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Episode - 2『全てが奪われた日』

 最後まで抗ってやろうって、そう思ってた。

 俺達ならきっと何とかなるって、ずっと……ずっとそう信じてた。


 でも、年端もいかない兄妹二人ぽっちじゃ、結局はどうにもならなかった。

 

 突然のことだった。

 何もかもが一夜のうちに燃やし尽くされて、残ったのは家と遺産と、両親の形見である大小二本の刀だけだった。


 最初の一年は、悲しんでいる暇すらなかった。ただ生きていくことが、こんなに大変だなんて知らなかったんだ。

 たくさん失敗もしたし、悪い大人に騙されかけたことだってあった。


 それでも、俺は幸せだった。

 ろくな未来は望めなかったかもしれないけれど、彼女と身を寄せ合いながら生きたあの日々は、俺にとっては何よりの宝物だ。

 あいつも――妹も、そう思ってくれてたらいいな……なんて。

 

 ワガママ……かな?

 

 ……ワガママ、だよな。

 

 

――深界の止揚

――Act.1 Episode-2 『全てが奪われた日』

――観測対象 日百合 蘭




 * * *




 耳の奥から誰かの叫び声が鳴った。それが自分のあげた声だと気付いたのは、毛布を蹴飛ばしてベッドから跳ね起きた後のことだった。

 額はじっとりと汗で濡れていた。何故だか息も上がり、心臓が激しく脈打っている。


 辺りに目をやると、そこは何の変哲もないいつもの自室だった。

 濃紺の闇に濡れた六畳間は、出窓から差し込む鮮やかな茜色によって優美に照らし上げられていた。不規則に靡く白のカーテンは、まるで部屋が呼吸をしているかのようにそよ風を吸い込み、またゆっくりと吐きだす。


 小鳥の囀りが細切れに響き、すぐさま遠くのほうへと伸びていった。それを追いかけるように子供達のはしゃぎ声が通り過ぎる。続けて一人――また一人と楽しげな声を上げながら、しかしそれも同じように遠く離れていってしまった。

 

 そこに悪夢はひとかけらも残っていなかった。あるのは絵に描いたような平穏そのものだったが、今の俺にとっては、先程見た夢の内容と大差ないくらいには暴力的に感じられた。

 俺は右手を胸元へ当て、宥めるようにさすりながらゆっくり息を整える。こんな些細なことで気が滅入っているようでは、ましてや、学業へ復帰するなんて夢のまた夢の話だ。

 

 ……泣くなって。お兄ちゃんだろ……。


 胸裏だけで自分に言い聞かせる。

 よく父親に言われた言葉だった。そう言って俺の頭にポンと乗った彼の手は、いつも大きくて暖かかった。


 目標だった。彼のような――父さんのような立派な魔剣士になりたかった。

 なのに、どうしてこの体は……。


 倒れ込むように再び枕へ後頭部を埋めた俺は、夕焼け色が仄かに溶けた天井をぼんやりと眺めた。


 悪夢から覚めても、結局は同じような悪夢が残酷に繰り返されるばかりだ。

 外へ出れば、見知った学生服を着た同年代が嫌でも目に止まる。その度に、途方もない疎外感と罪悪感に喉元を握りつぶされそうになる。それに加えて、俺も――妹も、ここらへんではちょっとした有名人だ。街では度々大人達に声をかけられ、何かしらをご馳走になったり、場合によっては金銭を手渡される事だってある。

 

 有り難いことだと分かってはいるものの、そういった他人の温かさに触れる度に、後に待つ現実の身を切るような冷たさに怯え、苦しむことになる。

 

 ……じゃあ、一体どうすりゃいいんだよ……。

 

 手の甲で目元を押さえながら、喉元からせり上がってくる衝動を懸命に堪えた。

 泣いたって何も変わらない。何も還ってなんかこない。それに、俺が泣いてちゃ――。

 

「……兄ちゃん?」


 突然、部屋の入り口付近から物腰柔らかな声がした。

 咄嗟に平静を装いつつ飛び起きると、開いた扉の向こうから妹が顔を覗かせていた。

 

「……彩音? あれ、もうそんな時間――」

 言いながら、すぐさま枕元へ寝そべったスマートフォンを拾い上げ、スリープモードを解除する。

 

