瀕死の最強騎士を口移しで救ったら、抜け出せないほど甘い愛が返ってきた件
∮∮〜第一章:聖女の祈りと、アリアナの決意〜∮∮
魔法石の採掘で栄えた王国スタンダリアは、「軍事国家」と呼ばれることを誇りにしていた。
大地の奥深くから掘り出される魔法石は、剣や鎧、城壁、さらには国土を覆う巨大な防御魔法陣にまで、惜しみなく用いられていた。
その蓄えと技術は他国の追随を許さず、スタンダリアは長らく「魔王軍すら容易には手を出せぬ国」とされてきた。
──その慢心を嘲笑うかのように、魔王軍は現れた。
黒雲を引き裂くように飛来する魔族たち。
魔法石を狙い、正確かつ組織的に攻め込んでくるその軍勢は、これまでの魔物の襲撃とは明らかに質が違っていた。
王都近郊では連日激戦が繰り広げられ、誇るべき騎士団も、無傷ではいられなかった。
「次の負傷者をこちらへ!」
王城の一角、臨時救護所では、聖女サフィリアがひときわ強い光を放っていた。
癒しの祈り。結界の補強。
国中に張り巡らされた魔法陣の要となる場所を渡り歩きながら、彼女はほとんど休む間もなく力を使い続けている。
「……まだ、倒れないで」
震える声で祈りを捧げるたび、傷は塞がり、命は繋ぎ止められる。
けれど、治療を受けた騎士たちの顔色は優れなかった。
魔王軍の魔力は深く、長引く戦いは確実に体力と気力を削っていく。
「このままでは……」
サフィリアは唇を噛みしめた。自分の祈りだけでは、追いつかない。
回復しても、再び戦場へ戻る騎士たちが、次第に消耗していくのが分かる。
その様子を、少し離れた場所から見つめていたのが、王妃付き侍女のアリアナだった。
彼女は戦場に立てぬ身でありながら、誰よりも騎士たちの疲弊を気にかけていた。
血と薬草の匂いが混じる救護所で、彼女はただの侍女として、できることを探し続けていた。
(癒しは魔法だけじゃない……)
ふと、幼い頃に、祖母に聞いた話を思い出す。
戦乱の時代、騎士たちを支えたのは、剣でも祈りでもなく、「食」だったと。
アリアナは、意を決して聖女サフィリアに声をかけた。
「サフィリア様……その、お願いがございます」
「どうしました、アリアナ?」
「古い料理書を、お借りできないでしょうか。滋養に良い薬草や、戦時に用いられた食事の記録があると聞いたことがあって……」
サフィリアは一瞬驚いたように目を瞬かせ、やがて、優しく微笑んだ。
「ええ。あります。祈りだけでは救いきれない命も、確かにあるものね」
彼女は大切そうに保管していた、年季の入った料理書を差し出した。
「あなたがそれを使うなら、きっと意味があるわ」
アリアナは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。私にできることで、国の力に……騎士団の力になりたいのです」
こうして、戦場の裏側で、ひとつの小さな試みが始まろうとしていた。
剣でも、魔法でもない。
だが、確かに命を支える──一杯のスープから。
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∮∮〜第二章:傍若無人の副団長と、名もなき一杯〜∮∮
試行錯誤の末に完成したスープを携え、アリアナは救護所へ向かった。
血と薬草の匂いが混じる救護所では、何十人もの比較的軽い傷を負った騎士が治療を受けていた。
彼らを介抱していたのは、城に使える侍女たちだった。
王国の花形である騎士は、民の憧れの存在だった。
特に、城で働く侍女たちは距離が近いため、お近づきになろうと躍起になっていた。
騎士を射止めたとあらば、その家族も暮らしが楽になるといわれているからだ。
嬉々として騎士に近づく先輩侍女をよそに、アリアナは救護所のすみでスープの仕上げを始める。
煮込まれたスープの香りが漂い始めた時だった。他の騎士よりも、ひときわ煌びやかな軍服を纏った男がアリアナの前に立った。
