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異世界恋愛の短編集!

瀕死の最強騎士を口移しで救ったら、抜け出せないほど甘い愛が返ってきた件

作者: 葉月いつ日

 ∮∮〜第一章:聖女の祈りと、アリアナの決意〜∮∮



 魔法石の採掘で栄えた王国スタンダリアは、「軍事国家」と呼ばれることを誇りにしていた。


 大地の奥深くから掘り出される魔法石は、剣や鎧、城壁、さらには国土を覆う巨大な防御魔法陣にまで、惜しみなく用いられていた。


 その蓄えと技術は他国の追随を許さず、スタンダリアは長らく「魔王軍すら容易には手を出せぬ国」とされてきた。


 ──その慢心を嘲笑うかのように、魔王軍は現れた。


 黒雲を引き裂くように飛来する魔族たち。

 魔法石を狙い、正確かつ組織的に攻め込んでくるその軍勢は、これまでの魔物の襲撃とは明らかに質が違っていた。


 王都近郊では連日激戦が繰り広げられ、誇るべき騎士団も、無傷ではいられなかった。


「次の負傷者をこちらへ!」


 王城の一角、臨時救護所では、聖女サフィリアがひときわ強い光を放っていた。


 癒しの祈り。結界の補強。

 国中に張り巡らされた魔法陣の要となる場所を渡り歩きながら、彼女はほとんど休む間もなく力を使い続けている。


「……まだ、倒れないで」


 震える声で祈りを捧げるたび、傷は塞がり、命は繋ぎ止められる。

 けれど、治療を受けた騎士たちの顔色は優れなかった。


 魔王軍の魔力は深く、長引く戦いは確実に体力と気力を削っていく。


「このままでは……」


 サフィリアは唇を噛みしめた。自分の祈りだけでは、追いつかない。


 回復しても、再び戦場へ戻る騎士たちが、次第に消耗していくのが分かる。


 その様子を、少し離れた場所から見つめていたのが、王妃付き侍女のアリアナだった。


 彼女は戦場に立てぬ身でありながら、誰よりも騎士たちの疲弊を気にかけていた。


 血と薬草の匂いが混じる救護所で、彼女はただの侍女として、できることを探し続けていた。


(癒しは魔法だけじゃない……)


 ふと、幼い頃に、祖母に聞いた話を思い出す。

 戦乱の時代、騎士たちを支えたのは、剣でも祈りでもなく、「食」だったと。


 アリアナは、意を決して聖女サフィリアに声をかけた。


「サフィリア様……その、お願いがございます」

「どうしました、アリアナ?」

「古い料理書を、お借りできないでしょうか。滋養に良い薬草や、戦時に用いられた食事の記録があると聞いたことがあって……」


 サフィリアは一瞬驚いたように目を瞬かせ、やがて、優しく微笑んだ。


「ええ。あります。祈りだけでは救いきれない命も、確かにあるものね」


 彼女は大切そうに保管していた、年季の入った料理書を差し出した。


「あなたがそれを使うなら、きっと意味があるわ」


 アリアナは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。私にできることで、国の力に……騎士団の力になりたいのです」


 こうして、戦場の裏側で、ひとつの小さな試みが始まろうとしていた。


 剣でも、魔法でもない。

 だが、確かに命を支える──一杯のスープから。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第二章:傍若無人の副団長と、名もなき一杯〜∮∮