「ろ――六時半!? 寝過ぎだろ……。悪い、すぐに飯の支度するから」


 自身の怠惰っぷりに嘆息しつつベッドから立ち上がった俺は、傍らのクロゼットから着替えを適当に選んで放り出す。しかし、何故だか大慌てといったふうにすぐ傍まで駆け寄ってきた彩音は、「ちょっと待って!」と俺の手をガッチリと掴んだ。

 しかしすぐに手を引っ込めた彼女は、ルビー色の瞳をきゅっと細めながらばつが悪そうに目を逸らした。

 

「ご――ごめん……」

 言いながら、肩までの白い髪を指に巻き付けるようにしてもてあそぶ。

 

 見れば、彩音は上着こそグレーのゆったりめなシャツへ着替えてはいるものの、膝上丈のプリーツスカートに同色のハイソックスと、明らかに学校から帰ってきてそのままという様相だった。

 細身の脚で内股気味に科を作る彼女は、続けてちらりとこちらに視線を戻しつつ、辿々しい口調で猫なで声を出す。

 

「その……まだ準備出来てないから、もうちょっとゆっくり……ね?」


「準備……?」

 語尾に疑問符を付けて訊き返すと、彩音は「もぉー! いいから!」と、俺の手から強引に着替えを取り上げた。そして今度は両手をパチンと合わせ、深々と頭を下げる。

 

「お願い! あと五分だけ待って! 五分経ったら降りてきてもいいから! ね? ね?」


「分かった分かった……。じゃあ五分な? よーい――」

 いたずらな笑みを湛えながらスマートフォンを拾い上げ、画面へ人差し指を向けて彼女へ目配せをする。

 

「……へ? ちょ――待って待って! まだダメ! ストップ!」

 再び大慌てで部屋の扉まで駆け寄った彩音は、先程と同じように扉の向こう側から首だけを覗かせ、俺からの合図を固唾を呑んで待つ。

 

「スタート」

 言ったと同時にポンと画面をタップした頃には、彼女はトテトテと軽快な足音をたてて一階へと降りていってしまった。

 

 ……全く、騒がしい奴だ……。

 

 思いながらほっと一息ついた俺は、ベッドへと腰掛けつつおもむろにスマホの画面を開く。本当は時間なんて測っていないし、五分なんて言わず、彩音の気が済むまで部屋で待っているつもりだった……が、通知バーへ表示されたカレンダーのメモを見た瞬間、俺は思わずハッと目を見開いた。

 

 

 階段を降り、居間とは逆側にある洗面室で顔を洗う。

 鏡へ映り込んだのは、何とも冴えない間抜け面だった。癖のかかった乱れ髪に、暗く淀んだ藍色の瞳。(よわい)十四歳という若さで端麗な容姿を完成させている妹とは、どうひっくり返ったって似ても似つかない粗末な顔だ。

 

 ……こんな顔の、何処が良かったんだよ……

 

 心の中だけで悪態を吐くと、それに答えるかのように鏡の向こう側から顔を覗かせる少女の姿があった。長いブロンド髪を揺らす翠眼の少女は、どことなく不安げな顔でこちらに視線を送る。

 古典的なやり方だが、右の頬を軽くつねってやると、その幻影は酷く寂しそうな表情を最後に消えてなくなってしまった。

 

 両手で顔を覆った俺は、そのまま首を上へと向けつつ大きく息を吸う。瞼の裏には、思い出したくもない過去の記憶が嫌がらせのように次々と浮かんでは消えていった。それらを涙腺の奥へと無理矢理押し込め、震える喉から慎重に吐き出す。

 

 ……お願いだから、今日だけは勘弁してくれ……。

 

 懇願するように祈りながら、再び瞼を開く。恐る恐る鏡へ目をやったが、先程の幻影は何処にも見当たらなかった。

 安堵すると共に、途方もない喪失感が胸の奥へ染み渡る。この痛みと――悲しみと、俺は今後一生をかけて向き合っていかなければならない。とは言え、そんな勇気が突然湧いてくるわけがなかった。

 