「貴様。こんな所で何をやっている」
低く鋭い声をかけられ、アリアナは慌てて顔を上げる。
そこにいたのは、騎士団副団長・グランガリアだった。
彼は、王妃様にも王女様にも、聖女様にすら容赦なく意見をぶつける、傍若無人の塊のような人だ。
王様に対してすら、「それは間違っている」と言い切ったという逸話もある。
「……副団長様。あの……これは、皆様にお配りしている滋養スープです」
「ふん! 騎士を餌付けする気か、侍女」
アリアナは思わず背筋を伸ばした。
「いえ。ただ、怪我や疲労が多いと聞きましたので……少しでも栄養のあるものをと」
「余計な世話だ」
ばっさり切り捨てられる。
アリアナが、ガックリと肩を落とし、スープをかき混ぜる手を止めた、その時──
グランガリアは鍋を覗き込み、ふっと眉を寄せた。
「……この香り。骨を煮出しているな。薬草も入っている」
「は、はい。古い料理書を参考にしました」
「ほう……騎士団の実情を、よく調べているな」
次の瞬間、彼は無言で器を手に取り、一気に飲み干した。
「……悪くない。──いや、上等だ」
周囲の騎士たちが目を見開く。副団長が、褒めたと囁く声が聞こえてきた。
グランガリアは自分にも他人にも厳しく、勲章にも功績にも一切興味を示さない男だった。
部下が叙勲しても、「調子に乗るな」と一喝していた。
誰にでも厳しいグランガリアを、騎士や城に使える者は皆、恐れていた。
そんな副団長が、アリアナを褒めたのだ。救護所にいる誰もが驚きを隠せなかった。
グランガリアは器を置くと、アリアナを睨みつけながら言った。
「明日からも、持ってこい」
「え?」
「お前が作れ。ほかの者ではだめだ」
そう言い捨てて去っていく背中に、アリアナは呆然と立ち尽くした。
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∮∮〜第三章:副団長の正義、侍女の戸惑い〜∮∮
それからというもの、グランガリアは何かとアリアナの前に現れるようになった。
「無理をするな。腕が細くなった」
「この階段は危ない。俺が先に行く」
「騎士どもに絡まれたら言え。叩き伏せる」
「い、いえ、その……!」
辛辣なのは相変わらずなのに、矛先が完全にアリアナを守る方向に向いている。
ある日、騎士団長のアルバルトが苦笑しながら教えてくれた。
「グランはな。正義のためなら、誰にでも牙を剥く男だ」
「はい……」
「だが、自分より弱くて、なおかつ国のために本気で尽くす人間には、異様に甘い」
二人は幼なじみで、国のために互いに切磋琢磨してきたらしい。アルバルトは、グランガリアの唯一の理解者だった。
「君の料理は、騎士団を支えている。命を預ける現場でな。あいつはそれを理解したんだ」
後日、アリアナは副団長に、思い切って尋ねた。
「どうして……私にだけ、そんなに気を遣ってくださるのですか?」
グランガリアは一瞬だけ視線を逸らし、低く答えた。
「……俺は、正しいことをしている者を守る。それだけだ」
不器用で、荒くて、誰よりも正義な人。
今日もアリアナは、大鍋をかき混ぜながら思う。
(私はただ、お国のために頑張る騎士団の皆さんに、栄養のあるものを用意しているだけなのに……)
なぜか一番怖いはずの副団長様に、誰よりも大切にされることになった。
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∮∮〜第四章:誰がための正義、誰がための叱咤〜∮∮
数日後。
洗濯場の裏手。人目につきにくいその場所で、アリアナは逃げ場を塞がれるように、数人の侍女に囲まれていた。
「最近、出過ぎじゃない?」
「副団長様にまで取り入ってるって、噂になってるのよ」
「身の程を弁えてくれない?」
彼女たちの声は小さいが、棘は鋭い。アリアナは俯き、静かに答えた。