 試行錯誤の末に完成したスープを携え、アリアナは救護所へ向かった。


 血と薬草の匂いが混じる救護所では、何十人もの比較的軽い傷を負った騎士が治療を受けていた。


 彼らを介抱していたのは、城に使える侍女たちだった。


 王国の花形である騎士は、民の憧れの存在だった。

 特に、城で働く侍女たちは距離が近いため、お近づきになろうと躍起になっていた。


 騎士を射止めたとあらば、その家族も暮らしが楽になるといわれているからだ。


 嬉々として騎士に近づく先輩侍女をよそに、アリアナは救護所のすみでスープの仕上げを始める。


 煮込まれたスープの香りが漂い始めた時だった。他の騎士よりも、ひときわ煌びやかな軍服を纏った男がアリアナの前に立った。


「貴様。こんな所で何をやっている」


 低く鋭い声をかけられ、アリアナは慌てて顔を上げる。

 そこにいたのは、騎士団副団長・グランガリアだった。


 彼は、王妃様にも王女様にも、聖女様にすら容赦なく意見をぶつける、傍若無人の塊のような人だ。


 王様に対してすら、「それは間違っている」と言い切ったという逸話もある。


「……副団長様。あの……これは、皆様にお配りしている滋養スープです」

「ふん! 騎士を餌付けする気か、侍女」


 アリアナは思わず背筋を伸ばした。


「いえ。ただ、怪我や疲労が多いと聞きましたので……少しでも栄養のあるものをと」

「余計な世話だ」


 ばっさり切り捨てられる。

 アリアナが、ガックリと肩を落とし、スープをかき混ぜる手を止めた、その時──


 グランガリアは鍋を覗き込み、ふっと眉を寄せた。


「……この香り。骨を煮出しているな。薬草も入っている」

「は、はい。古い料理書を参考にしました」

「ほう……騎士団の実情を、よく調べているな」


 次の瞬間、彼は無言で器を手に取り、一気に飲み干した。


「……悪くない。──いや、上等だ」


 周囲の騎士たちが目を見開く。副団長が、褒めたと囁く声が聞こえてきた。


 グランガリアは自分にも他人にも厳しく、勲章にも功績にも一切興味を示さない男だった。


 部下が叙勲しても、「調子に乗るな」と一喝していた。

 誰にでも厳しいグランガリアを、騎士や城に使える者は皆、恐れていた。


 そんな副団長が、アリアナを褒めたのだ。救護所にいる誰もが驚きを隠せなかった。


 グランガリアは器を置くと、アリアナを睨みつけながら言った。


「明日からも、持ってこい」

「え?」

「お前が作れ。ほかの者ではだめだ」


 そう言い捨てて去っていく背中に、アリアナは呆然と立ち尽くした。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第三章:副団長の正義、侍女の戸惑い〜∮∮



 それからというもの、グランガリアは何かとアリアナの前に現れるようになった。


「無理をするな。腕が細くなった」

「この階段は危ない。俺が先に行く」

「騎士どもに絡まれたら言え。叩き伏せる」


「い、いえ、その……!」


 辛辣なのは相変わらずなのに、矛先が完全にアリアナを守る方向に向いている。


 ある日、騎士団長のアルバルトが苦笑しながら教えてくれた。


「グランはな。正義のためなら、誰にでも牙を剥く男だ」

「はい……」

「だが、自分より弱くて、なおかつ国のために本気で尽くす人間には、異様に甘い」


 二人は幼なじみで、国のために互いに切磋琢磨してきたらしい。アルバルトは、グランガリアの唯一の理解者だった。


「君の料理は、騎士団を支えている。命を預ける現場でな。あいつはそれを理解したんだ」


 後日、アリアナは副団長に、思い切って尋ねた。


「どうして……私にだけ、そんなに気を遣ってくださるのですか?」


 グランガリアは一瞬だけ視線を逸らし、低く答えた。


「……俺は、正しいことをしている者を守る。それだけだ」


 不器用で、荒くて、誰よりも正義な人。


 今日もアリアナは、大鍋をかき混ぜながら思う。


(私はただ、お国のために頑張る騎士団の皆さんに、栄養のあるものを用意しているだけなのに……)


 なぜか一番怖いはずの副団長様に、誰よりも大切にされることになった。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第四章:誰がための正義、誰がための叱咤〜∮∮