 居間の扉を開けると、何かが焼けたような香ばしい匂いがキッチンから流れてきた。

 カウンター越しにはいい匂いに思えたが、しかし実際にキッチンフロアへやってくると、途端に異様な焦げ臭さが鼻の奥を突く。

 

「奥さん、これ……焦げてませんか?」

 火の元の前で呆然と立ち尽くす彼女の背中へ、俺は恐る恐る声をかけた。

 

「焦げてますね」

 冷静なふうに彩音は言うも、「……焦げてますね」と呟くように繰り返しながら肩を落とす。

 

 それ以外にも、カウンターテーブルには恐らくはご馳走――だった物が所狭しと並んでいた。

 焦げ目をケチャップで誤魔化したオムライスに、皿の縁まで焼け焦げたグラタンらしき物。真っ黒でもはや何だったのか分からない物に、何やらドロッとしたスープ状の何か。


「ごめん……またやっちゃった」


 こんな調子で、容姿端麗な彼女にも唯一の弱点が存在する。

 念のために言っておくと、料理が下手というわけでは決してない。ただ少し見てくれが悪いだけで、食べてみれば意外と美味しいというパターンがほとんどだ。

 

 試しに……と、俺は真っ黒い塊を一つ摘まみ上げ、口の中へと放り込んだ。

 唐揚げだ。表面こそ焦げてしまっているものの、ちゃんと鶏もも肉の旨みが感じられる。コゲついている分、ほんの少し苦みはあるものの、食べてしまえばほとんど気にならない程度だ。

 

「ちゃんと旨いよ」

「もぉ……すぐそうやって私の事甘やかす」

「いや、ほんとに旨いって」

「はいはい、分かったってば。……ありがと」


 二人きりのキッチンに、細やかな笑い声が二つ。食卓に並んだ料理は見た目こそ悪かったものの、二人で食べれば立派なご馳走だった。

 たった二人になっても、俺達はこうやって静かに慎ましく生きてきた。寂しくなることも、悲しくなることだってしょっちゅうある。それでも、俺はこの生活が割に好きだった。

 

 例え、この先にどんな苦難が待っていようとも、こうやって少しずつやっていければそれでいい。彩音さえ傍に居てくれるなら、それで――。

 

「お誕生日、おめでとう」

 お皿を片付けながら、彩音はぶっきらぼうに呟く。

 

「ありがと」

 拭き上げた皿を棚へ戻しながら、俺も同じように返事をする。


「愛してるぞ」

 また同じように、今度は幾分恥じらいを声へ乗せながら彼女が言う。


「俺も――」

 そう言いかけた瞬間、横目に映る紅の瞳がそっとこちらへと向けられた。

 

「……ん?」

 唸り声だけで視線へ返事をすると、「ううん」と彼女も同じように声を出す。

 

 そんな時だった。居間へ置いてあるラジオデッキから、唐突にニュースキャスターの声が鳴った。

 

――今日、五月二十四日は、魔獣カルラによる大天災(だいてんさい)が起きた日。四年経った今も尚、我が国楓宮(ふうぐう)には、不死鳥の化身が残した生々しい傷跡が各地に残されています。闇夜へ突如として現れた業火は、大切な日常や家族、多くのものを一夜にして奪い去りました。楓宮中心街の追悼碑前には、現在も多くの方々が参拝に訪れ、亡くなった犠牲者の皆様へ祈りをささげています


 ちょうど皿を片付け終えた俺達は、キッチンの照明を落として居間へと向かう。

 部屋の中心へ置かれた卓袱台をそっと脇へ移動させた俺は、部屋の隅から座布団を二枚取りだし、刀掛けへ飾られた二本の刀の前へそれらを並べた。

 

 座布団へ腰を下ろす。少しして彩音も隣へ正座すると、ちょうどその頃にラジオから鐘の音が響いた。

 

――黙祷(もくとう)


 続けて唱えられたその声に促され、俺達は二人して手を合わせ、祈りを捧げる。

 

 五月二十四日、二十時十六分。

 四年前の今日、この瞬間に、不死鳥は突如として楓宮上空へ姿を現し、俺達から全てを奪い去った。

 

 大切な家族も、大好きだった友人も、掛け替えのない幼馴染みも。

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