「……そんなつもりはありません。ただ、私の役目を──」
「役目? 自分を特別だと思ってるから、そんなことが言えるのよ」
その瞬間。
「──ほう」
地の底から響くような声が、空気を裂いた。
侍女たちが一斉に振り向く。
そこに立っていたのは、騎士団副団長グランガリアだった。
「王城の侍女は、陰で同僚を集団で責め立てる教育を受けているのか?」
「っ……ふ、副団長様……!」
侍女たちの顔色が一気に変わる。
グランガリアはアリアナの前に立ち、庇うように一歩前へ出た。
「貴様らは何様のつもりだ。自分の職務も満足に果たせぬくせに、他人の働きを妬み、足を引く」
低い声だが、刃物のように鋭い。
「国に仕える者として、最も醜い」
「ち、違います! 私たちはただ……!」
「黙れ!」
一言で封じられ、侍女たちの肩が跳ねた。
「コイツはな、騎士団の消耗と怪我を調べ、独学で滋養食を作り、命を賭して戦う連中を裏から支えている」
そう言い放つと、グランガリアは侍女たちをぐっと睨みつける。
「それを『出過ぎ』だと? 貴様らは何をしている。噂話か? 陰口か?」
侍女たちに、もはや逃げ場はなかった。
「侍女である前に、人間として恥を知れ!」
グランガリアが一層声をあらげた、その時。
「──そこまでだ、グラン」
穏やかな、しかしよく通る声が割って入った。
騎士団団長、アルバルトが歩み寄ってくる。
「城内でその調子だと、さすがに問題になる」
「甘いぞ、アルバルト」
「分かっている。だが──」
アルバルトは、怯え切った侍女たちを一瞥し、ため息をついた。
「君の言葉は正しい。ただし、正しさは時に、人を壊す」
そして、ちらりとアリアナを見る。
「彼女が望むのは、誰かを罰することじゃないだろう?」
グランガリアは、はっとしたように口を閉ざした。
アリアナは慌てて頭を下げる。
「わ、私は……大事にしたくなくて……」
数秒の沈黙。
グランガリアは舌打ちし、侍女たちに最後通告のように言い放った。
「次に同じことをすれば、俺が相手をする。覚悟しろ」
そう言い残し、アリアナの肩にそっと手を置く。
「行くぞ。ここにいる必要はない」
アルバルトは苦笑した。
「……相変わらず極端だな」
「黙れ。守るべきものを守っただけだ」
二人の背中を見送りながら、侍女たちは何も言えず、洗濯場には重い沈黙だけが残った。
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∮∮〜第五章:折れぬ剣、曲がらぬ正義 〜∮∮
翌日、王の間は静まり返っていた。
玉座に座る国王の前に立つのは、騎士団副団長グランガリアと、団長アルバルト。
そして少し離れた位置に、顔色を失った数名の侍女たちが控えていた。
「グランガリア」
国王の声は低く、しかし威厳に満ちていた。
「城内での騒動については、すでに承知している。いかなる理由があろうと、王城に仕える者に向けてあのような言葉を浴びせるのは、行き過ぎだ」
「──行き過ぎ?」
その瞬間、王の間の空気が張り詰め、グランガリアの目が鋭く光った。
「陛下。ならばお聞きします。陰で同僚を貶め、国のために働く者の足を引く行為は、行き過ぎではないのですか」
王の間に、ざわめきが走る。
「自重しろ、グランガリア」
国王が言葉を重く落とす。
しかし、グランガリアは一歩も退かなかった。
「できません」
「……なんだと?」
「俺は騎士です。しかし、剣を振るうだけが、国を守ることではない」
拳を強く握りしめ、声を張り上げる。
「命を張って戦う騎士を、裏で支える者がいる。その者を侮辱し、集団で責め立てる行為を、見逃せと?」
その言葉を聞いたアルバルトが慌てて前に出る。
「待て、グラン。陛下のお言葉に──」
「黙っていろ、アルバルト!」
一喝。
だが、その声には怒りよりも必死さが滲んでいた。