 数日後。


 洗濯場の裏手。人目につきにくいその場所で、アリアナは逃げ場を塞がれるように、数人の侍女に囲まれていた。


「最近、出過ぎじゃない?」

「副団長様にまで取り入ってるって、噂になってるのよ」

「身の程を弁えてくれない?」


 彼女たちの声は小さいが、棘は鋭い。アリアナは俯き、静かに答えた。


「……そんなつもりはありません。ただ、私の役目を──」

「役目? 自分を特別だと思ってるから、そんなことが言えるのよ」


 その瞬間。


「──ほう」


 地の底から響くような声が、空気を裂いた。


 侍女たちが一斉に振り向く。

 そこに立っていたのは、騎士団副団長グランガリアだった。


「王城の侍女は、陰で同僚を集団で責め立てる教育を受けているのか?」

「っ……ふ、副団長様……!」


 侍女たちの顔色が一気に変わる。

 グランガリアはアリアナの前に立ち、庇うように一歩前へ出た。


「貴様らは何様のつもりだ。自分の職務も満足に果たせぬくせに、他人の働きを妬み、足を引く」


 低い声だが、刃物のように鋭い。


「国に仕える者として、最も醜い」

「ち、違います! 私たちはただ……!」

「黙れ!」


 一言で封じられ、侍女たちの肩が跳ねた。


「コイツはな、騎士団の消耗と怪我を調べ、独学で滋養食を作り、命を賭して戦う連中を裏から支えている」


 そう言い放つと、グランガリアは侍女たちをぐっと睨みつける。


「それを『出過ぎ』だと? 貴様らは何をしている。噂話か? 陰口か?」


 侍女たちに、もはや逃げ場はなかった。


「侍女である前に、人間として恥を知れ!」


 グランガリアが一層声をあらげた、その時。


「──そこまでだ、グラン」


 穏やかな、しかしよく通る声が割って入った。

 騎士団団長、アルバルトが歩み寄ってくる。


「城内でその調子だと、さすがに問題になる」

「甘いぞ、アルバルト」

「分かっている。だが──」


 アルバルトは、怯え切った侍女たちを一瞥し、ため息をついた。


「君の言葉は正しい。ただし、正しさは時に、人を壊す」


 そして、ちらりとアリアナを見る。


「彼女が望むのは、誰かを罰することじゃないだろう?」


 グランガリアは、はっとしたように口を閉ざした。

 アリアナは慌てて頭を下げる。


「わ、私は……大事にしたくなくて……」


 数秒の沈黙。

 グランガリアは舌打ちし、侍女たちに最後通告のように言い放った。


「次に同じことをすれば、俺が相手をする。覚悟しろ」


 そう言い残し、アリアナの肩にそっと手を置く。


「行くぞ。ここにいる必要はない」


 アルバルトは苦笑した。


「……相変わらず極端だな」

「黙れ。守るべきものを守っただけだ」


 二人の背中を見送りながら、侍女たちは何も言えず、洗濯場には重い沈黙だけが残った。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第五章:折れぬ剣、曲がらぬ正義 〜∮∮



