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第七章 羅天大醮と招安の道

 山に集った義は、やがて問われる。

 ――このまま、山賊で終わるのか。それとも、世へ出るのか。

 刃で抗うことは容易い。

 だが、世を相手にするには、刃だけでは足りない。

 天は、名を与える。

 だが、道を選ぶのは人だ。

 百八の名が刻まれたとき、梁山泊は初めて、運命と向き合うことになる。

 替天行道とは、天に代わって正すことか。

 それとも、天に赦されることか。

 この章は、戦の物語ではありません。

 義が、山を越える物語です。

 梁山泊の忠義堂は、久しぶりの賑わいに包まれていた。

 百八人の頭領が一堂に会し、それぞれの名と役割が、静かに定められていく。

「燕青」

 宋江の声に、堂内の視線が集まる。

「お前は歩兵軍の頭領の一人だ」

 燕青は一歩進み、深く礼をした。

「承知いたしました。

 皆のために、力を尽くします」

 その佇まいに、派手さはない。

 だが、余分な力みのない姿は、かえって信を集めた。

 集会の終わり、公孫勝が進み出る。

「これより七日七晩、羅天大醮を執り行う」

 四十九人の道士が場を清め、香が焚かれる。

 山寨は次第に俗を離れ、天に近づいていった。

 日が重なるごとに、好漢たちの間にあった軋みは薄れ、

 刃を並べる者同士の呼吸が、自然と揃っていく。

 七日目の夜。

 満天の星の下、突如として天が鳴った。

 轟音とともに、石板が天より落ちる。

「……これは」

 道士・何玄通が静かに読み上げる。

「梁山泊百八人の名と、

 それぞれに割り当てられた宿星です」

 燕青は、そっと目を伏せた。

 逃れ得ぬ運命というより、

 背負うべき名を、ようやく受け取った感覚だった。

 祭事の終わった夜。

 忠義堂には、まだ香の余韻が残っていた。

 宋江はしばらく黙したまま座していたが、やがて低く口を開く。

「天は……我らを許したのかもしれぬな」

 公孫勝が静かに応じる。

「天命は示されました。

 されど、官がどう動くかは、また別の話」

 堂内の空気が引き締まる。

 呉用が扇を閉じ、淡々と告げた。

「義を掲げ続ければ、朝廷はいずれ無視できなくなる。

 討伐か、招安か――選択を迫られるのは向こうだ」

 宋江は目を伏せ、静かに息を吐いた。

「……ならば、討たれる前に、

 こちらから道を示すべきか」

 その時、燕青が一歩進み出た。

「都には、言葉が届く場所があります」

 一斉に視線が集まる。

「剣ではなく、

 義として、想いとして、話を聞いてもらえる場所が」

 宋江は燕青を見つめた。

「……李師師、か」

「はい」

 燕青は迷いなく答えた。

「帝の耳に最も近く、

 しかも、義を理解するお方です」

 沈黙ののち、宋江は頷いた。

「天が示し、人が選ぶ。

 その道を、探りに行こう」

 忠義堂の灯が、静かに揺れた。

 義は、山に留まるものではない。

 世へ出る刻が、近づいていた。

 上元節の夜。

 開封の街は灯に溢れ、人々の笑い声が満ちていた。

 宋江、柴進、燕青、李逵らは、人波に紛れて歩いていた。

 その時、燕青の足が、ふと止まる。

 灯の向こうに、名妓・李師師がいた。

 視線が交わった一瞬、

 言葉にせずとも、互いに何かを感じ取る。

 李師師は控えめに微笑み、燕青に声をかけた。

「梁山泊は、反旗を翻す者ではないと聞いております。

 義を掲げ、替天行道をなさるとか」

 燕青は穏やかに頷いた。

「はい。

 そして、乱を望んでいるわけでもありません」

 一拍置き、静かに続ける。

「招安の意思もございます。

 どうか宋江様のお話を、お聞きいただければ」

 後日、宋江は李師師と面会した。

 彼女はその言葉に耳を傾け、深く頷いた。

「あなた方の想い、必ず帝にお伝えします」

 燕青はその様子を、少し離れた場所から見守っていた。

 言葉が、刃より強くなる瞬間を、確かに感じていた。

 だが、その夜の賑わいの中で、

 李逵が役人と揉め、騒動を起こしてしまう。

「また、やってしまったか……」

 梁山泊の一行は、慌ただしく街を離れた。

 李逵は責を感じ、ひとり去ろうとする。

 その背に、燕青の声が届いた。

「李逵」

 振り返る。

「お前は一人じゃない。

 逃げてどうする」

 李逵はしばらく黙し、やがて歯を食いしばった。

「……お前の言葉なら、信じてみる」

 燕青は短く頷いた。

 剛と柔。

 刃と影。

 異なる二人は、同じ未来へ歩き出していた。

 梁山泊。

 天に名を刻み、

 人の世へ手を伸ばし始めた義の集い。

 招安への道は、

 静かに、しかし確かに開かれつつあった。

 羅天大醮は、天の名を授ける儀式だった。

 だが本当の意味で、梁山泊が名を持ったのは、都へ歩み出したその瞬間である。

 剣を抜かず、血を流さず、言葉を届けようとした夜。

 それは、彼らにとって最も困難な戦だった。

 李逵の激情は、梁山泊の危うさを映す。

 燕青の静けさは、梁山泊の可能性を映す。

 剛と柔。破壊と説得。

 山の義は、今、世の義へと姿を変えようとしている。

 だが――

 天命が示されたからといって、人の世が素直に道を開くとは限らない。

 招安とは、救いか。それとも、試練か。

 この先、梁山泊は刃よりも重いものを背負う。

 名である。義である。そして、「官」という現実である。

 影は知っている。

 山にいるよりも、世に出るほうが、はるかに残酷であることを。

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