「陛下、俺は誰か一人を贔屓しているわけではありません。正しく働く者が、正当に評価される国であってほしいだけです」
王は、しばし沈黙した。
アルバルトは深く息を吸い、覚悟を決めたように口を開く。
「陛下。グランガリアの言葉は荒い。ですが──」
彼はまっすぐ王を見据える。
「内容に、誤りはありません。騎士団は彼女の支えによって救われています。その働きを妬み、陰で貶める行為は、城の規律を乱すものです」
再び、静寂。
やがて国王は、ゆっくりと立ち上がった。
「……グランガリア」
「はっ」
「お前の態度は確かに問題だ。だが、その訴えは、国を思うがゆえのものだと理解した」
王の視線が、控えていた侍女たちへ向けられる。
「王城に仕える者は、身分に関わらず、互いの職務を尊重せねばならぬ」
厳しい声が響く。
「該当する侍女たちは、即刻再教育とする。礼節、職務理解、そして協働の意味を叩き込め」
侍女たちの顔が青ざめた。
国王は、最後にグランガリアへ向き直る。
「グランガリア。お前には、自制を求める。だが──」
わずかに、口元が緩む。
「その正義まで、抑え込むつもりはない」
グランガリアは、深く頭を下げた。
「……感謝します、陛下」
王の間を後にした廊下で、アルバルトは肩をすくめる。
「まったく……心臓に悪い」
「俺は間違っていない」
「ああ。だから、肩を持った」
グランガリアは、ふっと視線を逸らす。
「……二度と、あいつが同じ目に遭うことがないなら、それでいい」
その言葉を、彼は誰にも聞かせぬまま、歩き出した。
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∮∮〜第六章:裂かれた背中、繋がれた命〜∮∮
それから十日後。
魔王軍は明らかに、これまでの戦いとは次元の違う攻勢に出た。
建物を一撃で倒すほどの巨躯を持つ、重装の魔物が次々と戦地へ投入される。
大地は揺れ、城壁は悲鳴を上げ、王都の空気そのものが震えていた。
王国もまた、退くことはなかった。
城に控えていた騎士を総動員し、総力戦で迎え撃つ。
戦いは三日三晩に及んだ。
眠る暇も、傷を癒す余裕もない戦場で、騎士団長アルバルトと副団長グランガリアは、最前線に立ち続けた。
そして──最後の巨大な魔物を、ついに追い詰めた、その時だった。
魔物は断末魔の咆哮とともに、渾身の一撃をアルバルト目掛けて振り下ろす。
人の腕ほどもある鋭い爪が、彼の身体を引き裂こうとした瞬間。
「──っ!」
グランガリアが、迷いなくその前に飛び出した。
鈍い音とともに、爪が背中を裂く。
彼は声一つ上げず、血を噴き上げながら地に崩れ落ちた。
「グラン──!」
その隙を逃さず、アルバルトは巨大な魔物を切り伏せた。
魔王軍は後退し、戦いは、ようやく終わりを告げる。
だが、その勝利は、あまりにも大きな代償を伴っていた。
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∮∮〜第七章:聖女の限界と、侍女の記憶〜∮∮
グランガリアは、救護所へと運び込まれた。
背中の傷は深く、広く、致命的としか言いようがなかった。
聖女の祈りも、癒しの光も、その命をつなぎ留めることはできなかった。
「……これ以上は……」
誰かの絞り出すような声が、重く落ちる。
救護所の隅で、その光景を見つめていたのが、アリアナだった。
あれほど強かった副団長が、今は静かに横たわっている。
息は浅く、意識もない。
──命の危機に瀕しているのに。
──自分は、何もできない。
彼女を守ってくれた人。
怒鳴りながらも、誰よりも正しく、誰よりも優しかった人。
その命が、今まさに消えようとしている。
(助けたい……)
アリアナは唇を噛みしめた。
その時、ふと、遠い記憶が胸に浮かぶ。
王妃が、かつて穏やかに語っていた言葉。
