1 はじまり
はじまりの夢をみる。
ここは、どこだろうか。
──ここは夢のなか。
ぼくは、だれだったろうか。
──ぼくはぼくだ。
気づけばいつも、この夢のなか。
カタチにとらえぬいろたちが、自由に気楽にとびまざる。
ころころ、けらけら。気ままにわらう。
いろのせかい。
そんなせかいに降り立って、はじまりを夢描くとき、たしかに彼は声をきく。
いつもの声が、きょうもいう。
──!
「こっちへこい!」
おいで、おいでと彼を手招く。
世界のはずれで、彼を呼ぶ。
そっちへいかなければならないと、いくべきだと、わかっている。知っている。
──だけどいきたいワケじゃない。これといった興味もなければ関心もない、それならここにいたいじゃないか。
無視を決めこみ、右から左へききながす。
と、それに気づいた相手の声が、負けじとだんだん大きくなった。
かまわずいろを追いかけるうち、彼をいざなうその声も、その理解も遠くへ遠くへ遠ざかり、うすれてやがて、なくなって。
せかいはいろに染められていく。
そして──
彼はふっと目を覚ます。
一
夢から覚めればそこは、もう見飽きるほどに見慣れてしまった、いつもの病室。
どこか重厚感を感じる白い壁に白い天井。ぶらささがる質素なシャンデリア。
「⋯⋯⋯⋯」
こてん、と体を起こす。
ため息の出るような鬱憤から目をそらすように、左どなりへ顔を向かわせれば、これもまた白い窓枠の向こうに見える、灰色に塗りたくられた空。
きょうも晴れない。
近ごろなかなか太陽がかおを出さずに、かといって雨が唄うワケでもない、こんな空ばかりを眺めている。
憂さ晴らしにもなりはしない。
もうそろそろ充分なそれらから視線をはずし、すると自然と目が向かうのは、正面の壁の。
──絵だ。
額に入れられたもの、裸のままピンやテープで止められたもの。
壁の一部を埋めつくした色あざやかなラクガキたちが、この部屋に閉じこもる重たいそれを中和している。
さらにぐるりと見回せば、部屋の中央に猫脚のまるいテーブル、座り心地はそこそこの、線の細いシャレた椅子。
それから病室の扉横には、天井まで背が届きそうな、見あげるほどの巨大本棚。
ところせましと、政治に地理に数学に、すみのほうには語学に文学と、星座に文化に動植物の図鑑や資料など、種類雑多な本たちが、情けも容赦も隙間もなく詰め込まれている。
引っ張り出すのにひと苦労、本好きには知られたくないレベルのギッチリ具合だ。
爆ぜんばかりの本棚のとなり、洗面所やバスルームへつなぐドアがひとつ。暗い木製のドアだ。
部屋の足もとには、これはめずらしくもお気に入りの、ふわっふわなたんぽぽ色の羽毛のじゅうたん。なかなかの踏み心地だ。
と、そうこうするうちに、壁の絵のとなりにてんと佇む柱時計が、七時をさした。
同時に、こんこんこん。
控えめなノックがされる。
毎朝毎晩、「じつはそういう機械でした」といい出されても信じてしまうくらいの正確さだ。病室のまえで時計を持って、時間になるのを見計らっているのだろうか。
たずねるつもりもない。
「入っていいよ」
ベッドのうえから声をかけると、ぎぃ、と扉が開いて、ひとりの老婆がうやうやしく頭をさげた。
どうでもいいけれど、さいきん開けるたびに軋むようになってきた蝶番だ。
「おはようございます、チャーリーぼっちゃま」
「おはよう」
老婆がいう。
「お召し物をお持ちいたしました」その手の中で、アイロンをかけられて小さくたたまれた子ども服。
「それがおすみになられましたら、下で朝食のご準備ができております」
「それでは、お待ちしております」と、白の混じった頭をさげて、ぱたんと扉が閉じられて、遠ざかっていく小さな足音。
「⋯⋯⋯⋯」それを小耳に、猫脚テーブルにたたんで置かれた、小綺麗な洋服を開きはじめる。
いつものとおり、ほのかに淡い黄色のカーディガンと、ひざしたまでの茶色い半ズボン。首もとには、落ちついた赤のネクタイを。
それから習慣になった手早さで、パッパと身支度を整え、階下へ向かう。
朝ごはんだ。
(☆病室にはチャーリーお気に入りのものと全然まったくそうでないもの、はたまた思い出のものもある)