。
「……うまし」
また、泣いてる!?
しかもその様子を見て、店主はニヒルな笑みを浮かべ、小さく拳を握り嬉しそうにしていた。なんというか頑固な店主という感じじゃないのかも。
サクヤはズルルと麺を啜り、咀嚼する。はふはふと熱を感じながらも旨味に抗えず、手を動かし続けているようだった。
俺は生唾を飲み込み、自分の正面に視線を下ろす。
スープに丸まった背油が浮いているが、熱で溶けている。豚骨はにおいが強いはずだが微塵も感じない。湯気がもくもくと上がり、俺の鼻にまとわりつく。
最初にネギの風味、そして濃厚な香り。あらゆる食材の良さを凝縮したような風味だった。それ以外に形容のしようがない。
俺は衝動のままにスープを飲み込む。
重層的な味の厚み。それが喉を通り、何度も舌を介して、脳へと届く。
段階的に旨味の絨毯爆弾が全身を揺らす。僅かなエグ味が相乗効果となって、食欲を刺激する。
一瞬で身体が熱をもった。辛さも熱さもそれほどないはずなのに、血液が沸騰しているのだ。これは本能。つまり食い気が最大限に引き出されてしまったということ。
野菜の包み込むような柔らかさ、肉の力技じみた強い香りと、魚貝の生臭さはなく、良い所だけを見繕ったような味の深み。まさか全てを混ぜあわせているのか。
美味さに打ち震えた身体に脳が信号を発した。
食らえ、と。
俺は抗えず、麺を一気に啜った。熱さで舌がほんの僅かに火傷する。しかしそんなことに構っていられるか!
「ズルルッ! ズルルルルッ!」
麺を口に放り込み終える瞬間、スープが一滴跳ねる。
上品さは欠片もない。そこにあるのは根源的な欲求だけであった。
「はふっ、んぐっ、ズルルズルルルッ!」
麺を噛みちぎると、ぶわっとスープが中から溢れる。驚きながらも、俺は美味さに浸った。見ると、麺は空洞になっており、よりスープが絡むようになっている。
やや太麺。しかしチャンポンのような麺ではない。食感は硬めを注文したのは正解だと思った。俺は柔麺が好みではないからだ。
チャーシューはとろとろで、噛み切る必要もないくらいだった。この厚みでこの柔らかさ。一体、どれほど煮込んでいるのか。
それは煮玉子も同様だった。中から溢れる、旨味が凝縮された汁が唾液の分泌を促進する。
というか食材ほとんど冷蔵じゃないのか? 新鮮な食材を使っていると思える程に、全ての素材が存在を主張しながらも調和している。
そろそろ餃子と炒飯が来るはずだ。まだなのか!?
落ち着け。慌てるな。これでは子供みたいじゃないか。
そう思うが、欲求は抑えきれない。俺は焦れた子供のような心境だった。
「お待ち」
待ちに待った餃子と玉子炒飯がきた。
すぐに餃子タレを小皿に入れ、新たにレンゲを用意。
まずは餃子だ。タレをちょんちょんと少しだけつけて、噛り付く。
じゅわっと肉汁が溢れ、口内を駆け巡る。ニンニクの風味は鼻筋を通り、さらに食欲を旺盛にさせる。噛めば噛むほど旨味が溢れ、俺の舌は喜び猛り狂った。
過剰なほどの唾液が溢れる。もっと、もっと欲しい。
玉子炒飯に視線を送る。ホクホクなのは当然。湯気を漂わせ、視覚を楽しませてくれた。
レンゲに一塊を乗せる。パラパラと零れ落ちる様は、妙に蠱惑的だった。玉子はプルプルしており、半熟。これが不味いはずがない。
メイが作った炒飯も美味かった。しかしやはりあれは作り物なのだ。現実の料理ほどの迫力はない。
パクッと一息に口腔へ。
「んむっ!?」
とろける感触とプチプチと潰れる食感。米粒は絶妙な硬さで、一噛みするごとに圧潰される。噛むことが楽しくなるというは人生で初めての経験だった。
俺は餃子、ラーメン、炒飯の順にローテーションを組んだ。餃子の風味を残し、麺を啜ると新たな味の絡み合いを得る。玉子炒飯を口に含み、何度か味わい、スープを飲むと、最上級の組み合わせだと思えた。
気づけば、ラーメンのスープしか残っていなかった。
どうする? 飲み干すに決まってるだろ!
