2 チャーリー
1 はじまり のあらすじ
チャーリーはいつも、夢の中で自分を呼ぶ声を声を聞く。
朝、目が覚めればそこは、見慣れたいつもの病室。
いつもの時間に、老婆が起こしにやってくる。
チャーリー。チャーリー・リムノン。
くるくると、綿毛のように柔らかな金髪。まんまるできれいな黄色い瞳。幼顔のその口元にとりあえずの笑みを浮かべて、日々の味気のなさにはフタをする。
たいしたごまかしにもなりはしないけど、抜け出したい毎日だ、笑顔くらいあってもいいだろう。
なんとなく。笑顔でいるのは楽しいことだ。
だからこれまで、つらいこともかなしいことも、これといってなかったし、
だから八年間、ずっとそうして生きてきた。
こうも飽き飽きした日々を送っていると、どうしたって、時の流れは遅く感じてしまうもので。
こうしてみると八年間、思っていたよりも長かったかもしれない。
三つ子のころから続く、ここでの暮らし。
病院暮らし。
もうずいぶん昔に慣れてしまった。
慣れてしまえばどうってことはないし、人間慣れないことなんてそうそうないから、普通に生きている。
朝になれば目が覚めて、楽しいのタの字も見つからない勉強をして、おなじく興味のナンの字もない本を読んで。
ときどき、八年を過ごすにはいささか狭い気もする広い広い庭へ出たり、暇つぶしのプレゼントが届いたり。
そういえばおととい、『ラジオ』という箱型の妙な機械が送られてきたばっかりだ。『アンテナ』という細い棒を伸ばして聞いてみると、ときおりザーザーとへんな音を漏らしながら、誰かと誰かの議論の声や、いま流行りらしい歌手の歌声、天気予報にニュースといったものが流れてきた。いくらかいろんなチャンネルを回してみたけれど、これはこれは⋯⋯!
おもしろいほどにつまらない。
だけどしまうのが面倒で、まだテーブルのうえに出しっぱなしだ。
たまにはこんなハズレもあったりなかったり、たいていは、時間をつぶすのにちょうどいいおもちゃや図鑑などをもらう。
ただし四人用のボードゲームが届いたときには、さすがのチャーリーもなんの嫌味かと思ったものだ。
チャーリーはこの病院から出られないうえ、ここに誰が会いにくるわけでもないのだから。
だからここ数年、会話をしたのはじいやばあやの数人だけだ。
暇つぶしの相手がほしいわけでもなかったので、それはそれで構わなかった、けれども。
──なかなかに、どうしようもなくつまらない八年間だった。
まだ続くだろうか。
ふと思う。
いつまで続くだろう?
「⋯⋯⋯⋯」
考えたところでしょうがないと、考えるのをやめにして、わけもなくきらびやかな装飾のほどこされた階段を下りていく。
それにしても、とあたりに目をやる。
見ても暮らしても、およそソレとは思えない造りの病院だ。
チャーリーの部屋は一番うえの三階にある一室で、あいだをはさんで、一階が食堂やホール、使用人の部屋。二階はひとつぜんぶで大きな図書室のようになっている。
のはいいとして、なにしろチャーリー、断じて〝本が好き〟なワケでは決してないので、二階にほとんど用はなく、ここ八年、一、二回足を踏み入れたことがあるかないかだ。ヒマなのに。
ではいったいなんのために造られたのだろう──と、チャーリーにとってはないも同然の階と化す。
それでも何千冊もの本たちは、きょうも働き者のじいやばあやの手によって、ほこりひとつかぶることなく保管されていることだろう。
声も出せずに、だれかに読まれるのを待っている。
そして、なによりのもうひとつ。
なにを隠すこともない、この病院に、患者はチャーリーただ一人だけ。
けれども患者といいながら、チャーリーの身体はじいやばあやの健康管理によって、健康体そのものだ。さまさま。
ではなんなのかと、いってしまえば、チャーリーの身体にはなんの異変もありはしない。
そう、ここは病院とは名ばかりの、ごくごくフツウのお屋敷だ。
病院でもないなら当然、治療もなにもありはしないで、ただかご籠もりの日々を過ごす。
あと数歩で、地獄にさえなりえそうだと、悟っている。
さあ、そんな毎日を並べてできた、線の終わりはいつだろう?
そんなワケで、する味のしない朝食をのどに流して、午前中には地理と数学の勉強をカリカリカリカリ三十分ほど、頭に入ったのかと聞かれれば全然そんなことはないけれど、これ以上なんてとてもじゃない。
そのあとは、難しい言葉ばかりで驚くほど内容の入ってこない本を読んで、お昼まで。
お昼ごはんは⋯⋯なにを食べたか。忘れてしまった。
午後にはさしずめ、小さな森のような庭を散歩する。
まるで変わりのない空のした、歩き疲れてきりかぶにちょっこり座っていると、少し離れた木々の木陰に、少しつぶれたサッカーボールを見つけた。脳裏によみがえる。
あれは数年前にもらった誕生日プレゼントだったはずだ。しかしなにをどう蹴ろうと、ヘロヘロとあさってへ転がっていくボールにものの数分で飽きが差す。
これだから運動は好きじゃない。けっきょくそのままほったらかしにされていたのだろう、またこんど、ちゃんと持って帰って捨ててやろう。なむあみだ。
それにしても、チャーリーがどれだけ空を蹴ろうと、何度庭の池にボールを落とそうと、あげく落ちたボールに手を伸ばし、自分が池に落ちたときさえ、「上手上手」とぐっしょり笑顔で手を叩いてくれた、あの使用人は元気だろうか。あのあと彼は風邪をひいた。
空の灰色がワントーンほど暗くなったので、もときた道を引き返す。
夕闇が迫り、老婆に呼ばれて館内へ戻る。
夕食には、ずっとむかしに好きと伝えた、海老入りのグラタン、ザクロパイ。
いまはもう──
それでもできたてほやほやの料理からは、あたたかい湯気が立ちのぼる。
なんて、つまらない日常を長ったらしく描いていたってしょうがない。
そんなこんなで、いつも通りの夜がくる。
(☆サッカーは嫌いだけど、サッカーボールはいい思い出)