第5話:差し向けられた「未練」の刺客
自由都市リベルタの朝は早い。
アルティナは、宿のバルコニーでカイルが淹れた朝一番の珈琲を楽しんでいた。昨日のドラゴン討伐の余波で、街の至る所から自分の名を呼ぶ声が聞こえてくるが、彼女にとってそれは心地よいBGMに過ぎない。
「……お嬢様。少々、騒がしくなりそうです」
カイルが銀のトレイを脇に抱え、視線を眼下の通りへと向けた。
そこには、自由都市の軽装な住人たちとは明らかに異質の、重厚な白銀の鎧を纏った一団がいた。胸に刻まれているのは、クロムウェル王国の国章。王宮騎士団の精鋭たちだ。
「あら。案外早かったわね。エドワード殿下の右腕を治すよりも、私を追いかける方が優先順位が高いのかしら?」
「左様でございますね。……先頭にいるのは、騎士団副団長のレオナード卿かと」
レオナード。アルティナとは幼馴染であり、かつては共に剣を競ったライバルでもあった男だ。
アルティナはふぅ、と溜息をつき、珈琲カップを置いた。
「カイル。彼らはきっと、話し合いに来たつもりでしょうけど……。私の気分を害したら、叩き出していいわね?」
「心得ております。お嬢様の朝食の時間を邪魔する者は、万死に値します」
***
宿の広間に降りると、そこには殺気立った騎士たちが整列していた。
中心に立つ金髪の美青年、レオナードは、アルティナの姿を認めるなり、苦渋に満ちた表情で一歩前に出た。
「アルティナ! 探したぞ。……無事で良かった」
「無事なのは見ての通りよ、レオナード。それで? 王国の騎士団がこんなところまで何の御用かしら。ここは自由都市。あなたの王様が威張れる場所じゃないわよ」
「……殿下との間に誤解があったことは、陛下も重々承知しておられる。あのマリアという娘も、調査の結果、数々の虚偽が発覚して既に地下牢だ」
レオナードの声は必死だった。
彼らがここにいる理由。それは、アルティナがいなくなった途端、国境の結界が弱まり、魔王軍の軍勢を防ぎきれなくなったからだ。
「アルティナ、戻ってきてくれ。君さえ戻れば、公爵家の地位も、王妃としての座も……いや、望むならエドワード殿下を廃嫡し、君を女王に据えるという案さえ出ているんだ!」
周囲の騎士たちがざわめく。それは、王国が積み上げてきたプライドをすべて捨て去った、なりふり構わぬ「泣き落とし」だった。
だが、アルティナの反応は冷たかった。
彼女はクスクスと、鈴を転がすように笑った。
「女王? 笑わせないで。私が欲しかったのはそんな椅子じゃないわ。……レオナード、あなたは私の何を見ていたの? 私は、ただ自由に剣を振るいたかっただけよ」
「だが、国が……民が危機に瀕しているんだ! 君の力が必要なんだ!」
「私が守っていたのは『国』じゃない。父様が愛した庭と、私が鍛錬した道場があったからよ。それを自ら壊したのは、あなたの主でしょう?」
アルティナが一歩踏み出す。
レオナードは思わず剣の柄に手をかけた。長年共にいたからこそ、彼女が放つ「静かな怒り」の密度が理解できてしまう。
「帰りなさい。二度と私の前に現れないで。……さもないと、レオナード。あなたも『片腕』を失うことになるわよ」
「……ならず者同然の従者に唆されたのか! アルティナ、目を覚ませ!」
レオナードが逆上し、背後のカイルを指差して叫んだ。
その瞬間。
広間の空気が、絶対零度まで凍りついた。
アルティナの瞳から温度が消え、カイルの足元から黒い影のような殺気が立ち上がる。
「カイル。……やりなさい」
「御意」
レオナードが剣を抜く暇さえなかった。
カイルの姿が掻き消えたかと思うと、次の瞬間、レオナードの喉元にはカイルの指先が突き立てられていた。
そして、周囲の精鋭騎士たちの武器は、すべてカイルが投げた目打ちのナイフによって、一瞬で弾き飛ばされていた。
「……貴様、……ッ!」
「お嬢様に対する無礼。そして私への侮辱。……今の言葉、命で購っていただきますか?」
カイルの声は低く、そして甘美なほどに死を予感させた。
レオナードは動けなかった。かつてアルティナと互角に渡り合ったと自負していた自分が、彼女の「従者」一人に、手も足も出ない。
「もういいわ、カイル。……レオナード、これが答えよ。私の従者は、あなたの国の騎士団全員を合わせても足元に及ばないほどに強い。そして私は、その彼よりも強い」
アルティナはレオナードの横を通り抜け、宿の扉を開いた。
「国が滅びるというなら、滅びればいいわ。……私はもう、世界の広さを知ってしまったの」
外には、抜けるような青空が広がっていた。
アルティナはカイルを振り返り、優雅に微笑む。
「行きましょう、カイル。西の聖教国へ。……もっと強い人たちが、私を待っているはずよ」
「どこまでも。……お嬢様の剣が届く、その先まで」
地面に膝をつき、絶望するレオナードたちを置き去りにして、二人は街を歩き出す。
最強の主従が向かう先。そこには、王国の腐ったしきたりなど届かない、無限の自由が広がっていた。