 翌日、王の間は静まり返っていた。


 玉座に座る国王の前に立つのは、騎士団副団長グランガリアと、団長アルバルト。

 そして少し離れた位置に、顔色を失った数名の侍女たちが控えていた。


「グランガリア」


 国王の声は低く、しかし威厳に満ちていた。


「城内での騒動については、すでに承知している。いかなる理由があろうと、王城に仕える者に向けてあのような言葉を浴びせるのは、行き過ぎだ」

「──行き過ぎ?」


 その瞬間、王の間の空気が張り詰め、グランガリアの目が鋭く光った。


「陛下。ならばお聞きします。陰で同僚を貶め、国のために働く者の足を引く行為は、行き過ぎではないのですか」


 王の間に、ざわめきが走る。


「自重しろ、グランガリア」


 国王が言葉を重く落とす。

 しかし、グランガリアは一歩も退かなかった。


「できません」

「……なんだと?」


「俺は騎士です。しかし、剣を振るうだけが、国を守ることではない」


 拳を強く握りしめ、声を張り上げる。


「命を張って戦う騎士を、裏で支える者がいる。その者を侮辱し、集団で責め立てる行為を、見逃せと?」


 その言葉を聞いたアルバルトが慌てて前に出る。


「待て、グラン。陛下のお言葉に──」

「黙っていろ、アルバルト!」


 一喝。

 だが、その声には怒りよりも必死さが滲んでいた。


「陛下、俺は誰か一人を贔屓しているわけではありません。正しく働く者が、正当に評価される国であってほしいだけです」


 王は、しばし沈黙した。

 アルバルトは深く息を吸い、覚悟を決めたように口を開く。


「陛下。グランガリアの言葉は荒い。ですが──」


 彼はまっすぐ王を見据える。


「内容に、誤りはありません。騎士団は彼女の支えによって救われています。その働きを妬み、陰で貶める行為は、城の規律を乱すものです」


 再び、静寂。

 やがて国王は、ゆっくりと立ち上がった。


「……グランガリア」

「はっ」

「お前の態度は確かに問題だ。だが、その訴えは、国を思うがゆえのものだと理解した」


 王の視線が、控えていた侍女たちへ向けられる。


「王城に仕える者は、身分に関わらず、互いの職務を尊重せねばならぬ」


 厳しい声が響く。


「該当する侍女たちは、即刻再教育とする。礼節、職務理解、そして協働の意味を叩き込め」


 侍女たちの顔が青ざめた。

 国王は、最後にグランガリアへ向き直る。


「グランガリア。お前には、自制を求める。だが──」


 わずかに、口元が緩む。


「その正義まで、抑え込むつもりはない」


 グランガリアは、深く頭を下げた。


「……感謝します、陛下」


 王の間を後にした廊下で、アルバルトは肩をすくめる。


「まったく……心臓に悪い」

「俺は間違っていない」

「ああ。だから、肩を持った」


 グランガリアは、ふっと視線を逸らす。


「……二度と、あいつが同じ目に遭うことがないなら、それでいい」


 その言葉を、彼は誰にも聞かせぬまま、歩き出した。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第六章:裂かれた背中、繋がれた命〜∮∮



 それから十日後。


 魔王軍は明らかに、これまでの戦いとは次元の違う攻勢に出た。


 建物を一撃で倒すほどの巨躯を持つ、重装の魔物が次々と戦地へ投入される。

 大地は揺れ、城壁は悲鳴を上げ、王都の空気そのものが震えていた。


 王国もまた、退くことはなかった。

 城に控えていた騎士を総動員し、総力戦で迎え撃つ。


 戦いは三日三晩に及んだ。

 眠る暇も、傷を癒す余裕もない戦場で、騎士団長アルバルトと副団長グランガリアは、最前線に立ち続けた。


 そして──最後の巨大な魔物を、ついに追い詰めた、その時だった。


 魔物は断末魔の咆哮とともに、渾身の一撃をアルバルト目掛けて振り下ろす。


 人の腕ほどもある鋭い爪が、彼の身体を引き裂こうとした瞬間。


「──っ!」


 グランガリアが、迷いなくその前に飛び出した。


 鈍い音とともに、爪が背中を裂く。

 彼は声一つ上げず、血を噴き上げながら地に崩れ落ちた。


「グラン──!」


 その隙を逃さず、アルバルトは巨大な魔物を切り伏せた。

 魔王軍は後退し、戦いは、ようやく終わりを告げる。


 だが、その勝利は、あまりにも大きな代償を伴っていた。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第七章:聖女の限界と、侍女の記憶〜∮∮



 グランガリアは、救護所へと運び込まれた。


 背中の傷は深く、広く、致命的としか言いようがなかった。


 聖女の祈りも、癒しの光も、その命をつなぎ留めることはできなかった。


「……これ以上は……」


 誰かの絞り出すような声が、重く落ちる。

 救護所の隅で、その光景を見つめていたのが、アリアナだった。


 あれほど強かった副団長が、今は静かに横たわっている。

 息は浅く、意識もない。


 ──命の危機に瀕しているのに。

 ──自分は、何もできない。


 彼女を守ってくれた人。

 怒鳴りながらも、誰よりも正しく、誰よりも優しかった人。


 その命が、今まさに消えようとしている。


(助けたい……)


 アリアナは唇を噛みしめた。


 その時、ふと、遠い記憶が胸に浮かぶ。

 王妃が、かつて穏やかに語っていた言葉。


『王家には、秘伝の万能薬がありますのよ』


 ──それだ。


 アリアナは、救護所を飛び出した。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第八章:禁忌の森、一日の祝福〜∮∮