『王家には、秘伝の万能薬がありますのよ』
──それだ。
アリアナは、救護所を飛び出した。
〜〜〜〜〜〜
∮∮〜第八章:禁忌の森、一日の祝福〜∮∮
「王妃様!」
王妃の私室の扉が勢いよく開き、慌てた様子のアリアナが飛び込んできた。
「アリアナ。そんなに慌てて、どうしたのですか?」
「お願いします!」
彼女はその場で頭を下げた。
「秘伝の万能薬を……分けていただけませんか。このままでは、副団長が……グランガリア様が……!」
言葉が、途中で詰まる。
必死に堪えていた感情が、溢れ出していた。
王妃は、その訴えを聞き、静かに眉を下げた。
「……残念ですが」
その声は、ひどく優しく、同時に残酷だった。
「万能薬は、今はありません」
「そんな……」
アリアナの膝から、力が抜けた。
その場に崩れ落ち、両手で顔を覆う。
こぼれ落ちる涙を、もう止めることができなかった。
その肩に、王妃の手がそっと置かれる。
「ですが」
静かな声が、彼女を引き留める。
「材料である『ヒール草』さえあれば、万能薬は作れます」
その一言に、アリアナは顔を上げた。
涙に濡れた瞳に、かすかな光が宿る。
「……ヒール草……」
消えかけていた希望が、再び、胸の奥で灯り始めていた。
「ヒール草は……どこにあるのですか?」
王妃の言葉に希望を見出したアリアナは、縋るように問いかけた。
しかし、王妃は静かに首を横に振る。
「それは、教えられません」
「王妃様……!」
「知れば、あなたは必ず行ってしまうでしょう」
王妃の声は穏やかだったが、その奥には強い拒絶があった。
アリアナは一歩前に進み、深く頭を下げる。
「お願いします……!」
「なりません」
それでも、アリアナは引かなかった。
「副団長様は、命を賭して国を守りました。私は……私は、あの方に何度も救われました」
声が震える。
だが、言葉は止まらない。
「身分も、力も、何もかも違います。それでも……それでも、あの方を助けたいのです!」
長い沈黙が落ちた。
王妃は、俯いたままのアリアナを見つめ、深く息をつく。
「……分かりました」
アリアナが顔を上げる。
「ヒール草があるのは──『魔獣の森』の奥深くです」
その名を聞いた瞬間、空気が凍りついた。
「魔王軍ですら避けて通る場所です。森に入った者で、帰ってきた者はいません」
「……それでも、行きます」
迷いのない答えだった。
王妃は、苦しげに目を伏せる。
「私は……あなたを死なせたくありません」
「王妃様」
アリアナは、静かに微笑んだ。
「生きて、戻ってきます」
その時、扉の向こうから、柔らかな声が響いた。
「事情は、だいたい聞きました」
現れたのは、聖女サフィリアだった。
「アリアナ。あなたは、強い人ですね」
「聖女様……」
サフィリアは、そっと彼女の手を取る。
「私にできることは多くありません。ですが──」
光が、彼女の掌から溢れた。
「聖女の祝福を授けましょう」
温かな魔力が、アリアナの身体を包み込む。
「効力は一日。それを過ぎれば、魔法は解け、魔獣に気づかれます」
「……十分です」
騎士を護衛につける案も出たが、叶わなかった。
多くは負傷し、残りは魔王軍の残党狩りに出ている。
翌朝、アリアナは──たった一人で、魔獣の森へ向かうことになった。
〜〜〜〜〜〜
∮∮〜第九章:届かぬ恋と、一輪の光〜∮∮
森は、静かすぎるほど静かだった。
風の音も、鳥の声もない。
ただ、木々の間に漂う、重く淀んだ気配。
半日をかけ、彼女は森の最奥へ辿り着いた。
そこで、見つけた。
淡く光る花。
生命そのもののような輝きを放つ──ヒール草。
「……あった……」
震える手で、それを摘み取った、その瞬間。
足元の土が、崩れた。
「きゃ――!」
身体が宙に投げ出され、斜面を転がり落ちる。
幸い、崖の高さ自体はそれほどではなかった。
だが、着地した瞬間、激痛が走る。
「……っ!」
