表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

第6話 暗黒剣鬼イゾルデ

森は夜の匂いを濃くしていた。

 火を飲み込んだように赤い月が、梢の切れ間からのぞく。

 数日前に村を救ってから、リュオムたちは東の峠道を目指していた。足音は慎重に、息遣いは浅く。ミラの耳が不安げに揺れる。


「……今日、星が見えない」

「雲の上に隠れちゅうだけやろ」

 そう言いながら、リュオムは胸の奥のざわめきを隠せなかった。竜魔紋が、微かに疼いている。

 シン=トナリは歩みを止め、掌を合わせて夜気を感じ取った。


「血の匂い……古い獣道に、新しい刃の通りあとがある」


 次の瞬間――樹々が横一文字に裂けた。

 森の闇を、一本の黒い剣が切り拓く。


 影が、歩み出る。

 黒鉄の鎧。獣の眼光のように紅く灯る瞳。

 その男は、低く嗤った。


「……よぉ。久しぶりだな、龍馬」


 風が止む。遠い獣の鳴き声さえ消えた。

 リュオムの喉が、乾く。


「……以蔵。ほんまに、おまんか」

「――違ぇよ」

 仮面の下、口角が吊り上がる。

「俺はもう“以蔵”じゃねぇ。この世界じゃ“イゾルデ”って呼ばれてる」


 ミラが小さく息を呑んだ。シンは一歩前に出ようとして、リュオムの袖に触れ、止まる。


「宰相ハルエルの犬だ、とでも言うちょくか?」

「犬でも刃でも構わねぇ。あの人は“秩序”を語った。お前は“自由”を語る」

 イゾルデの瞳に、黒い炎が灯る。

「昔からそうだ。理想に酔って、何も守れないままだ」


「違う」

 リュオムは一歩踏み出した。竜魔紋が衣の下で脈動する。

「理想を捨てたら、人はただの獣になるき。獣やったら、わしらはもうとうに死んじゅう」


 闇と光が、言葉の形でぶつかった。

 森が、刃を欲した。


 先に火を吹いたのは闇だった。

 イゾルデの剣に《黒焔の恩寵》が走る。黒い炎が刃を覆い、熱ではなく“喰う力”で夜気を焼き削る。

 踏み込みは影。一瞬で間合いが詰まる。


 リュオムは抜いた。

 竜魔紋が胸で咆哮する。蒼い稲光が剣線に宿り、反射のまま黒焔を弾いた。

 火花――いや、黒と蒼の星が弾け、幹が抉れて薙ぎ倒れ、土がめくれ上がる。


「速ぇな。けど――重さが足りねぇ」

 イゾルデの低笑と同時に、刃が回転する。黒焔が渦を巻いて追い縋り、肩口を抉った。

 熱はない。ただ、命を“減らす”冷たさ。

 血が跳ね、リュオムの視界が揺れる。


「リュオム!」

 ミラの叫び。足が出かけるのを、シンが静かに止める。

「まだ、出る時ではない」


 リュオムは歯を噛み、足を踏み固めた。

 竜魔紋の鼓動が、怒りと痛みを呑み込むように膨れ上がる。

 ――堕ちるな。師の声が、胸の奥で木刀の音に変わって響く。


「……わしは、まだ終わらんぜよ」


 蒼い閃撃が走る。

 踏み込み、捌き、返す。竜光が黒焔を裂き、黒焔が竜光を蝕む。

 互いの恩寵が、互いの魂を削り合う。

 視界の端、赤い月が細く歪んだ。


「面白ぇ……その目だ。その目が、俺をずっと苛立たせる」

「おまんの刃は、己を切っちゅうきに」

「そうだよ。俺は俺を切り続ける。切らなきゃ、立ってられねぇからな!」


 黒焔が爆ぜ、イゾルデの剣が唸る。

 リュオムはわずかに遅れ、肩の傷がさらに裂けた。砂と血の味。

 竜光が滲む。理性が、縁から崩れかける。


「やめて……やめて、二人とも!」

 ミラの声が、夜に縫い付けられて消えた。


 ――光が落ちた。

 鐘の音のような静謐が、森の騒擾を一息で洗い流す。

 結界の縁が、蒼でも黒でもなく、透明な祈りで二人の刃を隔てた。


「もうやめい、龍馬。以蔵」

 シン=トナリが結界の中心に立っていた。

 数珠が澄んだ音を立て、彼の足元に光の輪がいくつも広がる。


「慎太郎……どけ」

 イゾルデの声は低く、だが揺れた。

「おまえまで、夢を見せるのか。俺たちは――」


「夢やない。志じゃ」

 シンの声は強くも穏やかで、夜の静けさに馴染んで響く。

「血を流してもええ。けんど、心まで殺したらいかん。おまんの刃は、誰を守るか、それだけを忘れるな」


「心を殺さなきゃ、この世界じゃ生き残れねぇって、もう何度も見てきた」

 イゾルデの黒焔が、不意に弱まる。

「殺さなきゃ殺される。あの夜も、そうだった」


 リュオムは息を吐き、蒼をしずめた。

「なら、この世界を変えりゃええ」

 言葉は、痛みと共に、まっすぐだった。

「わしらは海援隊ぜよ。鎖を断ち、道を拓く。そのための刃や」


 短い沈黙。

 赤い月が雲に隠れ、闇が一段深くなる。


 イゾルデは結界の縁で、剣を一度だけ床に打ち、音を鳴らした。

 黒焔が消える。仮面の奥で、微かに笑ったように見えた。


「――宰相が、お前を“見る”と言ってる」

 背を向ける。影が木々に溶けていく。

「次は、容赦しねぇ。俺自身のために、な」


「待っちょるき」

 リュオムは肩の血を押さえながら、まっすぐ言った。

「何度でも、ぶつかり合おうや」


 返事はなく、梢が一度だけ鳴った。闇が、元の闇に戻る。


 結界が静かに解け、夜風が肌を撫でた。

 ミラが駆け寄り、リュオムの肩に布を巻く。震える手を、リュオムが軽く叩いた。


「だいじょうぶぜよ。……ありがとな」

「全然だいじょうぶじゃない顔してるくせに」

 ミラの目尻に、光るものが滲む。

 シンは二人のそばに膝をつき、そっと掌を重ねた。淡い癒しの光が、傷の熱を鎮めていく。


「おまんら、忘れるな」

 祈りを終え、シンは夜空を見上げた。

「志は三つ、道は一つ。いずれまた、交わる日が来る」


 雲が裂け、遅れて星がいくつか顔を覗かせる。

 星の並びは、竜の輪郭にも、剣の稜線にも見えた。


 リュオムは胸の竜魔紋を押さえ、小さく笑う。

「夜は明ける。――明けさしちゃるがよ」


 赤かった月は、その色を少し薄めていた。

 森の端で、遠い梟が一声鳴く。

 静かな夜が戻ってくる。だが、その静けさは、新しい戦いの前触れのようでもあった。


 ※第1章「放浪の剣士、異世界に立つ」――了。

 星海の門はなお遠く、志の剣は今、鞘を離れたばかり。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