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第10話 関所の檻

街道の空気が、ひとつ境を越えたように変わった。

 昼下がり。三人は小さな宿場を通りかかった。

 一見、活気がある。旅人の声、荷車の軋み、煙の匂い。

 ――だが、何かが違う。

「ねぇ、リュオム。ここ……何か変だよね……」

「変じゃのう」

 リュオムは笑ってみせた。けれど胸の竜魔紋が、じくりと嫌な熱を帯びている。

 宿場の中央、掲示板に紙が幾枚も貼られていた。

 黒い文字が風に揺れ、ぱたぱたと音を立てる。

――秩序を乱す者を見かけたら通報せよ。

――星紋ほしもんを帯びし者、特に注意。

――通報者には褒賞を与える。

「……密告の札ばかりだな」

 シンが眉をひそめ、数珠を握り直す。

 リュオムは掲示板から目を逸らし、淡々と歩き出した。

「王都に近づくほど、息苦しゅうなるきに」

 背中の気配が追ってくる。

 視線は刃より厄介だ。切れない。折れない。ずっと残る。

 ――夕刻。

 道は大きな柵へ吸い込まれるように絞られていった。

 簡易関所。木柵と鉄の鎖。等間隔に立つ兵。

 魔導灯の淡い光が、列をつくる旅人の顔を照らしている。

「次の方。旅券を」

「獣耳の方、身分を」

「……星紋の有無を確認します」

 兵の横には、針のような金属器具が置かれていた。

 触れさせるだけで淡く光が変わる。

 誰も騒がない。色が変わった者は、静かに別の列へ案内されていく。

 ミラが喉を鳴らし、リュオムの袖をつまんだ。

「ねぇ……あれ、何……」

「……わしらを選別する道具じゃろう」

 列が進む。

 シンが一歩、前へ出た。

「我々は巡礼の旅だ。私は僧。二人は……護衛と、身寄りのない子」

「旅券は?」

「ない。だが、身分の証なら――」

 シンは数珠と小さな木札を差し出した。

 兵はそれを受け取り、目だけで測る。人ではなく、書類を見ているようだった。

「……確認する」

 針の器具が差し出される。

 その瞬間、リュオムの胸がさらに熱を増した。

 竜魔紋が、息を飲むほどに脈打つ。

(ここで反応したら――)

 リュオムは、ゆっくり一歩前に出る。

 そして関所兵の目を、まっすぐ見た。

「……ひとつ、聞いてええか」

「何だ」

「この関所は、誰を守りゆうがぜよ」

「民だ」

「なら、民の腹を満たす札も、ここに貼っちゅうがか」

 兵の動きが、ほんの僅か止まる。

「密告の褒賞は貼ってある。けんど、飢えた子に渡すパンの札は見えん」

「……」

 兵は怒鳴らない。淡々と答えた。

「秩序があれば、パンは回る。秩序が崩れれば、飢える。宰相ハルエル様の御方針だ」

「……ハルエル」

 名が耳に刺さる。

 理由もなく喉の奥が乾いた。

 シンが咳払いひとつで場を整える。

「我々は争いに来たのではない。通してくれ」

 兵は器具を持ち上げ、シンの手首に当てた。

 淡い光。変化なし。

 次にミラへ。

 ミラの耳がぴくりと立ち、唇を噛む。

 針が触れ――光が一瞬だけ揺れた気がしたが、兵は何も言わず離した。

「最後、人間」

 兵がリュオムを見た。

 針が近づく。

 竜魔紋が叫びそうに熱い。呼吸が乱れそうになる。

 布越しに――ひやりと、何かが触れた。

 その刹那。

 竜魔紋の熱が、すっと引いた。

 誰かが火に蓋をしたように。

 針は、色を変えない。

「……通れ」

 兵は短く言い、木札に印を押した。

 黒い翼と王冠。“通過”の証であり、同時に“記録”でもある。

 関所を抜けた瞬間、ミラが息を吐ききった。

「……死ぬかと思った」

 リュオムは笑ったが、心の奥は冷えたままだった。

 その夜、三人は街道沿いの宿に入った。

 宿主はやたら丁寧で、やたら愛想がよくて――やたら目が泳いでいた。

「どうぞどうぞ、良いお部屋を……」

 ミラにだけ、菓子をひとつ余計に出す。

 親切に見える。だがミラの耳は落ち着かない。

 シンは湯を飲みながら、小さく言った。

「……この宿、偽りの空気が濁っている」

「つまり?」

「誰かを恐れている。あるいは……誰かに命じられている」

 リュオムは何も言わず、鞘を撫でた。

 刃ではなく、鞘の冷たさだけが手のひらに残る。

(縛って守る国……か)

