土間の日常
「何やってんの? 土間」
稽古中、私が智を追い詰めて、智が壁際で白目をむいたところで、何故か礼似に声をかけられた。
「あんたってそんなに飢えてたの? ダメよ、組の若いのに手をつけちゃ」
「違うわよ。見ての通り、稽古中。ニセの胸が苦手って言うから、慣れるようにシゴイてやってるだけ。礼似こそ、一樹さんまで連れてなんの用なの?」
私は一応、はだけた襟を直して聞き返す。
「えーっと。ちょっと友人として、お願いがあって」
こんな言い方する所を見ると、ロクなことじゃないな。一樹さんを連れているのも、あやしいし。
「とりあえず智を解放してやったらどうです?」
同情するように見下ろしていた一樹さんがそう言う。
「あら、面白かったのに。一樹、トラウマでも感じるの?」
礼似が聞く。
「ちがーう! 誤解を広めるような事を言うんじゃない!」
一樹さんが怒鳴る。
「噂は聞いてるけど。あんた達の方こそ、お盛んねえ」
噂では礼似が組長室に一樹さんを夜な夜な引っ張りこんで、色々と……その、襲いかかっているらしい。人の趣味だから別にいいけど。
「ンフ。そう?」
一樹さんは「誤解だ!」「そこは否定しろ!」とか、怒鳴っているけど、礼似はさらりと肯定しているし。
「こんな話をしに来たんじゃないだろう! ちゃんと頼め!」
一樹さんは諦めたように話を本題に戻す。
「そうね。土間、悪いけど神社仏閣の修繕できる職人を、御子が育った神社の修理に大至急回してくれる? あんたならコネもあるでしょ? 費用は一切、こっちで持つから」
「そういう職人って何人もいないし、手間のかかる作業を頼むから、急にって難しいんだけど」
「それは分かってるのよ。でも、そこを何とか」
礼似だけでなく、一樹さんまで手を合わせ、頭を下げる。
「急な修理って、あんた神社で何やらかしたのよ」
この様子じゃ、間違いなく元凶は礼似だろう。
「大したことじゃないわ。ちょっとバイクで本殿に突っ込んだだけ」
……十分大したことじゃない。どうやったらそんな事になるんだか。バチが当たりそう。
「その神社が頻繁にお世話になっている会社の社長の息子が、そこで結婚式、あげる予定なのよ。なんでも占い好きの社長らしくて、お気に入りの占い師にそこで式を挙げるのが一番いいって言われたから、どうしても来月式をあげたいんだって。神社の方でも人脈的にも、収入的にも、式を挙げたいらしいの。それでなくても御子、あそこの神主と折り合い良くないから、なんとかしなきゃならないの」
「そういう折り合いの悪い、御子が神経使わざるを得ないところで、礼似、何やってんのよ」
「ごめんー。悪意は無いのよ。真見のお宮参り中に見つけた、さい銭泥を捕まえようとしただけなんだからー」
さい銭のために本殿壊されちゃ、神社は納得しないだろう。御子もこの神社とだけは揉めたくないはず。こりゃ、礼似が泣きついて頭下げにも来るはずだ。一人じゃバツが悪いから一樹さんまで引っ張り出して来たのか。
「仕方ないわね。私とおかみさんが頭を下げれば、頑固な職人も動いてくれるでしょう。あんまり世話、焼かせないで」
礼似のためというより、巻き込まれた御子のためだ。一肌脱ごう。
「助かる! お礼に一樹か大谷、一日デートにレンタルするわ。どっちでも好きに使って」
礼似は二人の人権もかまわず喜んで言う。完全にモノ扱いだ。
「要りません。大体私、男性と付き合いたいと思わないし。ソッチはそんなに女性的じゃないの」
ここで二人が一気に引いた。礼似は顔色まで変わった。
「あんた……その姿で女好き? そりゃちょっと、マズイわ」
礼似が嫌な目つきで私を見る。
「そういう事じゃないの。長年この姿だから、あんまり性別を意識しなくなったって事」
「ホント? これ見て何ともない?」
そういって礼似は自分のヌード写真(!)を私に突きつける。
「何ともないわよ。礼似、あんたこんな物撮って持ち歩いてんの?」
「フッフーン。身体は若いでしょ? ちょっと、お小遣い稼ぎ用にね」
いいのか? 組長がそんな事して。隣で一樹さんが頭、抱えているんだけど。
「土間って、昔は女の子と結婚してハルオも生まれてるんだもんね。ホントは私みたいな美女がそばにいて、嬉しいんじゃない?」
礼似はしつこく私の前で、写真をひらひらさせる。
「結婚していたのはずっと昔の話。それに富士子は結婚した時ハタチだったし。あんたみたいなおばさんと一緒にしないの」
私はぴしゃりと言ってやった。
すると礼似はむっとした顔をして、「ちょっと待ってなさいよ」と言って稽古場を出ると、しばらくしてから戻ってきた。そして、手にした紙を私に突きつける。さっきの写真のコピー?
私は仰天した。なんであんたが富士子のヌード写真を持ってる!
「やーい、引っ掛った。私の写真に富士子さんの顔のコピーを張っただけよ。私の身体は若いんだからね! こんな簡単な手に引っ掛かって……あれ? 土間?」
れ、礼似。なんてことする! もう私、身体だけは女なのに! あ、鼻血出てきた。気が遠くなる。
「なんだあ。土間って、結局、ただのロリコンだったんだあ」
遠のく意識の中で、礼似のあきれたような声を聞き、私は気を失った。