足を、負傷していた。
立ち上がろうとして、崩れ落ちる。
それでも、アリアナはヒール草を胸に抱いた。
(戻らなきゃ……)
その胸に、ある感情が芽生えていることに、彼女は気づいていた。
厳しくて、不器用で。
それでも、誰よりも自分を守ってくれた人。
──グランガリア様。
だが、それは決して実らない想い。
身分も、立場も、あまりに違いすぎる。
それでも──歯を食いしばり、足を引きずりながら、前に進む。
「どうか……私が戻るまで……ご無事で……」
祝福の魔法が、刻一刻と失われていく中。
アリアナは、ただひたすら城を目指した。
愛する人の命を、つなぎ留めるために。
〜〜〜〜〜〜
∮∮〜第十章:祝福の終わり、魔獣の目覚め〜∮∮
夜明け前、森では魔獣の遠吠えが至る所で鳴り響いていた。
〜〜〜〜〜〜
∮∮〜第十一章:命を繋ぐ口づけ〜∮∮
陽が昇り始めた頃、救護所は重苦しい沈黙に包まれていた。
グランガリアの意識は、ついに戻らぬまま。
心臓の鼓動は弱まり、呼吸は、今にも途切れそうなほど浅くなっている。
彼が横たえられた寝台の傍らで、アルバルトは声を張り上げた。
「死ぬな……死ぬな、グラン……!」
震える拳を握りしめ、必死に呼びかける。
「……頼む。戻ってきてくれ。俺を置いていくな……!」
国王も王妃も、その叫びを聞き、言葉を失っていた。
誰もが、この国を支えてきた男の最期を、覚悟し始めていた。
「聖女様……!」
アルバルトは、縋るように振り向く。
「グランを……我が友を、どうか……!」
だが、聖女サフィリアは、静かに首を横に振った。
「……これ以上は……」
アルバルトは悔しげに顔を歪め、拳を壁に叩きつけた。
鈍い音が響く。
救護所は、完全な静寂に沈んだ。
──その時だった。
バン、と勢いよく扉が開く。
「……!」
皆が一斉に振り向く。
「無事だったのね……アリアナ!」
王妃の声が、震えた。
そこに立っていたのは、ぼろぼろの服を身にまとい、全身を傷と泥に汚したアリアナだった。
息は荒く、立っているのがやっとという様子だったが、彼女の手には──確かに、淡く光る薬草が握られていた。
「王妃様……」
かすれた声で、アリアナは言う。
「ヒール草……摘んでまいりました……」
「……よく、戻りました」
王妃は、涙を堪えながら頷いた。
聖女サフェリアがすぐに駆け寄る。
「アリアナ、まずはあなたの手当てを──」
「いいえ……!」
アリアナは、首を横に振った。
「今は……副団長様を……!」
一刻の猶予もないことは、誰の目にも明らかだった。
王妃と聖女は、すぐさま万能薬の精製に取りかかる。
王妃がヒール草を煎じ、サフィリアが聖なる光を注ぐ。
そうして完成した万能薬が、グランガリアのもとへ運ばれた。
だが──意識のない彼は、口を開かない。
サフィリアが慎重にスプーンですくい、口元へ運ぶ。
顎を開き、薬を流し込む。
しかし。
万能薬は喉を通らず、静かに口から溢れ落ちた。
一度、二度、三度。
何度試しても、結果は同じだった。
その瞬間──グランガリアの腕が、力なく寝台から滑り落ちた。
「……!」
その場にいた全員が、息を呑む。
終わった。
そう、誰もが思った、その時だった。
「──待ってください!」
アリアナが、前に出た。
彼女は、サフィリアの手から器を取り上げ、迷いなく万能薬を口に含む。
「……っ!」
そして。
人目も憚らず、グランガリアの唇に、自分の唇を重ねた。
「戻ってきてください……!」
震える声で、必死に訴える。
「グランガリア様……!」
何度も、何度も。
祈るように、唇を重ね、万能薬を流し込む。
「……お願いです……!」
その瞬間だった。
「……っ、げほっ……!」
グランガリアが、激しくむせた。
「今です!」
聖女が即座に癒しの魔法をかける。
光が満ち、彼の顔色が、みるみるうちに戻っていく。
