根回し変遷記
現在において、変わってしまった「根回し」の変遷を解説しよう。「根回し」は多人数のコミュニケーションにおいて重要なメソッドである。集団の中にいる複数名の思惑が、異なり、交錯し、対立するところをうまく調節しなければいけない。それこそが「根回し」である。しかし、その手法において、歴史的な変遷があり、ときにはドタバタなそプラスティックな情景が日本の国会で広げられていたのは、あまり知られていない。ところどころの会話は議事録として「国会会議検索システム」 https://kokkai.ndl.go.jp/ で確認できる。これは随分古いものであり、昭和35年(1960年)から作成されたものであるから、なにぶん間違いもあり削除されているものもあると思われる。ときには正確性を欠く表現もある。昨今のポリティカルコネクトレスや、LGBTQ+などの表現も、規制も当時は存在しなかった。それゆえに「当時の状況を重んじ、著者の言葉をそのまま残しました」と言っても過言ではない。不適切な表現は、ここでの責任ではなく、各議員等の責任であるのでご容赦いただきたい。当方は、一切の責任を負わないのである。
初出である「根回し」の表現は、昭和35年における植竹春彦君の発言である(ここでは、国会の通例である「君」を用いる)。文面をそのまま引用しよう。
金丸委員におかれましては私が非常に急いだという御意見でありますが、私から見ますと、こんなにゆっくりやったのは、急がなかった行政は、私自身にとっては初めてでございます。就任以来何事も迅速に今まで長い間の懸案を一つ一つ処理いたして参ったつもりでございます。それにもかかわらずこの問題だけ初めてこんなに根回しをして、ゆっくり長いことかかりましたので、急いだという形跡は一つもございませんことを御了承いただきたいと思います。
この「根回し」の表現であるが、昔の根回しの表現なのか現代の根回しの表現であるかが分かりにくい。ひょっとして、うまく全体へ浸透するように「ゆっくり長いことかか」ったのかもしれないし、いろいろと余分なところを切り取るために「ゆっくりと長いことかか」ったのかもしれない。これは前後の発言を見ないとわからないのであるが、ここでは紙面の関係上割愛しよう。前後の発言などみることはない。時代はタイムパフォーマンスいやタイパの時代である。時間こそマネー、マネーこそカネである。カネこそ正義であるからこそ、「根回し」もタイパを重んじたいというところだろう。だから、過去の解釈にしてもタイパを重んじてその前後は読むことはしないのである。
実は、根回しの表現については、もう少し正確なものがある。第40回国会(昭和37年)における、水田三喜男君の発言である。ここの部分を引用してみよう。
私どもは、大企業の設備投資計画を行政指導で押えて引き締め政策をやっても、その部門に大きい金が優先的に食われないようにという根回しをよほどうまくやらなければ、強い引き締め政策はとれないと考えまして、その準備を一、二カ月しておったのが実際でございまして、大体日銀とのいろいろのやり方についても話が済んで、引き締めをやっても中小企業への貸出比率をある程度落とさなくてやっていけるだろうというような指導を回しておいてから、あの措置をとったのが、去年の実情でございます。
ここで出てくる「根回し」という表現は、うまく根回しをやらないと「大きい金が優先的に喰われてしまう」という前置きがしてある。つまり、これは、植樹の表現である根の切り取りの意味として使っていることがわかる。木を植えかえるときに、周りの根をごっそり持って行くことはできない。ある程度のひげ根を切りとることが必要になる。これは物理的にすべての根を引き抜くことができない(現在においては、それは確立された技術ではあるが、昔はそうではなかったのだ)ので、本根の周辺あたりを切り取るというだけではない。本体に巣くう、余分な根を移植と同時に切り取るという意味も含まれている。このために、大きな金に巣くっている、余分な根っこどもに栄養を与えることはできない。きっちりと根回しをしてばっさばっさと切り落として、虫けら増殖議員を議員を切り落とさなければいけない、という意味が含まれているのである。これを外交的に言えば「根回し」と言う。
さて、もっと新しいところで根回しをみてみよう。
令和7年における第217回国会の小泉進次郎君の発言である。