 ――夜半。

 宿の外で、靴音が揃った。

 来た。

 ミラが跳ね起き、シンが数珠を握り、リュオムは立ち上がった。

 窓の隙間から見えるのは兵の列。関所の兵ではない。鎧の形も違う。だが、動きは同じだ。

「開けろ。確認だ」

 扉が叩かれる。丁寧な声。だから、逃げ遅れる。

 廊下で宿主の震える声が聞こえた。

「すみません……すみません……」

 謝罪が、告げ口の証だった。

「裏だ」

 シンが低く言う。

 三人は窓を開け、裏路地へ落ちた。

 ――しかし、裏にもいた。

「こちらだ」

 兵が静かに前へ出る。

 抜刀する者もいる。だが殺気は薄い。狙いは“捕縛”。秩序のための連行。

 ミラの肩が震えた。

 リュオムは《青海》の柄に触れかけ――止める。

(ここで抜いたら、相手の思惑通りや……)

 斬りかかれば、負ける。

 血が流れれば、民は恐れ、秩序は強くなる。

「走れ!」

 三人は闇へ駆けた。

 背後から足音が追う。

 矢が飛ぶ。殺す矢ではない。止めるための矢だ。

 その時――風が一度、止んだ。

 月が薄く曇り、街の音が遠のく。

 石畳の隙間から霧が立ち、道を描いた。

 まるで見えない川が、そこに流れたように。

 声が、耳ではなく胸に落ちる。

――『争ってはいけません』

 姿はない。輪郭もない。

 ただ、世界の温度だけが変わる。

「……ルミア」

 ミラが呟く。

 言葉にした途端、霧の道がほんの少しだけ広くなる。

「こっちだ!」

 シンが導かれるように走る。

 三人は旧街道へ滑り込んだ。

 廃れた石の道。倒れた標柱。人の流れが消えた場所。

 追う兵の列が、そこで乱れた。

 整然とした隊列が崩れ、指示が届かなくなる。

 ――秩序の刃が、届かない場所。

 しばらく走り、ようやく息が落ち着いた頃。

 ミラは膝に手をつき、涙をこぼす寸前の顔で笑った。

「……なんでさ。こんな世界なのに……“札”一枚で縛られるの……」

「世界が変わっても、人の怖さは変わらんき」

 リュオムはそう言い、ミラの頭を軽く撫でた。

 夜明け前。

 旧街道の先に、小さな焚き火の跡があった。流れ者の匂い。

「ここから先……“支配”が薄い地帯だ」

 シンが言う。

「自由区画――そう呼ばれている場所があるらしい」

 リュオムは遠くの空を見た。

 王都アガレスの方向に、薄い光が滲んでいる。

「……縛る国と、信じる世界」

 呟きは冷たい空気に溶けた。

「どっちが正しいがかは、まだ分からん。けんど……わしは、信じて走る方を選ぶぜよ」

 ――同時刻。

 王城の政務の間。

 宰相ハルエルは報告書を一枚閉じた。

「関所を抜けた三名、宿で逃走。追跡失敗……」

 部下が身を縮める。

 だがハルエルは叱責しない。怒りも見せない。

「捕らえよ。ただし殺すな。民の前で血を流せば、恐怖が増える」

「……拘束のみ、ですね」

「そうだ。秩序は、恐怖で立ててはならない」

 その言葉は“優しさ”に聞こえる。

 だが、優しさは時に鎖になる。

 ハルエルは窓の外の星を見た。

 同じ星が、遠い旧街道にも瞬いていることを知らぬまま。

「……名も知らぬ転生者よ。あなたは、何を守ろうとしている」

 別室。

 黒い“影”が片膝をついていた。

 剣の鞘から、わずかに黒が滲む。

「追うな。接触するな。見届けろ」

 ハルエルは言う。

「彼が“何を守ろうとするか”だけを」

 影は短く答えた。

「……御意」

 闇が静かに動き始める。

 リュオムは《青海》の鞘を握り締め、心の奥でひとつだけ誓った。

(“札”の檻ごと、壊すんじゃない)

(檻をいらん世に、変えるがぜよ)

 風が吹いた。

 霧がほどけ、空が少し明るくなる。

 秩序の国も、自由の旅も。

 同じ夜明けへ向かって、歩み始めていた。

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