「王妃様!」


 王妃の私室の扉が勢いよく開き、慌てた様子のアリアナが飛び込んできた。


「アリアナ。そんなに慌てて、どうしたのですか?」

「お願いします!」


 彼女はその場で頭を下げた。


「秘伝の万能薬を……分けていただけませんか。このままでは、副団長が……グランガリア様が……!」


 言葉が、途中で詰まる。

 必死に堪えていた感情が、溢れ出していた。


 王妃は、その訴えを聞き、静かに眉を下げた。


「……残念ですが」


 その声は、ひどく優しく、同時に残酷だった。


「万能薬は、今はありません」

「そんな……」


 アリアナの膝から、力が抜けた。


 その場に崩れ落ち、両手で顔を覆う。

 こぼれ落ちる涙を、もう止めることができなかった。


 その肩に、王妃の手がそっと置かれる。


「ですが」


 静かな声が、彼女を引き留める。


「材料である『ヒール草』さえあれば、万能薬は作れます」


 その一言に、アリアナは顔を上げた。

 涙に濡れた瞳に、かすかな光が宿る。


「……ヒール草……」


 消えかけていた希望が、再び、胸の奥で灯り始めていた。


「ヒール草は……どこにあるのですか?」


 王妃の言葉に希望を見出したアリアナは、縋るように問いかけた。

 しかし、王妃は静かに首を横に振る。


「それは、教えられません」

「王妃様……!」

「知れば、あなたは必ず行ってしまうでしょう」


 王妃の声は穏やかだったが、その奥には強い拒絶があった。

 アリアナは一歩前に進み、深く頭を下げる。


「お願いします……!」

「なりません」


 それでも、アリアナは引かなかった。


「副団長様は、命を賭して国を守りました。私は……私は、あの方に何度も救われました」


 声が震える。

 だが、言葉は止まらない。


「身分も、力も、何もかも違います。それでも……それでも、あの方を助けたいのです!」


 長い沈黙が落ちた。

 王妃は、俯いたままのアリアナを見つめ、深く息をつく。


「……分かりました」


 アリアナが顔を上げる。


「ヒール草があるのは──『魔獣の森』の奥深くです」


 その名を聞いた瞬間、空気が凍りついた。


「魔王軍ですら避けて通る場所です。森に入った者で、帰ってきた者はいません」

「……それでも、行きます」


 迷いのない答えだった。

 王妃は、苦しげに目を伏せる。


「私は……あなたを死なせたくありません」

「王妃様」


 アリアナは、静かに微笑んだ。


「生きて、戻ってきます」


 その時、扉の向こうから、柔らかな声が響いた。


「事情は、だいたい聞きました」


 現れたのは、聖女サフィリアだった。


「アリアナ。あなたは、強い人ですね」

「聖女様……」


 サフィリアは、そっと彼女の手を取る。


「私にできることは多くありません。ですが──」


 光が、彼女の掌から溢れた。


「聖女の祝福を授けましょう」


 温かな魔力が、アリアナの身体を包み込む。


「効力は一日。それを過ぎれば、魔法は解け、魔獣に気づかれます」

「……十分です」


 騎士を護衛につける案も出たが、叶わなかった。

 多くは負傷し、残りは魔王軍の残党狩りに出ている。


 翌朝、アリアナは──たった一人で、魔獣の森へ向かうことになった。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第九章:届かぬ恋と、一輪の光〜∮∮



 森は、静かすぎるほど静かだった。


 風の音も、鳥の声もない。

 ただ、木々の間に漂う、重く淀んだ気配。


 半日をかけ、彼女は森の最奥へ辿り着いた。

 そこで、見つけた。


 淡く光る花。

 生命そのもののような輝きを放つ──ヒール草。


「……あった……」


 震える手で、それを摘み取った、その瞬間。


 足元の土が、崩れた。


「きゃ――!」


 身体が宙に投げ出され、斜面を転がり落ちる。

 幸い、崖の高さ自体はそれほどではなかった。


 だが、着地した瞬間、激痛が走る。


「……っ!」


 足を、負傷していた。


 立ち上がろうとして、崩れ落ちる。

 それでも、アリアナはヒール草を胸に抱いた。


(戻らなきゃ……)