最初から二千円というのは庁内で議論をしていました。それで、もう根回しも含めていろいろする中で、今の時代って報道が抜くものですから、これ、二千円台ではなくて二千円台前半という報道が二十三日の午後に出ました。これは、ああ、土日で全部出るなって私は思いました。だったらちゃんと発表しようと、そういったことで、夜のNHKの「ニュースウオッチ9」で二千円ということを発表した、これがてん末であります。
小泉進次郎君は、顛末と書けないので「てん末」となっている。しかも二千円を配りまくっているという根回しの状況である。もう何を配っているのかわからないが、二千円であれば備蓄米が配れるので、先に二千円を配っておいて国民に備蓄米を二千円で買って貰おう、という次第の根回しをしているところだ。解釈が間違っているかどうかはタイパを以ってして、それはそれ、これはこれ、としたいところである。なにしろ、この発言で分かる通り、根回しはあちこちに配りまくるという話になっている。つまり昔の切り取りの根回しとは意味が異なるのだ。
根回しの誤用については、小泉進次郎君だけが悪いわけではないことを示しておこう。同じく第217回国会における、ケビン・メア君の参考人発言を引用してみよう。
シビリアンコントロールの意思決定の手続というか、日本で有名なことは、コンセンサスをつくらないとならない、根回しして、コンセンサスをつくって、時間がかかる。コンセンサス社会がいいことだけれども、コンセンサスがあったら早く実行できるけれども、でも、残念ながら、危機が起こるときに、災害でも軍事的な危機であっても、コンセンサスをつくる時間がないときには指導者の方が責任を取って決断する必要がある。
短い発言の中にコンセンサスが何度もでてくるが、これはひとつにまとめてコンセンサスx5と定義しておきたいところだろう。コンセンサスを圧縮して(コ)と表現すれば、じつにタイパがよくなるのである。
シビリアンコントロールの意思決定の手続というか、日本で有名なことは、(コ)をつくらないとならない、根回しして、(コ)をつくって、時間がかかる。(コ)社会がいいことだけれども、(コ)があったら早く実行できるけれども、でも、残念ながら、危機が起こるときに、災害でも軍事的な危機であっても、(コ)をつくる時間がないときには指導者の方が責任を取って決断する必要がある。
「(コ)」では読みにくい場合は「子」にしてごらんなさい。実に子作り社会と進めているケビン君ではあるが、これ以上は名誉棄損になりそうなのでやめておく。ちなみに、国会発言には著作権がないので、どのようにパロディしても問題はない。youtube での国会議員の顔も著作権はない。まあ、肖像権はあるわけだが。名誉棄損で訴えられない程度につかうのがよかろう。コンセンサスの点はさておき、根回しについてはアメリカ人でも誤用していると思われる。いや、正確に言えば、日本の誤用をアメリカ人がきっちりと真似ているというところだろう。このあたりは「ロビー活動」と言うべき現象かもしれない。ロビー活動については韓国が優秀なので、韓国の人に聞くとよいだろう。企業秘密なので教えてくれるとは限らないが、そこはハニートラップの出番である。
さて、いくつかの根回しの用例を出したが、現在の根回しの使い方を示してこの講義を終わらせておこう。どちらも昔の根回しの使い方なので、現在から見れば誤用甚だしいというところだろう。歴史的改変ともいうし、日本の歴代天皇は神武の時代からずっと続いているというのだから、根回しぐらい皇紀2600年をゆうに超えていると思われる。旧石器時代のゴールデンハンド、ゴッドハンドでつかんだ栄光は君に与えられる前に泉に沈んでしまったという具合である。女神が言うには、落としたものは金の小津安ですか?銀の小津安ですか?と尋ねる位、当たり前なこと。いや、私が好きなのは白黒の小津安ですと答えるならば、目を赤く染めた夏目雅子が剃髪で西遊記に現れるほどスパイダースな時代なのであった。三人の西城秀樹を愛でよ。彼らが奏でるギターの音色は、まるで一人が弾いているように響きあうのだ。みよ、青い草原の上にうち転んでいる少女の姿を。膝をすりむいて大変いたそうであると同時に、手をぐっぱぐっぱしているではないか。水面に飛び込む中国人は、先にロシア人を突き落としておいて、最後にはインド人を右に追いやるだろう?
ん?何?何を期待しておるのか?
タイパを重んじる諸君ならば、ここまで読む必要はない。最初だけで十分なのだ。
【完】