第三回目
家族とは、守るものだと教えられる。
帰る場所であり、味方であり、
何があっても受け入れてくれる存在だと。
けれどこの物語において、家族は
檻であり、逃げ場のない構造です。
第二話で「仕事」に触れた埻平は、
第三話でその仕事が
どこから来て、どこへ戻っていくのかを知ります。
血は、刃よりも深く人を縛る。
その感覚を、静かに味わってください。
第三話 家族という名の檻
実家の玄関は、相変わらず音がしなかった。
鍵を回しても、扉を開けても、迎える気配がない。
茄子鉈埻平は、その無音に慣れきっている自分に気づき、少しだけ眉をひそめた。
ここは家だ。
だが、帰る場所ではない。
「遅かったな」
居間から声がした。
父だった。
畳の上に座り、湯呑みを手にしている。
新聞は広げられたまま、だが文字を追っていた形跡はない。
「……仕事の後は、こんなものだ」
埻平は靴を脱ぎ、上がる。
視線は合わせない。
父は鼻で笑った。
「最初にしては上出来だ。
向こうからの連絡も、悪くない」
評価。
それが何より、気持ち悪かった。
「俺は……」
言いかけて、埻平は言葉を飲み込む。
何を言うつもりだったのか、自分でも分からない。
父は埻平の様子を見て、ゆっくりと湯呑みを置いた。
「やめたい、か?」
その問いに、即答できなかった。
沈黙が、答えだったのかもしれない。
「安心しろ」
父は立ち上がり、障子を少しだけ開けた。
外は暗く、庭の木が影の塊になっている。
「やめるかどうかは、最初から選択肢にない」
埻平の胸が、ぎゅっと縮む。
「……俺は戻ってきただけだ。
一族に戻ると決めた覚えはない」
父は振り返り、静かに言った。
「戻った時点で、同じだ」
それ以上の説明はなかった。
だが、十分すぎるほどだった。
そこへ、足音が近づく。
「おかえり、埻平」
母だった。
エプロン姿で、夕飯の準備をしているらしい。
声は柔らかく、普通の母親と変わらない。
「……ただいま」
その言葉が、ひどく浮いて聞こえた。
「ちゃんと食べてる?」
「痩せたんじゃない?」
日常の会話。
それが、逆に現実感を奪う。
この人は知っている。
息子が何をしてきたのか。
それでも、こうして声をかける。
——それが、この家のやり方だ。
「次は、いつ?」
母の問いは、料理の手を止めずに投げられた。
「……明後日だ」
答えてから、埻平は自分に驚いた。
もう“次”が前提になっている。
父が満足そうにうなずく。
「相手は、少し厄介だ。
感情が激しい」
埻平は、目を伏せた。
「壊れやすい、ってことか」
「壊れやすい方が、後を引かない」
父の言葉は、経験談だった。
その夜、埻平は自分の部屋に戻った。
昔のままの部屋。
机、棚、壁の傷。
逃げ出した頃の自分が、ここに閉じ込められている気がした。
ベッドに腰を下ろすと、スマートフォンが震える。
知らない番号。
——依頼主か?
一瞬迷ってから、出た。
「……はい」
『茄子鉈さんですね』
低い、女の声だった。
「……どちらさまですか」
『今回は、あなたに直接お礼を言いたくて』
胸の奥が、嫌な予感で満たされる。
『あなたのおかげで、救われた人がいる』
救われた。
その言葉が、耳に引っかかる。
「……それは、俺の仕事じゃない」
『いいえ。
あなたは、選ばなかっただけです』
通話が切れる。
埻平は、しばらく動けなかった。
選ばなかった。
殺さなかった。
それだけで、誰かを救ったことになるのか。
——違う。
ただ壊しただけだ。
都合のいい形で。
天井を見つめながら、埻平は思う。
この家は、人を縛る檻だ。
だが、その檻は、外から鍵をかけられているわけじゃない。
自分で、内側から閉めている。
それが一番、厄介だった。
外では、父と母の話し声が聞こえる。
明日の献立の話。
親戚の近況。
——普通の家族の声。
埻平は目を閉じた。
次の仕事のことを、
もう具体的に想像している自分から、
目を逸らすために‥‥。
第三話では、
茄子鉈家という「環境」そのものを描きました。
誰も声を荒げず、
誰も無理強いしていない。
それなのに、選択肢が最初から存在しない。
それが、この家の恐ろしさです。
また、ラストの電話の女性は、
今後この物語に大きな影を落とす存在になります。
彼女は敵か、味方か、
それとも埻平と同じ「選ばなかった側」の人間なのか。
次話では、
“次の仕事”とともに、
埻平自身がどこまで踏み込めるのかが試されます。
この物語は、まだ優しい段階です。
本当に重くなるのは、これからです。