 その胸に、ある感情が芽生えていることに、彼女は気づいていた。


 厳しくて、不器用で。

 それでも、誰よりも自分を守ってくれた人。


 ──グランガリア様。


 だが、それは決して実らない想い。

 身分も、立場も、あまりに違いすぎる。


 それでも──歯を食いしばり、足を引きずりながら、前に進む。


「どうか……私が戻るまで……ご無事で……」


 祝福の魔法が、刻一刻と失われていく中。

 アリアナは、ただひたすら城を目指した。


 愛する人の命を、つなぎ留めるために。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第十章:祝福の終わり、魔獣の目覚め〜∮∮



 夜明け前、森では魔獣の遠吠えが至る所で鳴り響いていた。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第十一章:命を繋ぐ口づけ〜∮∮



 陽が昇り始めた頃、救護所は重苦しい沈黙に包まれていた。


 グランガリアの意識は、ついに戻らぬまま。

 心臓の鼓動は弱まり、呼吸は、今にも途切れそうなほど浅くなっている。


 彼が横たえられた寝台の傍らで、アルバルトは声を張り上げた。


「死ぬな……死ぬな、グラン……!」


 震える拳を握りしめ、必死に呼びかける。


「……頼む。戻ってきてくれ。俺を置いていくな……!」


 国王も王妃も、その叫びを聞き、言葉を失っていた。

 誰もが、この国を支えてきた男の最期を、覚悟し始めていた。


「聖女様……!」


 アルバルトは、縋るように振り向く。


「グランを……我が友を、どうか……!」


 だが、聖女サフィリアは、静かに首を横に振った。


「……これ以上は……」


 アルバルトは悔しげに顔を歪め、拳を壁に叩きつけた。


 鈍い音が響く。

 救護所は、完全な静寂に沈んだ。


 ──その時だった。


 バン、と勢いよく扉が開く。


「……!」


 皆が一斉に振り向く。


「無事だったのね……アリアナ!」


 王妃の声が、震えた。


 そこに立っていたのは、ぼろぼろの服を身にまとい、全身を傷と泥に汚したアリアナだった。


 息は荒く、立っているのがやっとという様子だったが、彼女の手には──確かに、淡く光る薬草が握られていた。


「王妃様……」


 かすれた声で、アリアナは言う。


「ヒール草……摘んでまいりました……」

「……よく、戻りました」


 王妃は、涙を堪えながら頷いた。

 聖女サフェリアがすぐに駆け寄る。


「アリアナ、まずはあなたの手当てを──」


「いいえ……!」


 アリアナは、首を横に振った。


「今は……副団長様を……!」


 一刻の猶予もないことは、誰の目にも明らかだった。


 王妃と聖女は、すぐさま万能薬の精製に取りかかる。

 王妃がヒール草を煎じ、サフィリアが聖なる光を注ぐ。


 そうして完成した万能薬が、グランガリアのもとへ運ばれた。


 だが──意識のない彼は、口を開かない。


 サフィリアが慎重にスプーンですくい、口元へ運ぶ。

 顎を開き、薬を流し込む。


 しかし。

 万能薬は喉を通らず、静かに口から溢れ落ちた。


 一度、二度、三度。

 何度試しても、結果は同じだった。


 その瞬間──グランガリアの腕が、力なく寝台から滑り落ちた。


「……!」


 その場にいた全員が、息を呑む。


 終わった。

 そう、誰もが思った、その時だった。


「──待ってください!」


 アリアナが、前に出た。


 彼女は、サフィリアの手から器を取り上げ、迷いなく万能薬を口に含む。


「……っ!」


 そして。


 人目も憚らず、グランガリアの唇に、自分の唇を重ねた。


「戻ってきてください……!」


 震える声で、必死に訴える。


「グランガリア様……!」


 何度も、何度も。

 祈るように、唇を重ね、万能薬を流し込む。


「……お願いです……!」


 その瞬間だった。


「……っ、げほっ……!」


 グランガリアが、激しくむせた。


「今です!」


 聖女が即座に癒しの魔法をかける。


 光が満ち、彼の顔色が、みるみるうちに戻っていく。

 荒かった呼吸が、次第に落ち着き──やがて、穏やかな寝息が響いた。


 救護所に、歓声と安堵の息が溢れ出す。


 だが。


 その光景を見届けたアリアナは、その場に崩れ落ちた。


「アリアナ!」


 アルバルトが、咄嗟に抱き止める。

 彼女の身体は、異様なほど熱かった。


「……熱が……?」


 ふと、足元を見る。

 床に、血が滴っていた。


「……まさか……」


 アルバルトがスカートを膝までたくし上げると、そこにあったのは──魔獣に噛まれた、生々しい傷跡。


 周囲が、凍りつく。

 よく見れば、彼女の肌はくすみ、唇の色も悪い。


「……毒だ」


 誰かが、震える声で呟いた。


 アリアナは──魔獣の毒に、侵され始めていた。


 彼女は、グランガリアの命を救うために、自分の命を、差し出していたのだった。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第十二章:命の口づけ、心の口づけ〜∮∮



 アリアナは──一命を取り留めていた。

 彼女は、ヒール草をもう一つ持ち帰っていたのだ。


 救護所で侍女たちが彼女の汚れた服を脱がせようとした、その時。上着の裏から、小さな花が転がり落ちた。


 それは、淡く光るヒール草だった。

 どうやら、彼女が崖から落ちた際に、衣服に巻き込んでいたらしい。


「……まだ、あったの……?」


 その場にいた誰もが息を呑んだ。

 すぐさま万能薬が精製されて、アリアナに与えられた。


 こうして、騎士団副団長グランガリアと、一人の侍女は、ともに死の淵から引き戻されたのだった。


 だが、代償は小さくなかった。

 アリアナは、三日間目を覚まさなかった。


 魔獣の毒を体内に取り込み、

 魔獣の森を越え、傷を負い、極限まで疲弊していたのだ。


 そして、三日後。


 誰かの寝息を感じ、──アリアナはゆっくりと意識を取り戻した。


(……ここは……?)