俺は椀を掴み、ゴクゴクと飲む。まだ熱いが、気にする余裕もなく、そのまま椀を傾けて、最後の一滴まで胃袋に詰め込んだ。
ゴトッと椀をカウンターに置く。
締めに水で喉を潤した瞬間、ズンッと脱力感を抱いた。
これは満腹感だ。まさか胃袋の具合に気づかないほど、無心で食事をしていたとは。
隣を見ると、サクヤも食事を終え、満足そうにしていた。
良い顔してやがる。
「どうだった?」
「……最高だった」
「そうだろう、そうだろう! ふふふっ」
サクヤは満面の笑みを浮かべた。
サクヤが、ここまで爽快な笑顔を見せるのは初めてだ。いつもはもっと薄く笑う程度だし。そんなに幸せなんだろうか。
かくいう俺も満足し、幸福感に浸っているのだから何も言えない。
にこにことしているサクヤを見て、胸の内からじわじわ広がったのは妙な気持だった。これは、あれか、他人が喜んでいると嬉しくなってしまうという感じなのか。
つられて俺も笑顔を返す。すると更に充足感が俺を満たした。
来てよかった、そう思った瞬間だった。
▼
新宿駅、改札前で俺達は向き合っている。
サクヤは少し戸惑いながら、苦笑を浮かべた。
「お、送ってくれなくてもよかったのだぞ?」
「もう暗いし、そういうわけにもいかないだろ」
時刻は八時三十分。
食事を終え、そろそろ解散しようということになった。
サクヤはまだ、少し話したいという感じだったが、さすがに夜も遅い。
先を考えると色々、まずいしな。俺には荷が重いというか、そんな勇気も覚悟もないというか。いや、そんなことになるとは思ってないよ? 本当だ。期待もしていない。本当だ。
「今日は楽しかったよ」
「そうか? よかった……実は迷惑なのでは、と思っていたのだ」
「そんなことない。また誘って……いや、俺が誘うよ」
「うむ。待っているぞ」
少し別れがたい。
実際どうなんだろうか。俺はサクヤに対して恋愛感情を抱いているのか?
……いや、今の俺にはまだそれは無理だ。
それに俺の気持ちがどうであれ、サクヤの気持ちが重要だ。
もう少し、時間も理由も必要だった。
「そ、それではな」
「あ、ああ。またな」
小さく手を振るサクヤに、俺も振り返す。
一歩、二歩と進み、改札前まで行ったサクヤは、おもむろに振り向いた。
「れ、連絡、ま、待ってるからな!」
返事をする間もなく、サクヤは踵を返して改札を通ってしまう。
彼女の姿は徐々に小さくなり、やがて消えてしまった。
俺は鼓動を早くしたまま、構内の柱に体重を預け、大きく息を吐いた。
「緊張した……」
それに心臓に色々負担をかけすぎてしまった。
悪い気分ではまったくない。むしろ嬉しかったし、ドキドキした。
思春期かよ、と自嘲気味に笑うが、経験がないのだから仕方がない。
少なくとも、今日一日でサクヤの存在はより俺の中で大きくなった。友人としてか女の子としてか。それはまだ俺にはわからないが。
多分、俺が自惚れていなかったとしたら、サクヤは少しは俺に気があるのだろう。確実だと自信を持てはしないが、もしそうだったとしたら俺がどう思っているのか、きちんと理解していなければならない。
そうしないとサクヤに失礼だ。
自惚れて自分が恥ずかしい思いをするより、サクヤに不誠実な態度をとる方が最悪だと思った。そんな風に彼女を傷つけるくらいなら、生き恥を晒した方がマシだ。
偽善じゃない。単純にそれだけサクヤが俺にとって大事な存在だということ。
俺は小休止して、その場から立ち去った。
エニグマビルから出た時とは違い、もう人に対して強い拒絶感はなかった。そんな余裕は、俺に残されていなかったからだ。
▼
徒歩で帰路に就いていると、頭に冷たい感触がする。
「雨か?」
見上げると小粒の雨が降り始めている。
道路には何台もタクシーが止まっていた。利用して帰るという選択肢もあるが、今日はお金を使い過ぎた。節約も兼ねて、徒歩のまま帰った方がいいかもしれない。
しかし濡れながら帰るのも気が進まない。
傘を買って帰るか、と近場のコンビニに入った。
数十台のCVが並び店員は一人。服屋と同じ形式だ。
傘のついでに、缶の飲み物、お菓子などを買った。つい余計なものまで購入してしまうが、これくらいなら大丈夫だろう。どうせ外に出る機会はそう多くはない。
購入を終え、レジ袋に商品を入れて店外に出た。
路地を歩くと、サラリーマンらしき人間が増えている。人通りは多く、早く離れたかった俺は、早足で進んだ。
すでに日は落ち、暗いが視界は確保出来ている。ここら辺はまだ店も開いているし、街燈も多いからだ。
しばらく歩くと、人がまばらになる。
エニグマビルには、住宅街を通った方が早く着く。大通り経由で周り込めば倍近く時間がかかってしまうため、俺は住宅街を通ることにした。
一応CVで道のりを確認する。問題はなさそうだ。
人の姿が徐々に少なくなり、やがてほとんど見かけなくなった。繁華街から少し離れるだけでこれだ。
路地には等間隔に街燈が備えつけられている。照射範囲は五メートルほどで、多少明るい程度だ。
幅七、八メートルくらいの道を真っ直ぐ進んだ。
ここを出れば、エニグマまですぐそこだ。
しかし暗い。街路灯のおかげで多少は明るいが、街燈間は暗闇だ。周辺の家屋から漏れた光があるので多少は視界は明瞭だが、それも申し訳程度だった。
歩を進める続けていると、ふと、俺は足を止めた。
ドクンと心臓が一鳴りし、身体が硬直してしまう。
奥の方で何かが見えたからだ。
暗闇から現れ、灯りに照らされたものに俺は小さく息を飲んだ。