荒かった呼吸が、次第に落ち着き──やがて、穏やかな寝息が響いた。
救護所に、歓声と安堵の息が溢れ出す。
だが。
その光景を見届けたアリアナは、その場に崩れ落ちた。
「アリアナ!」
アルバルトが、咄嗟に抱き止める。
彼女の身体は、異様なほど熱かった。
「……熱が……?」
ふと、足元を見る。
床に、血が滴っていた。
「……まさか……」
アルバルトがスカートを膝までたくし上げると、そこにあったのは──魔獣に噛まれた、生々しい傷跡。
周囲が、凍りつく。
よく見れば、彼女の肌はくすみ、唇の色も悪い。
「……毒だ」
誰かが、震える声で呟いた。
アリアナは──魔獣の毒に、侵され始めていた。
彼女は、グランガリアの命を救うために、自分の命を、差し出していたのだった。
〜〜〜〜〜〜
∮∮〜第十二章:命の口づけ、心の口づけ〜∮∮
アリアナは──一命を取り留めていた。
彼女は、ヒール草をもう一つ持ち帰っていたのだ。
救護所で侍女たちが彼女の汚れた服を脱がせようとした、その時。上着の裏から、小さな花が転がり落ちた。
それは、淡く光るヒール草だった。
どうやら、彼女が崖から落ちた際に、衣服に巻き込んでいたらしい。
「……まだ、あったの……?」
その場にいた誰もが息を呑んだ。
すぐさま万能薬が精製されて、アリアナに与えられた。
こうして、騎士団副団長グランガリアと、一人の侍女は、ともに死の淵から引き戻されたのだった。
だが、代償は小さくなかった。
アリアナは、三日間目を覚まさなかった。
魔獣の毒を体内に取り込み、
魔獣の森を越え、傷を負い、極限まで疲弊していたのだ。
そして、三日後。
誰かの寝息を感じ、──アリアナはゆっくりと意識を取り戻した。
(……ここは……?)
横になったまま、右を向く。
そこには、王妃と聖女、そして数人の侍女が椅子に座り、浅い眠りについていた。
次に、左へ顔を向け──そこで、息が止まった。
ベッドのすぐ横。
椅子に深く腰掛け、腕を組んだまま眠り込んでいる人物。
「……副団長、様……?」
思わず声が漏れる。
「副団長様!」
その声に、グランガリアは飛び起きるように目を覚ました。
「──!」
そして、アリアナの顔を確認した瞬間。彼の目は釣り上がり、怒りを露わにした。
「貴様!! どうしてあんな無茶をした!」
「え……?」
「一人で魔獣の森に行くなど、無謀にも程がある!!」
あまりの剣幕に、アリアナの肩が震える。
これほど怒るグランガリアを、彼女は見たことがなかった。
恐怖に耐えきれず、涙が頬を伝う。
その様子を見た瞬間、グランガリアはハッとしたように視線を逸らした。
「……違う」
低く呟き、首を振る。
「……こんな言い方をするつもりじゃなかった」
大きく息を吸い、吐く。
そして、再びアリアナを見るその目は、穏やかだった。
「……怒鳴って、すまなかった」
短く、しかし誠実な声。
「お前が……魔獣の毒に侵されたと聞いて……つい」
「あの……心配、してくださったんですか……?」
「黙れ!」
顔を背けて、ぶっきらぼうに言い放つ。
だが、耳まで真っ赤になっているのを、アリアナは見逃さなかった。
思わず、頬が緩む。
その時──体を起こそうとしたアリアナは、急な眩暈に襲われた。
「あ……」
次の瞬間、グランガリアの腕が伸び、彼女を支える。
「馬鹿野郎! 無理をするんじゃねぇ!」
声は荒いが、腕は驚くほど優しかった。
「毒が抜けただけだ! 体力は戻ってねぇんだ! 大人しくしてやがれ!」
その大声に、王妃と聖女が同時に睨みを利かせる。
「副団長」
「声が大きいです」
「……ちっ」
不機嫌そうに舌打ちしつつも、反省している様子だった。
王妃とサフィリアは、アリアナの功績を称え、優しく労わる。
以前は文句を言っていた侍女たちも、彼女の勇気を口々に称えた。
聖女がポーションを勧める。
侍女の一人が差し出そうとした、その瞬間。
「──俺がやる」