 横になったまま、右を向く。


 そこには、王妃と聖女、そして数人の侍女が椅子に座り、浅い眠りについていた。


 次に、左へ顔を向け──そこで、息が止まった。


 ベッドのすぐ横。

 椅子に深く腰掛け、腕を組んだまま眠り込んでいる人物。


「……副団長、様……?」


 思わず声が漏れる。


「副団長様!」


 その声に、グランガリアは飛び起きるように目を覚ました。


「──!」


 そして、アリアナの顔を確認した瞬間。彼の目は釣り上がり、怒りを露わにした。


「貴様!! どうしてあんな無茶をした!」

「え……?」

「一人で魔獣の森に行くなど、無謀にも程がある!!」


 あまりの剣幕に、アリアナの肩が震える。

 これほど怒るグランガリアを、彼女は見たことがなかった。


 恐怖に耐えきれず、涙が頬を伝う。

 その様子を見た瞬間、グランガリアはハッとしたように視線を逸らした。


「……違う」


 低く呟き、首を振る。


「……こんな言い方をするつもりじゃなかった」


 大きく息を吸い、吐く。

 そして、再びアリアナを見るその目は、穏やかだった。


「……怒鳴って、すまなかった」


 短く、しかし誠実な声。


「お前が……魔獣の毒に侵されたと聞いて……つい」

「あの……心配、してくださったんですか……?」

「黙れ!」


 顔を背けて、ぶっきらぼうに言い放つ。

 だが、耳まで真っ赤になっているのを、アリアナは見逃さなかった。


 思わず、頬が緩む。


 その時──体を起こそうとしたアリアナは、急な眩暈に襲われた。


「あ……」


 次の瞬間、グランガリアの腕が伸び、彼女を支える。


「馬鹿野郎! 無理をするんじゃねぇ!」


 声は荒いが、腕は驚くほど優しかった。


「毒が抜けただけだ! 体力は戻ってねぇんだ! 大人しくしてやがれ!」


 その大声に、王妃と聖女が同時に睨みを利かせる。


「副団長」

「声が大きいです」

「……ちっ」


 不機嫌そうに舌打ちしつつも、反省している様子だった。


 王妃とサフィリアは、アリアナの功績を称え、優しく労わる。


 以前は文句を言っていた侍女たちも、彼女の勇気を口々に称えた。


 聖女がポーションを勧める。

 侍女の一人が差し出そうとした、その瞬間。


「──俺がやる」


 グランガリアが、ポーションを奪い取った。


「え?」


 唖然とする一同。

 彼は、アリアナを一瞥する。


「お前には……借りがある」


 意味が分からず、アリアナが呆然としていると。


 グランガリアは栓を開け、口に含み──そのまま、彼女を引き寄せた。


「……!?」


 唇が、重なる。

 突然の出来事に、アリアナの思考は真っ白になった。


 しばらくして、唇が離れる。

 グランガリアは立ち上がり、背を向けた。


「……早く職場に戻れ」


 低く、しかし優しい声。


「皆が、お前のスープを待っている」


 そう言い残し、副団長は部屋を出ていった。

 残された王妃たちは顔を見合わせ、クスリと笑った。


「口移しでポーションを……」

「ふふ、似た者同士ですね」


 だが、アリアナは知っていた。


 彼は──ポーションを、口に含んではいなかった。


 あれは、ただの。濃厚な──口づけだった。