グランガリアが、ポーションを奪い取った。
「え?」
唖然とする一同。
彼は、アリアナを一瞥する。
「お前には……借りがある」
意味が分からず、アリアナが呆然としていると。
グランガリアは栓を開け、口に含み──そのまま、彼女を引き寄せた。
「……!?」
唇が、重なる。
突然の出来事に、アリアナの思考は真っ白になった。
しばらくして、唇が離れる。
グランガリアは立ち上がり、背を向けた。
「……早く職場に戻れ」
低く、しかし優しい声。
「皆が、お前のスープを待っている」
そう言い残し、副団長は部屋を出ていった。
残された王妃たちは顔を見合わせ、クスリと笑った。
「口移しでポーションを……」
「ふふ、似た者同士ですね」
だが、アリアナは知っていた。
彼は──ポーションを、口に含んではいなかった。
あれは、ただの。濃厚な──口づけだった。
その事実に気づいた瞬間。
「……っ!」
顔を真っ赤にしたアリアナは、再び意識を失ったのだった。
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∮∮〜第十三章:黄昏のテラス、二人だけの秘密〜∮∮
二日後、アリアナは職務に復帰した。
まだ完全とは言えない体調だったが、彼女は夜明けとともに厨房に立ち、いつも通り滋養たっぷりのスープを仕込んだ。
鍋いっぱいに完成したそれを食堂へ運ぶと、騎士たちは待っていましたと言わんばかりに集まってくる。
「今日も旨いな」
「これがないと訓練が始まらない」
数人の騎士が、必要以上に距離を詰めて声をかけてきた。
その様子を、少し離れた場所から無言で見つめる影があった。
グランガリアだった。
彼は何も言わない。ただ、視線ひとつで圧を放つ。
その日の訓練で、アリアナに馴れ馴れしくしていた騎士たちが、ことごとく“厳しめの特訓”を受けたという噂は、瞬く間に城中に広まった。
それ以来、彼女に軽々しく声をかける者はいなくなった。
そして、この頃から──アリアナとグランガリアの間には、誰にも知られぬ秘密ができた。
職務を終えた後、二人は王城の書庫奥にある小さなテラスで、夕暮れまでのひと時を過ごすようになったのだ。
遠征から戻った日には、必ず──
「……くれてやる」
グランガリアは、ぶっきらぼうに一輪の小さな花を差し出す。
「かわいい花ですね。確か、この花の花言葉は……」
「言うな!」
即座に遮られ、アリアナは思わず笑ってしまう。
「副団長様が、こんな可愛らしい花を摘んでいるところを見られたら、お困りになるのでは?」
「茶化すようなやつは叩き伏せる」
「え?」
「……冗談だ」
不器用な言葉に、二人は顔を見合わせ、くすりと笑った。
山に沈みゆく夕日を並んで眺めながら、アリアナは小さく呟く。
「グランガリア様」
「何だ」
「介抱していただいて……ありがとうございます」
王妃の話では、アリアナが眠っている間、グランガリアは公務を終えるとすぐ彼女の部屋を訪れ、その夜を通して介抱していたらしい。
彼は少し間を置くと、アリアナから視線を逸らし、鼻を鳴らした。
「ふん! お前でなければ、介抱などするものか」
荒っぽい言い回しの奥にある優しさに、アリアナの頬が熱くなる。
胸の奥に満ちる幸福を、そっと噛み締めた。
やがて夕日が山の向こうに落ち、辺りが宵闇に染まる。
自然と向き合い、言葉もなく近づく二人。
アリアナはグランガリアに、強く、しかし大切そうに抱き寄せられ──唇が重なった。
静かな想いを確かめ合うように。
王城の片隅で生まれた、小さくも揺るぎない絆は、誰にも知られぬまま、ゆっくりと深まっていくのだった。
〜〜〜fin〜〜〜
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シリーズ『異世界恋愛の短編集!』の中の作品も、合わせてお楽しみください。