 その事実に気づいた瞬間。


「……っ!」


 顔を真っ赤にしたアリアナは、再び意識を失ったのだった。



 〜〜〜〜〜〜



 ∮∮〜第十三章:黄昏のテラス、二人だけの秘密〜∮∮



 二日後、アリアナは職務に復帰した。


 まだ完全とは言えない体調だったが、彼女は夜明けとともに厨房に立ち、いつも通り滋養たっぷりのスープを仕込んだ。


 鍋いっぱいに完成したそれを食堂へ運ぶと、騎士たちは待っていましたと言わんばかりに集まってくる。


「今日も旨いな」

「これがないと訓練が始まらない」


 数人の騎士が、必要以上に距離を詰めて声をかけてきた。


 その様子を、少し離れた場所から無言で見つめる影があった。


 グランガリアだった。

 彼は何も言わない。ただ、視線ひとつで圧を放つ。


 その日の訓練で、アリアナに馴れ馴れしくしていた騎士たちが、ことごとく“厳しめの特訓”を受けたという噂は、瞬く間に城中に広まった。


 それ以来、彼女に軽々しく声をかける者はいなくなった。


 そして、この頃から──アリアナとグランガリアの間には、誰にも知られぬ秘密ができた。


 職務を終えた後、二人は王城の書庫奥にある小さなテラスで、夕暮れまでのひと時を過ごすようになったのだ。


 遠征から戻った日には、必ず──


「……くれてやる」


 グランガリアは、ぶっきらぼうに一輪の小さな花を差し出す。


「かわいい花ですね。確か、この花の花言葉は……」

「言うな!」


 即座に遮られ、アリアナは思わず笑ってしまう。


「副団長様が、こんな可愛らしい花を摘んでいるところを見られたら、お困りになるのでは?」

「茶化すようなやつは叩き伏せる」

「え?」

「……冗談だ」


 不器用な言葉に、二人は顔を見合わせ、くすりと笑った。


 山に沈みゆく夕日を並んで眺めながら、アリアナは小さく呟く。


「グランガリア様」

「何だ」

「介抱していただいて……ありがとうございます」


 王妃の話では、アリアナが眠っている間、グランガリアは公務を終えるとすぐ彼女の部屋を訪れ、その夜を通して介抱していたらしい。


 彼は少し間を置くと、アリアナから視線を逸らし、鼻を鳴らした。


「ふん! お前でなければ、介抱などするものか」


 荒っぽい言い回しの奥にある優しさに、アリアナの頬が熱くなる。

 胸の奥に満ちる幸福を、そっと噛み締めた。


 やがて夕日が山の向こうに落ち、辺りが宵闇に染まる。


 自然と向き合い、言葉もなく近づく二人。

 アリアナはグランガリアに、強く、しかし大切そうに抱き寄せられ──唇が重なった。


 静かな想いを確かめ合うように。


 王城の片隅で生まれた、小さくも揺るぎない絆は、誰にも知られぬまま、ゆっくりと深まっていくのだった。



              〜〜〜fin〜〜〜






最後まで読んだ頂き有難うございます。作者のモチベのために☆やいいねを残して頂くと幸いです。感想などもお待ちしております。

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シリーズ『異世界恋愛の短編集!』の中の作品も、合わせてお楽しみください。


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